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双六やシュレディンガーの猫いずこ
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すごろくや しゅれでぃんがあの ねこいずこ
ライトノベルやネット小説に親しんだ方なら「シュレディンガーの猫」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。今回はそのシュレディンガーの猫を題材にしてみました。
……現実の猫の話ではないのですが、一回何かで採りあげてみたかったんですよね。まさか俳句で使うとは思ってもいませんでしたが。
このシュレディンガーの猫、一体何の話なのかさっぱり、という人も多いと思います。私自身、長年の間、何の話なのか全然理解できませんでした。
「箱の中の猫は正体不明の霧状態」とか、「存在しているのかどうかすら不明な存在」とかいったことは聞いたことがあるのですが、一体何の話なのやら、と。
つたない理解で無理矢理つじつまを合わせていた頃は、「箱の中に猫がいると、どの位置に耳が合ってどの位置にしっぽがあるのかは箱を開けてみないと分からないから、この位置に耳がある確率何パーセント、この位置にしっぽがある確率何パーセント、そうやってどこに何が存在するかを確率で描いていくと猫の形にはならず霧のようなモヤモヤした形にしかならない、という話なんじゃないか」なんて考えていたこともありました。
ですが、後に、ある程度調べてみて、こういうことだったのかな、と納得できまして。
多分誤解もあるかもですが、私なりに理解したことを書いてみると、こんなことです。
まず、学者さんたちの世界では、新しい考え方が生まれたときに、「そんな馬鹿なことがあるか」と批判が起こることもあるそうでして。
アインシュタインが相対性理論を発表したときも、そんな風に批判されたのだそうです。光さえも出られないようなブラックホールなんてあるはずがないだろう、と。
そしてシュレディンガーの猫は、こうした批判する側の主張の一つなのだそうで。
量子力学、という学問が提唱されたときに、「そんな馬鹿なことがあるか」という文脈で、シュレディンガーという人物が批判として語ったことなのだそうです。
その批判の内容は、こう(くどいようですが、私なり理解で書いています)。
まず、50パーセントの確率で猫が死ぬ装置を作り、その装置と猫を箱の中に入れて蓋をした、と想定します(あくまで想定上の話です。シュレディンガーがそんな装置を実際に作った、とは聞いていません)
すると、箱の中では、猫が生きている状態か、猫が死んでいる状態か、どちらかの状態が存在しているはずです。
ですが、量子力学の考え方を取り入れると、この結論は違うことになるそうでして。
シュレディンガー曰く、量子力学の考え方だと、猫が生きている状態と猫が死んでいる状態が同時に存在していて、そのどちらになるかは人が箱のふたを開けて中身を見たときに確定する、ということになってしまうそうです。
だけどそんなことはあり得ない、だから量子力学はそもそもおかしい、というのがこの話の繋がるところなのだそうでして。
要は、「観測するまで物事は確定しない」という量子力学の考え方を批判するものだったんですね。
ちなみにこの話がややこしくなってしまうのは、正確に説明しようとすると「原子崩壊」という現象まで言わなければならなくなるからです。
シュレディンガーが想定する、50パーセントの確率で猫が死ぬ装置の中に、原子の崩壊を利用した仕組みが組み込まれているんですね……
量子力学に対する批判に対しては、「量子力学はそもそも原子のようなミクロな世界を扱うもので、人間の目に見えるようなマクロな世界の話で批判するのはおかしい」という反論があるそうでして、シュレディンガーの説明はこの反論に備えたものらしいのですが。
ともあれ、確率で決まる物事に関して、人が観測するまで中身が確定していないのか、それとも人が観測する前から中身は確定しているのか。
この辺りは、日常目にする「確率に支配されているもの」も、2通りに分かれるのではないか、と思ったところです。
例えば、神社のおみくじ。あれ、箱から抜き取ったものにどの運勢が載っているのかは、おみくじを開いて中身を見る前から決まってますよね。
おみくじの箱の中のどの位置に大吉があるのかも、人間が手に取る前から決まっているはず。こういうのは「観測する前から確定している」世界の話。
一方で、オンラインゲームのガチャ。あちらは人間が「ガチャを回す」のボタンを押すまで中身は確定していないはずです。こちらは「観測して初めて確定する」世界の話だと言えます。
そんな風に考えていたら、次の2つ句が作れました。
おみくじやシュレディンガーの猫とガチャ
大吉やシュレディンガーの猫とガチャ
おみくじも大吉も、シュレディンガーの批判通りの世界なのです。対してガチャは、量子力学的な説明が成り立つ世界。
この世の確率論はこの2つの世界に支配されています。
……なのですが、ここ、俳句としてはミスがありまして。
意外なことに、「おみくじ」も「大吉」も、歳時記には季語として載っていないのです。まあ、そう言われて考えてみれば、おみくじは一年中引けるものですからね。
というわけで、「おみくじ」に変わる季語を探しました。季語の中で確率に支配されているもの。
そんなのあるのか、と思ったらありました。「双六」です。
……前回に引き続き新年の季語になってしまいましたが、ここからは「双六」で推敲を進めてみることにしました。その過程がこちら。
双六やシュレディンガーの猫とガチャ
おみくじすごろくシュレディンガーの猫
双六の出目やシュレディンガーの猫
双六やシュレディンガーの猫の謎
双六やシュレディンガーの猫いかに
双六やシュレディンガーの猫の意味
双六やシュレディンガーの猫いずこ
双六やシュレディンガーの猫問われ
双六やシュレディンガーの猫聞かれ
双六やシュレディンガーの猫はてな
双六やシュレディンガーの猫ザラキ
双六や猫はどうなるシュレディンガー
双六や猫の読めなさシュレディンガー
双六や猫はどこなのシュレディンガー
双六や隠れた猫とシュレディンガー
双六や隠れる猫とシュレディンガー
双六や猫はどこかなシュレディンガー
今回はシュレディンガーの猫の説明に文字数を使ってしまったので、推敲過程の説明は大雑把になってしまうのですが……
まず、最初の「双六やシュレディンガーの猫とガチャ」。こちらは単に季語を入れ替えたものです。
2つめの「おみくじすごろくシュレディンガーの猫」は破調前提で作ったもの。「おみくじすごろく」と「シュレディンガーの猫」を対比させているつもりです。が、これだと何のことがよく分からない句に。
3つめの「双六の出目やシュレディンガーの猫」はサイコロの出目は振ってみるまで確定しないという意味で作ってみたものなのですが、双六ならサイコロは当然連想されるものなので「の出目」が完全な無駄でした。
4つ目以降は、「双六やシュレディンガーの猫〇〇〇」の形が続きます。これらは、「の出目」に代わる3音を模索する中で出来た形です。
「~はてな」までは、シュレディンガーの猫って何なんだろう、という理解できない様子を詠んでいます。「聞かれ」や「問われ」は、双六を一緒に遊んでいる小さい子から「ねえおじちゃん、シュレディンガーの猫って何?」と聞かれて分からずに困っている情景を想定しました。
そしてこの形の最後「~ザラキ」は、言わずと知れたドラクエシリーズの即死呪文ザラキのことです。あの呪文も、効くかどうかは確率の世界、そして結果は前から決まっているわけではありませんからね……はい。変なことしました。ちなみにより確率の高い「ザキ」にしなかったのは単に音数の都合からです。
その後、「双六や猫はどうなるシュレディンガー」以下は、「猫」と「シュレディンガー」が句のなかのどこかに入っていれば2つを続けて書かなくても分かるのでは、という判断から来たものです。
この形だと、双六をお客さんと遊んでいる間猫が隠れてしまっている、ということも含意できるかなと考えました。「隠れる」などの言葉が出てきたのはそのためです。
「読めなさ」は猫の行動は予測がつかない、その意味で観測するまで確定しない、というつもりで作ってみたのですが、その路線は無理がありましたね……
そしてここまで考えたことで、「双六やシュレディンガーの猫いずこ」の別の可能性に気付きました。
この形だと、猫がどこかに隠れた、という意味にはできないのですが、さっきまで話していたシュレディンガーの猫の話題はどこに行ったの、という意味を込めることができるのです。込める、というか、そういう意味に誤読されても文句言えない、ということなのですが……
ですが、情景として考えたらそれもありでした。
新年早々なにやら難しい話をしていたんだけれど、お正月の雰囲気の中でどこかへ飛んで行った、でも確率が出てくる双六を遊んでみたらその話題をしていたことを思い出した、という感じで。
そんなわけで、今回はなにやらよく分からない句になってしまいましたが……
考えてみれば、俳句も、推敲しながら作ってみて観測してみないと行く末が分からないということがありますね。俳句の世界は量子力学寄りだったのかもしれません……
ライトノベルやネット小説に親しんだ方なら「シュレディンガーの猫」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。今回はそのシュレディンガーの猫を題材にしてみました。
……現実の猫の話ではないのですが、一回何かで採りあげてみたかったんですよね。まさか俳句で使うとは思ってもいませんでしたが。
このシュレディンガーの猫、一体何の話なのかさっぱり、という人も多いと思います。私自身、長年の間、何の話なのか全然理解できませんでした。
「箱の中の猫は正体不明の霧状態」とか、「存在しているのかどうかすら不明な存在」とかいったことは聞いたことがあるのですが、一体何の話なのやら、と。
つたない理解で無理矢理つじつまを合わせていた頃は、「箱の中に猫がいると、どの位置に耳が合ってどの位置にしっぽがあるのかは箱を開けてみないと分からないから、この位置に耳がある確率何パーセント、この位置にしっぽがある確率何パーセント、そうやってどこに何が存在するかを確率で描いていくと猫の形にはならず霧のようなモヤモヤした形にしかならない、という話なんじゃないか」なんて考えていたこともありました。
ですが、後に、ある程度調べてみて、こういうことだったのかな、と納得できまして。
多分誤解もあるかもですが、私なりに理解したことを書いてみると、こんなことです。
まず、学者さんたちの世界では、新しい考え方が生まれたときに、「そんな馬鹿なことがあるか」と批判が起こることもあるそうでして。
アインシュタインが相対性理論を発表したときも、そんな風に批判されたのだそうです。光さえも出られないようなブラックホールなんてあるはずがないだろう、と。
そしてシュレディンガーの猫は、こうした批判する側の主張の一つなのだそうで。
量子力学、という学問が提唱されたときに、「そんな馬鹿なことがあるか」という文脈で、シュレディンガーという人物が批判として語ったことなのだそうです。
その批判の内容は、こう(くどいようですが、私なり理解で書いています)。
まず、50パーセントの確率で猫が死ぬ装置を作り、その装置と猫を箱の中に入れて蓋をした、と想定します(あくまで想定上の話です。シュレディンガーがそんな装置を実際に作った、とは聞いていません)
すると、箱の中では、猫が生きている状態か、猫が死んでいる状態か、どちらかの状態が存在しているはずです。
ですが、量子力学の考え方を取り入れると、この結論は違うことになるそうでして。
シュレディンガー曰く、量子力学の考え方だと、猫が生きている状態と猫が死んでいる状態が同時に存在していて、そのどちらになるかは人が箱のふたを開けて中身を見たときに確定する、ということになってしまうそうです。
だけどそんなことはあり得ない、だから量子力学はそもそもおかしい、というのがこの話の繋がるところなのだそうでして。
要は、「観測するまで物事は確定しない」という量子力学の考え方を批判するものだったんですね。
ちなみにこの話がややこしくなってしまうのは、正確に説明しようとすると「原子崩壊」という現象まで言わなければならなくなるからです。
シュレディンガーが想定する、50パーセントの確率で猫が死ぬ装置の中に、原子の崩壊を利用した仕組みが組み込まれているんですね……
量子力学に対する批判に対しては、「量子力学はそもそも原子のようなミクロな世界を扱うもので、人間の目に見えるようなマクロな世界の話で批判するのはおかしい」という反論があるそうでして、シュレディンガーの説明はこの反論に備えたものらしいのですが。
ともあれ、確率で決まる物事に関して、人が観測するまで中身が確定していないのか、それとも人が観測する前から中身は確定しているのか。
この辺りは、日常目にする「確率に支配されているもの」も、2通りに分かれるのではないか、と思ったところです。
例えば、神社のおみくじ。あれ、箱から抜き取ったものにどの運勢が載っているのかは、おみくじを開いて中身を見る前から決まってますよね。
おみくじの箱の中のどの位置に大吉があるのかも、人間が手に取る前から決まっているはず。こういうのは「観測する前から確定している」世界の話。
一方で、オンラインゲームのガチャ。あちらは人間が「ガチャを回す」のボタンを押すまで中身は確定していないはずです。こちらは「観測して初めて確定する」世界の話だと言えます。
そんな風に考えていたら、次の2つ句が作れました。
おみくじやシュレディンガーの猫とガチャ
大吉やシュレディンガーの猫とガチャ
おみくじも大吉も、シュレディンガーの批判通りの世界なのです。対してガチャは、量子力学的な説明が成り立つ世界。
この世の確率論はこの2つの世界に支配されています。
……なのですが、ここ、俳句としてはミスがありまして。
意外なことに、「おみくじ」も「大吉」も、歳時記には季語として載っていないのです。まあ、そう言われて考えてみれば、おみくじは一年中引けるものですからね。
というわけで、「おみくじ」に変わる季語を探しました。季語の中で確率に支配されているもの。
そんなのあるのか、と思ったらありました。「双六」です。
……前回に引き続き新年の季語になってしまいましたが、ここからは「双六」で推敲を進めてみることにしました。その過程がこちら。
双六やシュレディンガーの猫とガチャ
おみくじすごろくシュレディンガーの猫
双六の出目やシュレディンガーの猫
双六やシュレディンガーの猫の謎
双六やシュレディンガーの猫いかに
双六やシュレディンガーの猫の意味
双六やシュレディンガーの猫いずこ
双六やシュレディンガーの猫問われ
双六やシュレディンガーの猫聞かれ
双六やシュレディンガーの猫はてな
双六やシュレディンガーの猫ザラキ
双六や猫はどうなるシュレディンガー
双六や猫の読めなさシュレディンガー
双六や猫はどこなのシュレディンガー
双六や隠れた猫とシュレディンガー
双六や隠れる猫とシュレディンガー
双六や猫はどこかなシュレディンガー
今回はシュレディンガーの猫の説明に文字数を使ってしまったので、推敲過程の説明は大雑把になってしまうのですが……
まず、最初の「双六やシュレディンガーの猫とガチャ」。こちらは単に季語を入れ替えたものです。
2つめの「おみくじすごろくシュレディンガーの猫」は破調前提で作ったもの。「おみくじすごろく」と「シュレディンガーの猫」を対比させているつもりです。が、これだと何のことがよく分からない句に。
3つめの「双六の出目やシュレディンガーの猫」はサイコロの出目は振ってみるまで確定しないという意味で作ってみたものなのですが、双六ならサイコロは当然連想されるものなので「の出目」が完全な無駄でした。
4つ目以降は、「双六やシュレディンガーの猫〇〇〇」の形が続きます。これらは、「の出目」に代わる3音を模索する中で出来た形です。
「~はてな」までは、シュレディンガーの猫って何なんだろう、という理解できない様子を詠んでいます。「聞かれ」や「問われ」は、双六を一緒に遊んでいる小さい子から「ねえおじちゃん、シュレディンガーの猫って何?」と聞かれて分からずに困っている情景を想定しました。
そしてこの形の最後「~ザラキ」は、言わずと知れたドラクエシリーズの即死呪文ザラキのことです。あの呪文も、効くかどうかは確率の世界、そして結果は前から決まっているわけではありませんからね……はい。変なことしました。ちなみにより確率の高い「ザキ」にしなかったのは単に音数の都合からです。
その後、「双六や猫はどうなるシュレディンガー」以下は、「猫」と「シュレディンガー」が句のなかのどこかに入っていれば2つを続けて書かなくても分かるのでは、という判断から来たものです。
この形だと、双六をお客さんと遊んでいる間猫が隠れてしまっている、ということも含意できるかなと考えました。「隠れる」などの言葉が出てきたのはそのためです。
「読めなさ」は猫の行動は予測がつかない、その意味で観測するまで確定しない、というつもりで作ってみたのですが、その路線は無理がありましたね……
そしてここまで考えたことで、「双六やシュレディンガーの猫いずこ」の別の可能性に気付きました。
この形だと、猫がどこかに隠れた、という意味にはできないのですが、さっきまで話していたシュレディンガーの猫の話題はどこに行ったの、という意味を込めることができるのです。込める、というか、そういう意味に誤読されても文句言えない、ということなのですが……
ですが、情景として考えたらそれもありでした。
新年早々なにやら難しい話をしていたんだけれど、お正月の雰囲気の中でどこかへ飛んで行った、でも確率が出てくる双六を遊んでみたらその話題をしていたことを思い出した、という感じで。
そんなわけで、今回はなにやらよく分からない句になってしまいましたが……
考えてみれば、俳句も、推敲しながら作ってみて観測してみないと行く末が分からないということがありますね。俳句の世界は量子力学寄りだったのかもしれません……
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