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【第1章:飛翔】

第24話:Pinch & Chance

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「…嘘だろ…何なんだよあいつ…。」

誰しもがそう思ったであろう。
拍手と歓声と、驚愕の光景に絶句する声すら混ざって聞こえるスタンド。
審判員が持つ白旗が、高く掲げられている…。

_


マットから立ち上がる霧島は、無感情のまま観客席に目もくれる事なくマットを降りた。

無愛想にポールを補助員から受け取ると、チラッと観客席に視線を送った。

霧島の視線の先にいたのは、50代くらいの男性と中学生くらいの霧島に似た男の子であった。
恐らく霧島の父と弟であるのだが、霧島本人は2人にこれといって何かを言ったりジェスチャーをする事なく、控えテントに戻って行った。

今まで誰一人として、予選の段階で4m80cmの高さから跳躍をはじめて、1発でクリアしてきた選手を見たことはなかった。
大学生の選手にはいるかもしれないが、高校生でそれをやる選手はまずいないだろう。
それが、霧島の強さを大いに物語っていた。そして控えテントにいる選手たちは、皆一言も発さずに黙ってそんな霧島の姿に注目していた。

たった1人を除いて…。


4m80cmの2回目の跳躍の準備がされ、最初の試技者である江國は既に助走路にスタンバイしている。
彼だけが、霧島の存在に目もくれずにただただ淡々と己とのみ向き合っていた。


_

江國が再び助走路に姿を現す中、観客席もまた霧島への衝撃が漂っていた。

「…なんなのあの子…。拝璃でもあんなハイリスクなことしたこと無いのに…。」

そう言って驚く桃木とは対照的に、若越は思いの外冷静であった。

「…賢いっすね、あいつ。
確かに、行ける自身があるならああやって敢えて高いところからスタートするってのも、1つの戦術なのかもしれません。桃さんの言う通り、ハイリスクだし僕も絶対やりたくないですけど…。」

若越の言う通り、自信があるなら敢えて高いところからスタートし成功することで、確実に少ない本数で上位入賞は可能であり、周囲にプレッシャーを大いに与えられる。
現に今のこの状況がそうであるように。
霧島にとって、全国大会決勝以外は単なる通過点でしか無いのかもしれない。

それにしてもインターハイ初年度でそれをやってしまうのは、紛れもない現実離れした彼のポテンシャルでしかなかった。

若越はまた1人、今後の脅威となるライバルと出会った感覚を脳に刻み込んだ。


_


結果、4m80cmの高さで江國が脱落。
残る5人が挑んだ4m85cmの高さでは…。


「…さっきあんなに余裕ぶっこいて、霧島のやつここで脱落かよ…。」

「何!?霧島が失敗した!?」

「…結局彼、4回しか跳躍しなかったね…。」

「それでも現時点で5位。江國くんまでが全国出場ね…。」

またもギャラリーが驚く結果を、霧島は示した。
85cmの3回の試技中、まともに踏み切って跳躍したのは最後の1本のみ。
霧島はポールを入れ替えたのか、80cmの時とはまるで別人のように全く跳べる気配がなかった。

「…これで、霧島くんと江國くん含めた、残りの選手が全国決定…。」

「伍代先輩もしっかり全国大会決定ですね。」

桃木に対し、若越が改めて伍代の結果を振り返った。


バーの高さが、遂に5mの大台に差し掛かる。
4m95cmまで、伍代、宙一、大ヶ樹、六織の4人は誰一人脱落すること無くクリアしていた。

「…桃さん、もしかして伍代先輩…。」

若越は薄々気がついてはいたが、改めて桃木に確認するように言った。

「…2年生になって初めてよ。4m95記録したのは…。何なら、次の5mは拝璃にとって自己ベスト。
実はずっと1個の目標にしてた5mに、こんなにあっさり挑むことになるとはね…。」

桃木は感慨深くそう告げた。
以前、若越と桃木の会話に登場した伍代の先輩、三ツ谷と伍代は共に5mを目指していた。
しかし、結局三ツ谷は高校時代、4m95cmまでしか残せなかった。
対する伍代も、1年時の自己ベストは4m95cm。それも公式大会ではなく公認記録会での結果であった。

その高さを、伍代は残る4人のうちたった1人、1回でクリアしている。

「…現状、5mは六織さんだけが過去に記録してる。これを越えたら他の3人に勝てるだけじゃなくて、全国大会上位も夢じゃない…。」

そう言う桃木は自然と両手を、祈るように胸の前で固く握っていた。

「…全中の後、父親に言われたことがあります。高校生になって5mが跳べたら、再び全国優勝に近づくって…。
父親は高校1年生で5mを記録して、結果高校3年時の全国インハイで5m51cmの高校生記録を出して優勝したそうです。
…いつか…俺も…。」

若越も、固く拳を握りしめながらそう言った。

「…来年、拝璃と若越くんが一緒に全国で戦うところ、見てみたい…なんて。」

桃木がふと、そう呟いた。
若越の固く握りしめた拳が、ふわっと解ける。前にもこんな事があったような。
桃木の一言に、若越は彼女の顔を見ながら深く考えて、そして返した。

「…どっちが勝つと思いますか?…って聞きたいところですけど、もし仮に僕が伍代先輩と全国の舞台で戦うことになっても、僕は負けません…。勝ってみせます…。」

若越は真剣にそう言った。そう言う若越の視線は、自然とグラウンドの伍代に向けられていた。
最後に何かを言いかけたようにも聞こえたが、若越は言い終えて満足した表情をしている。

「ふふっ…どっちが勝つか、なんて私が選べないよ。
どっちにも勝って欲しいって思うし、負けて欲しくないって思うよ。
…多分、私は2人が全力で同じ舞台で戦ってる事が嬉しいって思うんじゃないかって思うから。」

桃木もそう言って、グラウンドに視線を向けた。
助走路には、5mの1本目に挑む宙一が現れた。
そのすぐ後ろの辺りで、伍代が体を動かしながら宙一を見守っていた。

若越の胸中は、そんなライバルたちの様子を見ていても後悔や羨ましさはそこまで溢れてはいなかった。
今はそれよりも、心の中に燃える強い闘志の炎が、ゆっくりと少しずつ強く燃えているようであった。


_


「…行きまぁぁぁす!!!」

「「「「はぁぁぁぁぁいっ!!!」」」」

宙一が、意を決して走り出した。
彼の合図に継聖メンバーが相変わらず大きな声で応えていた。

宙一が踏み切りのポイントで力強く地面を踏み込んだ時、若越の目には彼の動きがスローモーションのようにゆっくり映ったように感じた。

これまで見てきた彼のどの跳躍よりも、スムーズに展開されている動き、そして踏み切りからの素早い空中動作。

あとの事は、何故か記憶に残っていない程あっという間の展開すぎて、気がつくと宙一はマットの上に落下していた。



「…えっ…!」

若越が呟く。
それと同時に、うぉぉぉぉぉぉぉ!!と観客席が歓声に包まれた。

審判員が白旗をあげている。
それは、宙一が5mを越えた事を証明した。

何が起こっているのか分からなかったのは、宙一本人も同じようであった。
少しマットの上で空を見上げていた宙一は、起き上がると同時に響く歓声と審判員の旗に、漸くその現実を実感した。

力強く右腕でガッツポーズをし、宙一もマットの上で喜びを露わにしていた。


「…拝璃…。」

そんな観客の中で、数少ない彼の成功に不安な表情をしている若越と桃木は、2人して祈るように伍代に視線を送った。



続く大ヶ樹、六織は5mの試技を3回失敗。
残すは伍代の3回目の試技を待つのみとなった。
宙一にとっては大きなリード、伍代にとっては大きなプレッシャーとなっている状況…。


_


(…いやぁ…参ったな…。)


前の跳躍者である六織が失敗し、落ちたバーが再びセットされている間、伍代は助走路脇に構えて考え事をしていた。


(…三ツ谷さん、"ピンチ"で"チャンス"。まさに今、この状況かもしれないです…。)





三ツ谷は最後のインターハイを終えると、2学期の始まりと同時に部を引退した。

「…三ツ谷さん、大学でも棒高跳び続けますよね?」

引退表明をした三ツ谷最後の部活動の後、伍代は少し不安そうにそう問いかけた。

夏のインターハイ、伍代にとっては初めての、三ツ谷にとって最後のインターハイ全国大会。

伍代は予選落ちに終わったが、決勝に残った三ツ谷も、記録は4m95cm。決勝進出は果たせたものの上位入賞とはならず10位に終わった。


「…んー、分かんねぇわ。やるとは思うけど、途中で辞めちまうかもしんない。何とも言えないけど、さ。」

三ツ谷は、すっかり暗くなった夜空を見上げながらそう言った。

「…拝璃、覚えてるか?俺、最後のインハイまでに5m跳べたら、好きなやつに告白するって言ってた話。」

そう言う三ツ谷は、伍代がその質問に対する答えを告げる前に話を続けた。

「…あれ結局、跳べてても上手くいってなかったんだよ。俺が好きだったやつ、サッカー部のやつと俺の全国の前くらいに付き合ってたらしい。
だから、例え俺が全国で5m跳べてても結果は変わらなかったんだ。」

全国出場まで成し遂げた、伍代にとって大きな存在である三ツ谷が、初めて後輩の前で弱々しくなっている姿に、伍代は彼がとても小さくなっていくように思えた。

「…"ピンチはチャンス"って、よく言ったもんだ。
確かに、今考えたらそいつと付き合ってる男より、それの方がそいつと近くなるチャンスはあったんだよ。ただ、何かと都合が悪かったり、不完全な今の俺が告ったところで、って思ってたところがあってな。
だから、自分で勝手に"5m跳んだら告る"っていう謎の縛りを課してたんだ。
それが裏目だった。俺が"ピンチ"って思ってた時こそ、"チャンス"だったのかもしれねぇって。
拝璃、お前はその機会チャンスを見誤るなよ。
棒高も一緒だ。危機的状況って時に強く出ていける奴が、その先にある報酬を手に入れられる。」

三ツ谷はそう言うと、吹っ切れたように立ち上がって、伍代の背中を軽く平手打ちした。

「…お前も、いつまでも放っておくと誰かに取られちゃうかもしれないぜ?」

三ツ谷の指す"取られちゃうモノ"が何を指しているのか、伍代は理解できていなかった。

「…いっそ、拝璃。お前に託そうかな。俺が叶えられなかった目標。」

そう言いながら、部室に帰って行こうとする三ツ谷を呼び止めるように伍代は振り返った。

「…それって…。」

「…お前、桃ちゃんの事好きなんだろ?だったら、お前が5m跳んだ時が、絶好の機会なんじゃねぇの?ははっ、まあ、知らねぇけど。

…俺みたいに、後悔して終わるような高校生活にはするなよ。棒高も彼女の事も。
お前なら、その"機会チャンス"を掴み取れるよ。」

伍代は色々と三ツ谷にツッコもうかとするが、三ツ谷はそう言って去って行った。

それから、伍代と三ツ谷は互いに交流する事は殆どなく、三ツ谷は卒業して大学に進学した事も、伍代は別の先輩から聞いて知ることになった。





(…何であの時、三ツ谷先輩はを知っていたんだ…いや、ただあの人からそう見えてただけだったのか…?…まあ、今はその事はいいか。)

伍代が思い出を振り返りながらそんな事を考えていると、試技の準備が完了していた。


助走路に入り、伍代がスタンバイする。


(…三ツ谷先輩…これが跳べたら告白とかは別にして、今俺めっちゃピンチだから。
5mこれ跳んで、"チャンス"掴み取ってみせますよ。)

ポールを握る伍代の手に力が入る。
伍代はそのまま1回ポールを地面の方向に押し込んで軽く曲げると、ふっと力を抜いてポールを持ち上げた。

そして、横目で観客席で祈るように見守っている若越と桃木の姿を確認した。

(…今度は、俺が若越あいつに魅せてやる番だ。
…そして、俺があいつに…っ!)


追い風を、伍代は背中で感じた。


「…行きまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっす!!!!!」








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