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人の諍い猫のお昼寝春
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ひとのいさかい ねこのおひるね はる
毎日放送様の「プレバト!!」がきっかけの句。もちろん、夏井いつき先生の俳句査定コーナーです。
じゃんけんの手が写っている兼題写真を見て、勝負事、争い、と連想し、人が争って物々しいな、という情景を想像。ところが、その季節が春だったためか、猫があくびをしている長閑な様子も頭に浮かんできました。そこで、よし、その2つを対比させよう、と考えてできたのが、この句の元となった形です。
ちなみに、そのとき最初に浮かんだ形は、「人の争い猫のお昼寝春」。
今の形と比べると、「争い」が「諍い」に変わっただけです。そこを変えた理由にしても、俳句としてどうこうという問題ではなく、ウクライナ侵攻が起こってしまったからです。本物の戦争が起こっている中、この句で「争い」を使うことには抵抗を覚えました。
というのは、この句の場合、猫と対比させることで人の争いを茶化しているところがあるから。
もし私が争いごとそのものを題材にして、凄惨さや苦しさを真正面から描いていたのであれば、「争い」という言葉を使うことに抵抗はなかったのかもしれません。実際、この状況の中でも、バトルものの小説や漫画は読んでいますし。
でも、茶化してよいような争いというのは、そうした本物の争いとは違います。当事者がむきになっていても、少し離れたところからは笑って見ていられるような、どこか平和的な争いです。だから、私の中では区別をつけておきたかったのです。
そこで出てきたのが、「諍い」でした。
尚、「プレバト!!」でじゃんけんの兼題写真が放映されたのは、ウクライナ侵攻が起こる一年くらい前。俳句は元来即興の世界のはずなので、こんなに時間をかけて良いのか、という気もするのですが……
それはともかく、句の形そのものは、最初の段階でほぼできていたわけでして。
では、推敲を全くしていなかったのかというと、そういうわけでもないのです。対案を作って比較する、ということはやっていました。
その対案は、というと……
春うらら人は争い猫昼寝
お花見や人は争い猫昼寝
桜の木人は争い猫昼寝
人争い猫はお昼寝春の風
人競い猫はお昼寝春の風
これくらいです。次回以降お見せする予定の句に比べると、明らかに少ないです。
少ない理由は、もともと、季語が「春」だけで済んでいたから。これに「の風」を付けたとしても、意味がありません。こういうのは、風に対して失礼。
「うらら」も同じで、それどころか、うららかな情景であることは猫が昼寝していることで表現できています。
「お花見」や「桜の木」に至っては、無理矢理付け替えただけ。
そんなわけで、どう足掻いても最初の印象を超えられないというか、手を付ければ付けるほど悪くなっていくような気がしていました。おそらく、そのせいで、対案の作成にも積極的になれなかったのだと思います。
その一方で、今回は発見もありました。
何故、今回の句では、季語が「春」の一文字で十分だったのか。こう考えたときに出てきた答えが、しょうもないことで人が争うのも春らしいことだから、というものでした。だからこそ、「こういうのも春らしいよね」という意味で「春」を付ければ十分だったのです。
つまり、「その季節らしいもの」を見つけ、その季節の名前を書き足せば、それだけで詩になる、ということ。
反対に、既に季語になっている言葉については、「こういうのもその季節らしいよね」と言う余地が残っていません。その季節らしい存在だということが、既に知れ渡っているからです。だからこそ、季語を使って句を作るときは、その季語と取り合わせる何かを探さなければならないわけです。
もしかしたら、季語が季語として認知される前の時代ならば、「こういうのもこの季節らしい」のタイプの俳句も作れたのかもしれません。例えば、「桃色の花が木に咲き誇る春」と詠んだ場合、現代人には「それ桜のことだろ」で一蹴されてしまいますが、桜という概念が確立する前くらいの大昔であれば「あー、その光景見たことある、確かに春っぽい」なんて感動してもらえたのかも。
……と、妄想が変な方向に行き過ぎてしまいましたが。
こんな風にいろいろ考えられるのも、日常に余裕があるからなんでしょうね。
人も猫も平和に暮らせる日が、一日でも早く来ますように。
毎日放送様の「プレバト!!」がきっかけの句。もちろん、夏井いつき先生の俳句査定コーナーです。
じゃんけんの手が写っている兼題写真を見て、勝負事、争い、と連想し、人が争って物々しいな、という情景を想像。ところが、その季節が春だったためか、猫があくびをしている長閑な様子も頭に浮かんできました。そこで、よし、その2つを対比させよう、と考えてできたのが、この句の元となった形です。
ちなみに、そのとき最初に浮かんだ形は、「人の争い猫のお昼寝春」。
今の形と比べると、「争い」が「諍い」に変わっただけです。そこを変えた理由にしても、俳句としてどうこうという問題ではなく、ウクライナ侵攻が起こってしまったからです。本物の戦争が起こっている中、この句で「争い」を使うことには抵抗を覚えました。
というのは、この句の場合、猫と対比させることで人の争いを茶化しているところがあるから。
もし私が争いごとそのものを題材にして、凄惨さや苦しさを真正面から描いていたのであれば、「争い」という言葉を使うことに抵抗はなかったのかもしれません。実際、この状況の中でも、バトルものの小説や漫画は読んでいますし。
でも、茶化してよいような争いというのは、そうした本物の争いとは違います。当事者がむきになっていても、少し離れたところからは笑って見ていられるような、どこか平和的な争いです。だから、私の中では区別をつけておきたかったのです。
そこで出てきたのが、「諍い」でした。
尚、「プレバト!!」でじゃんけんの兼題写真が放映されたのは、ウクライナ侵攻が起こる一年くらい前。俳句は元来即興の世界のはずなので、こんなに時間をかけて良いのか、という気もするのですが……
それはともかく、句の形そのものは、最初の段階でほぼできていたわけでして。
では、推敲を全くしていなかったのかというと、そういうわけでもないのです。対案を作って比較する、ということはやっていました。
その対案は、というと……
春うらら人は争い猫昼寝
お花見や人は争い猫昼寝
桜の木人は争い猫昼寝
人争い猫はお昼寝春の風
人競い猫はお昼寝春の風
これくらいです。次回以降お見せする予定の句に比べると、明らかに少ないです。
少ない理由は、もともと、季語が「春」だけで済んでいたから。これに「の風」を付けたとしても、意味がありません。こういうのは、風に対して失礼。
「うらら」も同じで、それどころか、うららかな情景であることは猫が昼寝していることで表現できています。
「お花見」や「桜の木」に至っては、無理矢理付け替えただけ。
そんなわけで、どう足掻いても最初の印象を超えられないというか、手を付ければ付けるほど悪くなっていくような気がしていました。おそらく、そのせいで、対案の作成にも積極的になれなかったのだと思います。
その一方で、今回は発見もありました。
何故、今回の句では、季語が「春」の一文字で十分だったのか。こう考えたときに出てきた答えが、しょうもないことで人が争うのも春らしいことだから、というものでした。だからこそ、「こういうのも春らしいよね」という意味で「春」を付ければ十分だったのです。
つまり、「その季節らしいもの」を見つけ、その季節の名前を書き足せば、それだけで詩になる、ということ。
反対に、既に季語になっている言葉については、「こういうのもその季節らしいよね」と言う余地が残っていません。その季節らしい存在だということが、既に知れ渡っているからです。だからこそ、季語を使って句を作るときは、その季語と取り合わせる何かを探さなければならないわけです。
もしかしたら、季語が季語として認知される前の時代ならば、「こういうのもこの季節らしい」のタイプの俳句も作れたのかもしれません。例えば、「桃色の花が木に咲き誇る春」と詠んだ場合、現代人には「それ桜のことだろ」で一蹴されてしまいますが、桜という概念が確立する前くらいの大昔であれば「あー、その光景見たことある、確かに春っぽい」なんて感動してもらえたのかも。
……と、妄想が変な方向に行き過ぎてしまいましたが。
こんな風にいろいろ考えられるのも、日常に余裕があるからなんでしょうね。
人も猫も平和に暮らせる日が、一日でも早く来ますように。
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