53 / 88
幕間劇その参
鞄の行き先
しおりを挟む
「それで深山君、何が見たいんだ?」
体育館裏に着くなり、萌菜先輩がそう尋ねてくる。
「これです」
「梯子?」
俺が指差したもの見て、雄清と萌菜先輩は怪訝そうな顔をした。
「はい、梯子です」
「太郎、それが一体なんだって言うんだい」
「おそらく犯人は岡村でしょう」
雄清と萌菜先輩は目を見開いて俺の事を見た。それから、雄清が俺に尋ねる。
「それと、梯子がいったいどう関係するんだ?」
「岡村の上履きを見ましたか?」
俺は二人に問いかける。
「いや」
「岡村の上履きには茶色い汚れが付いていました。しかしそれは土の色とも微妙に違っていた。
話は変わりますが、犯人を誰かに仮定するのならば、道家と岡村の他には考えられない」
「まあ出入りしたのが、その二人しかいないのだからな」
「中立的な立場から見れば、道家と岡村のどちらを犯人と考えてもおかしくない。むしろ一番最後に上手袖に入った、道家が犯人と考えるのが自然でしょう」
「それは……そうかもしれないな」
「それで太郎、梯子の話はどこに行ったんだい」
「そう、梯子が俺たちを真犯人へと導いてくれる。犯人は目立つ鞄を持って人前を歩くようなことはしたくなかった。だから人目のつかないような方法で鞄を運ぶことを選んだのです」
「それってまさか」
そう言う雄清に俺は頷いてみせる。
「岡村が上履きに付けていた茶色は、この梯子のサビだったんです」
「本当かなぁ」
雄清は突拍子もない考えに賛成し難いようだ。すると萌菜先輩が、
「まあ、確かめてみればわかるだろう。さて山岳部のお二人さん。日頃の鍛錬の成果を見せてもらおうか」
俺は梯子をよじ登る真似なんてしたくなかったので、
「ということだ雄精。登ってカバンがないか確かめに行ってくれ」
「うへぇ。人使いが荒いなあ」
雄清は文句を言いながらも、身軽な身のこなしで梯子をひょいひょいと登って行った。
雄清が上に登っている間、暇つぶしか、萌菜先輩は俺に話しかけてきた。
「どう、調子は」
「まあ、ぼちぼちですかね。文化祭も無事終わりましたし」
「そうじゃなくて、さやかとのことだよ」
「ああ、……まあ、それもぼちぼちじゃないですか」
「……そうか。さやかに飽きたら、私はいつでも空いているぞ」
「ご冗談を」
そう言ったら、萌菜先輩は少し、こわばった顔をしたように見えたが、瞬きをするかしないかという時間のうちに、いつもの顔に戻っていた。俺は続ける。
「俺が綿貫に飽きるわけがないでしょう」
「……そうだな。というか、惚気か、おい。まあいいんだけど。さやかを泣かせたら、承知しないから」
「綿貫家総出で、俺のこと殺しに来そうですね」
「それはある」
そんな話をしていたら、数分と経たないうちに、雄清は戻ってきた。ピンクの大きな鞄と一緒に。
「いやあ、驚いた。まさか本当にあるとは」
「よし早速、演劇部長のところへ……」
雄清と萌菜先輩はすぐに体育館内に戻ろうとしたが、
「まってください」
二人は俺の声に驚きこっちを向く。
「どうしたんだ深山くん。何かあるのか?」
「俺たちは道家が犯人ではないということを立証する必要があります」
「だったら、さっきの話をして……」
「それでは駄目です。靴にサビの跡がついているからといって、梯子を上ったとするのは根拠が弱すぎます。それに重大な問題がまだ残っています」
萌菜先輩がそこで気づき、
「岡村は四時前にすでに保健室前にいた」
といった。
「そうです。そのことがある限り、岡村を犯人と決定することはできないんです」
「じゃあ鞄はどうするんだい」
雄清が手に持っている鞄を見ながら言う。
「とりあえずまだ見つかったことは伏せておこう。岡村が犯人として、鞄が見つかったことを聞けば尻尾をつかむのが難しくなる」
「というと?」
「鞄をいつまでも放っておくとは考えにくいからな。回収しにくるかもしれない」
「なるほど、そこを叩くんだね」
まあ、回収しに来なかったら、計画はおじゃんだが。
「鞄を安全なところに置いてとりあえず上手袖に戻りましょうか」
俺たち三人は体育館の上手袖へと向かった。
体育館の入り口の辺りで、一人の女子生徒が立ちすくんでいた。よく見れば、道家陽菜である。萌菜先輩が心配そうに声をかける。
「どうした陽菜。部長に何か言われたのか?」
道家は、大粒の涙をこぼすばかりで何も言わない。
「陽菜、辛いのはわかるが、私に何があったか話してくれないか」
道家は嗚咽を漏らしながら、ぽつりぽつりと話し出す。
「私、もう耐えられないんです。部長は完全に私の事を犯人だと決めつけています。もう私……演劇部にいたくありません。もし、私が犯人ではないと分かったとしても、部長とうまくやっていける自信が無いんです」
そういって、涙をぼろぼろとこぼす。萌菜先輩は道家にゆっくりと近づき、やさしく抱きしめながら、
「蟠りができたところにいたくないということだな?」
といった。
陽菜は首肯する。
「まあ、それがいいのかもしれない。好んで、居心地の悪い場所にいる必要なんてないのだからな」
「……はい。それに私には執行部がありますから。あんな……意地の悪い人たちと一緒にいるより、綿貫先輩や執行部の他の皆さんと楽しく仕事しているほうがずっとずっと楽しいです」
俺は抱き合う女子二人を眺めながら、少し気恥しい気持ちになっていた。女同士とはいえ、人が抱き合っているところを見るとなんだかムズムズした感情に襲われるものなのだと俺は知った。
もちろん萌菜先輩にそれを告げるほど、俺は馬鹿ではないが。
萌菜先輩は道家に、執行部の部屋にいるようにつげて、それから俺たちと一緒に上手袖へと戻った。
戻ってきた俺たちの姿を見るなり、演劇部長は、
「綿貫執行委員長、お目当ての人は見つかりましたか?」
この鼻につくような慇懃さはどうにかならないものか。俺たちを迎えた演劇部長の様子を見てそう思った。
「まあ、一応な」
「へー、誰?」
萌菜先輩は俺の方を見る。そのことを話してよいのか、俺に尋ねたいのだろう。俺は、同意の意味を込めて、首を小さく縦に振った。
「保健委員の、岡村真美だ」
その名前を聞いた途端、演劇部員に動揺が走るのが見て取れた。特に演劇部長の顔は、明らかな嫌悪感を示している。
「北村さん、岡村さんの事ご存知なの?」
「ふん、ただの裏切り者よ」
「どういうこと?」
岡村が答えずに、代わりに演劇部のマネージャーが答える。
「岡村さんは、元演劇部員です。昨年度の春に演劇部をやめています」
途中で退部するからには、円満に抜けられたとは考えにくい。岡村と演劇部員との間に何らかのトラブルがあったか、退部の原因自体は演劇部に無かったにせよ、抜けるうえでもめたと考えるのは自然なことだ。
萌菜先輩がより詳しく話を聞こうとする。
「どうして裏切り者なの?途中で退部したから?」
「それは……」
マネージャーが何かを言いかけたところ、演劇部長がそれを遮る。
「それはこの件に関係ないでしょ。あの裏切り者が私たちを検討違いな理由で恨んでいるとしても、あいつが私たちが来たより前に上手袖を出ている以上、あいつの事を探るのは無意味よ。最初から言っているように、犯人は陽菜。それ以上でもそれ以下でもない」
演劇部長がまくしたてるように言葉を吐いた。俺には北村部長が岡村の事を話したくないように見えた。なぜかは知らない。萌菜先輩がなだめるように言う。
「北村さん少し落ち着いて。……下校時刻も近づいているし、今日のところは終わりにしましょうか」
ふんと、鼻を鳴らし、北村は部員に解散を告げた。
俺は人を見るのが得意というわけではないが、いくら演劇部員といえども、道家陽菜がさっき見せた涙が偽物であったとは到底思えない。もはや真犯人は岡村で確定だろう。問題は時間だ、三時五十分に上手袖を出た岡村、そして五十五分には保健室の前にいた。四時に上手袖を出た部長とマネージャー。その五分後に上手袖を出た、道家陽菜。岡村はやたらと時間を気にしていた。そして、何度も人に時間を尋ねた。まるで、……まるで、自分がその時間に上手袖ではないところにいたことを人に覚えてもらいたいかのように。
俺はそこでふと上手袖の時計がかけられているあたりをもう一度見た。時計に近づき、少し思いついたことがあったので、紙とペンを取り出し、その時計の品番をメモした。
それを調べて分かる答えは、大体予想の付くものだったが。
萌菜先輩は、帰り際、演劇部のマネージャーに声をかける。
「ちょっといいかしら」
「何ですか」
萌菜先輩はマネージャーの手を取り、人気のいないところへと連れて行った。
「岡村さんの事について教えてほしんだけど」
「……無理です」
「どうして?」
「それは……彼女は私の友達です。友達を売るようなことは出来ません」
どうやら、マネージャーは岡村が部長の鞄を取るだけの理由を持っていると考えているらしい。
「でも岡村さんは犯行時刻にはもう保健室にいたのよ。彼女の事を話すことが見捨てる事にはならないと思うけど。それに何か隠すなら、余計怪しまれるわよ」
「……はい。わかりました」
マネージャーが口にしたのは、演劇部で起こったいざこざの話。とても、気分が良いとは言えない話だった。
彼女の話の中では北村、岡村、そして登場人物がもう一人いた。岡村の親友、樫尾ほのかである。
三人は全員演劇部員であった。はじめのうちは三人とも切磋琢磨し、純粋に演劇の腕を高めようと練習に励んでいたらしい。彼女らは仲が悪いわけでなかった。むしろ好敵手として、部活動の仲間として、親友といってもよい間柄であったという。
しかし、部内の競争がいつまでも良好な関係を保たせてはくれなかった。樫尾ほのかは才能を開花させ、演技力が買われ、主役に抜擢されるようになった。その一方で、北村は雑用ばかりをやらされ、次第にやさぐれていったという。
いつしか、三人の中、特に北村と樫尾の中が悪化し、北村は樫尾に嫌がらせをするようになった。樫尾はかつての友人と敵対することを嫌い、真正面から立ち向かうのではなく、何も言わず耐え続けたという。そんな樫尾をみて北村は余計面白くないと思ったのか、嫌がらせをエスカレートさせていった。
問題は樫尾にとっての敵が北村だけでなかったというところだった。主役を奪われた上級生とその取り巻き、樫尾の才能をねたんだ同級生たち。次第に樫尾は孤立するようになり、部活に来なくなってしまったという。彼女は部活のメンバーに顔を合わせるのが嫌で、不登校気味にもなってしまった。
多くの部員が、樫尾を攻撃するなか、岡村は樫尾の味方であり続けた。だが彼女を守り切ることは出来ず、樫尾から充実した高校生活を奪った演劇部を敵視するようになった。
足の引っ張り合い、そんな程度の低い行為が跋扈していた部内に嫌気がさし、岡村は退部したのだという。
話を聞いた、雄清が声を上げる。
「じゃあ、悪いのは全部演劇部長じゃないか!」
それを聞いた、マネージャーは静かに首を振る。
「いいえ。部長に同調した周りの者も、それを見て見ぬふりをした、この私も部長と同罪です。岡村さんは親友を不登校へと追いやった演劇部を憎んでいるんです。だから、もしかしたらと思い……」
確かに、このことは岡村にとって不利な話であろう。マネージャーが話すのを渋った理由もわかる気がする。
「マネージャーさんは……、あっ、名前を教えてもらってもよいですか?」
いつまでも名前で呼ばないのは変だと思ったので、名前を尋ねた。
「柳下咲です」
「柳下先輩は岡村先輩や樫尾先輩と仲が良かったんですよね」
「……さっき友達だと申し上げましたが、本当に仲が良かったと言ってよいのかわかりません。私は彼女たちが孤立したとき何もしてやれませんでした。それを友達だといってよいのでしょうか?私には彼女たちに友達だと認めてもう資格はありません。もう……いいですか」
「最後に一つだけ。演劇部の方は部活中は時計をつけないみたいですね。あなたを除いて」
「はい、練習に集中できるようにと、伝統的に部活中は時計をつけないんです。タイムキーパーは必要なので、私は付けています」
「ありがとうございます」
「では、失礼します」
彼女は足早に、俺たちの前から去っていった。その眼の中にはきらりと光るようなものが見えるような気がした。
「彼女もいろいろつらい思いをしているんだろう」
「そうですね。……萌菜先輩」
「なに?」
「鞄は部長に返しておいてください」
「えっ犯人を捕まえなくていいのかい」
雄清が驚いた顔をしている。
「ああ。もう必要ないだろう」
残暑の夕暮れのムッとする空気は、演劇部内の不穏な雰囲気を表しているような気がした。
体育館裏に着くなり、萌菜先輩がそう尋ねてくる。
「これです」
「梯子?」
俺が指差したもの見て、雄清と萌菜先輩は怪訝そうな顔をした。
「はい、梯子です」
「太郎、それが一体なんだって言うんだい」
「おそらく犯人は岡村でしょう」
雄清と萌菜先輩は目を見開いて俺の事を見た。それから、雄清が俺に尋ねる。
「それと、梯子がいったいどう関係するんだ?」
「岡村の上履きを見ましたか?」
俺は二人に問いかける。
「いや」
「岡村の上履きには茶色い汚れが付いていました。しかしそれは土の色とも微妙に違っていた。
話は変わりますが、犯人を誰かに仮定するのならば、道家と岡村の他には考えられない」
「まあ出入りしたのが、その二人しかいないのだからな」
「中立的な立場から見れば、道家と岡村のどちらを犯人と考えてもおかしくない。むしろ一番最後に上手袖に入った、道家が犯人と考えるのが自然でしょう」
「それは……そうかもしれないな」
「それで太郎、梯子の話はどこに行ったんだい」
「そう、梯子が俺たちを真犯人へと導いてくれる。犯人は目立つ鞄を持って人前を歩くようなことはしたくなかった。だから人目のつかないような方法で鞄を運ぶことを選んだのです」
「それってまさか」
そう言う雄清に俺は頷いてみせる。
「岡村が上履きに付けていた茶色は、この梯子のサビだったんです」
「本当かなぁ」
雄清は突拍子もない考えに賛成し難いようだ。すると萌菜先輩が、
「まあ、確かめてみればわかるだろう。さて山岳部のお二人さん。日頃の鍛錬の成果を見せてもらおうか」
俺は梯子をよじ登る真似なんてしたくなかったので、
「ということだ雄精。登ってカバンがないか確かめに行ってくれ」
「うへぇ。人使いが荒いなあ」
雄清は文句を言いながらも、身軽な身のこなしで梯子をひょいひょいと登って行った。
雄清が上に登っている間、暇つぶしか、萌菜先輩は俺に話しかけてきた。
「どう、調子は」
「まあ、ぼちぼちですかね。文化祭も無事終わりましたし」
「そうじゃなくて、さやかとのことだよ」
「ああ、……まあ、それもぼちぼちじゃないですか」
「……そうか。さやかに飽きたら、私はいつでも空いているぞ」
「ご冗談を」
そう言ったら、萌菜先輩は少し、こわばった顔をしたように見えたが、瞬きをするかしないかという時間のうちに、いつもの顔に戻っていた。俺は続ける。
「俺が綿貫に飽きるわけがないでしょう」
「……そうだな。というか、惚気か、おい。まあいいんだけど。さやかを泣かせたら、承知しないから」
「綿貫家総出で、俺のこと殺しに来そうですね」
「それはある」
そんな話をしていたら、数分と経たないうちに、雄清は戻ってきた。ピンクの大きな鞄と一緒に。
「いやあ、驚いた。まさか本当にあるとは」
「よし早速、演劇部長のところへ……」
雄清と萌菜先輩はすぐに体育館内に戻ろうとしたが、
「まってください」
二人は俺の声に驚きこっちを向く。
「どうしたんだ深山くん。何かあるのか?」
「俺たちは道家が犯人ではないということを立証する必要があります」
「だったら、さっきの話をして……」
「それでは駄目です。靴にサビの跡がついているからといって、梯子を上ったとするのは根拠が弱すぎます。それに重大な問題がまだ残っています」
萌菜先輩がそこで気づき、
「岡村は四時前にすでに保健室前にいた」
といった。
「そうです。そのことがある限り、岡村を犯人と決定することはできないんです」
「じゃあ鞄はどうするんだい」
雄清が手に持っている鞄を見ながら言う。
「とりあえずまだ見つかったことは伏せておこう。岡村が犯人として、鞄が見つかったことを聞けば尻尾をつかむのが難しくなる」
「というと?」
「鞄をいつまでも放っておくとは考えにくいからな。回収しにくるかもしれない」
「なるほど、そこを叩くんだね」
まあ、回収しに来なかったら、計画はおじゃんだが。
「鞄を安全なところに置いてとりあえず上手袖に戻りましょうか」
俺たち三人は体育館の上手袖へと向かった。
体育館の入り口の辺りで、一人の女子生徒が立ちすくんでいた。よく見れば、道家陽菜である。萌菜先輩が心配そうに声をかける。
「どうした陽菜。部長に何か言われたのか?」
道家は、大粒の涙をこぼすばかりで何も言わない。
「陽菜、辛いのはわかるが、私に何があったか話してくれないか」
道家は嗚咽を漏らしながら、ぽつりぽつりと話し出す。
「私、もう耐えられないんです。部長は完全に私の事を犯人だと決めつけています。もう私……演劇部にいたくありません。もし、私が犯人ではないと分かったとしても、部長とうまくやっていける自信が無いんです」
そういって、涙をぼろぼろとこぼす。萌菜先輩は道家にゆっくりと近づき、やさしく抱きしめながら、
「蟠りができたところにいたくないということだな?」
といった。
陽菜は首肯する。
「まあ、それがいいのかもしれない。好んで、居心地の悪い場所にいる必要なんてないのだからな」
「……はい。それに私には執行部がありますから。あんな……意地の悪い人たちと一緒にいるより、綿貫先輩や執行部の他の皆さんと楽しく仕事しているほうがずっとずっと楽しいです」
俺は抱き合う女子二人を眺めながら、少し気恥しい気持ちになっていた。女同士とはいえ、人が抱き合っているところを見るとなんだかムズムズした感情に襲われるものなのだと俺は知った。
もちろん萌菜先輩にそれを告げるほど、俺は馬鹿ではないが。
萌菜先輩は道家に、執行部の部屋にいるようにつげて、それから俺たちと一緒に上手袖へと戻った。
戻ってきた俺たちの姿を見るなり、演劇部長は、
「綿貫執行委員長、お目当ての人は見つかりましたか?」
この鼻につくような慇懃さはどうにかならないものか。俺たちを迎えた演劇部長の様子を見てそう思った。
「まあ、一応な」
「へー、誰?」
萌菜先輩は俺の方を見る。そのことを話してよいのか、俺に尋ねたいのだろう。俺は、同意の意味を込めて、首を小さく縦に振った。
「保健委員の、岡村真美だ」
その名前を聞いた途端、演劇部員に動揺が走るのが見て取れた。特に演劇部長の顔は、明らかな嫌悪感を示している。
「北村さん、岡村さんの事ご存知なの?」
「ふん、ただの裏切り者よ」
「どういうこと?」
岡村が答えずに、代わりに演劇部のマネージャーが答える。
「岡村さんは、元演劇部員です。昨年度の春に演劇部をやめています」
途中で退部するからには、円満に抜けられたとは考えにくい。岡村と演劇部員との間に何らかのトラブルがあったか、退部の原因自体は演劇部に無かったにせよ、抜けるうえでもめたと考えるのは自然なことだ。
萌菜先輩がより詳しく話を聞こうとする。
「どうして裏切り者なの?途中で退部したから?」
「それは……」
マネージャーが何かを言いかけたところ、演劇部長がそれを遮る。
「それはこの件に関係ないでしょ。あの裏切り者が私たちを検討違いな理由で恨んでいるとしても、あいつが私たちが来たより前に上手袖を出ている以上、あいつの事を探るのは無意味よ。最初から言っているように、犯人は陽菜。それ以上でもそれ以下でもない」
演劇部長がまくしたてるように言葉を吐いた。俺には北村部長が岡村の事を話したくないように見えた。なぜかは知らない。萌菜先輩がなだめるように言う。
「北村さん少し落ち着いて。……下校時刻も近づいているし、今日のところは終わりにしましょうか」
ふんと、鼻を鳴らし、北村は部員に解散を告げた。
俺は人を見るのが得意というわけではないが、いくら演劇部員といえども、道家陽菜がさっき見せた涙が偽物であったとは到底思えない。もはや真犯人は岡村で確定だろう。問題は時間だ、三時五十分に上手袖を出た岡村、そして五十五分には保健室の前にいた。四時に上手袖を出た部長とマネージャー。その五分後に上手袖を出た、道家陽菜。岡村はやたらと時間を気にしていた。そして、何度も人に時間を尋ねた。まるで、……まるで、自分がその時間に上手袖ではないところにいたことを人に覚えてもらいたいかのように。
俺はそこでふと上手袖の時計がかけられているあたりをもう一度見た。時計に近づき、少し思いついたことがあったので、紙とペンを取り出し、その時計の品番をメモした。
それを調べて分かる答えは、大体予想の付くものだったが。
萌菜先輩は、帰り際、演劇部のマネージャーに声をかける。
「ちょっといいかしら」
「何ですか」
萌菜先輩はマネージャーの手を取り、人気のいないところへと連れて行った。
「岡村さんの事について教えてほしんだけど」
「……無理です」
「どうして?」
「それは……彼女は私の友達です。友達を売るようなことは出来ません」
どうやら、マネージャーは岡村が部長の鞄を取るだけの理由を持っていると考えているらしい。
「でも岡村さんは犯行時刻にはもう保健室にいたのよ。彼女の事を話すことが見捨てる事にはならないと思うけど。それに何か隠すなら、余計怪しまれるわよ」
「……はい。わかりました」
マネージャーが口にしたのは、演劇部で起こったいざこざの話。とても、気分が良いとは言えない話だった。
彼女の話の中では北村、岡村、そして登場人物がもう一人いた。岡村の親友、樫尾ほのかである。
三人は全員演劇部員であった。はじめのうちは三人とも切磋琢磨し、純粋に演劇の腕を高めようと練習に励んでいたらしい。彼女らは仲が悪いわけでなかった。むしろ好敵手として、部活動の仲間として、親友といってもよい間柄であったという。
しかし、部内の競争がいつまでも良好な関係を保たせてはくれなかった。樫尾ほのかは才能を開花させ、演技力が買われ、主役に抜擢されるようになった。その一方で、北村は雑用ばかりをやらされ、次第にやさぐれていったという。
いつしか、三人の中、特に北村と樫尾の中が悪化し、北村は樫尾に嫌がらせをするようになった。樫尾はかつての友人と敵対することを嫌い、真正面から立ち向かうのではなく、何も言わず耐え続けたという。そんな樫尾をみて北村は余計面白くないと思ったのか、嫌がらせをエスカレートさせていった。
問題は樫尾にとっての敵が北村だけでなかったというところだった。主役を奪われた上級生とその取り巻き、樫尾の才能をねたんだ同級生たち。次第に樫尾は孤立するようになり、部活に来なくなってしまったという。彼女は部活のメンバーに顔を合わせるのが嫌で、不登校気味にもなってしまった。
多くの部員が、樫尾を攻撃するなか、岡村は樫尾の味方であり続けた。だが彼女を守り切ることは出来ず、樫尾から充実した高校生活を奪った演劇部を敵視するようになった。
足の引っ張り合い、そんな程度の低い行為が跋扈していた部内に嫌気がさし、岡村は退部したのだという。
話を聞いた、雄清が声を上げる。
「じゃあ、悪いのは全部演劇部長じゃないか!」
それを聞いた、マネージャーは静かに首を振る。
「いいえ。部長に同調した周りの者も、それを見て見ぬふりをした、この私も部長と同罪です。岡村さんは親友を不登校へと追いやった演劇部を憎んでいるんです。だから、もしかしたらと思い……」
確かに、このことは岡村にとって不利な話であろう。マネージャーが話すのを渋った理由もわかる気がする。
「マネージャーさんは……、あっ、名前を教えてもらってもよいですか?」
いつまでも名前で呼ばないのは変だと思ったので、名前を尋ねた。
「柳下咲です」
「柳下先輩は岡村先輩や樫尾先輩と仲が良かったんですよね」
「……さっき友達だと申し上げましたが、本当に仲が良かったと言ってよいのかわかりません。私は彼女たちが孤立したとき何もしてやれませんでした。それを友達だといってよいのでしょうか?私には彼女たちに友達だと認めてもう資格はありません。もう……いいですか」
「最後に一つだけ。演劇部の方は部活中は時計をつけないみたいですね。あなたを除いて」
「はい、練習に集中できるようにと、伝統的に部活中は時計をつけないんです。タイムキーパーは必要なので、私は付けています」
「ありがとうございます」
「では、失礼します」
彼女は足早に、俺たちの前から去っていった。その眼の中にはきらりと光るようなものが見えるような気がした。
「彼女もいろいろつらい思いをしているんだろう」
「そうですね。……萌菜先輩」
「なに?」
「鞄は部長に返しておいてください」
「えっ犯人を捕まえなくていいのかい」
雄清が驚いた顔をしている。
「ああ。もう必要ないだろう」
残暑の夕暮れのムッとする空気は、演劇部内の不穏な雰囲気を表しているような気がした。
0
あなたにおすすめの小説
イケボすぎる兄が、『義妹の中の人』をやったらバズった件について
のびすけ。
恋愛
春から一人暮らしを始めた大学一年生、天城コウは――ただの一般人だった。
だが、再会した義妹・ひよりのひと言で、そんな日常は吹き飛ぶ。
「お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!」
ひよりはフォロワー20万人超えの人気Vtuber《ひよこまる♪》。
だが突然の喉の不調で、配信ができなくなったらしい。
その代役に選ばれたのが、イケボだけが取り柄のコウ――つまり俺!?
仕方なく始めた“妹の中の人”としての活動だったが、
「え、ひよこまるの声、なんか色っぽくない!?」
「中の人、彼氏か?」
視聴者の反応は想定外。まさかのバズり現象が発生!?
しかも、ひよりはそのまま「兄妹ユニット結成♡」を言い出して――
同居、配信、秘密の関係……って、これほぼ恋人同棲じゃん!?
「お兄ちゃんの声、独り占めしたいのに……他の女と絡まないでよっ!」
代役から始まる、妹と秘密の“中の人”Vライフ×甘々ハーレムラブコメ、ここに開幕!
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
小さい頃「お嫁さんになる!」と妹系の幼馴染みに言われて、彼女は今もその気でいる!
竜ヶ崎彰
恋愛
「いい加減大人の階段上ってくれ!!」
俺、天道涼太には1つ年下の可愛い幼馴染みがいる。
彼女の名前は下野ルカ。
幼少の頃から俺にベッタリでかつては将来"俺のお嫁さんになる!"なんて事も言っていた。
俺ももう高校生になったと同時にルカは中学3年生。
だけど、ルカはまだ俺のお嫁さんになる!と言っている!
堅物真面目少年と妹系ゆるふわ天然少女による拗らせ系ラブコメ開幕!!
罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語
ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。
だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。
それで終わるはずだった――なのに。
ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。
さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。
そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。
由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。
一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。
そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。
罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。
ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。
そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。
これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。
クラスメイトの王子様系女子をナンパから助けたら。
桜庭かなめ
恋愛
高校2年生の白石洋平のクラスには、藤原千弦という女子生徒がいる。千弦は美人でスタイルが良く、凛々しく落ち着いた雰囲気もあるため「王子様」と言われて人気が高い。千弦とは教室で挨拶したり、バイト先で接客したりする程度の関わりだった。
とある日の放課後。バイトから帰る洋平は、駅前で男2人にナンパされている千弦を見つける。普段は落ち着いている千弦が脚を震わせていることに気付き、洋平は千弦をナンパから助けた。そのときに洋平に見せた笑顔は普段みんなに見せる美しいものではなく、とても可愛らしいものだった。
ナンパから助けたことをきっかけに、洋平は千弦との関わりが増えていく。
お礼にと放課後にアイスを食べたり、昼休みに一緒にお昼ご飯を食べたり、お互いの家に遊びに行ったり。クラスメイトの王子様系女子との温かくて甘い青春ラブコメディ!
※特別編3が完結しました!(2025.12.18)
※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録、いいね、感想などお待ちしております。
距離を置きたい女子たちを助けてしまった結果、正体バレして迫られる
歩く魚
恋愛
かつて、命を懸けて誰かを助けた日があった。
だがその記憶は、頭を打った衝撃とともに、綺麗さっぱり失われていた。
それは気にしてない。俺は深入りする気はない。
人間は好きだ。けれど、近づきすぎると嫌いになる。
だがそんな俺に、思いもよらぬ刺客が現れる。
――あの日、俺が助けたのは、できれば関わりたくなかった――距離を置きたい女子たちだったらしい。
バイト先の先輩ギャルが実はクラスメイトで、しかも推しが一緒だった件
沢田美
恋愛
「きょ、今日からお世話になります。有馬蓮です……!」
高校二年の有馬蓮は、人生初のアルバイトで緊張しっぱなし。
そんな彼の前に現れたのは、銀髪ピアスのギャル系先輩――白瀬紗良だった。
見た目は派手だけど、話してみるとアニメもゲームも好きな“同類”。
意外な共通点から意気投合する二人。
だけどその日の帰り際、店長から知らされたのは――
> 「白瀬さん、今日で最後のシフトなんだよね」
一期一会の出会い。もう会えないと思っていた。
……翌日、学校で再会するまでは。
実は同じクラスの“白瀬さん”だった――!?
オタクな少年とギャルな少女の、距離ゼロから始まる青春ラブコメ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる