メイク・イン・ハッピー

ひろたひかる

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 こっそりと盗み見たその女性は、本当に綺麗な人だった。
 さらさらの黒髪をあごのあたりで切りそろえ、椅子に座っていてもわかるそのスタイルの良さ。アーモンド型の目、しみひとつない白い肌に印象的な深いローズの口紅。
 何もかも私にはないものだ。

 女性はカフェの窓際に座って注文が来るのを待っている。ぺらりと雑誌をめくったりして、おそらく貴重なリラックスタイムなんだろう。

 そこへ銀色のトレイにコーヒーカップとケーキを載せたウエイターが現れる。私の幼なじみ、あき兄こと岡村彰人だ。あき兄は親しげに女性に話しかけながら注文の品をテーブルに並べていく。ああ、えっらい鼻の下が伸びている。

 あの人が、あき兄の好きな人――――

 カフェの道を挟んだ向かい側にあるショッピングモールの出入口で彼女とあき兄の様子を盗み見ながら、私の心はどんよりと曇っていった。

 あき兄は私・久保川瑠璃より5歳上の25歳。近所に住んでいるお兄ちゃんで、一人っ子の私は小さい頃からあき兄のあとをついてまわっていた。甘いマスクで誰にでも優しいあき兄にほのかな思いを自覚したのはまだ中学校の頃だったか。

 それから5年も6年も片思いしていた相手に「好きな人ができた」とはにかみながらも満面の笑みで告げられた時は、内容をなかなか理解できなかった。したくなかったのかもしれない。

 あき兄はもてる。あんなイケメンなんだから当然だ。けれどどうしてか、あき兄の方から誰かを好きになるってことはなかった。だからすっかり油断しきっていたんだ。
 幼なじみという楽な席に座り慣れてしまっていた私は、冒険してあき兄の恋人の座を勝ち取ることをためらってしまっていた。今の関係が崩れることが怖かったからだ。
 だから、そばをうろちょろするばかりで告白ひとつしなかった私には、何を言う権利もないのだ。

 で、そのあき兄の好きな人というのがよくあき兄の勤め先のカフェに来る常連さん。あの黒髪の美女だ。

 美女――そう、本当に美女だった。

 離れたところから様子を見ていただけだったから中身がどんな人かはわからないけど、とにかく大人っぽくてかっこいい人だった。私はちらりとショッピングモールの扉に映った自分を見る。

 くるっくるの茶色っぽい癖毛。小さな背丈。胸だけはあの人よりもありそうだけど、無駄に大きくて低い身長との釣り合いが取れていない。顔だって妙に目が大きくて丸顔で、小さな子どもみたいだ。

 要するにあの美人さんは、私の持っていないものをたくさん持っているんだ――

 私はこの日、長年の初恋に終止符が打たれる音を聞いた。

★★★

 何となく家に帰りたくなくて、ふらふらと賑やかな通りを歩く。

 私のどんよりとした心とは裏腹に、雲一つない青空が眩しい昼下がり。眩しくて目が痛い。通り沿いに並ぶきらびやかなショーウインドウには華やかな飾り付け。普段ならこんなかわいい雑貨屋さんとか洋服とか、わくわくして眺めてるのに。

 やっぱりあれかなあ、私があんまり子どもっぽいから妹以上にみてもらえなかったのかな。
 あの人みたいに綺麗で大人っぽかったらひとりの女性として見てもらえたのかな。

 私の頭の中で、黒髪美人さんの深いローズ色の唇がリフレインする。あんな色、私には似合わない。あんな大人っぽい色――

 その時、ふとショーウインドウの中に目がとまった。
 白を基調にした店内。並んでいるのはファンデーションや口紅。コスメショップだ。私は引き寄せられるように店に入っていった。

 店の中には数人の女性客がいて、店員さんと話をしている。広々とした店内にはいくつか椅子と鏡が美容室のように据え付けてあって、そこに座っている。化粧法とか教わってるのかな?

 けれどそこで突然我に返ってしまう。
 初めてのお店だし、ろくすっぽ化粧もしたことないからすぐに気が引けてきたんだ。ちょうど店員さんもみんな接客中みたいだし、私に気がついていないみたいだし、すっとお店を出ちゃおうかな。
 でも小心者な私は「欲しいものは見つからなかったわ」的な顔でもしないと店をでることすらできなかったりする。

「いらっしゃいませ」

 ちょっと躊躇している間に声をかけられてしまった。やばい。

 振り向くとそこにいたのは意外にも男性店員。背の高い、ちょっとやせ気味の人。20代半ばくらいの、細い金属フレームのメガネをかけた男性だ。首からかけているネームプレートには「服部」と書いてある。

 笑顔だけど、なんか怖い雰囲気をまとっている。怖いっていうか……すんごい威圧感? 存在感?

「なにかお探しですか」
「あ――――」

 特にこれが欲しいと思ったわけじゃない。ただふらふらと足が向いてしまっただけ。「見ているだけだから」とか断っちゃえばいいだけなのに、店員さんのあまりの迫力にふと口を突いて出た言葉は。

「あの、口紅が……」

 うわ、しまった。何言ってるんだろう、私。

「口紅でございますね。どうぞこちらへ」

 店員さんは私を促し、店の中央へ案内して歩き出す。
 このまま貴方が接客するんですか? 誰か他の女性店員さんは――だめだ、みんな接客中だ。
 そこには整然と口紅を並べた棚がある。口紅が入った細身の箱は、中に入った口紅の色がわかるように彩色された蓋の部分を見えるようにレイアウトされていて、まるでモザイクタイルを見ているみたいだ。

「気に入ったお色が見つかりましたらお申し付けください。サンプルをお出しします」

 店員さんがこの店のシステムを説明してくれる。どうやらここは実際に商品サンプルを使ってみることができるショップらしい。もちろん、普通の商品も購入できるようだ。
 私は3つの色を選んだ。もちろんダークなローズカラー。

「こちらとこちらと……こちらですね」

 鏡の前の席に座ると、店員さんが丁寧にサンプルを並べていった。けど、そこに置かれたのは4つ。

「これは?」
「ぜひこちらのお色もお試しいただきたく。お客様には深いローズよりはこちらのほうが合うと思いましたので」

 私はその4色目を見つめた。それはほんの少しオレンジがかった上品なピンク、ラベルには「コーラルピンク」と書かれている。上品だけど可愛らしい、お嬢様っぽい色に見える。

「――やっぱり、似合わないですか」
「え?」

 思わず口から小さく言葉が溢れてしまう。

「こんな大人っぽい色、私みたいなガキには合わないんですね。どうやっても――」

 どうやっても、あの黒髪美人さんには敵わない。
 ううん、そんなことわかってた。なのに彼女の使っていた色を真似しようなんて、ひどく浅ましい。
 同じ色の唇で、何をどうしようと思ったんだろう、私。背伸びして大人っぽく見せようとするなんて、やってることはただの小さな子どもじゃないか。

 なんだか惨めな気分になってきて、私はそのまま席を立って店を出た。

 後ろから店員さんの声がしたけど、無視して賑やかな通りに逃げ込んでしまったのだった。
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