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03(完)
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「俺は――」
ユースティスの表情は陰り、視線が虚ろにテーブルを彷徨う。
「元剣聖と呼ばれた勇者。ユースティスだ……今は現勇者パーティーを追い出され、ご覧の通り、ここで家政夫をしている」
剣聖……!?
――6年程前だろうか。隣国の最高神官のお告げによって選ばれた剣聖たる勇者と、その仲間達のパーティー。彼らの登場は我がサンドル国でも大きな話題になっていた。勇者パーティーは、隣国で竜退治に増えた魔物退治と大活躍。一躍国家の英雄となったと伝え聞く。しかし、その数年後。剣聖たる勇者と、パーティーの仲間の間に子供が生まれ、勇者が子育てに集中しはじめると、剣聖としての力を失われていき、国から賜った聖剣の力が発揮できなくなったそうだ。剣聖勇者はパーティー代表の地位を保てなくなり、新たなる勇者が新剣聖としてパーティー入りを果たし、新たな聖剣が国から与えらたという。かくして、勇者の代替わりがあったと聞いている……。
「あ、あなた、隣国の勇者パーティーの、初代の剣聖なの?もしかして、あの『勇者ユースティス』?」
「そうだ。だが昔の話だ。ココが生まれ、俺は国の安寧より、娘のココを平和な場所で穏やかに育てたいと祈るようになった。それにより国より賜った聖剣の力を失ってな……。最後はパーティーから追い出された。そして、放浪の果に、この村へと辿り着いた。途方に暮れていた所を村長に拾われ、ココが育つまでの間、この屋敷の管理人の仕事で食いつないだらどうかと提案されてな。ありがたく、管理人の仕事をしていたというわけだ。
まさか、半年で屋敷に主が現れ、住み始めるとは思っていなかったが」
「そ、そうだったの……」
あの伝説の剣聖と呼ばれた勇者、いや、元勇者と同じテーブルを囲うことになるとは。
奇しくも、本来居るべき場所から追い出された者同士が、こうして辺境の田舎村の同じ食卓を囲み、共に紅茶を飲んでいる。
それはとても奇妙だけれど、私には、不思議な良縁に感じられた。
しばしの沈黙の後、私はふと思いついた疑問を口にした。
「そうだ。あと、知りたかったのよね。ユースティス。あなたは元冒険者で剣の達人なんでしょう?それなのに、なんでこんなに家事や料理が達者なの?」
「俺は孤児院で育ったからな。ある程度大きくなったら、孤児院の家事もしていた。下の子の世話もしていた。とても子供好きだ。そして、今は家事の能力のおかげで、こうしてアンジュに雇われている。住む所も与えられ、ココが安心できる環境で、満足出来る給金も貰っている。アンジュ。君には本当に感謝している」
ユースティスはそう言って、いつも真面目で真剣な表情をほころばせ、微笑みを浮かべた。
「あ、ユースティスが笑ったとこ、はじめて見た」
「そうか?仏頂面だったらすまん。いや、俺はどうも、愛想が悪いらしいな。昔から散々仲間に言われたものだ……気をつけているのだが、性分でな」
ユースティスは顎のあたりを触って気まずそう。
私は戸惑った様子のユースティスが面白くて思わず吹き出し、つられたユースティスも声を出して笑った。初めて二人で笑いあい、ココの笑い声もそこに混じった。
「パパ、ぶっちょうづらー」
「ココったら。お父さんにそんなこと言うものじゃないわよ」
「はぁい。ねえー、アンジュってママみたい!」
マ、ママ?
私は驚いて、思わずユースティスの顔を見る。
彼も面食らった様子で、慌ててフォローしてくれた。
ココは幼い頃にパーティーを共に追放され、そのパーティーのメンバーだった母親の顔を覚えていないそうだ。
「馴れ馴れしかったかな。すまない」
「いえ、いいのよ。子供の言う事だもの。さて……。のんびり田舎暮らしもいいけど、私もそろそろ、動き出さないとね」
「動き出す?」
「錬金術。せっかくの田舎暮らしだもの。この辺には天然の材料が沢山あるみたいだしね。ねえ、この雲雀館の地下室に錬金釜があったわよね。私、錬金術を行うわ。少しなまった腕を鍛え直さなくちゃ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
雲雀館の地下室は、高位の錬金術師を多く排出するバーネット家の保有する他の数々の邸宅と同様、錬金術の工房となっていた。こぢんまりした工房だけど、錬金術を行うには十分。並ぶ本棚には錬金術の書物が収められ、基本の錬金釜や、錬金術に使う用具もしっかりと揃っている。
工房は、天井近くの明り取りの小窓から差し込む光と、壁に掛けられた魔道具のランプの光で、ほのかに明るい。ユースティスが工房も定期的に清掃してくれていたらしい。埃っぽさもない。錬金釜もしっかり拭き上げられ、清潔だ。
早速、錬金術にとりかかろう。
ユースティスに運んでもらった桶の井戸水を錬金釜に入れ、王都から持参した魔道具、お気に入りの『錬金棒』で釜の中をかき回し魔力を注ぐ。初歩の初歩の錬金術。こうして『蒸留水』の出来上がり。地下室の棚にあったガラスの小瓶に入れて小分けする。これが錬金術の基本アイテムだからね。
そして、ココが裏手の森の入り口で採ってきた薔薇ベリーと、村の茶葉農家から譲って貰った新鮮な茶の葉を錬金釜へ。蒸留水と、あらゆる錬金術触媒となる蛍光石の粉を入れ、『錬金棒』でぐるぐる。錬金釜は青白い光を放ち……。
「出来た!」
『薔薇ベリーの紅茶』の出来上がり!
錬金術を使えば、フレーバーティーは通常の製法より格段に早く完成するのだ。しかも私の能力で魔力付帯が可能。今回付けたのは[体力増強+]の魔力。うん。いい仕上がりです。
私が一週間ぐうたらしてなまった体に喝を入れるため、そして、日々家事を頑張ってくれるユースティスのために作った。もちろん、一生懸命薔薇ベリーを集めてくれて、今お昼寝をしているココの体力も回復してくれるだろう。ココが紅茶を飲むには、たっぷりのミルクと砂糖が必要だけれど、この『薔薇ベリーの紅茶』は甘いミルクティーに最適だ。きっと喜んでくれるだろうな。
私は手のひらサイズの丸く平たい缶に『薔薇ベリーの紅茶』の茶葉を詰め、それを持ってうきうきと階段を上がる。
一階の台所で夕食の仕込みを始めていたユースティスに、いそいそと茶葉の缶を渡す。彼は錬金術の成功と、体力を増強してくれるフレーバーティーにとても喜んでくれて、早速飲もうとお湯を沸かしてくれた。
三人で庭のテラスに並んで座り、夕暮れの空を見ながら、お砂糖をたっぷりの甘酸っぱい香りのするミルクティーを飲んだ。日が暮れていく。山間に沈んでいく夕陽は、どこか都会のそれと違う。太陽はもっと大きく見えるし、微まどろみを誘う緋色の光はより優しく見える……。
「アンジュ。そういえば、今日の朝、買い物へ出た折に聞いたのだが、村長が腰を痛めて寝込んでいるそうだ。この『薔薇ベリーの紅茶』、村長に持っていってやったらいいんじゃないか?体力を回復してくれるなら、痛みも早く治るんじゃないか」
「腰を痛めた?それは大変!ねえ、体力増強よりもっと良い回復アイテムも作れるわよ。干し草と、桃スミレがあれば、すぐ作れるんだけれど」
「ももすみれ?ももすみれ?ねえねえー。ココ、ももすみれしってるよぅ」
紅茶をふーふーしながら啜っていたココが、元気よく手を挙げた。
「もりのね、ちょっといったところの、おはなばたけにさいてるんだよー」
森のちょっと行った所のお花畑……?そこに桃スミレが咲いている?そして、なんだか、錬金術に使うアイテムが他にも予感!
「採取に行ってみたいわ。ココ、明日、私をそこに連れて行ってくれる?」
「いいよー!アンジュ、いっしょにいこ!」
「森か。以前ココとハイキングしたコースの途中の何処かだったかな。村の近場の森ならば魔物は出ないだろうが、二人だけで行くのは危険だ。俺も同行しよう」
そんな流れで。翌日、私たちは早起きして村の裏手にある森へ。このあたりは辺境だけど、治安は良い。魔物はほとんど出ないし、よほど森の奥地に分け入らない限りは、熊や狼も出ないそうだ。念のためと護衛に付いたユースティスは見事な装飾が施された長剣を帯び、いつもより少しピリッとした空気。
あれが聖剣なんだろうか……?
そんな疑問がよぎったけれど、私は深く突っ込むのはやめた。
ユースティスにとっても、勇者パーティーから追放された件に関わる話題に触れられるのは、つらいだろうから。
森の小道を進む。ユースティスが先頭を歩き、周囲を警戒して小さな音にも反応して油断なく視線を動かしている。さすが元勇者。今でも彼は凄腕の剣士なんだろうな……。
森の小道を30分程歩くと、道から少し外れた場所に、木々が避けたように円形に開けた広場があって、そこには色とりどりの可憐な花が咲いていた――。
木漏れ日の中で美しい花が風に揺れている。
幻想的な空間に、私は思わず息を呑んだ。
「すごい、きれいな場所……。しかも、この花も、この花も……あ、この植物も錬金術の材料だわ。すごい!村の近くの森に、こんなに沢山錬金術の材料が自生しているのね」
王都では、錬金術に使う植物は学園の購買部や街の商店で購入していた。どれも乾燥しており、生産地である地方から運ばれてきたもので、鮮度は低い。しかも安くはない値段で買っていた。一方、この森では、桃スミレ、青スミレ、よりレア度の高い紫スミレ、その他錬金術に使われる植物が大地の上で活き活きと根付いて風に揺れている。これを採取し放題?いやいや、もちろん最低限しか頂かないつもりだけれど!
「錬金術師はこういったものでも喜ぶのか。俺も冒険者だった頃は、魔物の牙や皮を、錬金術師に卸すという行商人に売っていたものだが……。必要なのは、そういったものだけではないんだな。この森の中には、錬金術の材料がまだまだ沢山眠っていそうだな」
ユースティスは意外そうに呟いた。
ユースティスの出自である隣国は、サンドル国ほど錬金術が盛んじゃないからね。彼が錬金術の事を知らなくて当然かも……。レアな鉱石や魔物由来の素材だけでなく、様々な植物が錬金術の材料となる。都会であるサンドル王都育ちの私。辺境を舐めていました。ここは錬金術の材料の宝庫かもしれない……。
「ねえねえ、ももすみれ、あったでしょ!」
嬉しそうに飛びついてくるココ。私はココの頭を撫で、頬にキスをして沢山の感謝を伝えた。
「ねえココ、アンジュからのお願い。一緒に桃スミレを摘んでくれる?あと、この青いスミレと、紫のスミレも。このカゴいっぱいになるくらいにね」
「いいよー!ねえ、アンジュ。おはなつむのおわったら、いっしょにはなかんむりつくろ!」
「それ、いいわね。かわいい冠を作りましょうね。じゃあ、冠はこの白い野菊で作る?」
「うん!それとね、このきいろいのもまぜるの!」
私はココと一緒に沢山花を摘んで集め、小さなカゴいっぱいの採取が終わると、白と黄色の野菊を編み、花冠を作ってココの頭に乗せてあげた。
白と黄色の花冠は、ココの蜂蜜色のふわふわした髪によく映える。
「かわいい?ねー、かわいい?おひめさまみたい?」
「よく似合うぞ、ココ。お前は本物のお姫様だな」
ユースティスはココと話しているととても満足そうで、幸せそう。本当に娘が大好きなのね。
「ココ、似合っているわよ。ココ姫様。アンジュの編んだ花冠、大切にしてね」
「うん、するー!」
ニッコニコのココと手をつなぎ、森の小道を抜けて雲雀館に戻った。
屋敷に戻る頃、太陽は天の中央に昇っていた。
帰宅してすぐ、ユースティスは台所へ。朝、屋敷を出る前に仕込んだという鶏肉と根菜の煮込みを温めはじめた。鍋から立ち上る良い香りにお腹が鳴りはじめた。
昼ごはんは、鶏肉とジャガイモ、その他根菜の具だくさんスープ。大きな鶏肉がごろごろ。カットされた数種類のチーズと塩漬けの冷製肉。そして温められたふわふわのパンとたっぷりのバター。庭の木に生っていた黄色蜜柑の搾りたてジュース。
美味しい……。どれも絶品。
私はこれからは一緒に食卓を囲みたいと希望して、ユースティスとココと同じ卓で食事を頂いた。
最初は全員少し緊張していたけれど、すぐに打ち解けて、ココが村の子供達とやる遊びや、ユースティスが庭の家庭菜園で育てている野菜の話、そして私が王都の学園で錬金術を学んでいた話を少し、――色々な話をした。
ユースティスは黙って落ち着いた様子で私やココの話を聞いてくれて、丁寧に相槌を打ち、そして、私がこの村へ来る事になった経緯などについては一切触れなかった。やっぱり、ちょっと気を遣われているのかもしれない……。
私も自ら進んで話したい事でもないので、詳細は語らなかった。
昼食後、地下工房にて。
まずは『錬金紙』の錬成を開始。これも錬金術の基本材料。よく使うから多めに作っておこう。藁と蒸留水と蛍光石から出来た触媒を錬金釜へ。そしてお次は、仕上がった『錬金紙』と桃スミレ、触媒を混ぜて錬成を行う……。
成功!魔力付帯[痛みを治す]+[回復力++]の二つが付いた『桃色湿布』が完成!
最高の仕上がりです。新鮮な材料が良かったのか、私の腕が鈍っていなかったのか、学園の講義で作ったものより、ずっと強い魔力が付帯している。
出来上がった湿布は、ユースティスが早々に村長に届けてくれた。そして、ユースティスが屋敷を出てから30分後。ユースティスは、油紙に包まれた大きな骨付き肉の塊を抱えて雲雀館に戻ってきた。
「なにそれ、お肉?すごい大きさね」
「わーい、おにく、おにくだあ!」
台所の作業台にどっしりと置かれた肉は大きくて新鮮、見事な骨付きの牛肉の塊だった。私とココは興味しんしんで前のめりになって肉を眺めた。
「湿布を届けた村長の家で、大角牛を一頭ほふったそうだ。
腰を痛めた村長は、食事で滋養をつけようとしていたらしいが、届けたアンジュの湿布を貼った途端、即痛みがとれて前より元気になったと泣いて喜んでいたよ。
大喜びで、捌いた大角牛の肉を分けてくれたよ。
アンジュ。お前の錬金術はすごいな。村長が後日、直接アンジュに礼を言いに来ると言っていたぞ。さて今夜は、この肉の塊でローストビーフかステーキでも焼くか。余った肉は氷室で保冷して、それでも余る分は干し肉にでもするか」
ステーキ?ローストビーフ?最高!この村に来てから鶏肉とハムやソーセージといった塩漬け肉ばかりだったから(それも、とても美味しいんだけれどね)、新鮮な牛肉の料理が食べられるのは感動もの。
私とお肉大好きなココは歓声をあげて喜んだ。
「あ、氷室があるなら、氷は錬成するから任せて!干し肉も、錬金術ですぐ完成出来るから。何か必要な魔力があれば付帯するように作れるわよ。」
「本当か。それは助かる。氷も村の氷室蔵から買うと高いからな」
ユースティスも嬉しそう。
私の錬金術が人の役に立っている。
王立錬金術学園では、試験合格、良い成績をとるためだけの錬金術だったけど、ここにはもっと日常に密接した錬金術がある。
自分の役に立つ錬金術。誰かが喜んでくれる錬金術。
こうして――。
婚約破棄で王都を追放された悪役令嬢の私の辺境スローライフは、本当にのんびりまったりとはじまった。
自由を謳歌して、楽しい錬金術生活を満喫。
元勇者、そしてその娘と一緒に同じテーブルを囲んで、笑顔で美味しい料理を食べ、村の人達を元気にして、なおかつ三食昼寝&家政夫付きの追放生活。
後日、私を追放した元婚約者のクリストファーが、ミミの天然を通り越した非常識さやワガママさに嫌気がさして、復縁を迫ってきたけどお断りした件や、ユースティスを追放した新勇者パーティーが魔物に勝てず負けが続け、ユースティスの元にやってきて土下座せんばかりの勢いでパーティー復帰を懇願したけれど、当然のごとくお断りしたのは、また別のお話。
だって、まったり自由な辺境村生活は最高ですから。
ここが私の居るべき場所――私はこれからも楽しい人生を謳歌します。
(完)
ユースティスの表情は陰り、視線が虚ろにテーブルを彷徨う。
「元剣聖と呼ばれた勇者。ユースティスだ……今は現勇者パーティーを追い出され、ご覧の通り、ここで家政夫をしている」
剣聖……!?
――6年程前だろうか。隣国の最高神官のお告げによって選ばれた剣聖たる勇者と、その仲間達のパーティー。彼らの登場は我がサンドル国でも大きな話題になっていた。勇者パーティーは、隣国で竜退治に増えた魔物退治と大活躍。一躍国家の英雄となったと伝え聞く。しかし、その数年後。剣聖たる勇者と、パーティーの仲間の間に子供が生まれ、勇者が子育てに集中しはじめると、剣聖としての力を失われていき、国から賜った聖剣の力が発揮できなくなったそうだ。剣聖勇者はパーティー代表の地位を保てなくなり、新たなる勇者が新剣聖としてパーティー入りを果たし、新たな聖剣が国から与えらたという。かくして、勇者の代替わりがあったと聞いている……。
「あ、あなた、隣国の勇者パーティーの、初代の剣聖なの?もしかして、あの『勇者ユースティス』?」
「そうだ。だが昔の話だ。ココが生まれ、俺は国の安寧より、娘のココを平和な場所で穏やかに育てたいと祈るようになった。それにより国より賜った聖剣の力を失ってな……。最後はパーティーから追い出された。そして、放浪の果に、この村へと辿り着いた。途方に暮れていた所を村長に拾われ、ココが育つまでの間、この屋敷の管理人の仕事で食いつないだらどうかと提案されてな。ありがたく、管理人の仕事をしていたというわけだ。
まさか、半年で屋敷に主が現れ、住み始めるとは思っていなかったが」
「そ、そうだったの……」
あの伝説の剣聖と呼ばれた勇者、いや、元勇者と同じテーブルを囲うことになるとは。
奇しくも、本来居るべき場所から追い出された者同士が、こうして辺境の田舎村の同じ食卓を囲み、共に紅茶を飲んでいる。
それはとても奇妙だけれど、私には、不思議な良縁に感じられた。
しばしの沈黙の後、私はふと思いついた疑問を口にした。
「そうだ。あと、知りたかったのよね。ユースティス。あなたは元冒険者で剣の達人なんでしょう?それなのに、なんでこんなに家事や料理が達者なの?」
「俺は孤児院で育ったからな。ある程度大きくなったら、孤児院の家事もしていた。下の子の世話もしていた。とても子供好きだ。そして、今は家事の能力のおかげで、こうしてアンジュに雇われている。住む所も与えられ、ココが安心できる環境で、満足出来る給金も貰っている。アンジュ。君には本当に感謝している」
ユースティスはそう言って、いつも真面目で真剣な表情をほころばせ、微笑みを浮かべた。
「あ、ユースティスが笑ったとこ、はじめて見た」
「そうか?仏頂面だったらすまん。いや、俺はどうも、愛想が悪いらしいな。昔から散々仲間に言われたものだ……気をつけているのだが、性分でな」
ユースティスは顎のあたりを触って気まずそう。
私は戸惑った様子のユースティスが面白くて思わず吹き出し、つられたユースティスも声を出して笑った。初めて二人で笑いあい、ココの笑い声もそこに混じった。
「パパ、ぶっちょうづらー」
「ココったら。お父さんにそんなこと言うものじゃないわよ」
「はぁい。ねえー、アンジュってママみたい!」
マ、ママ?
私は驚いて、思わずユースティスの顔を見る。
彼も面食らった様子で、慌ててフォローしてくれた。
ココは幼い頃にパーティーを共に追放され、そのパーティーのメンバーだった母親の顔を覚えていないそうだ。
「馴れ馴れしかったかな。すまない」
「いえ、いいのよ。子供の言う事だもの。さて……。のんびり田舎暮らしもいいけど、私もそろそろ、動き出さないとね」
「動き出す?」
「錬金術。せっかくの田舎暮らしだもの。この辺には天然の材料が沢山あるみたいだしね。ねえ、この雲雀館の地下室に錬金釜があったわよね。私、錬金術を行うわ。少しなまった腕を鍛え直さなくちゃ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
雲雀館の地下室は、高位の錬金術師を多く排出するバーネット家の保有する他の数々の邸宅と同様、錬金術の工房となっていた。こぢんまりした工房だけど、錬金術を行うには十分。並ぶ本棚には錬金術の書物が収められ、基本の錬金釜や、錬金術に使う用具もしっかりと揃っている。
工房は、天井近くの明り取りの小窓から差し込む光と、壁に掛けられた魔道具のランプの光で、ほのかに明るい。ユースティスが工房も定期的に清掃してくれていたらしい。埃っぽさもない。錬金釜もしっかり拭き上げられ、清潔だ。
早速、錬金術にとりかかろう。
ユースティスに運んでもらった桶の井戸水を錬金釜に入れ、王都から持参した魔道具、お気に入りの『錬金棒』で釜の中をかき回し魔力を注ぐ。初歩の初歩の錬金術。こうして『蒸留水』の出来上がり。地下室の棚にあったガラスの小瓶に入れて小分けする。これが錬金術の基本アイテムだからね。
そして、ココが裏手の森の入り口で採ってきた薔薇ベリーと、村の茶葉農家から譲って貰った新鮮な茶の葉を錬金釜へ。蒸留水と、あらゆる錬金術触媒となる蛍光石の粉を入れ、『錬金棒』でぐるぐる。錬金釜は青白い光を放ち……。
「出来た!」
『薔薇ベリーの紅茶』の出来上がり!
錬金術を使えば、フレーバーティーは通常の製法より格段に早く完成するのだ。しかも私の能力で魔力付帯が可能。今回付けたのは[体力増強+]の魔力。うん。いい仕上がりです。
私が一週間ぐうたらしてなまった体に喝を入れるため、そして、日々家事を頑張ってくれるユースティスのために作った。もちろん、一生懸命薔薇ベリーを集めてくれて、今お昼寝をしているココの体力も回復してくれるだろう。ココが紅茶を飲むには、たっぷりのミルクと砂糖が必要だけれど、この『薔薇ベリーの紅茶』は甘いミルクティーに最適だ。きっと喜んでくれるだろうな。
私は手のひらサイズの丸く平たい缶に『薔薇ベリーの紅茶』の茶葉を詰め、それを持ってうきうきと階段を上がる。
一階の台所で夕食の仕込みを始めていたユースティスに、いそいそと茶葉の缶を渡す。彼は錬金術の成功と、体力を増強してくれるフレーバーティーにとても喜んでくれて、早速飲もうとお湯を沸かしてくれた。
三人で庭のテラスに並んで座り、夕暮れの空を見ながら、お砂糖をたっぷりの甘酸っぱい香りのするミルクティーを飲んだ。日が暮れていく。山間に沈んでいく夕陽は、どこか都会のそれと違う。太陽はもっと大きく見えるし、微まどろみを誘う緋色の光はより優しく見える……。
「アンジュ。そういえば、今日の朝、買い物へ出た折に聞いたのだが、村長が腰を痛めて寝込んでいるそうだ。この『薔薇ベリーの紅茶』、村長に持っていってやったらいいんじゃないか?体力を回復してくれるなら、痛みも早く治るんじゃないか」
「腰を痛めた?それは大変!ねえ、体力増強よりもっと良い回復アイテムも作れるわよ。干し草と、桃スミレがあれば、すぐ作れるんだけれど」
「ももすみれ?ももすみれ?ねえねえー。ココ、ももすみれしってるよぅ」
紅茶をふーふーしながら啜っていたココが、元気よく手を挙げた。
「もりのね、ちょっといったところの、おはなばたけにさいてるんだよー」
森のちょっと行った所のお花畑……?そこに桃スミレが咲いている?そして、なんだか、錬金術に使うアイテムが他にも予感!
「採取に行ってみたいわ。ココ、明日、私をそこに連れて行ってくれる?」
「いいよー!アンジュ、いっしょにいこ!」
「森か。以前ココとハイキングしたコースの途中の何処かだったかな。村の近場の森ならば魔物は出ないだろうが、二人だけで行くのは危険だ。俺も同行しよう」
そんな流れで。翌日、私たちは早起きして村の裏手にある森へ。このあたりは辺境だけど、治安は良い。魔物はほとんど出ないし、よほど森の奥地に分け入らない限りは、熊や狼も出ないそうだ。念のためと護衛に付いたユースティスは見事な装飾が施された長剣を帯び、いつもより少しピリッとした空気。
あれが聖剣なんだろうか……?
そんな疑問がよぎったけれど、私は深く突っ込むのはやめた。
ユースティスにとっても、勇者パーティーから追放された件に関わる話題に触れられるのは、つらいだろうから。
森の小道を進む。ユースティスが先頭を歩き、周囲を警戒して小さな音にも反応して油断なく視線を動かしている。さすが元勇者。今でも彼は凄腕の剣士なんだろうな……。
森の小道を30分程歩くと、道から少し外れた場所に、木々が避けたように円形に開けた広場があって、そこには色とりどりの可憐な花が咲いていた――。
木漏れ日の中で美しい花が風に揺れている。
幻想的な空間に、私は思わず息を呑んだ。
「すごい、きれいな場所……。しかも、この花も、この花も……あ、この植物も錬金術の材料だわ。すごい!村の近くの森に、こんなに沢山錬金術の材料が自生しているのね」
王都では、錬金術に使う植物は学園の購買部や街の商店で購入していた。どれも乾燥しており、生産地である地方から運ばれてきたもので、鮮度は低い。しかも安くはない値段で買っていた。一方、この森では、桃スミレ、青スミレ、よりレア度の高い紫スミレ、その他錬金術に使われる植物が大地の上で活き活きと根付いて風に揺れている。これを採取し放題?いやいや、もちろん最低限しか頂かないつもりだけれど!
「錬金術師はこういったものでも喜ぶのか。俺も冒険者だった頃は、魔物の牙や皮を、錬金術師に卸すという行商人に売っていたものだが……。必要なのは、そういったものだけではないんだな。この森の中には、錬金術の材料がまだまだ沢山眠っていそうだな」
ユースティスは意外そうに呟いた。
ユースティスの出自である隣国は、サンドル国ほど錬金術が盛んじゃないからね。彼が錬金術の事を知らなくて当然かも……。レアな鉱石や魔物由来の素材だけでなく、様々な植物が錬金術の材料となる。都会であるサンドル王都育ちの私。辺境を舐めていました。ここは錬金術の材料の宝庫かもしれない……。
「ねえねえ、ももすみれ、あったでしょ!」
嬉しそうに飛びついてくるココ。私はココの頭を撫で、頬にキスをして沢山の感謝を伝えた。
「ねえココ、アンジュからのお願い。一緒に桃スミレを摘んでくれる?あと、この青いスミレと、紫のスミレも。このカゴいっぱいになるくらいにね」
「いいよー!ねえ、アンジュ。おはなつむのおわったら、いっしょにはなかんむりつくろ!」
「それ、いいわね。かわいい冠を作りましょうね。じゃあ、冠はこの白い野菊で作る?」
「うん!それとね、このきいろいのもまぜるの!」
私はココと一緒に沢山花を摘んで集め、小さなカゴいっぱいの採取が終わると、白と黄色の野菊を編み、花冠を作ってココの頭に乗せてあげた。
白と黄色の花冠は、ココの蜂蜜色のふわふわした髪によく映える。
「かわいい?ねー、かわいい?おひめさまみたい?」
「よく似合うぞ、ココ。お前は本物のお姫様だな」
ユースティスはココと話しているととても満足そうで、幸せそう。本当に娘が大好きなのね。
「ココ、似合っているわよ。ココ姫様。アンジュの編んだ花冠、大切にしてね」
「うん、するー!」
ニッコニコのココと手をつなぎ、森の小道を抜けて雲雀館に戻った。
屋敷に戻る頃、太陽は天の中央に昇っていた。
帰宅してすぐ、ユースティスは台所へ。朝、屋敷を出る前に仕込んだという鶏肉と根菜の煮込みを温めはじめた。鍋から立ち上る良い香りにお腹が鳴りはじめた。
昼ごはんは、鶏肉とジャガイモ、その他根菜の具だくさんスープ。大きな鶏肉がごろごろ。カットされた数種類のチーズと塩漬けの冷製肉。そして温められたふわふわのパンとたっぷりのバター。庭の木に生っていた黄色蜜柑の搾りたてジュース。
美味しい……。どれも絶品。
私はこれからは一緒に食卓を囲みたいと希望して、ユースティスとココと同じ卓で食事を頂いた。
最初は全員少し緊張していたけれど、すぐに打ち解けて、ココが村の子供達とやる遊びや、ユースティスが庭の家庭菜園で育てている野菜の話、そして私が王都の学園で錬金術を学んでいた話を少し、――色々な話をした。
ユースティスは黙って落ち着いた様子で私やココの話を聞いてくれて、丁寧に相槌を打ち、そして、私がこの村へ来る事になった経緯などについては一切触れなかった。やっぱり、ちょっと気を遣われているのかもしれない……。
私も自ら進んで話したい事でもないので、詳細は語らなかった。
昼食後、地下工房にて。
まずは『錬金紙』の錬成を開始。これも錬金術の基本材料。よく使うから多めに作っておこう。藁と蒸留水と蛍光石から出来た触媒を錬金釜へ。そしてお次は、仕上がった『錬金紙』と桃スミレ、触媒を混ぜて錬成を行う……。
成功!魔力付帯[痛みを治す]+[回復力++]の二つが付いた『桃色湿布』が完成!
最高の仕上がりです。新鮮な材料が良かったのか、私の腕が鈍っていなかったのか、学園の講義で作ったものより、ずっと強い魔力が付帯している。
出来上がった湿布は、ユースティスが早々に村長に届けてくれた。そして、ユースティスが屋敷を出てから30分後。ユースティスは、油紙に包まれた大きな骨付き肉の塊を抱えて雲雀館に戻ってきた。
「なにそれ、お肉?すごい大きさね」
「わーい、おにく、おにくだあ!」
台所の作業台にどっしりと置かれた肉は大きくて新鮮、見事な骨付きの牛肉の塊だった。私とココは興味しんしんで前のめりになって肉を眺めた。
「湿布を届けた村長の家で、大角牛を一頭ほふったそうだ。
腰を痛めた村長は、食事で滋養をつけようとしていたらしいが、届けたアンジュの湿布を貼った途端、即痛みがとれて前より元気になったと泣いて喜んでいたよ。
大喜びで、捌いた大角牛の肉を分けてくれたよ。
アンジュ。お前の錬金術はすごいな。村長が後日、直接アンジュに礼を言いに来ると言っていたぞ。さて今夜は、この肉の塊でローストビーフかステーキでも焼くか。余った肉は氷室で保冷して、それでも余る分は干し肉にでもするか」
ステーキ?ローストビーフ?最高!この村に来てから鶏肉とハムやソーセージといった塩漬け肉ばかりだったから(それも、とても美味しいんだけれどね)、新鮮な牛肉の料理が食べられるのは感動もの。
私とお肉大好きなココは歓声をあげて喜んだ。
「あ、氷室があるなら、氷は錬成するから任せて!干し肉も、錬金術ですぐ完成出来るから。何か必要な魔力があれば付帯するように作れるわよ。」
「本当か。それは助かる。氷も村の氷室蔵から買うと高いからな」
ユースティスも嬉しそう。
私の錬金術が人の役に立っている。
王立錬金術学園では、試験合格、良い成績をとるためだけの錬金術だったけど、ここにはもっと日常に密接した錬金術がある。
自分の役に立つ錬金術。誰かが喜んでくれる錬金術。
こうして――。
婚約破棄で王都を追放された悪役令嬢の私の辺境スローライフは、本当にのんびりまったりとはじまった。
自由を謳歌して、楽しい錬金術生活を満喫。
元勇者、そしてその娘と一緒に同じテーブルを囲んで、笑顔で美味しい料理を食べ、村の人達を元気にして、なおかつ三食昼寝&家政夫付きの追放生活。
後日、私を追放した元婚約者のクリストファーが、ミミの天然を通り越した非常識さやワガママさに嫌気がさして、復縁を迫ってきたけどお断りした件や、ユースティスを追放した新勇者パーティーが魔物に勝てず負けが続け、ユースティスの元にやってきて土下座せんばかりの勢いでパーティー復帰を懇願したけれど、当然のごとくお断りしたのは、また別のお話。
だって、まったり自由な辺境村生活は最高ですから。
ここが私の居るべき場所――私はこれからも楽しい人生を謳歌します。
(完)
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アンジュとユースティスはまったり結婚しそうですね?
どうなるんでしょう?^^もし今後連載にしたら考えたいと思います。
感想ありがとうございました。