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『傷心』
其の八
しおりを挟む「喂、朴澣!」
「どういうことなんじゃ!」
「ちゃんと、説明してください!」
『無論、納得のいくようにな!』
久しぶりに、近在の寂れた三昧堂へと集まった【鬼凪座】の鬼業役者たちは、座長に対し、猛烈に怒っていた。当の朴澣は、煙管を悠々吹かし、笑っている。そんな鷹揚な座長に代わり、うやうやしく頭を垂れて挨拶したのは、誰あろう女幽霊の《琉衣》であった。
……こんにちは、【鬼凪座】の皆さん……
しかも【白風靡族】であるはずの彼女は、何故か白髪を赤黒く染め、【唯族】風に装っている。こうしてみると、琉衣は《水沫の方》にそっくりなのだ。朴澣は北叟笑んだ。
「だから、こういうことだよ」
「てめぇ、巫山戯んなよ、朴澣! マジで怒るぞ!」
「また、判じ物ですか! 私たちは、説明をもとめているのです!」
「そうじゃ! なんで琉衣が、こんな格好で、ここにいるんじゃ!」
『いつの間に、この女幽霊を座員に加えたんだ! 朴澣!』
さらに怒って詰め寄る四人に、朴澣座長は、口の端をゆがめ、うそぶいた。
「だから、幽霊座員だよ。笑えるだろ?」
その途端、四人から、ほぼ同時に、ほぼ同句の、返答が投げつけられた。
「全然、笑えねぇ!」
「全然、笑えんわい!」
「全然、笑えません!」
『全然、笑えんぞ!』
すると朴澣、急に真顔になり、夜叉面の『幻魔鏡』を、煙管の吸い口で示し、云った。
「仕方ねぇだろ。いくら鏡に呼び出しても、水沫は真実を語らねぇ。そんで、ワザワザ冥界まで出向いたが、まったく無駄だったぜ。ケンモホロロもいいトコだ。骨折り損のくたびれ儲け。そう思って、肩を落として帰ろうとしてたらよ、出逢っちまったんだなぁ、琉衣と……で、よく見りゃあ、琉衣の面差しが、なんとなく水沫に似てたからさ。にわか座員として加わってくれと、頼んだワケ。そしたら、快諾してくれたぜ? なぁ、琉衣?」
……えぇ、だって、早く転生しないと、龍樹のお嫁さんになれないもの……
夜叉面は、呆れてため息をついた。
「なるほど。転生の話を餌に、彼女を抱きこんだワケですか……座長らしい露悪趣味です」
一角坊と宿喪も、ヤレヤレと肩をすくめ、あるいは項垂れて、琉衣の期待に満ちた目を見た。灰白の瞳まで、唯族のような鳶色に変えている。これは、かなり手のこんだ趣向だ。
「それにしても、まぁ……儂らまで騙すとは、いささか悪巫山戯がすぎるぞい、座長」
『同感だ。お前は、いつもそうだな。他人をおちょくって愉しむのは、悪癖だぞ、朴澣』
那咤霧に至っては、まだ怒りが冷めやらぬようで、その激情は女幽霊にまで向けられる。
「こら、琉衣! オイタがすぎると、痛ぇ目を見んぞ! 判ってるだろうが、俺たちがその気になりゃあ、いつだって姦っちまえるんだぜ! 幽霊だろうと、妖怪だろうとな!」
……嫌だ、顔だけしか取り柄のない色魔に、そんなこと云われたら、ゾッとしちゃう……
琉衣は、大袈裟に身を震わせ、嫌悪感を露にし、朴澣の背に隠れた。
短気な那咤霧は、怒り心頭で、女幽霊へ襲いかかろうとする。
「もう我慢ならねぇ! たおやかな顔立ちと裏腹……俺にだけ冷淡な態度! 意外と勝気な性分! 本当は、初見から目ぇつけてたんだ! 今度こそ姦ってやるぜ! 覚悟しな!」
那咤霧は、淫猥に腰を振り、両手をにぎにぎと動かしては、琉衣へ接近する。
だが、その刹那――パァンッと、朴澣が煙管の雁首を、柱に打ちつけ威喝した。
「やめねぇか、那咤! 一時的とはいえ、座員となった以上、大事な仲間である琉衣に手出しするこたぁ、座長の俺が絶対に許さねぇぞ! それとも、てめぇが役を降りるか!」
朴澣が、久しぶりに見せた激情は、那咤霧を震撼させるに充分こと足りた。
「そ、そんなに怒ることねぇだろ、朴澣! ちょっとした、悪巫山戯じゃねぇか!」
慌てて云いつくろう声音も、かすかに震える那咤霧だ。
夜叉面が苦笑しながら、云いそえる。
「座長の云うことは、尤もですね、那咤。悪巫山戯も過ぎると、笑うに笑えませんよ」
一角坊は、ニヤニヤと口の端をゆがめ、那咤霧の倉皇ぶりを嘲る。
「まったくじゃ。いやはや、懲りない奴よ喃。お前さんの女好きには、呆れるわい」
宿喪は、元々相性の悪い那咤霧のことなど、さっさと一蹴し、朴澣に了解の旨を告げた。
『病気だな。そう思うよりほか、あるまい。なんにせよ、話は判った。承知した』
朴澣は、座員たちに深々と一礼し、さらに珍しく、神妙な面持ちで己の非を詫びた。
「ありがとよ、宿喪。夜叉面も、一角坊も、騙して悪かったな。その点だけは謝るぜ」
琉衣は、そんな【鬼凪座】の面々のやり取りを、にこやかにながめ、こう問いかけた。
……話はまとまったのね。それじゃあ、私は云われた通り、水沫さんの演戯を続けていればいいのね? 次は、いつ、どんな状況で、あの鳥篭離宮に現れればいいのかしら?……
すると朴澣、ここで大きく息を吐き、重苦しい表情で宣言した。
「青耶……いや、楚白が、蛍拿を襲ったあとだ」
あまりに思いがけない座長の一言に、すかさず座員たちは猛反論した。
「ちょっと、待ってください! それでは蛍拿が、あまりに不憫です!」
「座長……一体、なにを考えとるんじゃ! あの娘を、見捨てるつもりか!」
『どういう料簡かは知らんが、人身御供とは、いささか感心せんな、朴澣』
「そうだぜ、朴澣! いくらなんでも、そいつぁ、非道すぎるってモンだぜ!」
……皆さんの仰る通りだわ。私だって、そんな場面には……立ち会いたくないもの……
琉衣に至っては生前、自身を襲った不幸な事件を、思い起こしたらしい。
形のよい眉宇をひそめ、苦痛に顔をゆがめている。
すると朴澣は、またしても思いがけないセリフを吐いて、皆を仰天させた。
「喂々……ちょっと待てよ。誰が蛍拿を見捨てたって? そうじゃねぇんだ。話は最後まで、ちゃんと聞いとけ。楚白は蛍拿を襲おうとしても、犯すことはできねぇんだよ。なんだかんだ云ったって、奴は結局、蛍拿を愛しているからな。一線は越えられないはずだ」
悪相座長は、さらにこう云いそえた。
「しかし蛍拿は傷つくだろう。つらい思いをするだろう。その時こそ、琉衣に出てってもらって、彼女を慰めてやって欲しいんだ。それ以外は、なにがあっても楚白に手を出すな」
朴澣にも、確固たる信念があった。ここだけは絶対に譲れない、という強硬な信念があったのだ。それは一朝一夕で思いついた、軽い考えなどでは決してなかった。仲間だからこそ、彼の暗い表情を見れば、そして彼の重い言葉を聞けば、痛いほどよく判るのだ。
「……これは、俺の勘だが……終幕は多分、悲劇になる。蛍拿以外の、ある人物にとってな。だから……なんつぅか、説明しづらいんだが……そこは必要悪なのさ。判ってくれ」
朴澣は、あえて冗長な説明を避けた。珍しく言葉を濁した。真実を云いよどんだ。
「どうしても不服なら、皆……本当に役を降りてくれても、かまわねぇんだぜ。琉衣もな」
朴澣は苦々しく煙管を吸い、長嘆息とともに、紫煙を吐き出した。
皆の目を見据え、静かに座員たちの反応を待つ。だが、夜叉面も、一角坊も、那咤霧も、宿喪も、いつになく反応が遅かった。座員四人は、蛍拿の身を思えばこそ、懊悩していた。
「……」
「……」
「……」
『……』
長い沈黙……それでも朴澣は、辛抱強く待っていた。
すると、ここで思いがけず、最も躊躇しそうな立場の、琉衣が口を開いた。
鳶色に染めた瞳を、まっすぐ朴澣の顔に据え、健気にも、こう云ったのだ。
……私、やるわ。座長さんが、そこまで思いつめてるなら、相当のことなんでしょう。今更、あとには引けないもの……転生がどうとか、そう云う話じゃなく、今回はあなたのために、是非とも演じさせてもらいたくなったのよ。ふふ、どうしてかしら、不思議ね……
琉衣の瞳は、さまざまな感情の波にもまれ、我知らず泪ぐんでいた。彼女の気持ちを思えば、こんな酷な役回りをさせることは、朴澣とて不如意だった。けれど、こうする以外、方法がないのだ。朴澣は、己の愚暗な頭を嘆きながらも、琉衣に精一杯の謝意を伝えた。
「すまねぇな、琉衣」
短い言葉だが、そこには彼の至心がこもっていた。それを聞いて、【鬼凪座】本来の役者四人も、腹を決めたようだ。互いの顔を見合せてうなずき、座長に恭順の意を示した。
「判りました。座長の決めたことなら、仕方ありませんね。蛍拿を犠牲にしてまで、かばいたい相手が誰なのか、終幕までには、ハッキリするでしょうし……私も結末が知りたい。中途半端は嫌いです。それに……もうひとつの依頼の方も、まだ片づいていませんしね」
「えぇい、乗りかかった船じゃい! たとえ、泥船でも、沈没覚悟で演ったるわい!」
「ヤレヤレ……蛍拿の貞操は、俺が守ってやりたかったが、ま……朴澣がそこまで思いつめてるんじゃあ、琉衣の云う通り、相当のコトなんだろうぜ……当然、芝居は続けるよ」
『但し、朴澣。最後には必ず、得心の往くように、すべて種明かししてもらうからな』
夜叉面も、一角坊も、那咤霧も、宿喪も、すでに心はひとつだった。朴澣座長は、座員四人に対しても、やはり至心のこもった言葉を伝え、そして……どこか哀しげに笑った。
「皆も、すまねぇな」
朴澣の端整な右白面黒瞳は、うるんでいるようにも見えた。その、哀愁に満ちた笑みの先にある結末が、どんな悲劇を生むものか、この時の座員たちは到底、知る由もなかった。
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