183 / 305
下天の幻器(うつわ)編
第六話「或る休日の情景」後編(改訂版)
しおりを挟む第六話「或る休日の情景」後編
「お昼作りますから、最嘉さまはそれまでにお風呂済ませて下さい」
鈴原本邸、俺の部屋を訪れた鈴原 真琴は、そう言うと早々に俺を部屋から追い出した。
シャァァーー
「…………」
一度は微睡みかけていた体に、目を覚ますのも含めて少し熱めのシャワーを浴びながら俺は考える。
黒髪ショートカットの美少女は臨海高校の制服姿で、学生鞄と一緒に両手にスーパーのレジ袋を抱えて現れた。
「最嘉さまは放っておくとそうやって”だらしなく”過ごすんですから、お昼ご飯も済まさずに寝てしまわれてはお体に触りますよ、お昼作りますから……」
と、そしてそんな感じに俺を追い出したのだ。
戦国世界でもこの近代国家世界でも俺の近習である彼女が、今日の俺の予定が午前中だけだと知っていても当然だが――
その後の俺の行動までも完全にお見通しで、先手を打つとは流石に真琴と言える。
そう俺が感心しながらシャワーを済ませて……
ガララ
「……」
浴室から出ると脱衣所にはきちんと畳まれた下着と部屋着が用意されていた。
勿論、脱ぎ散らかした俺の衣服は既に無い。
――ほんと抜かりが無い。真琴の俺に対する甲斐甲斐しさときたら……
――
ガチャ
「真琴。お前、今日は臨海高校へ行っていたのか?」
着替えた俺は再び自室に戻り、そして既に料理中の真琴に尋ねる。
「最嘉さま。はい、そうです」
料理の手を止め、しっかりこっちを向いて応える少女は自身も既に私服に着替えていた。
おっと、言い忘れたが俺の自室には結構本格的な台所スペースがある。
時間帯に関係無く仕事を熟すことが多い俺は、その都度使用人に食事や間食など用意させるのも気が引けるので簡単な食事ならと自室に台所を用意したのだが……
どこからかそれを聞きつけて来た真琴が、”ジャンクフードばかりではお体に触ります”と――
こうして本格的なシステムキッチンに施工し直させ、その後は俺に手料理を振る舞ってくれることが多くなった。
抑も使用人に手間をかけさせるのを留意したのにこれでは本末転倒であるが……
勿論、真琴の自宅は別だからそれ以外は自分でカップ麺とかを食べることは多い。
――ジャンクはジャンクで美味いし、深夜とかたまにどうしようも無く恋しくなることがあるんだよなぁ
「最嘉さま。リビングのテーブルに冷たい飲み物を用意しましたので、もう少しだけお待ちください」
「りょうかい」
風呂上がりの俺は軽く手を上げて向こうのリビングルームに移動する。
――ほんと、行き届いた良い娘だ
真琴の私服姿は少し大人っぽい雰囲気の長袖ハイネックのルーズニットと可愛らしい膝上十センチはあるだろうミニスカート。
”みそ”はゆったりとした柔らかいオートミール色のニットに手先や首元、その下のブラウンのスカートが隠れそうで隠れないという絶妙な”可愛い娘”スタイルだ。
そしてそれでありながら、その可愛らしい私服の上に持参のエプロンを身に着け、料理のためにダブついた袖を捲るという健気さという!
――所謂、ギャップ萌えが高ポイントを達成しているっ!!
「……」
――そう……今日はいつもよりもスカート丈が短いよなぁ
「……うぅ、ごほん!ごほん!」
兎に角――
目前には、先程から甲斐甲斐しく俺の世話をする黒髪ショートカットの清楚可憐な美少女の姿!
この状況なら殆どの男が惚れること間違いなしの”良い娘”だろう。
「……」
リビングルームでソファーに腰掛け、真琴が用意してくれたアイスティーを飲む俺は、横目でチラリチラリと台所にて手際良く手料理に勤しむ美少女を見ていた。
――休日の今日、何らかの用事で学校に登校した真琴は……
その帰り道に買い物してから俺の所へ寄ったのだろう。
――しかし休日に登校する場合でも制服着用とは
学生の何人が守っているやら分からない校則だが、こういう所はキッチリした真琴らしい。
「……」
そしてそんな真琴を見ていて、俺はある事を思い出していた。
それは少し前に俺に向け内々に熊谷 住吉から”ある打診”があったことだ。
――因みに熊谷 住吉とは……
歳は少しばかり離れてはいるが俺の昔馴染みで、我が臨海近隣で同盟国の所領”日限”の領主である。
粗忽で乱暴者で熊のような巨体の男で、だが意外と面倒見の良い……
戦場では”圧殺王”と恐れられる剛の者。
「………………真琴。お前になぁ、日限の熊谷 住吉から縁談の申し込みが……」
俺は料理中の美少女に聞いてみる。
住吉は以前からなんとなく真琴に気があるような感じはしていたが……
実際、そう伝えられた時は俺も少々驚いた。
だが、年齢は離れてはいるが話としては悪い内容では無い。
隣接する同盟国で人物も申し分無い。
少し引っかかるとすれば、奴には妻が既に三人ほど在るということ。
だがそれは戦国の世では別段普通だし、奴の話では真琴を正妻に迎える準備もあるという事だし……
まぁ長年、真琴と一緒に過ごした俺としては、やはり複雑な感情もあるにはあるが……
「…………」
「真琴?」
俺の投げかけた言葉に、テーブル上に皿を並べていた少女の手がピタリと止まる。
「えっと、だなぁ、別に直ぐに答えを出すことは無いか……」
「………………ます」
――ん?
俺の言葉に被せるように真琴は呟いた。
「えっと?真琴?」
「死にます」
――なっ!?
――なんですとぉっ!!
俺は固まった。
縁談の話に対しては想像だにしない回答だ!
「ま、真琴……おい?」
明らかに慌てふためいた俺の顔を台所からジッと見据える大きめの黒き瞳は……
「……熊谷 住吉様がどうとか、そういうことでは無いんです。私は最嘉さまからそんなお言葉を頂くくらいなら死にます!」
――おぉぉいっ!!
俺は思わず手にしていたグラスを落としそうになりながらもグッと堪えていた。
「真琴!ええと!嫌なら別に断るのは良いし!勿論、強制もしないが将来的には真琴も結婚して……」
「私は最嘉さまだけにお仕えする女ですっ!生涯を賭して!命のある限り!それはご迷惑ですか?最嘉さまには……真琴は、お、重荷なのでしょうか?」
「う……」
これ以上無い真剣な瞳だ。
俺は……
確かに真琴が傍に居てくれたお陰で今まで色々な困難も乗り越えて来れた。
その事実は間違いない。
鈴原 真琴の個人的な能力――
軍事的、内政的な、そういう実質面でもそうだがそれよりも何よりも精神的な……
最近では宗三 壱の反乱騒ぎの時がそうだった。
そしてなにより俺が臨海の次期当主に決まったあの”嘉深の死”の時も……
「……」
――真琴がいなければ俺は死んでいただろう
精神的に……
或いは本当の死だ。
――鈴原 真琴が傍に居てくれなければ、鈴原 最嘉は既にこの世に存在などしていない
彼女は俺の精神的支柱……
いや、俺にとって真琴は無くてはならない存在だと。
これまでの人生で俺は既に気づいていたはずだ。
「…………」
「……最嘉……さま」
距離を挟んで絡み合う俺の瞳と真琴の心配そうな瞳。
俺は……
正直、軽はずみだったと思う。
臨海の王として、鈴原の当主としての立場を見せようと、大人の対応を演じてみたが、やはり一番大切なのはそういう体裁では無い。
「いや、すまなかった……正直な、俺も真琴が断るだろうと思っていたんだ。でも一応は住吉との義理もあるし伝えるだけはとな……けどそれは卑怯だった」
「…………最嘉さま?」
神妙な顔と口調の俺に真琴が少し戸惑い気味の視線を向ける。
苦楽を共にする臨海の仲間達……
特に壱と真琴は鈴原 最嘉の事を隅々まで知ってくれている。
だから必要ないと、俺は時々こうして甘えてしまうのだ。
――だが
時にはちゃんと言葉にする事も必要だ!!
「俺にはな……やっぱお前が必要だ」
「っ!?」
思い直した俺の言葉に真琴の大きめの黒い瞳が一回り大きく見開かれた。
「他の家臣達とも、壱とも違う。鈴原 真琴だけが俺の心に占める大切な……ううんと……上手く言えないな。けど鈴原 最嘉にとって鈴原 真琴は、そんな”かけがえのない存在”なんだ。だから、まこ……」
――とおぉっ!?
そこまで言いかけた時、それを聞く少女は……
「う……ひ……ひっく……うぅ……」
ポロポロと大粒の涙を黒い瞳から惜しげも無く次から次へと零れさせていた。
「さ……ううっ……最嘉さまが……うぅ……そんなことを言ってくださるなんて……」
「…………」
――ちょっと……
熱くなりすぎたか!?
俺は真琴の反応を見て少々後悔していた。
「うぅ……あの女にああは言いましたが……本当は少し……悩んでいたんです」
「……ん?」
――あの女?悩んでいた?……なんの事だ?
「ですが、今日、最嘉さまにそう言って頂けて覚悟を決めました!」
「ええと?」
――さっぱりだ。話がみえない?
「最嘉さまっ!」
「お、おうっ!?」
ところどころ意味が見えない俺は彼女の気迫に押し流される。
「私もずっと最嘉さまのことを……」
――うっ!
いや、流されるにしてもこの流れって!?
「ま、待て真琴!俺が”かけがえのない存在”だと言ったのはだな、臨海王として、領主としてのだな……」
咄嗟に怯んで逃げ道を用意しようとする俺。
「解っています。でも、それでも……最嘉さまに最も近い場所は誰にも……さっきだって脱衣所で……」
「一旦!一旦落ち着こう?な、真琴。一旦落ち着いて…………って?脱衣所?」
感極まる真琴を俺はなんとか取り成そうとするが、
そこで俺は、どさくさに紛れた場違いな言葉に気づく。
「は、はい……置いてあった最嘉様の服を片付ける時に……洗濯籠に入れる時に……その……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですよ」
「…………」
”これ”は希に見せる真琴の暴走バージョンだ。
鈴原 真琴は俺に対する感情が一杯一杯になった時、こうしてたまに変な方向へと暴走する。
「…………ええと一応聞くが、なにが”ちょっと”だけ?」
そして俺は嫌な予感を感じながらも引き返すことが出来ない。
「最嘉さまの残り香に自制心というか、我慢が……あ!あの、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですよ!?」
――おいおいおいおいっ!!
”ちょっとだけ”って!まさか……
俺のシャツとかを”くんくん”、”すーはーすーはー”とかっ!?
――いやいやいや!それって人としてどうよ!?
――てか、シャツなのか?まさか下着とかじゃないよな?な?真琴ちゃん!
思わぬカミングアウトに、俺はジッと微妙な顔で真琴を見詰めて固まっていた。
「…………あ、あの……私もですね、今日はもしかしたらと……期待……あ!じゃなくて覚悟をっ!……ですから下着も最嘉さまお気に入りの……ちょっとだけ際どい黒のお新品の上下で……」
――おいおいおいおいおいおいおいおいっ!!
「”ですから”って何が!?真琴、お前ちょっと落ち着け!言動がチグハグすぎ……」
いや待て!!
「それより俺が何時そんな女性下着趣味っぷりを披露したんだよっ!!」
色々ありすぎるが鈴原 最嘉が真っ先に突っ込んだのは”そこ”だった。
「えと?お気に召しませんか?」
俺の反応に怖ず怖ずと上目遣いにエプロンの端を両手でモジモジと弄りながら聞いてくる黒髪ショートカットの美少女は……
――最高に可愛いけど!噛み合わな過ぎててちょっと怖い!!
「あの……”入手済み情報”では最嘉さまはてっきりそういうのが……」
「…………デ、入手済み情報?」
そして更に俺に加えられる打撃!
こう見えて真琴は結構器用で、料理は得意、家事全般もそつなく熟す。
それこそこうやってたまに俺の部屋を訪れ、食事や掃除、色々と世話を焼いてくれるのだが、それをいつの間にやら当然の如く受け入れていた俺は……
――ベッドか?
その”言葉”は正常な男子から平常心を奪うに十分だ!
――ま、まさかベッドの下にある秘蔵のブツをっ!?
俺の表情は凍り付いていただろう。
――”男の浪漫”的な存在の保管には勿論注意はしていたんだ……
――していたんだよぉぉっ!!
「あ、あの…………?」
黙ったままの俺に真琴が心配そうに声をかけてくる。
「いや……なんでもない。少し取り乱し……」
こんなことでは駄目だ。
真琴の主人として、この臨海国の主として、鈴原 最嘉は何時如何なる時も堂々となくては……
「ベッドの下では無くて、書棚の一番下の、厳重な二重底の中に在る”逸品”の方です」
「って、滅茶苦茶バレてるやーーんっ!!俺の逸品っ!!」
――コンチキショーー!!
心の中まで見透かされていた俺は、少しでなく多いに取り乱して泣いていた。
「ハァハァハァ……」
つ、疲れた……
半休なのに普段よりもどっと疲れた。
「あの……最嘉さま?」
「…………」
で、結局どうした状況だ……これ?
もしかして真琴は今日は……
「ハァハァ……」
「…………あっ、お料理!」
真琴は肩で息をする俺を横目にテーブルを指さして――
「取りあえず冷めないうちに……最嘉さま」
黒髪ショートカットの美少女は、頬を赤らめながらもの凄く良い笑顔で言った。
「どうぞ、お召し上がりください」
頬を赤らめて短いスカートの裾をモジモジと掴む美少女。
「だ、だから!どっちをぉっーー!?」
その日、久しぶりに半休を取れた多忙な男の部屋で――
テーブル上に並べられた料理と目前の美少女を見比べて発せられる、魂の叫びが木霊したのだった。
第六話「或る休日の情景」後編 END
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
58
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる