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下天の幻器(うつわ)編

第六話「或る休日の情景」後編(改訂版)

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  第六話「或る休日の情景」後編

 「お昼作りますから、最嘉さいかさまはそれまでにお風呂済ませて下さい」

 鈴原すずはら本邸、俺の部屋を訪れた鈴原すずはら 真琴まことは、そう言うと早々に俺を部屋から追い出した。

 シャァァーー

 「…………」

 一度は微睡まどろみかけていた体に、目を覚ますのも含めて少し熱めのシャワーを浴びながら俺は考える。

 黒髪ショートカットの美少女は臨海りんかい高校の制服姿で、学生鞄と一緒に両手にスーパーのレジ袋を抱えて現れた。

 「最嘉さいかさまは放っておくとそうやって”だらしなく”過ごすんですから、お昼ご飯も済まさずに寝てしまわれてはお体に触りますよ、お昼作りますから……」

 と、そしてそんな感じに俺を追い出したのだ。

 戦国世界でもこの近代国家世界でも俺の近習である彼女が、今日の俺の予定が午前中だけだと知っていても当然だが――

 その後の俺の行動までも完全にお見通しで、先手を打つとは流石に真琴まことと言える。

 そう俺が感心しながらシャワーを済ませて……

 ガララ

 「……」

 浴室から出ると脱衣所にはきちんと畳まれた下着と部屋着が用意されていた。

 勿論、脱ぎ散らかした俺の衣服は既に無い。

 ――ほんと抜かりが無い。真琴まことの俺に対する甲斐甲斐しさときたら……

 ――

 ガチャ

 「真琴まこと。お前、今日は臨海りんかい高校へ行っていたのか?」

 着替えた俺は再び自室に戻り、そして既に料理中の真琴まことに尋ねる。

 「最嘉さいかさま。はい、そうです」

 料理の手を止め、しっかりこっちを向いて応える少女は自身も既に私服に着替えていた。

 おっと、言い忘れたが俺の自室には結構本格的な台所キッチンスペースがある。

 時間帯に関係無く仕事をこなすことが多い俺は、その都度使用人に食事や間食など用意させるのも気が引けるので簡単な食事ならと自室に台所キッチンを用意したのだが……

 どこからかそれを聞きつけて来た真琴まことが、”ジャンクフードばかりではお体に触ります”と――

 こうして本格的なシステムキッチンに施工し直させ、その後は俺に手料理を振る舞ってくれることが多くなった。

 そもそも使用人に手間をかけさせるのを留意したのにこれでは本末転倒であるが……

 勿論、真琴まことの自宅は別だからそれ以外は自分でカップ麺とかを食べることは多い。

 ――ジャンクはジャンクで美味いし、深夜とかたまにどうしようも無く恋しくなることがあるんだよなぁ

 「最嘉さいかさま。リビングのテーブルに冷たい飲み物を用意しましたので、もう少しだけお待ちください」

 「りょうかい」

 風呂上がりの俺は軽く手を上げて向こうのリビングルームに移動する。

 ――ほんと、行き届いた良い娘だ

 真琴まことの私服姿は少し大人っぽい雰囲気の長袖ハイネックのルーズニットと可愛らしい膝上十センチはあるだろうミニスカート。

 ”みそ”はゆったりとした柔らかいオートミール色のニットに手先や首元、その下のブラウンのスカートが隠れそうで隠れないという絶妙な”可愛い娘ガーリー”スタイルだ。

 そしてそれでありながら、その可愛らしい私服の上に持参のエプロンを身に着け、料理のためにダブついた袖を捲るという健気さという!

 ――所謂いわゆる、ギャップ萌えが高ポイントを達成しているっ!!

 「……」

 ――そう……今日はいつもよりもスカート丈が短いよなぁ

 「……うぅ、ごほん!ごほん!」

 かく――

 目前には、先程から甲斐甲斐しく俺の世話をする黒髪ショートカットの清楚可憐な美少女の姿!

 この状況なら殆どの男が惚れること間違いなしの”良い娘”だろう。

 「……」

 リビングルームでソファーに腰掛け、真琴まことが用意してくれたアイスティーを飲む俺は、横目でチラリチラリと台所キッチンにて手際良く手料理に勤しむ美少女を見ていた。

 ――休日の今日、何らかの用事で学校に登校した真琴まことは……

 その帰り道に買い物してから俺の所へ寄ったのだろう。

 ――しかし休日に登校する場合でも制服着用とは

 学生の何人が守っているやら分からない校則だが、こういう所はキッチリした真琴まことらしい。

 「……」

 そしてそんな真琴まことを見ていて、俺はある事を思い出していた。

 それは少し前に俺に向け内々に熊谷くまがや 住吉すみよしから”ある打診”があったことだ。

 ――因みに熊谷くまがや 住吉すみよしとは……

 歳は少しばかり離れてはいるが俺の昔馴染みで、我が臨海りんかい近隣で同盟国の所領”日限ひぎり”の領主である。

 粗忽で乱暴者で熊のような巨体の男で、だが意外と面倒見の良い……

 戦場では”圧殺王”と恐れられる剛の者。

 「………………真琴まこと。お前になぁ、日限ひぎり熊谷くまがや 住吉すみよしから縁談の申し込みが……」

 俺は料理中の美少女に聞いてみる。

 住吉すみよしは以前からなんとなく真琴まことに気があるような感じはしていたが……

 実際、そう伝えられた時は俺も少々驚いた。

 だが、年齢は離れてはいるが話としては悪い内容では無い。

 隣接する同盟国で人物も申し分無い。

 少し引っかかるとすれば、奴には妻が既に三人ほど在るということ。

 だがそれは戦国の世では別段普通だし、奴の話では真琴まことを正妻に迎える準備もあるという事だし……

 まぁ長年、真琴まことと一緒に過ごした俺としては、やはり複雑な感情もあるにはあるが……

 「…………」

 「真琴まこと?」

 俺の投げかけた言葉に、テーブル上に皿を並べていた少女の手がピタリと止まる。

 「えっと、だなぁ、別に直ぐに答えを出すことは無いか……」

 「………………ます」

 ――ん?

 俺の言葉に被せるように真琴まことは呟いた。

 「えっと?真琴まこと?」

 「死にます」

 ――なっ!?

 ――なんですとぉっ!!

 俺は固まった。

 縁談の話に対しては想像だにしない回答リターンだ!

 「ま、真琴まこと……おい?」

 明らかに慌てふためいた俺の顔を台所キッチンからジッと見据える大きめの黒き瞳は……

 「……熊谷くまがや 住吉すみよし様がどうとか、そういうことでは無いんです。私は最嘉さいかさまからそんなお言葉を頂くくらいなら死にます!」

 ――おぉぉいっ!!

 俺は思わず手にしていたグラスを落としそうになりながらもグッとこらえていた。

 「真琴まこと!ええと!嫌なら別に断るのは良いし!勿論、強制もしないが将来的には真琴まことも結婚して……」

 「私は最嘉さいかさまだけにお仕えする女ですっ!生涯を賭して!命のある限り!それはご迷惑ですか?最嘉さいかさまには……真琴まことは、お、重荷なのでしょうか?」

 「う……」

 これ以上無い真剣な瞳だ。

 俺は……

 確かに真琴まことが傍に居てくれたお陰で今まで色々な困難も乗り越えて来れた。

 その事実は間違いない。

 鈴原すずはら 真琴まことの個人的な能力――

 軍事的、内政的な、そういう実質面でもそうだがそれよりも何よりも精神的な……

 最近では宗三むねみつ いちの反乱騒ぎの時がそうだった。

 そしてなにより俺が臨海りんかいの次期当主に決まったあの”嘉深よしみの死”の時も……

 「……」

 ――真琴まことがいなければ俺は死んでいただろう

 精神的に……

 或いは本当の死だ。

 ――鈴原すずはら 真琴まことが傍に居てくれなければ、鈴原すずはら 最嘉さいかは既にこの世に存在などしていない

 彼女は俺の精神的支柱……

 いや、俺にとって真琴まことは無くてはならない存在だと。

 これまでの人生で俺は既に気づいていたはずだ。

 「…………」

 「……最嘉さいか……さま」

 距離を挟んで絡み合う俺の瞳と真琴まことの心配そうな瞳。

 俺は……

 正直、軽はずみだったと思う。

 臨海りんかいの王として、鈴原すずはらの当主としての立場を見せようと、大人の対応を演じてみたが、やはり一番大切なのはそういう体裁では無い。

 「いや、すまなかった……正直な、俺も真琴まことが断るだろうと思っていたんだ。でも一応は住吉すみよしとの義理もあるし伝えるだけはとな……けどそれは卑怯だった」

 「…………最嘉さいかさま?」

 神妙な顔と口調の俺に真琴まことが少し戸惑い気味の視線を向ける。

 苦楽を共にする臨海りんかいの仲間達……

 特にいち真琴まこと鈴原すずはら 最嘉さいかの事を隅々まで知ってくれている。

 だから必要ないと、俺は時々こうして甘えてしまうのだ。

 ――だが

 時にはちゃんと言葉にする事も必要だ!!

 「俺にはな……やっぱお前が必要だ」

 「っ!?」

 思い直した俺の言葉に真琴まことの大きめの黒い瞳が一回り大きく見開かれた。

 「他の家臣達とも、いちとも違う。鈴原すずはら 真琴まことだけが俺の心に占める大切な……ううんと……上手く言えないな。けど鈴原すずはら 最嘉さいかにとって鈴原すずはら 真琴まことは、そんな”かけがえのない存在”なんだ。だから、まこ……」

 ――とおぉっ!?

 そこまで言いかけた時、それを聞く少女は……

 「う……ひ……ひっく……うぅ……」

 ポロポロと大粒の涙を黒い瞳から惜しげも無く次から次へと零れさせていた。

 「さ……ううっ……最嘉さいかさまが……うぅ……そんなことを言ってくださるなんて……」

 「…………」

 ――ちょっと……

 熱くなりすぎたか!?

 俺は真琴まことの反応を見て少々後悔していた。

 「うぅ……あの女にああは言いましたが……本当は少し……悩んでいたんです」

 「……ん?」

 ――あの女?悩んでいた?……なんの事だ?

 「ですが、今日、最嘉さいかさまにそう言って頂けて覚悟を決めました!」

 「ええと?」

 ――さっぱりだ。話がみえない?

 「最嘉さいかさまっ!」

 「お、おうっ!?」

 ところどころ意味が見えない俺は彼女の気迫に押し流される。

 「私もずっと最嘉さいかさまのことを……」

 ――うっ!

 いや、流されるにしてもこの流れって!?

 「ま、待て真琴まこと!俺が”かけがえのない存在”だと言ったのはだな、臨海りんかい王として、領主としてのだな……」

 咄嗟に怯んで逃げ道を用意しようとする俺。

 「解っています。でも、それでも……最嘉さいかさまに最も近い場所は誰にも……さっきだって脱衣所で……」

 「一旦!一旦落ち着こう?な、真琴まこと。一旦落ち着いて…………って?脱衣所?」

 感極まる真琴かのじょを俺はなんとか取り成そうとするが、

 そこで俺は、どさくさに紛れた場違いな言葉ワードに気づく。

 「は、はい……置いてあった最嘉さいか様の服を片付ける時に……洗濯籠に入れる時に……その……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですよ」

 「…………」

 ”これ”は希に見せる真琴まことの暴走バージョンだ。

 鈴原すずはら 真琴まことは俺に対する感情が一杯一杯になった時、こうしてたまに変な方向へと暴走する。

 「…………ええと一応聞くが、なにが”ちょっと”だけ?」

 そして俺は嫌な予感を感じながらも引き返すことが出来ない。

 「最嘉さいかさまの残り香に自制心というか、我慢が……あ!あの、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですよ!?」

 ――おいおいおいおいっ!!

 ”ちょっとだけ”って!まさか……

 俺のシャツとかを”くんくん”、”すーはーすーはー”とかっ!?

 ――いやいやいや!それって人としてどうよ!?

 ――てか、シャツなのか?まさか下着パンツとかじゃないよな?な?真琴まこっちゃん!

 思わぬカミングアウトに、俺はジッと微妙な顔で真琴まことを見詰めて固まっていた。

 「…………あ、あの……私もですね、今日はもしかしたらと……期待……あ!じゃなくて覚悟をっ!……ですから下着も最嘉さいかさまお気に入りの……ちょっとだけ際どい黒のお新品おニューの上下で……」

 ――おいおいおいおいおいおいおいおいっ!!

 「”ですから”って何が!?真琴まこと、お前ちょっと落ち着け!言動がチグハグすぎ……」

 いや待て!!

 「それより俺が何時いつそんな女性下着趣味ランジェリーフェチっぷりを披露したんだよっ!!」

 色々ありすぎるが鈴原 最嘉オレが真っ先に突っ込んだのは”そこ”だった。

 「えと?お気に召しませんか?」

 俺の反応に怖ず怖ずと上目遣いにエプロンの端を両手でモジモジと弄りながら聞いてくる黒髪ショートカットの美少女は……

 ――最高に可愛いけど!噛み合わな過ぎててちょっと怖い!!

 「あの……”入手済み情報データベース”では最嘉さいかさまはてっきりそういうのが……」

 「…………デ、入手済み情報データベース?」

 そして更に俺に加えられる打撃ショック

 こう見えて真琴まことは結構器用で、料理は得意、家事全般もそつなくこなす。

 それこそこうやってたまに俺の部屋を訪れ、食事や掃除、色々と世話を焼いてくれるのだが、それをいつの間にやら当然の如く受け入れていた俺は……

 ――ベッドか?

 その”言葉ワード”は正常な男子から平常心を奪うに十分だ!

 ――ま、まさかベッドの下にある秘蔵のブツをっ!?

 俺の表情は凍り付いていただろう。

 ――”男の浪漫そういうもの”的な存在の保管には勿論注意はしていたんだ……

 ――していたんだよぉぉっ!!

 「あ、あの…………?」

 黙ったままの俺に真琴まことが心配そうに声をかけてくる。

 「いや……なんでもない。少し取り乱し……」

 こんなことでは駄目だ。

 真琴まことの主人として、この臨海りんかい国の主として、鈴原 最嘉さいか何時いつ如何いかなる時も堂々となくては……

 「ベッドの下では無くて、書棚の一番下の、厳重な二重底の中に在る”逸品”の方です」

 「って、滅茶苦茶バレてるやーーんっ!!俺の逸品っ!!」

 ――コンチキショーー!!

 心の中まで見透かされていた俺は、少しでなく多いに取り乱して泣いていた。

 「ハァハァハァ……」

 つ、疲れた……

 半休なのに普段よりもどっと疲れた。

 「あの……最嘉さいかさま?」

 「…………」

 で、結局どうした状況だ……これ?

 もしかして真琴まことは今日は……

 「ハァハァ……」

 「…………あっ、お料理!」

 真琴まことは肩で息をする俺を横目にテーブルを指さして――

 「取りあえず冷めないうちに……最嘉さいかさま」

 黒髪ショートカットの美少女は、頬を赤らめながらもの凄く良い笑顔で言った。

 「どうぞ、お召し上がりください」

 頬を赤らめて短いスカートの裾をモジモジと掴む美少女。

 「だ、だから!どっちをぉっーー!?」

 その日、久しぶりに半休を取れた多忙な男の部屋で――

 テーブル上に並べられた料理と目前の美少女を見比べて発せられる、魂の叫びが木霊したのだった。

 第六話「或る休日の情景」後編 END
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