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プロローグ
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幽かな月明かりが、魔城を照らしていた。城と呼ぶにはあまりに禍々しく巨大で、あちこちからでたらめに尖塔が突き出している。
そのひとつから、月夜に踊り出る影があった。黒色の翼で羽ばたく、若い男。頭から生えた二本の角も、髪も、身に着けた装束も、全て塗り固めたような漆黒。ただ、瞳だけが紅く爛々と輝いていた。
「はははははっ、余の旅立ちには相応しい夜だ」
月光を浴び楽しげに哄笑を上げながら飛ぶ男に、追いすがる影がもうひとつあった。
「お待ちくださーい、サーガムさまぁー」
後方から必死に呼びかけるのは、燕尾服を着た小柄な少年だった。小ぶりな翼を小刻みにはためかせ、短い角が一本、髪の間からちょこんと顔を覗かせている。
「止めても無駄だぞ、エルタ。余は今宵、旅立つと決めたのだ」
サーガムと呼ばれた魔族の男は速度を緩め、少年――エルタに並ぶと決然と告げた。たとえ長年尽くしてくれた腹心の進言といえど、受け入れるつもりはない。
「分かっております。サーガム様が一度言い出したら聞かないことは、ご幼少よりお使えしております、わたくしが一番よーく存じておりますので」
口を尖らせて少し恨みがましく言うエルタに――多少思い当たることはあったがそれは無視して――サーガムはフンと鼻を鳴らした。
「余人の言葉などに惑わされてどうする。余の進むべき道を決めるのは、余自身よ」
「そのお考えは、魔王様のご嫡男としてご立派なのですが・・・・・・」
サーガムの言に、エルタが心底残念そうな表情を浮かべ口ごもる。
「魔界の皇太子としての身分は、今日限り捨てた! エルタ、貴様も余に付き従う謂れはないのだぞ」
サーガムは大仰な身振りでそう宣言したが、エルタは弾かれたように首を振って見せた。
「なにを仰られますか。このエルタの主は、サーガム様ただおひとり。それは、これまでもこれからも変わりません。わたくしは何処までも付き従い、サーガム様のお側にお使え致します」
「そうか、ならば好きにするがよい」
素っ気なくそう答えたが、サーガムは内心この従者の忠義を嬉しく思った。
「この辺りでよかろう」
サーガムは移動を止め、空中で静止した。それに合わせてエルタも立ち止まる。もとより、これから行うことに場所は関係なかった。どこでもいい。ただ、余計な邪魔が入る可能性もあったため城から離れたに過ぎない。
「本当に参られるのですか、人間界に?」
エルタが不安気に確認をしてくる。もちろん、人間界が恐ろしいのではあるまい。サーガムの父である魔王が禁忌としていることを犯すことが、恐ろしいのだろう。
「無論だ。余は、勇者となるのだ。そのためにはまずもって、人の地に降り立たぬわけにはいくまい」
幼い頃、偶然拾った人間界の書物。冒険譚。そこに書かれた勇者という存在が、彼を虜にした。人間界の物品を取り扱う商人から買い集め、読み耽った。そして、いつしかその眩しき存在になりたいと――いや、なるのだと決意したのだった。
「さあ、これより余の物語が始まるのだ!」
腰に差した剣の、歪な形の柄に手を掛ける。古の昔、魔の者と人の住まう地はひとつであったという。だが、力ある魔族がか弱き人間を隷属させたため、神なる存在が世界を写し、一方を魔界、一方を人間界と定め、互いに行き来でできぬ表裏の位置に置いたのだと。
しかし、完全にふたつの世界が断絶した訳ではない。稀に揺らぎのように綻びが生まれ、あちらとこちらが一時的に繋がることがあったし、強力な呪術や魔具によって、無理やり入口をこじ開けることも可能だった。サーガムの持つ魔剣ケイオスも、そのひとつである。
「はぁっ!」
気合とともに抜き放った闇色の刃を、なにもない虚空に振るう。やや遅れて空間が皮のように裂け、捲れた先に陽を浴びた輝く景色が姿を覗かせた。
「おおっ、あれぞまさしく人間界。いざ行かん、我が冒険の舞台へ!」
サーガムは胸の高鳴りに任せ、裂け目の中に飛び込んだ。
「あっ、お待ち下さい、サーガム様ぁ」
すぐにエルタも後に続いて来る。
次元を超えた先では、月光ではなく陽光が燦々と降り注いでいた。魔界と人間界では昼夜が逆転しているという情報通りだ。
見下ろした地上には鬱蒼とした森林――といっても魔界の無軌道な植物と比べれば庭師に整えられたように見える――が広がっている。聞こえてくるのは魔獣の咆哮ではなく、鳥のさえずりだ。
「ふっ、これが人の世界か。なかなかに心地よいではないか」
サーガムは、感慨深く息を深く吸った。と、エルタが口を挟んでくる。
「そうでしょうか? 昼間とはいえ陽の光が強すぎますし、わたくしはなんだか落ち着きません」
確かに魔界の太陽よりも眩しいように感じるが、魔族だからといって陽の光のもとにかき消えるわけではない。直に慣れるだろう。
そんなことを考えていると、空間の裂け目が徐々に塞がり始めた。特別な手立てがなければ、一度開いた穴もこうしてほどなくして修復されてしまうのだ。
「あぁ……」
完全に消えた穴のあった場所を見つめエルタは深妙な表情をしたが、サーガムには微塵の未練もなかった。
「さて、まず向かうべきは――」
懐から人間界の地図を取り出して広げる。写しである魔界と人間界は、地形もほぼ共通している。そこからおおよその現在位置は割り出せた。
「ふむ、手近なのはここか」
ひとりごちて地図をしまうと、サーガムは翼を羽ばたかせて素早く移動を開始した。
「ど、どこへ向かわれるのですか? サーガム様ぁ、ちゃんと教えてくださいよぉ!」
背後から微かにエルタの声が聞こえたが、速度を落としはしない――いや、落とすことができない。ずっと、ずっと、長い間思い描いていた。この時が来るのを。
「待たせたな、人間どもよ。余が貴様らを救ってやろう、勇者としてな」
はははははっ、というサーガムの笑い声が、人間界の空に長く響き渡った。
そのひとつから、月夜に踊り出る影があった。黒色の翼で羽ばたく、若い男。頭から生えた二本の角も、髪も、身に着けた装束も、全て塗り固めたような漆黒。ただ、瞳だけが紅く爛々と輝いていた。
「はははははっ、余の旅立ちには相応しい夜だ」
月光を浴び楽しげに哄笑を上げながら飛ぶ男に、追いすがる影がもうひとつあった。
「お待ちくださーい、サーガムさまぁー」
後方から必死に呼びかけるのは、燕尾服を着た小柄な少年だった。小ぶりな翼を小刻みにはためかせ、短い角が一本、髪の間からちょこんと顔を覗かせている。
「止めても無駄だぞ、エルタ。余は今宵、旅立つと決めたのだ」
サーガムと呼ばれた魔族の男は速度を緩め、少年――エルタに並ぶと決然と告げた。たとえ長年尽くしてくれた腹心の進言といえど、受け入れるつもりはない。
「分かっております。サーガム様が一度言い出したら聞かないことは、ご幼少よりお使えしております、わたくしが一番よーく存じておりますので」
口を尖らせて少し恨みがましく言うエルタに――多少思い当たることはあったがそれは無視して――サーガムはフンと鼻を鳴らした。
「余人の言葉などに惑わされてどうする。余の進むべき道を決めるのは、余自身よ」
「そのお考えは、魔王様のご嫡男としてご立派なのですが・・・・・・」
サーガムの言に、エルタが心底残念そうな表情を浮かべ口ごもる。
「魔界の皇太子としての身分は、今日限り捨てた! エルタ、貴様も余に付き従う謂れはないのだぞ」
サーガムは大仰な身振りでそう宣言したが、エルタは弾かれたように首を振って見せた。
「なにを仰られますか。このエルタの主は、サーガム様ただおひとり。それは、これまでもこれからも変わりません。わたくしは何処までも付き従い、サーガム様のお側にお使え致します」
「そうか、ならば好きにするがよい」
素っ気なくそう答えたが、サーガムは内心この従者の忠義を嬉しく思った。
「この辺りでよかろう」
サーガムは移動を止め、空中で静止した。それに合わせてエルタも立ち止まる。もとより、これから行うことに場所は関係なかった。どこでもいい。ただ、余計な邪魔が入る可能性もあったため城から離れたに過ぎない。
「本当に参られるのですか、人間界に?」
エルタが不安気に確認をしてくる。もちろん、人間界が恐ろしいのではあるまい。サーガムの父である魔王が禁忌としていることを犯すことが、恐ろしいのだろう。
「無論だ。余は、勇者となるのだ。そのためにはまずもって、人の地に降り立たぬわけにはいくまい」
幼い頃、偶然拾った人間界の書物。冒険譚。そこに書かれた勇者という存在が、彼を虜にした。人間界の物品を取り扱う商人から買い集め、読み耽った。そして、いつしかその眩しき存在になりたいと――いや、なるのだと決意したのだった。
「さあ、これより余の物語が始まるのだ!」
腰に差した剣の、歪な形の柄に手を掛ける。古の昔、魔の者と人の住まう地はひとつであったという。だが、力ある魔族がか弱き人間を隷属させたため、神なる存在が世界を写し、一方を魔界、一方を人間界と定め、互いに行き来でできぬ表裏の位置に置いたのだと。
しかし、完全にふたつの世界が断絶した訳ではない。稀に揺らぎのように綻びが生まれ、あちらとこちらが一時的に繋がることがあったし、強力な呪術や魔具によって、無理やり入口をこじ開けることも可能だった。サーガムの持つ魔剣ケイオスも、そのひとつである。
「はぁっ!」
気合とともに抜き放った闇色の刃を、なにもない虚空に振るう。やや遅れて空間が皮のように裂け、捲れた先に陽を浴びた輝く景色が姿を覗かせた。
「おおっ、あれぞまさしく人間界。いざ行かん、我が冒険の舞台へ!」
サーガムは胸の高鳴りに任せ、裂け目の中に飛び込んだ。
「あっ、お待ち下さい、サーガム様ぁ」
すぐにエルタも後に続いて来る。
次元を超えた先では、月光ではなく陽光が燦々と降り注いでいた。魔界と人間界では昼夜が逆転しているという情報通りだ。
見下ろした地上には鬱蒼とした森林――といっても魔界の無軌道な植物と比べれば庭師に整えられたように見える――が広がっている。聞こえてくるのは魔獣の咆哮ではなく、鳥のさえずりだ。
「ふっ、これが人の世界か。なかなかに心地よいではないか」
サーガムは、感慨深く息を深く吸った。と、エルタが口を挟んでくる。
「そうでしょうか? 昼間とはいえ陽の光が強すぎますし、わたくしはなんだか落ち着きません」
確かに魔界の太陽よりも眩しいように感じるが、魔族だからといって陽の光のもとにかき消えるわけではない。直に慣れるだろう。
そんなことを考えていると、空間の裂け目が徐々に塞がり始めた。特別な手立てがなければ、一度開いた穴もこうしてほどなくして修復されてしまうのだ。
「あぁ……」
完全に消えた穴のあった場所を見つめエルタは深妙な表情をしたが、サーガムには微塵の未練もなかった。
「さて、まず向かうべきは――」
懐から人間界の地図を取り出して広げる。写しである魔界と人間界は、地形もほぼ共通している。そこからおおよその現在位置は割り出せた。
「ふむ、手近なのはここか」
ひとりごちて地図をしまうと、サーガムは翼を羽ばたかせて素早く移動を開始した。
「ど、どこへ向かわれるのですか? サーガム様ぁ、ちゃんと教えてくださいよぉ!」
背後から微かにエルタの声が聞こえたが、速度を落としはしない――いや、落とすことができない。ずっと、ずっと、長い間思い描いていた。この時が来るのを。
「待たせたな、人間どもよ。余が貴様らを救ってやろう、勇者としてな」
はははははっ、というサーガムの笑い声が、人間界の空に長く響き渡った。
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