鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『食女鬼・後編』

其の七

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 先導役の天狗面・那咤霧なたぎりは、後宮大目付筆頭《宋寮部そうりょうぶ》や《夙閹官しゅくえんかん》の蒼白顔を見つけると、すかさず得意の声色づかいを披露した。
 
「お二方ふたかた! 旧友《蒐杏道士しゅうあんどうし》と、水面下で続けていた隠密捜査の結果、ついに【食女鬼うかめおに】の正体が判りましたぞ! これより早速、捕らえて断罪します! どうか、お力添えを!」
 宋寮部と夙閹官、さらに周囲で震えていた侍女たちは、天狗面の声音に仰天した。
 まがうかたなき異相修験者、《朱牙天狗しゅがてんぐ》の濁声だくせいである。
「おおっ! なんと……御聖人さまですか!」
「蒐杏道士さまと、今まで隠密捜査を!?」
「これは、これは……お、おみそれ致しました!」
「さすがは、夜仏山よぼとけやまの高名な修験者さまだ!」
「我々も是非、ご一緒させてください!」
 宋寮部、夙閹官に続き、侍従長や護衛官も、口々に賞賛の言葉をのべる。
 天狗面修験者は、これらをこころよく聞き流し、別の段取りを依頼する。
「いいえ、こうした汚穢仕事は、元より我らの役目! お気づかいは結構! それよりも、皆さまがたは、取り急ぎ神祇府じんぎふへまいり、【抹香宗僧兵団まっこうしゅうそうへいだん】をば招請して来てくだされ! くれぐれも、お願い致しましたぞ!」と、いつの間にか一角を、元通りの高髷でつつんだ蒐杏道士が、すれちがいざま二人へ低頭する。
「承知仕った!」
「すぐに取り計らいます!」
「朱牙天狗さまぁ! お気をつけてぇ!」
 監吏官二人のあとに黄色い声援を送った女御にょうごは、《朱牙天狗》の加持祈祷で鬼病回復した中臈大姐ちゅうろうだーじえ樺月かげつの君》だった。実際は那咤霧との交合で、鬼子を流したわけだが、夜叉面冠者やしゃめんかじゃの『惑乱香粉わくらんこうふん』記憶操作により、異相修験者がほどこした霊験だと思いこんでいる。
 当の夜叉面は、衛兵の一人に化け、涼しい顔だ。そういう点では、さすがに朴澣ほおかんも抜かりない。帳頭巾とばりずきんで密偵を装い、蒐々道士しゅうしゅうどうしと並走する。ついでに悪逆な座長は、なおも尾行して来る《夙泰善しゅくたいぜん》閹官の耳元に、斯様なセリフをささやいた。
おい、夙殿。あんたが『天官てんかん』の隠密だろ? 下をブラ提げたまんまの入内じゃあ、さぞやキツい仕事だったろうぜ。まぁ、あとはこっちで解決しとくから、もうそろそろ、手を退きな。露顕して、アレをちょん切られる前にな」
 夙閹官……いや、閹官ではない男の足が止まった。心臓も、止まりそうになった。
 すでに神祇府方密偵に、正体を看破されていたとは!
 これでは確かに、手を退く方が得策だろう。天官隠密《夙泰善》は、そう悟った。
「どうぞ、無事にお帰りくださいねぇ!」
「お頼み申しましたよぉ! 朱牙天狗さまぁ!」
「ご武運を、お祈り致しますぅ!」
刑部ぎょうぶ】の後難だろうか、女御衆はいずれも腰をクネクネさせて、落ち着かぬ様子だ。
 真っ赤な天狗面修験者は、軽く手を振り――素顔で北叟笑ほくそえみ――熱い閨事を交わした女御衆が、続々と居並ぶ回廊を、なんのてらいもなく走り去った。
 食女鬼の次なる狙い……《かえでの方》の居室は、もうすぐそこだ。


「楓姐々じえじえ!」
 切迫した声音を放ち、真っ先に楓の居室へ飛びこんだのは、阿礼雛あれびな……紅葉妹々もみじめいめいである。
 皇帝と一夜を過ごした時のまま緋色襦裙ひいろじゅくんで細身をつつんだ美少女は、まだ半月程度だが、彼女と住みなれた広い居室内部を、隅々まで検分した。楓の名を呼び、あちこち捜索する。
「喂、阿礼雛よ! 楓にもアレを、ちゃんと仕込んでおいたんじゃろうな?」と、追いつき、ともに室内の様子を探る追跡隊……一角坊いっかくぼう扮する蒐杏道士が、美少女に詰問する。
 阿礼雛は頬を染め、不機嫌そうに云い返す。
「あんな不躾ぶしつけな真似は、したくなかったがやむを得ん! 台本通り、上手く仕込んださ!」
 男っぽい口調で、発奮する阿礼雛だ。
〝アレ〟とは、彼女が楓の下腹部に無理やり挿入した、例の赤黒い生張形なまはりがたである。
 朴澣は、鼻をうごめかせ、鬼の残り香を嗅ぎ取った。
 眉間に険悪なしわを寄せ、座員たちへ異変を告げる。
「ここへ逃げこんだこたぁまちがいねぇな。どうも嫌な予感がするぜ。寝台にも温みが残ってる。楓は寸刻前まで臥せってたはずだ」と、掛布をめくり、黒衣密偵姿の朴澣が云う。
「ひとつ、気がかりなことがあるんだ、朴澣。俺が奥の離宮で胡蝶こちょうってた頃、楓も鬼畜に襲われたらしいって……踏みこんだ衛兵監吏官の中の、誰かが叫んでやがったよなぁ」
 那咤霧の懸念に、ますます顔色をくもらす阿礼雛だ。
 夜叉面も、しばし思案に暮れ、長嘆息する。
「あの時、食女鬼はまだ《菊花大夫きっかたいふ》として、離宮にいた……とすれば、例の張形で悶絶する彼女を、〝鬼憑き〟の後難と勘ちがいし、余計なお節介を働いた者がいたのかもしれませんね。鬼避けの貞操帯を鬼業きごうと誤解し、張形を抜き取った人物……不吉な推測ですが」
 そう云いながら、夜叉面が納戸を開けた瞬間。
「そなたたち……これは一体、何事ですか!?」
 刺々しい女の罵声が室内へとどろき、追跡隊一行が振り向くと……壁代かべしろ帳口とばりぐちから、静々と美貌の女御が歩み出して来た。楓に相違ない。
「楓姐々! あなたさまは……!」
 驚き、近づこうとした紅葉を、楓は冷淡な眼差しで一瞥。
 羽扇をかざし、妹々をさえぎった。
「紅葉……そなた、よくもわらわの元へ帰って来られましたな! 己がしたことを、忘れたとは云わせませんよ! く、出て往きなさい!」
 姿形は楓の物だが、阿礼雛を始め、追跡隊一行には、すでに判っていた。
 彼女こそ、【食女鬼】の新たな宿主……次なる犠牲者だと!
「御聖人! 鬼畜めは……まさか!?」
「楓の方さまが居室へ!? 素破すわ、一大事じゃ!」
「はよう、お救い致さねば!」
 天狗面の那咤霧は歯噛みし、後続の衛兵監吏官一団へ、威圧的な語調で厳命をくだした。
「皆の衆! 退がりなさい! あなたたちの手に、負える相手ではない! 鬼業のとばっちりをこうむって、新たな鬼難きなんを広げぬためにも、ここは我ら【鬼道術師きどうじゅつし】だけに、始末をまかせて頂きますぞ!」
《朱牙天狗》の、苛烈な激語に動転し、取り乱す護衛官。神祇府密偵や、道士兄弟の強硬姿勢に押し戻され、居室から遠ざけられる。直後、楓は壮絶な悲鳴を放った。
「誰かぁ! 助けてたもぉ! この外道どもは、妾を陵辱し殺すつもりじゃあぁぁあっ!」
 女御の悲痛な声音は、回廊周辺で逡巡しゅんじゅんし、たむろする衛兵一同の心理へ、さらなる混迷を与えた。護衛官は突き動かされ、居室へと殺到する。
ああっ、もう面倒臭めんどくせぇ!」
 朴澣は舌打ちし、左腕鬼業触手を、遺憾なく発揮した。
 二間強の間口を、猛烈な勢いで侵蝕し、縦横無尽に張り廻らされて往く【手根刀しゅこんとう】の脅威……総勢百余名の護衛官一団は、ことごとくはじき返された。
 なおも伸び続ける禍々しい鬼業の禍根に倉皇そうこうし、半狂乱で逃げ惑う始末だ。
 かくして、邪魔者は一人残らず消えた。
「なんと無礼な……怪士あやかしどもめぇ! 汚らわしい鬼畜の分際で、後宮女官の奥御殿へ侵入するとは……妾を、一体どうするつもりじゃあ!」
 朴澣の【手根刀】で、木蔦編みの牢獄と化した室内。
 楓は、対峙する朴澣、一角坊、阿礼雛、夜叉面冠者、那咤霧、そして、いまだ正体を明かさぬ《蒐々道士》へ、荒々しい怨言をぶつけた。白面はくめん美貌は憤怒で紅潮し、静謐せいひつな瞳は汚濁、元の柔和な楓は最早〝そこ〟にいない。悠々煙管キセルを吹かしつつ、朴澣がうそぶく。
哈哈ハハ、どうするも、こうするも、それはこっちのセリフでねぇ……まぁ、とにかく裙子くんずをまくって、秘処を拝ませてもらおうかい、楓の方さま!」
「なんじゃと!? は、恥知らずな狼藉者めぇ! よくも斯様な戯言を……許さぬぞぉ!」
「嫌なら、力尽くでヒンむくまでだな。あんたが本物なら、そこに収まってるはずのモンを、ちょいと確認させてもらうだけさ……ホレ」
 あけすけで淫猥な舌鋒ぜっぽうに、満身を震わす楓。見かねて、阿礼雛が前に進み出る。
「姐々、同性の私になら、見せて頂けるでしょう? これもひとえに、あなたさまの〝鬼憑き〟嫌疑を晴らすため! どうか、聞き入れてください!」
 しかし楓は、阿礼雛が伸ばした手を、素気なく羽扇で打ち払い、ギッと睨みつけた。
「裏切り者が……下がりおれぇ!」
「姐々……」
 阿礼雛の瞳に、冷酷な光が宿った。
「何故、私をこばむのですか……」と、一歩。
「あなたさまのため、身代わりとなり、帝の夜伽までした、妹々を……」と、また一歩。
『貴様は何故、拒絶する!』と、最後の一歩。
 阿礼雛は、禍々しく二重に響く獣声じゅうせいを放ち、恐るべき変貌をとげたのだ。
 可憐な美少女の空蝉を破り、露顕した正体は、食女鬼をはるかにしのぐ凄惨さ……【鬼凪座きなぎざ】一味の那咤霧でさえ、卒倒するほど、信じがたい豹変ぶりだ。
「うぅっ……うっ、うぅ嘘だろぉぉぉおっ!?」
 襦裙を裂いて膨張する身は、優に八尺超。
 白肌は、黒光る剛毛を噴き出し、たちまちおおい尽くされる。
 彎曲わんきょくする四肢、太い躯幹、卍巴の四本角、柘榴ざくろ状の真っ赤な複眼、鋭利な牙が並ぶ豺狼口さいろうぐち、長い蛇舌はダラリと垂れて……獰悪どうあくな鬼神の本性を、これでもかとさらけ出したのだ。
「貴様はっ……あぁあっ!」
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