異世界司書は楽じゃない

卯堂 成隆

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第一章

第75話 進撃の羊

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「アドルフめ……覚えてろよ」

 ヤツの姿が見えなくなってから、俺はありったけの不満をこめて叫んだ。
 本人の前でいわないのは……まぁ、さすがに怖すぎるからな。

 俺が地面を蹴る横で、アンバジャックがため息混じりにつぶやく。

「困りましたねぇ。
 森を再生させるだけなら、わりと簡単な話だと思ったのですが」

「まったく、神々の雑さにはあきれかえるわい」

 ドランケンフローラの意見にはまったくもって同意である。
 まぁ、こっちの都合のいい要望を神に押し付けるのもどうかとは思うが、もう少し愛をもって接してくれてもいいんじゃないだろうか。
 もっとも、明らかに神や精霊から偏愛を受けている俺が言ってもただの嫌味にしかならないだろうが。

 しかし、何もかもがしっくりこない。
 たしかにあの町には嫌な奴もいるだろう。
 だが、関係の無い人間が巻き込まれるのは、どう考えても筋が通らないじゃないか。

 あぁ、そうか。
 俺はこの筋が通らない状況をどうにかしたいんだな。
 だが……。

「あー、うー、いったいどこから手をつけてよいやら。
 とりあえず、情報がほしい」

 そう、何をするにも情報がないと一歩も前に進めない。
 下手な方向に足を踏み出して、取り返しのつかない方向に歩き出すのは嫌なのだ。
 なにせ、俺は臆病だからな。

 すると、アンバジャックがこんな助言を口にした。

「そうなると、まずは町の中がどんな様子か探ったほうがよさそうですね」

「ほほう?
 それは少し楽しみじゃなぁ」

 ドランケンフローラが微笑むが、俺はそうは思わない。
 森から木が無くなって、絶対に混乱しているし。
 トラブルが発生する予感しかしない。
 とはいえ、アンバジャックの言うとおり、一度町に出向いて情報を仕入れる必要はあるだろう。

「お前らもくるのかよ。
 今はいろいろと混乱していると思うから、あまり楽しむ余裕はないと思うけどねぇ」

「混乱しているからこそですよ。
 見た目が子供にしか見えないトシキさんが、一人で町をうろつく?
 面白い冗談ですね。
 保護者は必要ありませんか?」

「それに、森の神の神殿の連中も、お前を見つけたら放ってはおくまい」

 確かに正論である。
 だが、こいつらを連れてゆくのもなぁ……。
 あぁ、胃が痛い。

 俺は腹を押さえ、その胃の痛みの原因……アドルフの建設現場のほうに俺は目を向ける。
 そこにはキラキラと太陽の光に輝く砂粒のようなものが宙を舞っていて、少しずつ船を形成しているが、たぶんあれは一つ一つが俺の体よりも大きな金属の塊だ。

 おそらく森の木々をほかの精霊に売り払って購入したものだろう。
 多くの地の精霊にコネを持つアドルフは、そういう物々交換も得意なのだ。

 なんというか、もうアレはどうしようもないな。
 俺の手には余るので、好きにさせるしかない。

 俺はため息をつきながら待ちにゆく準備をはじめた。
 とはいっても、マントから翼がはみ出てないことを確認し、お財布の中身を確かめる。

 すると、ふいに誰かが袖を引いた。
 誰かと思って振り返ると……。

「めぇぇぇ」

 それは一頭の羊だった。
 ただ、いつもの巨大羊ではない。

「なんだよお前。
 いま、ちょっと忙しいから後でな」

 邪魔だとばかりに頭を押しのけるのだが、羊はさらに顔をこすり付けてきた。
 そして袖に噛み付いて、町のほうにしきりと引っ張る。
 あー、これは町までついてくる気じゃないのだろうか。

 ふと周囲を見回すと、たくさんの羊が恨めしげな目でこちらを見ている。
 たぶん、全てが町に行きたい羊だ。
 その中から、見事俺についてゆく権利を勝ち取ったのがこの羊ということか。

「えー、お前らが一緒にいると店とか入れないしなぁ」

 やんわりと同行をお断りする俺だが、羊はそんな俺の目をじっと見つめる。
 あぁ、これは抗いきれないな。
 だが、要望は呑めない。
 ゆえに、戦略的撤退が必要である。

「じゃあ、町へのお出かけは無しということで」

 このままズルズルとこいつらを引き連れて町に行くよりは、このままここで何もしないほうがたぶんマシだ。
 俺は翼を広げて馬車の屋根の上に逃げる。
 ここならば羊の視線は目に入らないし、鳴き声だけならば言っている意味はまったくわからないし、少々うるさいだけだ。

 なお、馬車の中に逃げ込まなかったのは、中でポメリィさんがまだ寝ているからだ。
 女性の寝顔を見るのは失礼だから?
 いやいや、あの人の寝返りに巻き込まれたら、たぶん大怪我するから。
 すごいんだぞ? 時々地面揺れるし。

 そういえばあの人、俺の護衛とか言いながらほとんど寝てすごしている気がする。
 ポメリィさんらしいといえばそれまでだが、そのうち太るぞ。

 そんなことを考えつつ寝返りをうった俺だが、次の瞬間、ふいに周囲が暗くなったことに気づく。

「めぇぇぇぇぇぇ」

 すると、ひときわ大きな羊の声と共に、俺の体がふわりと浮いた。
 なにごと!?

「お前か、巨大羊!?」

 気がつけば、なんと巨大羊が俺の服の襟を咥えて俺を持ち上げていたのだ。
 そして奴は俺の体を横にいた羊の背中の上に乗せる。
 ま、まさか……!?

「めへへへへへへぇぇぇぇ」

 楽しそうな声と共に、俺の乗った羊が走り出す。
 うわ、落ちる!

「うひぃぃぃぃぃぃ!」
 俺は思わず羊のまるまった角に手をかけた。
 それでもゆれる羊の背は振動が激しく、油断するとすぐに振り落とされそうになる。
 すると、ふいにアンバジャックが顔を出した。

 こいつ……ドランケンフローラを背中にかついだまま軽々と並走してやがる。
 見目以上にとんでもない奴だな。

「トシキさん、羊の体を足でしっかり挟み込むといいですよ」

「中途半端にしがみついておると、股ズレを起こすから気をつけるのじゃぞ」

 妖魔ふたりのアドバイスを受けながら、俺はなんとか羊の背の上に体を固定する。
 そのときになって初めて気づいたのだが、後ろからも大量の足音が聞こえるではないか。

 何が起きているのか知りたくは無かったが、おそろおそる後ろを見ると、大量の魔羊が楽しそうに俺の後ろを走っていたのである。
 その群れの中に巨大羊がいないのがせめてもの救いか。

 全てを諦めた俺の視界に、町の門が見えてきた。

「うわ、なんだ?
 ひ、羊ぃぃぃぃぃ!?」

 うわぁぁぁぁ、人身事故おこしちまう!?
 とっさに突き放す左手を唱え、兵士らしきお兄さんを安全な場所にはじき飛ばす。
 どうか無事でありますように!

 だが、その隙にほかの自警団たちが動いた。

「馬鹿め、お前たちの悪行もここまでだ!
 この盾の壁、突破できるものなら……」

 盾を構えた自警団のお兄さんたちに、容赦なく羊たちが迫る!

「ダメだ、こいつらそんなものじゃとめられない!!」

 こんなに数がいては、全員に突き放す左手をかけるのは無理だ。
 俺の忠告もむなしく、羊たちの群れは自警団たちの構えた盾に激突する。

「うおぉぉぉぉぁぁぁぁ!
 な、なんだこの力は!?」

「俺たちが押し負けている!?」

「めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 さすがに何かスキルでも使っているのか弾き飛ばされる事はなかったものの、盾を構えた自警団たちは羊の突進に抗いきれず、ズリズリと後ろに流されて、やがてその壁は決壊した。
 もはや羊たちを止める者はいない。

「お、おい! そこの羊ライダー!
 止まれ、止まるんだ!
 お願い止まって!!」

「ごめんなさい、避けてぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 涙目の兵士のお兄さんの横をすり抜け、俺と妖魔と羊の群れは町の中に突入したのである。
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