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六章 アスカと不思議な夢
一 メッセージ ─二〇一九年 五月十一日─ 一
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『出掛けてくる』
それは、ルミの彼氏さんが、廃墟や
心霊スポットの探索に行くときに使う隠語。
彼氏さんはルミを探索に誘わないし、
そこでの出来事を聞かせることもない。
動画はおろか、
写真の一枚すら見せることはない。
ルミが
その手の話題を苦手としているからだ。
大が百個あっても足りないほどに。
そんなに苦手ならやめさせればいいのにと、
私は彼女に言ったことがあった。
でも、彼女は私にこう返した。
『アッくんの好きを理解したいから』
三月一日──
今から二ヶ月と二週間くらい前。
彼氏さんは突然ルミの前から姿を消した。
『出掛けてくる』と家を出て行き、
そのまま失踪してしまったのだ。
何の音沙汰もなく、
今もお捜索は続いている。
例の隠語を使っていたことから、
どこかしらの廃墟や心霊スポットに
向かったことは推測できる。
けれど、その足取りも思うように追えず、
行方は未だにわからないままだ。
生きているのか、死んでいるのか。
彼の家族や友人、警察、世間の人々の
圧倒的大多数は前者を望んでいるだろう。
しかし、恋人──ルミだけが、
彼の現状に気付いてしまった。
彼氏さんの失踪から一ヶ月と二週間以上が
経過した四月十九日。
ルミと彼氏さんの交際記念日であるその日、
ルミはある夢を見た。
交際記念日にだけする特別なデートの夢だ。
その夢は、とても不思議な夢だった。
昼夜関係なく眠れば必ず見てしまい、
さらには連日続く。
そして──
その夢でルミは、彼氏さんの死を知った。
「あの夢はやっぱり、
アッくんからのメッセージだった」
朝食を終えた午前九時。
ルミは、彼氏さんの夢について
静かに話し始めた。
その語り口はとてもゆっくりで、
朗読劇を観ているかのような、
そんな錯覚すら覚えた。
けれど、私は観客ではない。
ともに舞台に立つ役者の一人だ。
彼女の劇には、私の台詞も用意されていた。
「メッセージって?」
「『会って、謝りたい』って……」
「謝りたい?」
はっきりと
声が聞こえたわけではないという。
「夢の中で、私達はデートしてて」
夢のことを初めて話してくれた時は、
ルミは錯乱気味だった。
でも、今はとても落ち着いている。
あの時より鮮明に詳細に、
夢の様子が語られていく。
「目が覚めると、
なんでか知らないけど泣いてるの。
悲しい夢でも、怖い夢でもないのに」
「……いや、それは
彼氏さんが亡くなってることに
気付いたからじゃないの?」
私の指摘に、ルミは首を横に振った。
「気付く前にもう泣いてるの。
多分、寝てる──夢を見てる時に
流れてくるんだと思う」
今度しっかり観察してみてと、
ルミは私に言ってきた。
言ってきて、私はそれに頷いたけど……
え? もしかして、徹夜?
定点カメラ、買った方がいいのかな。
「で、泣きながら起きるじゃない?
そしたら、すごく懐かしくて
切ない気持ちが込み上げてきてね」
その気持ちはぶわぁっと広がり、
胸が苦しくなるほどに満ちていくらしい。
「毎回……切なさが限界まで大きくなった時、
私は気付く。アッくんがもう、
死んじゃってるってことに」
ルミの手が弱々しく胸元で握り込まれる。
夢がもたらす懐かしさと切なさは、
限界まで膨らんでルミに残酷な真実を
突き付ける。
私の体に幾層にも積み重なったルミの涙。
彼女の心が割れる度、
その層は厚みを増していった。
「ずっと怖かった……。この世界から、
アッくんがいなくなることが」
耳に残るルミの悲痛な啜り泣き。
ルミは、私に二つのことを求めていた。
ルミを一人にせず、
ずっと側にいてくれる人。
そして、彼氏さんが存在する
今まで通りの日常。
『アッくんのこと……
もう、探さない方がいいのかなって……』
そっか、あの言葉……
ルミは、
彼氏さんに生きていてほしかったんだ。
夢によって残酷な真実を突き付けられて、
それでもなお生きていてほしかった。
生きていてほしかったから、
捜索を諦めようとした。
もう死んでしまっていたとしても、
遺体が見付からない限りは
生きている希望を捨てずにいられる。
箱を開けないという選択肢を、
ルミは選ぼうとしていたのだ。
「でも、昨日の夜、思い出したんだ。
アッくんに告白したときの気持ちを」
それは、私が気絶するように
眠りに落ちた後のことだと言う。
ルミは暗闇を見詰めながら、
彼氏さんのことを考えていたそうだ。
「私は、アッくんと
ずっと一緒にいたいって思った。
デートの後バイバイしなくてよくて、
朝は一番に『おはよう』って言える。
そんな関係になりたかった。
だから、勇気を出して……告白した」
ルミの胸元で握りこぶしが小さく震え、
彼女の目からは涙が絞り出された。
「それなのに、どうして今まで
勇気を出せなかったんだろう……」
零れた言葉は、辛うじて私の耳に届いた。
その言葉は他の誰に向けたものでもない。
自分自身に対する叱責の言葉なのだろう。
「朝、夢から覚めたとき、怖さとか悲しさを
少しだけ抑えることができた。
そしたら、最後に気付けたの。アッくんが
私に謝りたいって思ってることに」
以前、
彼氏さんの死に気付く時の感覚について、
ルミはこう話していた。
『アッくんの夢だって思ったら、
急に“ストン”って……』
彼氏さんが謝りたいと思っている。
これも、ストンと来たのかな。
ルミが見ている夢が、
本当に彼氏さんからのメッセージなら、
彼氏さんはもうすでに亡くなっていて、
それでもルミに会いたがっている。
会って、謝りたいと思っている。
私にできることは、
ルミの言葉を真っ向から信じること。
そして、ルミを支えながら
ともに彼氏さんを捜すこと。
今度こそ、
ルミの本当の笑顔を取り戻すために。
色々な人が彼氏さんのを捜しているけど、
思うように足取りを追えていない。
廃墟や心霊スポット、彼氏さんが
行きそうな場所はすでに捜索済みだ。
でも、どうしてだろう。
ルミなら本当に
彼氏さんを見付けられそうな気がした。
それは、ルミの彼氏さんが、廃墟や
心霊スポットの探索に行くときに使う隠語。
彼氏さんはルミを探索に誘わないし、
そこでの出来事を聞かせることもない。
動画はおろか、
写真の一枚すら見せることはない。
ルミが
その手の話題を苦手としているからだ。
大が百個あっても足りないほどに。
そんなに苦手ならやめさせればいいのにと、
私は彼女に言ったことがあった。
でも、彼女は私にこう返した。
『アッくんの好きを理解したいから』
三月一日──
今から二ヶ月と二週間くらい前。
彼氏さんは突然ルミの前から姿を消した。
『出掛けてくる』と家を出て行き、
そのまま失踪してしまったのだ。
何の音沙汰もなく、
今もお捜索は続いている。
例の隠語を使っていたことから、
どこかしらの廃墟や心霊スポットに
向かったことは推測できる。
けれど、その足取りも思うように追えず、
行方は未だにわからないままだ。
生きているのか、死んでいるのか。
彼の家族や友人、警察、世間の人々の
圧倒的大多数は前者を望んでいるだろう。
しかし、恋人──ルミだけが、
彼の現状に気付いてしまった。
彼氏さんの失踪から一ヶ月と二週間以上が
経過した四月十九日。
ルミと彼氏さんの交際記念日であるその日、
ルミはある夢を見た。
交際記念日にだけする特別なデートの夢だ。
その夢は、とても不思議な夢だった。
昼夜関係なく眠れば必ず見てしまい、
さらには連日続く。
そして──
その夢でルミは、彼氏さんの死を知った。
「あの夢はやっぱり、
アッくんからのメッセージだった」
朝食を終えた午前九時。
ルミは、彼氏さんの夢について
静かに話し始めた。
その語り口はとてもゆっくりで、
朗読劇を観ているかのような、
そんな錯覚すら覚えた。
けれど、私は観客ではない。
ともに舞台に立つ役者の一人だ。
彼女の劇には、私の台詞も用意されていた。
「メッセージって?」
「『会って、謝りたい』って……」
「謝りたい?」
はっきりと
声が聞こえたわけではないという。
「夢の中で、私達はデートしてて」
夢のことを初めて話してくれた時は、
ルミは錯乱気味だった。
でも、今はとても落ち着いている。
あの時より鮮明に詳細に、
夢の様子が語られていく。
「目が覚めると、
なんでか知らないけど泣いてるの。
悲しい夢でも、怖い夢でもないのに」
「……いや、それは
彼氏さんが亡くなってることに
気付いたからじゃないの?」
私の指摘に、ルミは首を横に振った。
「気付く前にもう泣いてるの。
多分、寝てる──夢を見てる時に
流れてくるんだと思う」
今度しっかり観察してみてと、
ルミは私に言ってきた。
言ってきて、私はそれに頷いたけど……
え? もしかして、徹夜?
定点カメラ、買った方がいいのかな。
「で、泣きながら起きるじゃない?
そしたら、すごく懐かしくて
切ない気持ちが込み上げてきてね」
その気持ちはぶわぁっと広がり、
胸が苦しくなるほどに満ちていくらしい。
「毎回……切なさが限界まで大きくなった時、
私は気付く。アッくんがもう、
死んじゃってるってことに」
ルミの手が弱々しく胸元で握り込まれる。
夢がもたらす懐かしさと切なさは、
限界まで膨らんでルミに残酷な真実を
突き付ける。
私の体に幾層にも積み重なったルミの涙。
彼女の心が割れる度、
その層は厚みを増していった。
「ずっと怖かった……。この世界から、
アッくんがいなくなることが」
耳に残るルミの悲痛な啜り泣き。
ルミは、私に二つのことを求めていた。
ルミを一人にせず、
ずっと側にいてくれる人。
そして、彼氏さんが存在する
今まで通りの日常。
『アッくんのこと……
もう、探さない方がいいのかなって……』
そっか、あの言葉……
ルミは、
彼氏さんに生きていてほしかったんだ。
夢によって残酷な真実を突き付けられて、
それでもなお生きていてほしかった。
生きていてほしかったから、
捜索を諦めようとした。
もう死んでしまっていたとしても、
遺体が見付からない限りは
生きている希望を捨てずにいられる。
箱を開けないという選択肢を、
ルミは選ぼうとしていたのだ。
「でも、昨日の夜、思い出したんだ。
アッくんに告白したときの気持ちを」
それは、私が気絶するように
眠りに落ちた後のことだと言う。
ルミは暗闇を見詰めながら、
彼氏さんのことを考えていたそうだ。
「私は、アッくんと
ずっと一緒にいたいって思った。
デートの後バイバイしなくてよくて、
朝は一番に『おはよう』って言える。
そんな関係になりたかった。
だから、勇気を出して……告白した」
ルミの胸元で握りこぶしが小さく震え、
彼女の目からは涙が絞り出された。
「それなのに、どうして今まで
勇気を出せなかったんだろう……」
零れた言葉は、辛うじて私の耳に届いた。
その言葉は他の誰に向けたものでもない。
自分自身に対する叱責の言葉なのだろう。
「朝、夢から覚めたとき、怖さとか悲しさを
少しだけ抑えることができた。
そしたら、最後に気付けたの。アッくんが
私に謝りたいって思ってることに」
以前、
彼氏さんの死に気付く時の感覚について、
ルミはこう話していた。
『アッくんの夢だって思ったら、
急に“ストン”って……』
彼氏さんが謝りたいと思っている。
これも、ストンと来たのかな。
ルミが見ている夢が、
本当に彼氏さんからのメッセージなら、
彼氏さんはもうすでに亡くなっていて、
それでもルミに会いたがっている。
会って、謝りたいと思っている。
私にできることは、
ルミの言葉を真っ向から信じること。
そして、ルミを支えながら
ともに彼氏さんを捜すこと。
今度こそ、
ルミの本当の笑顔を取り戻すために。
色々な人が彼氏さんのを捜しているけど、
思うように足取りを追えていない。
廃墟や心霊スポット、彼氏さんが
行きそうな場所はすでに捜索済みだ。
でも、どうしてだろう。
ルミなら本当に
彼氏さんを見付けられそうな気がした。
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