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独立編
第十三話「最嘉と計算高い男」
しおりを挟む第十三話「最嘉と計算高い男」
――コトリ
肌理の細やかな白い指がスッと伸び、
クリスタルの澄んだ盤面上に精巧な黒騎士の彫刻が施された駒が置かれた。
「ぬっ!」
途端に、対面に座った老人の眉間に皺が寄る。
天都原の王都――
斑鳩領にある王宮、紫廉宮で……
その執務の間で、老人の対面に応接用のテーブルを挟んで座るひとりの少女。
腰まで届く降ろされた緑の黒髪はゆるやかにウェーブがかかって輝き、
白く透き通った肌と対照的な艶やかな紅い唇と闇黒色の膝丈ゴシック調ドレスに薄手のレースのケープを纏ったその絶対的美少女は、
――紫梗宮、京極 陽子である
「宮は本当に”ロイ・デ・シュヴァリエ”がお強いですな。未だ負け知らずなのも頷けます」
”うーむ”と唸りながら、そう言った老人は盤面上の駒達を難しい表情で凝視していた。
――”ロイ・デ・シュヴァリエ”
それは二つの陣営に別れた、白と黒の多様な駒を駆使して優劣を競う盤面遊戯だ。
縦十六マス、横十六マスの戦場で、”王、騎士、槍兵、弓兵、斥候、歩兵、市民 ”という七種類の駒を操り、基本的には王を討ち取るのが最終目的の遊戯である。
簡単に言うと白陣営と黒陣営に別れたチェスのような駒取りゲームだが、色々なルールが加味されてより複雑且つ実戦重視で戦略的に仕上がっているせいか、この世界では一般市民から軍の指揮官、将軍、果ては王侯貴族まで広く普及していた。
「そういえば……件の鈴原 最嘉、彼も中々の策士でしたが、いやはや、ロイ・デ・シュヴァリエの腕前はどうでしょうな?」
思考中の老人は特に他意は無く話題を振ったのだろうが、
対面の美少女の腰まである緩やかにウェーブのかかった黒髪がピクリと僅かに揺れる。
「…………岩倉は鈴原 最嘉の武勇を知っているの?」
そして彼女はポツリと問いかけた。
「ほほ、私は現役時代、戦歴だけは長かったですからな、経験した戦場も数だけは現在の”十剣”にも劣りません。天都原周辺の”粒”も粗方は記憶致しておりますよ」
――コトリ
そう答えてから、思案の末に白い弓兵の駒をひとマス後ろに下げる老人。
因みに……
既にかなり昔に戦場を引退した老人、岩倉が口にした”十剣”とは――
大国である天都原にあって最高の戦士と称えられ、近隣諸国はおろか暁全土に名を轟かせる十人の将軍の事である。
「粒……岩倉は最嘉は優秀だと?」
「そうですな、我が天都原から見れば辺境の小国同士の愚にもつかない戦ばかりで、こちらではあまり知られていませんが……若干、十歳にも満たない年齢で初陣、それから幾つもの戦で武勲を立て続けた人物です。”臨海の麒麟児”と呼ばれていた事もあった様ですし、希なる粒であったかと記憶しております」
「…………会ったことは?」
「残念ながら。彼が活躍したのは初陣から数年ほどですし、それからは……最近は臨海領主として以外は武勲なるものは”とんと”聞きませんな」
「…………」
老家臣の返答に黙る美少女。
「宮は?彼と親しくしたことが?」
そんな主君に老家臣、岩倉は問う。
「………………………………なぜ?」
そしてその問いに美姫は特徴である暗黒の双瞳を向ける。
「いえ、なんとなくですな。先ほど彼のことを”最嘉”と親しげに呼ばれましたし……」
流石は年の功……
”無垢なる深淵”と恐れられる神算鬼謀の美姫が暗黒の視線をなんなく躱しつつも確信には触れる。
老人とは中々に侮れない存在だと京極 陽子は思った。
「子供の頃、少し……ね」
「ほう」
「現在は連絡を……」
陽子はそこまで口にしかけて言葉を切る。
彼女にしては不用意に、愚にもつかないプライベートをつい他人に話してしまいそうになっていたのだ。
――岩倉 遠海……
本当に人生経験、”年の功”というのは侮れない。
「?」
その岩倉は、不自然に会話を止めた主君に少しだけ違和感を感じたものだが、それはほんの軽微なものだと捉える。
――現在は連絡を……
”取らなくなった”
直ぐに彼自身で彼女の言葉をそう補完して納得してしまったのだ。
子供の頃ならいざ知らず、大国である天都原の王位継承候補である紫梗宮、京極 陽子と弱小の周辺小国群の一領主である鈴原 最嘉では、彼がそう考えても当然だろう。
「……」
しかし、黙り込んだ陽子の表情はあからさまに不満顔になっている。
先ほど彼女は子供の頃と言ったが、それはほんの二年前のことで、そして……
――現在は連絡を……
”してくれない”
それが事実だったからだ。
彼女の言葉の続きが実はそういった類いの言葉だったとは――
如何な人生経験豊かな老人とはいえ予測もつかなかっただろう。
――コトリ
少しの沈黙後、陽子は盤面に黒い槍兵の駒を置く。
「鈴原 最嘉はね…………負けっぷりが良いのよ」
「は?……はぁ」
岩倉は自身の次の手を考えつつ生返事を返す。
彼はそこでまた脳内補完していた。
――負けっぷりが良い
つまり、どちらにしても子供の時の話であろうが、
やはり勝負には陽子が勝っていたのだと。
カタッ
劣勢の盤面に起死回生の手を求め、考え込む老人を余所に彼女は席を立った。
「宮?まだ勝負は着いていませんが?」
「もう終わっているわ」
理由を聞く老家臣に美姫は振り返りもせずに答える。
「?」
「六十四手先、二、八、黒騎士による王は詰み、白王は終わりよ」
そう言い残し部屋を去って行く、黒い装いの美少女。
「……」
岩倉老人はその後、暫くは盤面を眺めていたが……
彼には現状からの勝負の行方は終ぞ理解できなかった。
――
―
「鈴原?それはもしや、貴殿は臨海の?」
那知城の広間で、顎に髭を蓄えた壮年の男がマジマジと俺の顔を凝視してくる。
「ああ、臨海領主の鈴原 最嘉だ」
「おおっ!あの日乃防衛戦で見事な負けっぷりだった鈴原か!」
答えた俺に目を見開いて両手を広げ、見る間に近寄って来るおっさん。
「……」
すかさず隣に控えていた宗三 壱が腰に装備した剣の柄に手をかけるが、
俺はそれを視線で制した。
ガシッ!
ゴツゴツと骨張った手で俺の両手を取るのは那知城主、草加 勘重郎という男だった。
――近い!近い!ちかいって!
妙に距離感の近い馴れ馴れしいおっさんに俺は内心で顔を顰めていた。
那知城攻防戦は宗三 壱が率いた伏兵部隊が城内に突入して直ぐに、城主の草加 勘重郎が降伏することでアッサリと決着がついていた。
「おお、怖いな若者よ、俺はなにも貴殿の主君を侮辱したわけでは無いぞ。言っただろう、見事だと。負け戦はさっさと切り上げるに限るのだ。そういう意味ではあの戦の負けっぷりは見事なことこのうえない!!」
顎髭のおっさんに両手を握られた俺の横で殺気を放つ壱に、その顎髭のおっさん……
もとい、草加 勘重郎は悪気なく言い切る。
「負けるより勝つ方が良いと思うが?」
俺は呆れながらそう応え、握られていた両手を迷惑そうに引き抜いてやった。
――敗戦の将にしてはなんというか
”あっけらかん”と言うか、まぁ良く言うと”堂々”としている。
――動もすれば一族郎党、命を獲られる可能性もあるのだからもっと神妙だろうに……
「そりゃそうだろう、しかし百戦して百勝など……考えただけで寧ろ寒気がする。戦いとは何時も犠牲がつきものだぞ臨海領主よ。無理して勝ち続けるよりも潔く降伏することもまた肝要」
前に言ったように俺達、今は南阿の残兵ということになっている”白閃隊”の置かれた状況から無礙に扱われることは無いとの計算の上だからだろうが……
「…………」
多分、元々こういう性格もあるのだろう。
俺は目前の”より力のある者に従う戦国戦人のお手本のような人物であり、”計算高い男”と噂される顎髭男を品定めしていた。
「犠牲ね……それは金や物資、兵と色々とあるが。貴公の一見、節操なしに見えるどっちつかずの判断も実は城主として、この地域を預かる者として、なにより守るべき領民の犠牲を最小限に抑える為として選択していると言うことか?」
「…………ふむ」
俺の問いかけに馴れ馴れしいおっさんは顎髭を摩った。
「そう言えば……俺を助命してくれるのか?鈴原 最嘉よ」
そして髭の上にある品のあまり感じられない口の端を上げた。
――なるほど、そうくるか?
俺を試す体を見せる……
だが!?
試しているのはこっちだ、草加 勘重郎!
「ふっ」
俺は右手を腰の剣……ではなく、ポケットに入れて一枚の計画書を取り出す。
「那知城主、草加 勘重郎。至急、お前にやってもらいたい事がある」
「…………ほほう」
そう言って差し出した”用紙”を顎髭男はニヤリと笑って受け取った。
――男の名は、”草加 勘重郎”
嘗て日乃領主、亀成 弾正のもとで那知城を任され、
現時点から鈴原 最嘉のもとで那知城を任される……
”計算高い”と噂のされる男だった。
第十三話「最嘉と計算高い男」END
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