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汪楓白、人生初の悪所落ちするの巻
其の四
しおりを挟む「劫初内暮らしの頃は、よく一緒に遊んだものよ。私と哥さんたちと……実はもう一人いたの。仲のいい幼馴染みがね。とにかく、劉哥さんと彪哥さんが、毎日遊んでくれたから、私はとても楽しかったし、幸せだったわ。だけど、あの日……宮内大臣附き少傳だった私の父が、六官吟味方だった劉哥さんの父上によって、大規模な疑獄事件を告発され失脚し、左右衛大臣だった彪哥さんの父上によって、処刑され……なにもかもが変わってしまった」
宮内大臣附き少傳!?
六官吟味方!?
左右衛士大臣!?
す、凄い! 出て来るメンツの役職も凄いけど……神々廻道士の父親が六官吟味方だったってのも凄いけど……いや、なにより雁萩太夫たちの身に、そんな悲劇的事件が降りかかってたなんて……ん? 待てよ?
そう云えば先輩の文官から、聞いたことがあるぞ!
十数年前に、宮内大臣の側近が起こした疑獄事件の経緯……でも、それは確か……。
「だけど、その事件、実は宮内大臣の謀略だったって噂が……いえ、噂とはいえ、かなり信憑性の高い話だって、先輩が云ってましたよ? ただ、相変わらず宮内大臣は朝廷を仕切ってますし……下手に騒ぐのは危険だから、みんな口を閉ざしてるんだと思いますけど」
なにげなく、そう云った僕の顔を、雁萩太夫は注視し、ハッと息を呑んだ。
「あなた……劫初内の役人なの!?」
「はい……と云っても、一番下っ端の文官でしたし、今はもう、ちがいますけどね」
「嫌だ……こんなこと、話すんじゃなかったわ……」
雁萩太夫は立ち上がり、僕の方を睨んだまま、落ち着かぬ様子で、室内を歩き始めた。
えぇえ!? だって……こんな中途半端でやめられたら、それこそ困るよ!
「で、でも! ここまで話しちゃったんですから、最後まで往きましょうよ! 興味本位ってワケじゃないですけど、ここでやめられたら、気になって、不眠症になりそうです!」
僕は必死になって、汗だくになって、泪目になって、雁萩太夫を説き伏せようとした。
そんな僕の情けない態度が、かえって奏功したようで、雁萩太夫は、しばし思案にふけったのち、『仕方ないわね』と云った表情で、元の籐椅子へ戻り、腰を下ろしてくれた。
「……いいわ。あなたが、私たちを調べに来た密偵じゃないってことは、信じてあげる」
「はい?」
僕は一瞬、彼女のセリフの意味が判らず、キョトンと首をかしげてしまった。それも結果的にはよかったようで、雁萩太夫はようやく穏やかな微笑をたたえ、昔話を再開した。
「続けるわよ」
「お願いします」
「あなたも役人だったなら、知ってると思うけど、事件を起こして【劫初内】を追放された罪人の家族が、どんな末路をたどるのか……母上さまは、幼い私を食べさせていくため、体が弱いのに無理して働いたせいで、流行病にかかり、呆気なく死んでしまったわ。そして残された私も、罪人の娘として、この遊郭へ売り飛ばされ……一生飼い殺しにされる運命なのよ。私には、破格の二千万螺宜なんて、身請け金がかけられてるし、それじゃあ劫初内の大臣級だって、なかなか手が出せないわよね。父上さまが汚職のすえに受け取った金も、それくらいだったんだって……だけど、私には到底、信じられない! あの優しくて、誰にでも愛されて、公明正大で、謹厳実直だった父が、そんなこと……絶対に……」
な、なんて、酷いこと……啊、案の定、雁萩太夫の表情は、どんどん曇っていく。僕は無理に話を聞き出したことを、だんだん後悔し始めていたが、最早どうにもならなかった。
雁萩太夫は、うつむきがちに言葉をつむぐ。
「なのに、劉哥さんと来たら……そもそも、あの人の御父上が、私の父を告発しなければ、こんなことにはならなかったのに、まるで何事もなかったかのように、平気な顔して、ちょくちょくここを訪れて……かといって、私を部屋に揚げるでもなく、いつも白菊太夫ばかり! あんな拝金主義の女狐、どこがいいんだか……その上、私にはいつも、別の男をあてがって! この前だって、そうよ! おかしな顔の大尽客を連れて来て、『こいつがお前を落籍したいんだとさ、喜べ』なぁんて! うれしいワケ、ないじゃない、莫迦!」
円卓を叩き、激情を吐露した雁萩太夫……ここに来て僕は、彼女の気持ちに勘づいた。
恐る恐る問うてみる。
「もしかして、雁萩太夫さん……師父のことを?」
雁萩太夫は、紫紺色の大きな瞳をうるませ、か細い声音で、話をこう締めくくった。
「私はねぇ……哥さんが直接、身請け金を持参して、ひざまずき、真摯な態度で、私に求婚してくれるまで、誰にも落籍される気はないのよ。でも……あの人に、そんな気は微塵もないのよね。他の男に落籍されそうになっても、喜ぶような人だもの。だから私は死ぬまで、苦界で生きる篭の鳥……尤も、年老いて使い物にならなくなれば、ゴミ同然、否応なく殺処分されちゃうんでしょうけど……父が犯した罪は、それほど重いのよ、シロさん」
そんなのって、そんなのって……あんまりじゃないか! 雁萩太夫が、可哀そすぎる!
クソッ! 神々廻道士は、なにをやってるんだ!
こんなにも健気な女性の気持ちを踏みにじり、あんなけばけばしい遊女と、平気で同衾するなんて、とても考えられないよ!
ん? いや……でも待てよ?
いくら高尚な遊郭とはいえ、太夫一人揚げるのに、そんな大金かかるワケない……なのに、神々廻道士の強欲さは……ハッ! そうだったのか!
きっと、そうにちがいない!
あいつにも、ちょっとはいいトコあったんだ! うん!
僕は早速、たった今、思いついたことを、雁萩太夫にぶつけてみた。
「あ、あの……これは、僕の勝手な推測なんですけど、もしかして、神々廻道士が、色々な手段を用いて、せっせと金を貯めこんでるのは、実は、あなたを身請けするためでは?」
「まさか! あの人、私に対して、そこまでの感情を持っちゃいないわよ」
あっさり、きっぱり、はっきり、否定されてしまった……いやいや、だけど!
「で、でも……師父の強引な金集めを見てると、そう思えてならないんですが……」
「だって、あなたを私に、あてがうくらいだもの……判るでしょう?」
うっ! た、確かに……そう云われちゃうと、反論しづらいな……だが、しかし!
「そうか……いや、でも、あなたほどの美人なら、もしかしたら……」
「好い加減にしてよ。私、同情されるのが一番、嫌いなの」
執拗に食い下がる僕に、雁萩太夫はかなり気分を害したらしく、プイとそっぽを向いてしまった。僕は慌てて、彼女の傷心をいたわり、精一杯の思いを、伝えようとした……が、
「同情? それは……ちがいます! 僕は本心から、そう思っただけで……」
「……あなたが、いい人だってことは、よく判る。でもね、善人と悪人なんて、本当は紙一重なのよ。相手に……とくに弱い立場の人間に、自分の正義を押しつけないのが肝要ね」
……僕は、がっくりと項垂れた。
確かに彼女の云うことは尤もだ。ついつい熱くなって、自分なりの正義をつらぬこうと躍起になってしまったな……僕は決して、彼女を論破しようと思ってたワケじゃないのに……傷つける気はなかったのに……ごめんよ、雁萩太夫。
だけど……そんな、反省しきりの僕に、雁萩太夫は優しく手を差し伸べてくれた。
「ひとつだけ、はっきり云えることがあるわ……あなたって、本当に純粋な人なのね。なんだか、あなたの奥さまが、うらやましくなっちゃったわ。さぞ、幸せなんでしょうね」
僕は無性に、泣きたくなった。
僕に、大金を稼げるだけの甲斐性があれば、たとえ雁萩太夫を妻にはできなくとも、ここから身請けしてあげたい……力になりたいと思ったんだ。
ただ、今の僕では、彼女になにも云えないよな……同情か。そう、同情……僕が今、雁萩太夫に対し持っているのは、彼女が嫌うそれ以外の感情では、ないのだから……多分。
しかし、そんな折も折――、
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