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幕間劇其の弐
恋は儚い
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そんなこんなで、俺たちはコンピュータルームへとついた。
席に着いたところで佐藤が尋ねる。綿貫はお花を摘みに行って、今はいない。
「AAって何かしらね?」
俺は少し考えてから、
「もしMWが分子量ならば物質の分類を表しているのかもしれない。雄清は数字が英語と同じくらい大事だと言っていた。何か意味があるはずだ。……綿貫の電子辞書使ってもいいかな」
さすがに、本人の許可を取らずに使うのは、なんだか気が引ける。
「いいんじゃない」
「いや、でも、変な言葉とか調べているかもしれんだろ」
佐藤は呆れ顔で言う。
「……あんたじゃないんだから。どうせおっぱいとかなんとか引いてんでしょ。まじキモイ」
うん? 俺はそんなこと言ってないぞ。あと、キモイとか言うな。傷つくだろ。
大体、女体に興味を示さない、男子高校生など、病気の可能性すらある。辞書でおっぱいを引いて、乳房が出てきて、乳房を引いて、おっぱいが出てくる。そういうループに嵌って男の子は大人になるのだ。
佐藤は俺に侮蔑の言葉を吐きながら、引き気味に、彼女の胸を抱いている。平たい胸を。
……なるほどな。
「そう気落ちするな。大事なのは大きさではない。全体のバランスだ。第一雄清は貧乳好きだ」
「そっそうなの? ……じゃなくてうるさいっ! 別に気にしてなんかないし。ていうか見るな、この変態!」
今日も俺は佐藤にぶたれる。
「というかパソコンあるんだし、これ使えば良くない?」
「ああそうか」
と言ってパソコンの起動ボタンを押したところ、綿貫がお花摘みから戻ってきた。
アイドルはトイレに行かないらしい。であるならば、俺のアイドルであるところの、綿貫もトイレには行かない。……この前入って行ったの見たけど。
いや、あの女子トイレの仕切りの向こうには、おそらくお花畑が広がっているんだよ!
そう。この前、俺が小便をしていた時、女子トイレの方から衣擦れする音が聞こえた。スカートを下ろす音だ。
俺は、これはもしかしたら、と思い、少しく背徳感を感じながら、ドキドキ耳を澄ませて待っていた。
ものすごい音が聞こえた。
……たぶんお花に水やる音だね。うん、相違ない。ちょっと水圧強めだけど。
……俺は変態か。
閑話休題。
パソコンの起動には時間がかかりそうだ。
綿貫にAAの意味するものがないか、辞書を引いてもらう。
「amino acidと出てきました」
「アミノ酸か。アミノ酸で分子量が105、132のもの」
俺はようやく立ち上がったパソコンで、検索エンジンを使い、キーボードをたたく。
「105がセリン、132がオルニチンだ」
「じゃあ雄くんのメッセージはセリン、オルニチン、セリンてこと?わけわかんないんだけど」
「そうだな、雄清は何が言いたいんだ?」
「あの」
「なんだ綿貫」
「アミノ酸って略記がありましたよね」
「三文字のやつか?」
「一文字で書かれる場合もあります」
「セリン、オルニチン、セリン」
「あっSOSね」
「SOS?
……じゃあプレゼントステータスってのは現在状況ってことか。現在SOS、あいつ何やってんだ?」
「もし救難信号なら『17分46秒及び48分35秒で会おう』って何でしょうかね」
「……なんかおかしくないか」
「何が?」
「コロケーションが」
「は?」
……何で俺に対して、佐藤はこんなに冷たいのかな? もしかして俺のこと好きなの? 好きなやつにはちょっかい掛けるって言うしなー(棒)。だから、眼の縁にあるのは涙じゃない。水だよ。……ぐすん。
後で綿貫に慰めてもらおう。
傷心を押し殺して話を続ける。
「いや、助詞の使い方だよ。普通は17分46秒及び48分35秒『で』会おうじゃなくて17分46秒及び48分35秒『に』会おうじゃないか?」
「そう?」
「でも言われてみれば不自然な気もしますね」
「これは意図的なのか?」
「さあ」
「それに17分46秒及び48分35秒の同時に会うなんて意味がわからん。なぜ二回会う必要が。そもそも秒まで指定してくるなんて」
「そうよねえ」
助詞の「で」の使い方。時間と使うときは普通、期限を表すが。
「なぁ、○○で会おうって言われたら、○○に入るのはなんだと思う?」
「いつもの場所? とかかな」
「そうだろ、『場所』で会おうって言うよな。だったら17分46秒及び48分35秒が表すのも時間ではなく場所だとしたら」
「でもわかんないよ。17分46秒じゃ」
問題はそこだ。この数字は何を意味するのか?そしてなぜ『分』から始めたのか?一つ大きな単位を飛ばした理由は?
「なあ、何か表現の省略をするときってどんなときだと思う?」
「わかりきっていること、最初からの決め事、慣用的に、等ですかね」
俺は雄清と何か決め事をしたわけでないし、慣用的に「分」から始める理由もわからない。
とすると、「わかりきっていること」になるが……。
ああそうか。
「深山さん、何かわかったんですか?」
「雄清が『分』から始めたのはそれより大きな単位が俺たちにも必然的に分かるものだったからだ」
「私わからないんですが」
「私も」
「17分46秒及び48分35秒が時間ではなく場所を表してるって言ったろ。この単位を使う場所、つまり座標の表し方と言ったら」
「あっ、緯度と経度ですね」
「そうだ。それならば雄清が『分』より大きい『度』を使わなかった理由も分かる。それを言えば何を示しているのか丸分かりだから、雄清が誰かに監視されている場合(というあいつの設定ならば)、メッセージを送ることはできなかっただろう。度を言わないと言うことは俺たちがいつもいる緯度経度で考えろってことだ」
これはいつもGPSを持ち歩いている雄清のなせる技だ。……あいつ変態かよ。
「地形図で見てみましょうか」
綿貫は戸棚から地形図を取り出しテーブルの上に広げた。
「17分46秒及び48分35秒と言ったら緯度経度の順番の違いで二つ出てきますが」
「緯度が17分の方だ。じゃなきゃ愛知から飛び出る。雄清はついさっきまで学校にいたんだ。テレポートをしない限りそんな遠くまでは行けんさ」
「なるほど、そうするとこの辺りですね」
綿貫は地形図上に印をつける。学校からそれ程離れていない。歩いて五分といったところか。
「部室にGPSってあったか?」
「ありますよ」
おー、さすが山岳部。
「よし、一丁救出に向かうか」
「私もいきます」
「私もついてくわ」
というわけで、女子二人を引き連れ俺は雄清が示した地点へと向かった。雨はいつの間にやらあがっていた。
学校の裏手には田畑が広がっている。GPSを見ながら、目的の場所へと向かう。
「目的地はあそこじゃないか?」
畑の広がるなか、ポツンと建てられた建物を指差す。
「そうみたいですね」
「あれって確か」
「物化部の実験棟ですね」
「そうそう。雄君あんなところで何やってるのかしら」
「さあな。雄清の考えなぞ俺にはわからん」
物化部の実験棟に入るのは初めてである。学校の外に活動場所を与えられているのは物化部ぐらいだが、物理、化学オリンピック等数々の大会、発表会で優秀な成績を収めている物化部に対するこの厚遇は納得できる。入口に鍵はかかっていなかった。
「雄清、来てやったぞ。どこだ?」
建物に入るなり、俺は呼び掛けた。
「こっちだ太郎。来てくれ」
奥のほうから雄清の声がした。
声のするほうに向かってゆくと、手を後ろで縛られた雄清がソファに座っていた。まさか本当の救難信号だったとは。
「やっ、山本さん。大丈夫ですか!?」
「ちょっと、雄君!どうしたの?」
「いやあ、諸事情あってね」
「よお、助けに来てやったぜ。雄清よ、暗号はもっとわかりやすくしてくれ」
「さすが太郎だ。来てくれると思ったよ」
なるほど、雄清がアミノ酸で暗号を作ったわけもわかった。壁一面にアミノ酸についての資料が貼ってあって、セリンとオルニチンの分子量も書かれていた。
「よし答えの確認もできたし帰るか」
「そうね」
「そうですね」
三人が踵を返して歩き始めようとする。綿貫もこういうノリがわかるようになったじゃないか。
「ちょっと、縄ほどいてよ!」
「ああ、ほどいたほうがよかったか」
「当たり前だろう」
俺は雄清の縄をほどいてやった。
「でお前何やらかしたんだ」
「山本さん何か悪いことなさったんですか? 私はてっきりこういうプレイかと」
……。
「こっちゃん、どうしたの?」
「ですから、こういう性癖がおありなのかと思いまして」
なぜお嬢様はこうも際どいことをペラペラ話せるのか。
「こっちゃん!ああ、雄君と深山のせいでこっちゃんが汚れてしまった」
「おい、俺は知らんぞ。で雄清よ何やらかしたんだよ」
綿貫が暴走しないうちに話を元に戻す。
「ひどいな、僕はただ……」
なにかに気づいた雄清が、目線を入口のほうに向けた。そこには見覚えのある女子が立っていた。
「ちょっと、あなたたち誰よ!」
確かこいつ、昨日の……、雄清を映画に誘っていた女だ。
「ちょっとじゃないでしょ。なんであなた雄君のこと縛ってるのよ」
「いや、それは……。雄清君逃げるから」
「はあ?」
佐藤は眉をつり上げて、威嚇するような声を出した。
あっそれ、女子にもやるんだね。
「だって、雄清君、デートに誘っても誘っても、考えとくって言って、逃げるだけで……。だから、私のことどう思ってんのか聞こうと思って、それで……」
「考えとく?」
きっ、と佐藤が雄清のことを見た。今度は雄清が詰問される番だ。
こういうのなんて言ったか?
ああ、そうそう修羅場だ。
「ちょっと、雄君どういうことよ」
「いやあ、それは」
ギャーギャー言い始めた佐藤をわきに、俺はその女子に対面する。
「君、名前なんて言うんだ」
「……斎藤薫」
不審そうに、その子は言う。……俺の事嫌いなの? そうなの。……はあ。
まったく、なんでこの俺が、16になる友人のしりぬぐいをしなければならないのか。一人俺はため息をつく。後で飲み物でも雄清にせしめなければ。
「斎藤さん、もう雄清に関わるのはやめてくれ。あいつは気の優しいところがあるから、はっきりと言わないが、雄清は君のことをこれっぽっちも好いちゃいないんだ。その、異性としてな。だから……」
「でも、でも」
女というのはどうしてこうも聞き分けがないのか。俺はギャーギャーと佐藤に攻撃されている雄清に向かって、
「おい雄清、はっきり斎藤さんに向かって、お前がどう思っているのか言え。お前がはっきりしないからこんなことになったんだぞ」
「……わかったよ。斎藤さん」
「はい」
「僕は君のことを女の子としては見られない。でも友達にはなれるし、むしろそうしたいんだけど」
斎藤は目に涙をため、振り返ってそのまま外へと走って行ってしまった。
「行ってしまいましたね」
綿貫がしんみりと言った。
「仕方ないだろ」
俺たちは四人で山岳部の部室へと戻った。歩きながら、
「それで雄清よ、なぜあんな所にいたんだ」
「だから、斎藤さんに連れられて」
「あれがお前を運んだっていいたいのか。俺には華奢な女にしか見えなかったがな」
「ちがうよ、文化祭の件で話があるって言われたんだ。同じ執行委員として、無視するわけにもいかないだろう」
「そうかい」
佐藤はまだご立腹のようだ。頬を膨らませて、後ろをついてきている。
「佐藤よ、そうかっかするな。確かに雄清に非がなかったとは言えないが、雄清の気持ちがわからんでもないだろう。委員会仲間といざこざを起こすのは得策じゃないからな」
「でも、不誠実よ。女の子に対して失礼だわ」
若干、佐藤の個人的感情も混ざっている気がするんだが。
「いやあ、それにしても、助かったよ。太郎なら解いてくれると思った」
話を変えたかったのか、雄清はそう言った。
「深山さんすごいですよね。私、分と秒がどういう意味か全く分かりませんでしたから」
「それだよ、それ。あのメッセージはいったい何だったんだ」
「いやあ、斎藤さんにね、手縛られちゃってさ、さすがにまずいなって思ったわけだよ。それで何とかしようと思って、今日親友が誕生日で僕がバースデーメッセージを送らなかったら逆に怪しまれるって斎藤さんに話したら、OKしてくれたわけ。僕もちょっと驚いたよ。でアミノ酸の分子モデルが目に入ったから、それで暗号作ろうと思ったのさ」
恋する乙女は判断力も失うらしいな。
「お前ちょっと、ふざけてただろ」
「ばれた?」
「やっぱり不誠実よ。あの子は真剣だったのに」
佐藤の機嫌は治らない。
「真剣なら人を縛ってもいいのかよ」
俺のツッコミは無視される。
「ところで、あの文実の君は何か受賞してたんだよな、何の研究だ?」
「卵白からアミノ酸を抽出する実験でさ」
……さすがに遊びすぎだな。
一か月後、文化祭が開かれた。市民会館で開かれる締めの生徒会の出し物は、執行部、立案部合同の寸劇であった。その劇のワンシーンで何とも印象的なものがあった。そのシーンでの演者は雄清、そして、かの文実の君、斎藤薫であった。
騎士役の雄清が、
「ああ、お美しい姫君、あなたは現の人だとは思えません。もし私の声が聞こえているのならば、私の思いに、応えてほしい。どうか私の妻に」
それに対し、文実の君、扮する姫が、
「ああ、騎士様、ぜひともあなたについていかせてください。勇敢な騎士様、私はあなたの行くところならばどこにでも行きます」
劇の文脈からしてここは笑いを取るシーンであったのだが、演じる二人にとっては、特に文実の君にとっては胸の張り裂ける思いで演じたシーンであったろう。
俺は冷酷な人間ではない。好いた男、されども自分に振り向くことはない男に向かい、たとえ劇であったとしても、このようなやり取りをするのは胸中穏やかではないはずだ。俺は文実の君の気持ちを考えると、周りの観客が手をたたいて笑っているなか、一人沈んだ気持ちでいるしかなかった。
席に着いたところで佐藤が尋ねる。綿貫はお花を摘みに行って、今はいない。
「AAって何かしらね?」
俺は少し考えてから、
「もしMWが分子量ならば物質の分類を表しているのかもしれない。雄清は数字が英語と同じくらい大事だと言っていた。何か意味があるはずだ。……綿貫の電子辞書使ってもいいかな」
さすがに、本人の許可を取らずに使うのは、なんだか気が引ける。
「いいんじゃない」
「いや、でも、変な言葉とか調べているかもしれんだろ」
佐藤は呆れ顔で言う。
「……あんたじゃないんだから。どうせおっぱいとかなんとか引いてんでしょ。まじキモイ」
うん? 俺はそんなこと言ってないぞ。あと、キモイとか言うな。傷つくだろ。
大体、女体に興味を示さない、男子高校生など、病気の可能性すらある。辞書でおっぱいを引いて、乳房が出てきて、乳房を引いて、おっぱいが出てくる。そういうループに嵌って男の子は大人になるのだ。
佐藤は俺に侮蔑の言葉を吐きながら、引き気味に、彼女の胸を抱いている。平たい胸を。
……なるほどな。
「そう気落ちするな。大事なのは大きさではない。全体のバランスだ。第一雄清は貧乳好きだ」
「そっそうなの? ……じゃなくてうるさいっ! 別に気にしてなんかないし。ていうか見るな、この変態!」
今日も俺は佐藤にぶたれる。
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「ああそうか」
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アイドルはトイレに行かないらしい。であるならば、俺のアイドルであるところの、綿貫もトイレには行かない。……この前入って行ったの見たけど。
いや、あの女子トイレの仕切りの向こうには、おそらくお花畑が広がっているんだよ!
そう。この前、俺が小便をしていた時、女子トイレの方から衣擦れする音が聞こえた。スカートを下ろす音だ。
俺は、これはもしかしたら、と思い、少しく背徳感を感じながら、ドキドキ耳を澄ませて待っていた。
ものすごい音が聞こえた。
……たぶんお花に水やる音だね。うん、相違ない。ちょっと水圧強めだけど。
……俺は変態か。
閑話休題。
パソコンの起動には時間がかかりそうだ。
綿貫にAAの意味するものがないか、辞書を引いてもらう。
「amino acidと出てきました」
「アミノ酸か。アミノ酸で分子量が105、132のもの」
俺はようやく立ち上がったパソコンで、検索エンジンを使い、キーボードをたたく。
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「じゃあ雄くんのメッセージはセリン、オルニチン、セリンてこと?わけわかんないんだけど」
「そうだな、雄清は何が言いたいんだ?」
「あの」
「なんだ綿貫」
「アミノ酸って略記がありましたよね」
「三文字のやつか?」
「一文字で書かれる場合もあります」
「セリン、オルニチン、セリン」
「あっSOSね」
「SOS?
……じゃあプレゼントステータスってのは現在状況ってことか。現在SOS、あいつ何やってんだ?」
「もし救難信号なら『17分46秒及び48分35秒で会おう』って何でしょうかね」
「……なんかおかしくないか」
「何が?」
「コロケーションが」
「は?」
……何で俺に対して、佐藤はこんなに冷たいのかな? もしかして俺のこと好きなの? 好きなやつにはちょっかい掛けるって言うしなー(棒)。だから、眼の縁にあるのは涙じゃない。水だよ。……ぐすん。
後で綿貫に慰めてもらおう。
傷心を押し殺して話を続ける。
「いや、助詞の使い方だよ。普通は17分46秒及び48分35秒『で』会おうじゃなくて17分46秒及び48分35秒『に』会おうじゃないか?」
「そう?」
「でも言われてみれば不自然な気もしますね」
「これは意図的なのか?」
「さあ」
「それに17分46秒及び48分35秒の同時に会うなんて意味がわからん。なぜ二回会う必要が。そもそも秒まで指定してくるなんて」
「そうよねえ」
助詞の「で」の使い方。時間と使うときは普通、期限を表すが。
「なぁ、○○で会おうって言われたら、○○に入るのはなんだと思う?」
「いつもの場所? とかかな」
「そうだろ、『場所』で会おうって言うよな。だったら17分46秒及び48分35秒が表すのも時間ではなく場所だとしたら」
「でもわかんないよ。17分46秒じゃ」
問題はそこだ。この数字は何を意味するのか?そしてなぜ『分』から始めたのか?一つ大きな単位を飛ばした理由は?
「なあ、何か表現の省略をするときってどんなときだと思う?」
「わかりきっていること、最初からの決め事、慣用的に、等ですかね」
俺は雄清と何か決め事をしたわけでないし、慣用的に「分」から始める理由もわからない。
とすると、「わかりきっていること」になるが……。
ああそうか。
「深山さん、何かわかったんですか?」
「雄清が『分』から始めたのはそれより大きな単位が俺たちにも必然的に分かるものだったからだ」
「私わからないんですが」
「私も」
「17分46秒及び48分35秒が時間ではなく場所を表してるって言ったろ。この単位を使う場所、つまり座標の表し方と言ったら」
「あっ、緯度と経度ですね」
「そうだ。それならば雄清が『分』より大きい『度』を使わなかった理由も分かる。それを言えば何を示しているのか丸分かりだから、雄清が誰かに監視されている場合(というあいつの設定ならば)、メッセージを送ることはできなかっただろう。度を言わないと言うことは俺たちがいつもいる緯度経度で考えろってことだ」
これはいつもGPSを持ち歩いている雄清のなせる技だ。……あいつ変態かよ。
「地形図で見てみましょうか」
綿貫は戸棚から地形図を取り出しテーブルの上に広げた。
「17分46秒及び48分35秒と言ったら緯度経度の順番の違いで二つ出てきますが」
「緯度が17分の方だ。じゃなきゃ愛知から飛び出る。雄清はついさっきまで学校にいたんだ。テレポートをしない限りそんな遠くまでは行けんさ」
「なるほど、そうするとこの辺りですね」
綿貫は地形図上に印をつける。学校からそれ程離れていない。歩いて五分といったところか。
「部室にGPSってあったか?」
「ありますよ」
おー、さすが山岳部。
「よし、一丁救出に向かうか」
「私もいきます」
「私もついてくわ」
というわけで、女子二人を引き連れ俺は雄清が示した地点へと向かった。雨はいつの間にやらあがっていた。
学校の裏手には田畑が広がっている。GPSを見ながら、目的の場所へと向かう。
「目的地はあそこじゃないか?」
畑の広がるなか、ポツンと建てられた建物を指差す。
「そうみたいですね」
「あれって確か」
「物化部の実験棟ですね」
「そうそう。雄君あんなところで何やってるのかしら」
「さあな。雄清の考えなぞ俺にはわからん」
物化部の実験棟に入るのは初めてである。学校の外に活動場所を与えられているのは物化部ぐらいだが、物理、化学オリンピック等数々の大会、発表会で優秀な成績を収めている物化部に対するこの厚遇は納得できる。入口に鍵はかかっていなかった。
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奥のほうから雄清の声がした。
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「やっ、山本さん。大丈夫ですか!?」
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「いやあ、諸事情あってね」
「よお、助けに来てやったぜ。雄清よ、暗号はもっとわかりやすくしてくれ」
「さすが太郎だ。来てくれると思ったよ」
なるほど、雄清がアミノ酸で暗号を作ったわけもわかった。壁一面にアミノ酸についての資料が貼ってあって、セリンとオルニチンの分子量も書かれていた。
「よし答えの確認もできたし帰るか」
「そうね」
「そうですね」
三人が踵を返して歩き始めようとする。綿貫もこういうノリがわかるようになったじゃないか。
「ちょっと、縄ほどいてよ!」
「ああ、ほどいたほうがよかったか」
「当たり前だろう」
俺は雄清の縄をほどいてやった。
「でお前何やらかしたんだ」
「山本さん何か悪いことなさったんですか? 私はてっきりこういうプレイかと」
……。
「こっちゃん、どうしたの?」
「ですから、こういう性癖がおありなのかと思いまして」
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「ちょっとじゃないでしょ。なんであなた雄君のこと縛ってるのよ」
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「はあ?」
佐藤は眉をつり上げて、威嚇するような声を出した。
あっそれ、女子にもやるんだね。
「だって、雄清君、デートに誘っても誘っても、考えとくって言って、逃げるだけで……。だから、私のことどう思ってんのか聞こうと思って、それで……」
「考えとく?」
きっ、と佐藤が雄清のことを見た。今度は雄清が詰問される番だ。
こういうのなんて言ったか?
ああ、そうそう修羅場だ。
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「……斎藤薫」
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「でも、でも」
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「……わかったよ。斎藤さん」
「はい」
「僕は君のことを女の子としては見られない。でも友達にはなれるし、むしろそうしたいんだけど」
斎藤は目に涙をため、振り返ってそのまま外へと走って行ってしまった。
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「仕方ないだろ」
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「そうかい」
佐藤はまだご立腹のようだ。頬を膨らませて、後ろをついてきている。
「佐藤よ、そうかっかするな。確かに雄清に非がなかったとは言えないが、雄清の気持ちがわからんでもないだろう。委員会仲間といざこざを起こすのは得策じゃないからな」
「でも、不誠実よ。女の子に対して失礼だわ」
若干、佐藤の個人的感情も混ざっている気がするんだが。
「いやあ、それにしても、助かったよ。太郎なら解いてくれると思った」
話を変えたかったのか、雄清はそう言った。
「深山さんすごいですよね。私、分と秒がどういう意味か全く分かりませんでしたから」
「それだよ、それ。あのメッセージはいったい何だったんだ」
「いやあ、斎藤さんにね、手縛られちゃってさ、さすがにまずいなって思ったわけだよ。それで何とかしようと思って、今日親友が誕生日で僕がバースデーメッセージを送らなかったら逆に怪しまれるって斎藤さんに話したら、OKしてくれたわけ。僕もちょっと驚いたよ。でアミノ酸の分子モデルが目に入ったから、それで暗号作ろうと思ったのさ」
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「ばれた?」
「やっぱり不誠実よ。あの子は真剣だったのに」
佐藤の機嫌は治らない。
「真剣なら人を縛ってもいいのかよ」
俺のツッコミは無視される。
「ところで、あの文実の君は何か受賞してたんだよな、何の研究だ?」
「卵白からアミノ酸を抽出する実験でさ」
……さすがに遊びすぎだな。
一か月後、文化祭が開かれた。市民会館で開かれる締めの生徒会の出し物は、執行部、立案部合同の寸劇であった。その劇のワンシーンで何とも印象的なものがあった。そのシーンでの演者は雄清、そして、かの文実の君、斎藤薫であった。
騎士役の雄清が、
「ああ、お美しい姫君、あなたは現の人だとは思えません。もし私の声が聞こえているのならば、私の思いに、応えてほしい。どうか私の妻に」
それに対し、文実の君、扮する姫が、
「ああ、騎士様、ぜひともあなたについていかせてください。勇敢な騎士様、私はあなたの行くところならばどこにでも行きます」
劇の文脈からしてここは笑いを取るシーンであったのだが、演じる二人にとっては、特に文実の君にとっては胸の張り裂ける思いで演じたシーンであったろう。
俺は冷酷な人間ではない。好いた男、されども自分に振り向くことはない男に向かい、たとえ劇であったとしても、このようなやり取りをするのは胸中穏やかではないはずだ。俺は文実の君の気持ちを考えると、周りの観客が手をたたいて笑っているなか、一人沈んだ気持ちでいるしかなかった。
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