鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『食女鬼・後編』

其の六

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く、次の宿主へ引き継がねば……ヤヤ子が死ぬる! 孕み女の子壺へ、我が〝夫〟となる【番鬼つがいおに】の精血を、注がねば……そして、高貴な子胤を生餌に、急ぎ生育させねば! わらわは、つがえぬ……吾子あこを、孕めぬ! 本物の【食女鬼うかめおに】は……妾の、新たな体は、誕生せぬ! はよう……女ぁ、女ぁ……女じゃあぁぁあっ!』
 深紅の肌に、張り廻らされる不気味な血脈。角や手足、尻尾をかたどり、全身からウネウネと伸縮するのは、精血で赤く照り光る生殖管。
 まるで剥き出しの心臓が、凶悪な意思を持ち、うごめいているようだ。鬼蛭おにびるの結晶体は、管状の太い四肢を上下左右へ突出、精血を噴いて、のた打ち回る。生皮を殺いだ巨躯、赤裸の鬼畜は、血飛沫ちしぶきを散らし、おぞましい獣声じゅうせいでかく号する。
『貴様も泥梨ないりの同朋であろう! これ以上の邪魔立てはするなぁ! そこをどけぇえっ!』
 食女鬼は突貫攻撃で、那咤霧なたぎりへ肉薄する。
 次の瞬間、またしても背後の板戸が蹴破られた。バァンと木っ端を粉砕し、なだれこむ十四名は、美男人形使い【夜飛白よがすり一座】に扮した、神祇府じんぎふ密偵の捕り方だ。
 彼らを差配するのは勿論、斎官さいかん兄弟・蒐杏しゅうあん道士と蒐々しゅうしゅう道士である。
 だが、菊花大夫きっかたいふの居室内で、荒れ狂う食女鬼の正体を目撃し、蒐々道士は愕然となった。
「きゃあっ!」と、やけに可愛い悲鳴を発する。
 そんな弟を背にかばい、蒐杏道士が威喝する。
「ついに本性を現したか! 食女鬼め!」
 予定外の邪魔者乱入と、怪士あやかしによる番狂わせで、到頭キレた【食女鬼】……腐血まじりの怨言に加え、ふいごの如く瘴気を吐き出しては、わめき散らす。
『ガキは下がれ! 最早、男でもかまわぬぞ! 吾子は、男の精気を好むゆえ……まずは貴様の臓腑と生皮を、頂戴するとしよう!』と、食女鬼はいきなり、鞭状にしならせた生殖管で、座員捕り方の一名を、己の手元へたぐったのだ。
 皮膚を持たぬ赤裸の鬼畜は、確かに男根と四つの乳房をかねそなえていた。 
 七尺半の長身だが、人間の皮膚をかぶり、その相手に化けることも可能だ。
 
 ところが、鬼畜の手元へさらわれた座員……平気の平左で、眉ひとつ動かさぬ。
 己を脅かす鬼難きなんにも、仲間を襲う凶行にも、誰一人乱心せぬ。
 実は、それも道理……ただの人形に、通じるわけがないのだ。そう、彼らは単なる傀儡かいらい
 わずかな膂力りょりょくで、安易に破壊された座員の体は、脆弱な陶製であった。
 バラけた五体が床板へ落下し、さらにこまかな破片へと分散する。
『これは……単なる、目くらましか!』
「そういうこった!」
 いよいよ真打ち登場だ。
 裏で糸を引き、謎の人形一座自体を、実は操り人形にしていた黒幕とは、不気味な【手根刀しゅこんとう鬼業禍力きごうかりきの持ち主。左半身が爛れた悪相琥珀眼を、帳頭巾とばりずきんで隠し、黒衣姿に身をつつむ彼こそ、地獄参りの絡繰からくり役者一味、【鬼凪座きなぎざ】座長《癋見べしみ朴澣ほおかん》である。
 人のなりした人形使いは、すべて彼の捨て駒だ。
 空の眼窩に魂は見えず……彼らは所詮、鬼業の禍根で動かされる、傀儡にすぎぬのだ。
 朴澣座長一人で、自在に操る十四本の枯枝状触手が、十四人の命綱。
 操り人形を思う存分酷使した、人形芝居の十八番が幕開けする。
 大立ち回りの荒事あらごと、剣劇仕掛けも、煙管きせるくわえた朴澣が、軽く片手間にあしらう独壇場だ。
 ちなみに、《十二守宮太保じゅうにすくたいほう闈司みかどのつかさ董朱薇とうしゅびに扮したニセ者も、実はこの悪相座長である。
『貴様はぁ……宿鬼やどりぎの血族か!? 畜生! 小癪な真似を……死ぬのは、貴様らだぁ!』
 食女鬼は、大挙して押し寄せる人形十三体を次々粉砕し、再び菊花大夫の空蝉へとひた走った。すかさず、朴澣が割り入り、進路を阻む。
「生憎だが、そいつぁコッチのセリフでねぇ! 相手がちがいすぎるぜ、木偶でく野郎! てめぇは、吾子を喪い、絶望のあまり入水した氷薙ひなぎさんの亡骸を、傷つけ穢し、散々悪用しやがった! 許しがたい下衆が! この人の亡骸には、もう二度と触れさせやしねぇぞ!」
 煙管の雁首を、パァンと打ち鳴らし、朴澣は左腕を爆発させた。
 大砲をしのぐ鬼業禍力が噴射され、十四本の触手が食女鬼をからめ捕る。
 動きを封じられた鬼畜は、蒐杏道士の十文字槍を乳房に受け、刺しつらぬかれ慟哭した。
『轟ウゥゥオォォォオゥゥゥゥゥアァァッ!』
 蒐杏道士……いや、耳をつんざく断末魔に、頭をかきむしった《一角坊いっかくぼう》は、高くたばねた元結髷もとゆいまげから、【巫丁族かんなぎひのとぞく】の証たる一本角を現した。
 しかし食女鬼は、【泥梨百冥鬼ないりひゃくめいき】にも名をつらねる凶暴強力な鬼神。
 これしきの攻撃で死にはせぬ。痛苦にもだえ、かえって鬼業を増幅させた。
 朴澣の強靭な触手をはじき飛ばし、雄叫び上げた食女鬼は、ぶあつい壁板を打ち破った。
シャァァアァァァアァァァァァァアッ!』
 命をむさぼる獰猛どうもうな鬼業が、女体を蝕む悪疾あくしつが、砕けた人形を踏みしめて、回廊へと転がり出す……いびつな巻角、飛出眼とびでがん屍蝋肌しろうはだからしたたる腐蝕汗、伸びた背丈は八尺を越えて、手足は節くれ立つ長蛇。四つの乳房に孕み腹、肉襞を押して染み出す血潮、表皮で隠さぬ赤裸だけに、直視できない壮絶さだ。
 しかも、雌雄同体の子壺は、今にもつがいの鬼畜を、産み落としそうな気配だ。
『このまま、産むわけにいかぬ……次の子壺へ注ぎこまねば……女体を、よこせぇえっ!』
 食女鬼は、菊花大夫の居室から外へ。
 新たな女体をもとめてさまよい、がむしゃらに疾駆した。
「色情狂の鬼畜雌が……俺たち【鬼凪座】から、逃げられるモンかよ! 精々悪あがきしな!」と、朴澣は、遠ざかる食女鬼の四足、後ろ姿と、血生臭い赤蛭肉片を、炯々けいけいと睨んで吐き捨てた。そして、優雅な所作で寝台脇へとひざまずく。
 鬼業に犯され、穢されてもなお、燦然と輝く菊花大夫――その、高潔で美しすぎる死に顔は、朴澣のみならず、那咤霧や一角坊をも、思わず感歎させた。
 しばし呆然と、見惚れてしまう。
「この人……本当に死んでるの?」と、声を震わす蒐々道士も、菊花大夫の清廉な死相に、感動し、胸を焦がし、我知らず陶酔した。朴澣は、はだけた霞帔かひをなおし、乱れ髪を整え、鬼畜の腐血を、氷薙の骸から丁重にぬぐい取ってやった。寸刻、黙祷を捧げる。
 彼が、鬼気迫る凶相の琥珀眼に殺意を宿し、火照った渾身へ禍力を装填し、猛然と立ち上がったのは、そのあとだ。真の座員たちへ、即座に号令をかける。
「氷薙の弔い合戦だ! 食女鬼を追うぞ!」
「儚くも散った《菊花大夫》殿へのはなむけ、仇討ちだなぁ! 今度ばかりは喜んで、鬼退治につき合うぜ! 朴澣座長!」と、那咤霧も奮起し、【刑部ぎょうぶ】の魔手で忌辮索いみべんさくをしごく。
「美しき女御にょうごの慰霊がためじゃ! 一緒に来い、蛍拿けいな!」と、一角坊も、『造酒神瓢箪さかつこびょうたん』から手向けの清酒を一口含み、蒐々道士へ云い聞かす。
「はい!」
《蛍拿》と呼ばれた小柄な少年は、ためらうことなくうなずいた。
 先陣を競う朴澣、那咤霧に次いで、一角破戒僧と並び、勢いよく走り出す。
 彼だけ扮装を解かぬわけは、じきに明かされる。


 一方、食女鬼の暴走で、広大な菊花殿は今、大混乱の渦中だった。
 緋毛氈ひもうせんの回廊をひた走り、豪奢な調度品や彫像を崩し、雄叫びを上げる。
 白亜の壁板や支柱には、鋭利な爪痕を残す。
 これに途中で出くわした女御衆は、災難としか云いようがなかった。
 魂をえぐる咆哮、見るも無惨な鬼畜の襲来に、誰も彼も皆、半狂乱だ。
「ぎゃあぁぁあぁぁぁぁあっ!」
「おっ、鬼ぃぃいっ! ひぎぃぃぃいっ!」
「嫌ぁぁあっ! 来ないでぇぇぇえっ!」
 菊花殿は女御衆の阿鼻叫喚あびきょうかんで、たちまち地獄の坩堝るつぼと化す。
 食女鬼は、すでに産気づいている。一刻も早く、新たな宿主へ鬼業の種を植えつけねば、生育がままならない。雄の鬼獣【番鬼】を育てるには、女体布施にょたいぶせこそ最良の生餌。ただ今の食女鬼は、とくに雌色が濃く、雄の育成と誕生を急がねば、折角の鬼子も流れてしまう。
 何故なら……食女鬼に与えられた妊娠期間とは、先だってニセ道士《蒐杏》こと一角坊が、後宮監吏官の前で説明した通り、〝四十九日忌〟と、あらかじめ決まっているからだ。
「誰か助けてぇっ! 嫌あぁぁあぁぁぁあっ!」
 惨たらしい鬼畜は、女と見れば相手かまわず襦裙じゅくんをかきむしり、股間へ手を突っこんだ。
 その都度、女は断末魔の悲鳴を放ち、鬼畜は堪えがたい熱傷で生殖管をはねのけられた。
『クソ! この女も……何故だぁあっ!』
 なにかが、おかしい。
 業を煮やした食女鬼は、侍女の一人を逆吊りにし、秘処を検分した。
『なんなのだ……これは……!?』
 狂死寸前の侍女は、陰部に赤黒い張形はりがたを詰めていた。
 引き抜こうとすれば、雷電を放ち、鬼業をはじく仕組みらしい。
鬼胎きたい】交合を阻み、女体へ憑依できぬ原因は、この貞操帯だ。
 それは〝魔物〟と呼ばれる例の怪しい供物、張形である。侍女は恐怖のあまり失禁する。
「その張形は、すでに私が、菊花殿の女御衆全員へお配りしてあります。無駄な悪あがきは、もうおやめなされ。見苦しさに、ますますみがきがかかる」と、浅ましい鬼畜の背後から、やけに冷静な男声が投げられた。
 振り向けばそこには、消えたはずの美男小間物屋が佇んでいる。食女鬼は知る由もないが、不気味な生張形の貞操帯を、女御衆へ言葉巧みに売りつけた、張本人である。無論、正体は云わずもがなの《夜叉面冠者やしゃめんかじゃ》である。
 精緻な美男生口面いきくちめんと、平素の醜悪な赤毛鬼面を、素早くすり変えて、喜悦満面。
 食女鬼は、道服姿の鬼面男からも、強烈な禍力を察知し、いよいよ殺意で身を鎧う。
『貴様の仕業か、赤毛夜叉ぁ! 即刻、この不細工な張形を抜かねば、女は死ぬぞぉお!』
 侍女の股を裂くそぶりで、【死口夜叉しにくちやしゃ】の息子へ脅しをかける食女鬼だ。侍女は疾うに気絶している。それでも夜叉面冠者は、断じて退かぬ。独鈷杵とっこしょ片手に、戦意をつのらせる。
 すると、さらにそこへ、最後の役者が現れた。
「ならば、私の体を使いなさい。斯様に破廉恥はれんちな張形なぞ、身につけてはおりませぬゆえ」
 楚々と緋色の襦裙をひるがえし、登場したのは絶世の美少女。
 神々しい麗姿は《阿礼雛あれびな》だ。彼女なら、最高級の生餌いきえと云えるだろう。
 だが食女鬼の食指は動かない。それどころか獰猛な醜貌は、明らかに狼狽していた。
『寄るなぁ! それ以上、妾に近づくなぁ!』
 侍女の体を放り出し、精血を飛ばしてあとずさる。
「何故です? 女体が、必要なのでしょう?」
「いけませんよ、阿礼雛。隠形鬼道術おんぎょうきどうじゅつに通じたあなたが、よもやお忘れですか? 食女鬼の弱点は処女。穢れなき乙女の泪が、この怪物を死に到らしめる唯一の劇毒。だからこそ食女鬼は、遊郭や後宮を好んで狙うのでしょう。処女など、一人もいない場所ですからね」
 外連味たっぷり、芝居がかった鬼面男と美少女のやり取りに、食女鬼はいきり立った。
『おのれぇ、巫山戯ふざけるなよ! 屑どもがぁあっ!』
 食女鬼は進路を変え、回廊を逆走。右旋回し、透殿すきどのを飛び越える。目指すはかえでの居室だ。
 鬼の腐臭、血滴を追尾し、差しかかった回廊分岐点で、朴澣たちもようやく合流する。
 出そろった鬼業役者、第一声を放ったのは那咤霧だ。
「夜叉面! 阿礼雛は無事かぁ!?」
「心配ご無用……ですね、阿礼雛!」
「当然! 要らぬお節介だ!」
 雌雄の区別が判然とせぬ、食女鬼と同様、何故か阿礼雛も、美々しい女体にかかわらず、雄々しいセリフで、那咤霧へつっけんどんな返答をする。
ああ、阿礼雛ぁ……その冷たさ、美貌に似合わぬ男勝りな性分……最高にそそるぜぇ!」
 那咤霧の甘ったるい色目づかいに、阿礼雛は身震いし、夜叉面は失笑、一角坊は嗤いを噛み殺している。だが、朴澣は怒気を抜かない。蛍拿も、息せききって、実に必死である。
「じゃれ合いはあと回しだぜ、皆の衆! 一刻も早く、食女鬼を取っ捕まえねぇと、今度は楓の身が危ねぇ!」と、悪相座長がいさめた途端、猛然と先駆けたのは、阿礼雛だった。
 一度は〝魔物〟を用いて、淫虐行為をなした相手だが、それも楓を敬愛すればこそ。
 彼女の身が鬼業に晒されることだけは、なんとしても阻止せねばならない。
 鬼畜の猛追を開始する。
「那咤よ! 阿礼雛は、楓に夢中らしいぞ!」
莫迦ばか! ンなワケあるか! 女同士だぞ!」
 噛みつく那咤霧に、一角坊は吹き出した。
「ちょっと! 少しは真面目にやってよ!」
 蛍拿に厳しく叱責され、那咤霧と一角坊も、ハッと気を引きしめた。
 その時……鬼騒動の鎮圧に駆けつけた衛兵、寮部りょうぶ、監吏官や内舎人哨戒番うどねりしょうかいばんで、菊花殿は新たな混乱に陥った。
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