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【第1章:飛翔】

第10話:Left Behind

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若越は再び助走路に立った。
妙に緊張感のある空気が、辺りを漂っている。


(…何を焦っているんだ俺は…。)

平静を保とうとすればする程、若越の心臓の鼓動は速く大きくなる。
意識しない様にする事が、既に意識の領域に飲み込まれている証であった。

初めてのインターハイ予選だから、ライバルがジリジリと背後に迫っているからではない。
これまで若越自身が積み上げてきて誇らしいとさえ思っていた矜持プライドが、
一瞬で壊されるかもしれない恐怖感と焦りが、若越を強く襲っていた。

そんな若越に、伍代が近寄りアドバイスを送る。

「…若越、落ち着け。4m50で焦るお前では無いはずだ。」

(…そんなことは自分が一番分かっている。違う。違うんだ先輩。
俺の感じているものは、先輩には分からない…。)

今の若越には、伍代の言葉すら届いていない。
伍代の折角のアドバイスに耳を傾けることなく、若越はポールを持ち上げた。


風はない。追い風による優位性は見込めないが、向かい風による不利さもない。


若越は黙って右足を一歩前に出し、そして後ろに下げる。

(…行くしか…ないっ!!)

若越が走り出した。
兎に角今は、前に進むことしか出来る選択肢がない。

助走のテンポは、むしろ1、2本目よりも軽快に見えた。
スピードも乗っている。

(…あの時と同じ…でも、あの時とは違う。
俺自身で、何としてでもこれを越えるっ!)


_

それは、約1年前に遡る。

全国中学総体、男子棒高跳び決勝。
若越は4m50cmにて、2回の失敗を記録していた。

周囲からの期待による重圧を、中学生ながらに感じていた若越は、その日初めて観客席で見守る家族に声をかけた。


「…3本目で、確実に修正できると思う?父さん。」

若越がそう聞く相手は、父である浮地郎であった。

「何弱気になってんだ?跳哉。泣いても笑っても、4m50はここで越えるしかないんだ。」

そう言う浮地郎が次に放った言葉が、若越の空気が一気に変わるきっかけとなった。


「…諦めろ。失敗のイメージを。
成功するイメージだけ持っていけ。その身がマットに着地するその瞬間まで、失敗する事を考えるな。
それで行ける。成功できる。」

浮地郎はそう言い残すと、妻であり若越の母親である歩実華の元へ戻って行った。


_

(…何でもっと早く、思い出さなかったんだ…。)

若越は既に、踏み切りまで残り6歩のところに差し掛かっていた。
彼の脳内に蘇るかつての記憶が、目の前の壁を越える為の唯一のカギであったかもしれない。
彼自身がそう実感するまでに、時間は要さなかった。


若越はポールの先端をボックスに突き刺すと、左足で力強く踏み切った。
少し体勢を乱しながらも、ポールの力に負けぬよう両腕に力を込めて、下半身を振り上げる。


伸び上がった若越の全身は、バーの上をスルリと越え上がった。
3度目の正直。今度こそ成功と思われた跳躍であったが、余裕のないギリギリの跳躍である。
ポールから両手を離し、バーを完全に越えれば成功となる若越。

しかし、事はそう簡単には上手くいかない。


バーに対してギリギリの高さとなった為、ポールを離した両手がしっかりとバーに接触してしまった。
不格好にマットに落下する若越の体と共に、バーも無慈悲に落下した。


(…なっ…!?)


若越は唖然とした顔でバーを見つめ、そのままマットに落下した。
審判員はその赤旗を振り上げた。若越の今大会の跳躍終了の合図となった…。



_

「…うそっ…。」

観客席でそう呟いたのは、桃木であった。
桃木は思わず立ち上がり、両手で口元を抑えながら目を見開いて棒高跳びピットを見つめている。

「…。」

倉敷は何も言わずに、その姿を見ていた。
期待の新人のまさかの結果に、言葉が出ないようであった。

「…これもまた、あいつの結果だ。あいつがどう受け止めて、どう昇華していくかで今後が変わるかもしれないな…。」

室井は冷静であった。むしろ、室井にとってこの結果は必然とも思えていたのかのようであった。
そう語る室井の姿を見て、倉敷は少し笑みを浮かべた。

「…透治が、それを言う立場になったなんてね。」

倉敷にツッコまれ、室井は少し赤面した。

「…それを言うな、こゆ。」

室井は桃木に聞かれぬように静かに反撃した。

「…透治はすごいと思ってるよ。本当に。
2年生になって覚醒して、気がついたら東京を代表する選手になったんだもん。」

倉敷は口元に手を当てながら、小さい声で室井にそう言った。
室井の事を誰よりも信頼し、期待しているのは倉敷と言っても過言ではないのかもしれない。

「…だからこそ、伍代はもちろん七槻たち2年生や若越たち新入生にもそうなって欲しい。
あいつらが今回勝とうが負けようが、それは重要な問題ではない。
今後の為に、何か1つでも吸収して成長する事が出来るかが問題だ。」

選手として先輩として、そして部長として。室井の思いは誰よりも強く大きかった。


俯きながらポールを手に、マットを降りる若越の様子を3人も見つめていた。

「…若越くん…。」

桃木は両手を胸元で固く握りしめながら、若越を心配そうに見つめていた…。



_

100m予選は、13組目の出走を目前に控えていた。
3組目に出場した音木は、惜しくも11秒98にて4着。準決勝進出は厳しいものとなった。

その音木は、先にレースを終えた七槻と共に13組目に出場する泊麻の姿を待っていた。

「…若越が落ちたな。」

泊麻のスタートを見守る七槻に、音木が冷静にそう言った。

「はぁ?あいつ全中優勝してんだろ?何で!」

音木の言葉に驚きながら七槻が棒高跳びピットに視線を移す。
マットの左右に立つ支柱の上に、バーは掛かっていない。
俯きながらマットを降りる若越の姿が、2人の目に写った。

「…違うんだよ。全然。
中学生の試合環境と、高校生の試合環境ってのは。」

音木の言葉は少々情が無いように聞こえるが、最もであった。
2人の目には、環境の変化が敗因のように感じられていた。

「…何だよ…期待してたのになぁ…。」

七槻は残念そうにそう言った。
その落胆ぶりから、七槻の若越に対する期待の大きさが伺える。

「…まぁ、まだ高校生としては1年目が始まったばかりだし。
それに、彼は拝璃とは違う。余計なことして彼を潰すような事すんなよ?勝。」

音木には七槻程、若越に期待は無かったようだ。
しかし、現状の期待よりも将来的な期待は、室井と同じで持っているように思えた。

「…どうだかな。甘やかして強くなれる程、これからは楽な道じゃねぇぞ。
拝璃だって、それは1番分かっているはずだ…。」

伍代や音木と共に1年駆け抜けてきた七槻は、音木とは対象的に若越の未来を心配しているように思えた…。


_


マットに落下した若越は、10秒程空を眺めていた。
今の若越には苦しく感じる、蒼く澄んだ空と太陽の光。
目を瞑りたくなる景色も、呆然としすぎて若越は目をぼんやりと開けたままじっとしていた。


(…記録…無し…。)


若越の中で、何かが勢いよく崩れる感覚がした。
過去の栄光、周囲からの期待…
そして何より、若越が長らく味わうことのなかった敗北感。
その全てが、若越の中で辛うじて繋がっていた「棒高跳び」継続に対する思いを、一瞬にして打ち砕いてしまった。


若越は大きく呼吸をして立ち上がると、ポールを手に静かにマットを降りた。
視線はずっと足元を見ながら、軽く審判員に頭を下げると控えテントへと下がって行った。

「…若ご…。」

伍代が若越に声を掛けようとするも、若越はじっと俯いたまま動かない。

その様子を見ていた高薙兄弟は、何かを察し2人に関わらずにいた。
そして、目の前で3本目の跳躍に挑む江國の姿に集中した。

「江國ぃ!ミスんなよ!」

皇次は控えテントから助走路に立つ江國に対してそう叫んだ。
もちろん、それは若越にも聞こえているだろう。
しかし、皮肉とも思えたその言葉は若越に向けてではない。
皇次は真っ直ぐに江國に向かってエールを送る。

「…皇次、辞めとけって。」

口元に手を当てながら、宙一が小声で皇次に注意した。
宙一は、皇次が若越に対する皮肉を込めて普段応援しようとしない江國を応援したのだと思った。

「あ?なんだよ兄貴。あいつにこんな所で終わられてたまるかよ。
俺がライバルを意識して上を目指すのが悪いって言うのか?」

皇次の言い分は、彼にとって最もであった。
自分が上を目指すにあたり、共に競い合う相手から刺激を受けたいと思う彼の意志に、皮肉などと言った彼にとっては小さな事は全く思ってないようだ。

「…そ、そりゃそうだけど…。」

宙一は弟の言い分を受け入れるも、直前の若越の結果に心配をせざるを得なかった。

「兄貴もうかうかしてると、俺たちが負かすからな?」

皇次の目は真剣であった。
彼は心の底から、上を目指して這い上がろうとしている。

勝負とはそういうものであるのかもしれない。


江國の3本目を合図する白旗が、審判員によって勢いよく振られた。


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