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3章 恋する女は美しく
ある少年の物語
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橋本さんと別れてから一週間経った頃、相坂君は朝からお腹の調子が悪いと感じていたわ。それでも学校へ来て一時間目と二時間目の授業を受けて――彼は保健室へ運ばれた。橋本さんと出会った保健室へ。授業中、突然お腹を包丁で刺されたような激痛を感じて相坂君は苦しんだわ。三時間目と四時間目が終わっても痛みが治まる様子はない。ベッドの上でのたうち回っているうちに昼休みになった。ふと、誰かがベッドの横のカーテンを開けて相坂君の顔を覗きこんできたわ。
橋本さんよ。彼女は……微笑んでいたわ。ぞっとするような笑顔だった。相坂君は一週間前に見た、彼女の泣きはらしたような顔を思い出した。そして、その時とはまるで別人の彼女に思わず身構えた。お腹の痛みより、得体の知れない彼女への恐怖が勝ったから。
「熱も出てるみたいだね」
橋本さんは相坂君の額に手を当てて淡々と言った。細くて冷たい指だった。彼女はそう言ってカーテンの向こう側に姿を消したわ。少し離れた場所で、蛇口をひねって水の跳ねる音がした。橋本さんが濡れタオルを用意してくれているのが分かったけれど、ちっとも相坂君は安心できなかった。
「お大事にしてね」
橋本さんはうなされる相坂君の額の上にタオルを置いて、そのまま保健室を出て行ったわ。
一体なんだったんだろう……。相坂は彼女の態度を不思議に思った。けれど、どうして彼女が「熱“も”出ているみたいだね」と言ったのか、そこまでは気が回らなかったみたい。隣のクラスの彼女が、どうして相坂君の具合が悪いことを知っていたのか……。
相坂君の具合は良くなるどころか悪化する一方だった。腹痛だけじゃなくて頭痛もしたり、足が痛んで歩けなくなったり、調子の悪い場所が日ましに増えていくの。病院をたくさんたらい回しにされたあげく原因は分からずじまい。物理的に悪い場所はないから精神的な問題を疑われたけど、これも当てが外れたわ。とても学校へなんて通えないから家にこもる日々が続いた。
ひきこもり始めて何日経った頃かしら、ベッドで大人しくしていると玄関のインターホンを押す音が聞こえてきたの。学校に通っていれば放課後になっている時間。両親は仕事でいないし彼は一人っ子だった。宅配便だろうと思って放っておいたけど、インターホンを押す音は鳴りやまない。仕方なく彼は鉛のように重い体を引きずって玄関モニターの前へ行った。そして、体中の痛みが吹き飛ぶほど驚いたの。
玄関のカメラに映っていたのは制服を着た少女たち。相坂君と同じ高校の制服。その顔ぶれは彼もよく知っていた。今まで相坂君が付き合って、捨ててきた女の子たちだから。もちろんその中に橋本さんの顔もあったわ。
「お見舞いに来たの」
モニター越しに聞こえる橋本さんの声。たった一言だけど相坂君を怯えさせるには十分だった。お見舞いに来た少女たちはみんな同じ表情をしていた。そう保健室で見たのと全く同じ、ぞっとするような笑顔。催眠術に掛かったようにぼうっとした瞳、薄ら笑いを浮かべた唇。瞳はどこを見ているか分からないほど淀んで見えた。
お見舞いに来たということはね、「家の中に入れてくれ」っていうことよ。これは何かある、理由はわからないけど彼女たちは普通じゃない――本能でそう感じ取った相坂君はその場で固まってしまったわ。けれど立て続けに鳴らされるインターホンの音を聞いていて、彼は人目もはばからずに叫んだの。
「俺が悪かった! 頼むから帰ってくれ!」
近所の人たちは驚いたでしょうね。ただ、何が起きたのかと窓から様子をうかがう人はいたけれど、さすがに外へ出てくる人はいなかった。長く続く相坂君の悲鳴に、警察を呼ぶべきかどうか近所の人たちが迷い始めたころ……相坂君の悲痛な叫び声が彼女たちの心を動かしたのか、みんな顔を見合わせあった。そして一言も発さずに頷き合うと、カメラに向かってこう言ったの。
「また学校でね、相坂君」
橋本さんの声だった。それが合図だったように、少女たちはカメラに背を向けて歩道の方へ向かった。彼女たちがカメラの視角外へ行った後も相坂君は動悸が収まらなかった。だから、自分の部屋がある二階の窓からそっと彼女たちの様子をうかがったの。そこで彼は、全く予想していなかったものを目にしたわ。
夕日に照らされながら帰る制服の少女たち。彼女たちにはね……影がなかったの。最初はそんなこと相坂君も気付かなかった。けれど犬を散歩させている人と彼女たちがすれ違った時にハッと気づいたの。まるで手品を見ているような気分だった。頭の中は真っ白だったけれど、突拍子もなさ過ぎて恐怖すら感じなかったの。ただただ目の前の出来事が理解できなかったから。
日に日に調子の悪い場所は増えていく。わざわざお見舞いに来た少女たちの異様な表情。何かあると思った相坂君は片っ端から学校の友達に連絡をしたわ。過去に振った女の子たちの名前を挙げて、彼女たちに最近何かなかったかって。そしてようやく突き止めたの。
最近、自分のクラスにいる「女神」と呼ばれている生徒の所へ、相坂君が振った女の子たちが通い詰めているって。そして「女神通い」を始めたのは橋本さんが最初らしいことも。相坂君も女神のことは知っていたわ。彼が声を掛けても、唯一取り合おうとしなかった女の子だったから印象に残っていたの。
なんでも女神は「おまじない」だか「黒魔術」だかを使って願いをかなえたり、人を呪ったりできるっていう噂だった。彼にして見れば自分を袖にした忌々しい女。でも彼女に聞けば体調が悪い理由が何か分かるかもしれない。今は彼女にすがるしかないのではないか――そう考えたけれど彼女の連絡先は教えてもらえなかったから、彼は直接学校へ行くことにしたの。
でも、そんなことはしなかった方が良かったかもしれない。何故かって? ふふ、大丈夫よ。全部順を追って話してあげるから。
橋本さんよ。彼女は……微笑んでいたわ。ぞっとするような笑顔だった。相坂君は一週間前に見た、彼女の泣きはらしたような顔を思い出した。そして、その時とはまるで別人の彼女に思わず身構えた。お腹の痛みより、得体の知れない彼女への恐怖が勝ったから。
「熱も出てるみたいだね」
橋本さんは相坂君の額に手を当てて淡々と言った。細くて冷たい指だった。彼女はそう言ってカーテンの向こう側に姿を消したわ。少し離れた場所で、蛇口をひねって水の跳ねる音がした。橋本さんが濡れタオルを用意してくれているのが分かったけれど、ちっとも相坂君は安心できなかった。
「お大事にしてね」
橋本さんはうなされる相坂君の額の上にタオルを置いて、そのまま保健室を出て行ったわ。
一体なんだったんだろう……。相坂は彼女の態度を不思議に思った。けれど、どうして彼女が「熱“も”出ているみたいだね」と言ったのか、そこまでは気が回らなかったみたい。隣のクラスの彼女が、どうして相坂君の具合が悪いことを知っていたのか……。
相坂君の具合は良くなるどころか悪化する一方だった。腹痛だけじゃなくて頭痛もしたり、足が痛んで歩けなくなったり、調子の悪い場所が日ましに増えていくの。病院をたくさんたらい回しにされたあげく原因は分からずじまい。物理的に悪い場所はないから精神的な問題を疑われたけど、これも当てが外れたわ。とても学校へなんて通えないから家にこもる日々が続いた。
ひきこもり始めて何日経った頃かしら、ベッドで大人しくしていると玄関のインターホンを押す音が聞こえてきたの。学校に通っていれば放課後になっている時間。両親は仕事でいないし彼は一人っ子だった。宅配便だろうと思って放っておいたけど、インターホンを押す音は鳴りやまない。仕方なく彼は鉛のように重い体を引きずって玄関モニターの前へ行った。そして、体中の痛みが吹き飛ぶほど驚いたの。
玄関のカメラに映っていたのは制服を着た少女たち。相坂君と同じ高校の制服。その顔ぶれは彼もよく知っていた。今まで相坂君が付き合って、捨ててきた女の子たちだから。もちろんその中に橋本さんの顔もあったわ。
「お見舞いに来たの」
モニター越しに聞こえる橋本さんの声。たった一言だけど相坂君を怯えさせるには十分だった。お見舞いに来た少女たちはみんな同じ表情をしていた。そう保健室で見たのと全く同じ、ぞっとするような笑顔。催眠術に掛かったようにぼうっとした瞳、薄ら笑いを浮かべた唇。瞳はどこを見ているか分からないほど淀んで見えた。
お見舞いに来たということはね、「家の中に入れてくれ」っていうことよ。これは何かある、理由はわからないけど彼女たちは普通じゃない――本能でそう感じ取った相坂君はその場で固まってしまったわ。けれど立て続けに鳴らされるインターホンの音を聞いていて、彼は人目もはばからずに叫んだの。
「俺が悪かった! 頼むから帰ってくれ!」
近所の人たちは驚いたでしょうね。ただ、何が起きたのかと窓から様子をうかがう人はいたけれど、さすがに外へ出てくる人はいなかった。長く続く相坂君の悲鳴に、警察を呼ぶべきかどうか近所の人たちが迷い始めたころ……相坂君の悲痛な叫び声が彼女たちの心を動かしたのか、みんな顔を見合わせあった。そして一言も発さずに頷き合うと、カメラに向かってこう言ったの。
「また学校でね、相坂君」
橋本さんの声だった。それが合図だったように、少女たちはカメラに背を向けて歩道の方へ向かった。彼女たちがカメラの視角外へ行った後も相坂君は動悸が収まらなかった。だから、自分の部屋がある二階の窓からそっと彼女たちの様子をうかがったの。そこで彼は、全く予想していなかったものを目にしたわ。
夕日に照らされながら帰る制服の少女たち。彼女たちにはね……影がなかったの。最初はそんなこと相坂君も気付かなかった。けれど犬を散歩させている人と彼女たちがすれ違った時にハッと気づいたの。まるで手品を見ているような気分だった。頭の中は真っ白だったけれど、突拍子もなさ過ぎて恐怖すら感じなかったの。ただただ目の前の出来事が理解できなかったから。
日に日に調子の悪い場所は増えていく。わざわざお見舞いに来た少女たちの異様な表情。何かあると思った相坂君は片っ端から学校の友達に連絡をしたわ。過去に振った女の子たちの名前を挙げて、彼女たちに最近何かなかったかって。そしてようやく突き止めたの。
最近、自分のクラスにいる「女神」と呼ばれている生徒の所へ、相坂君が振った女の子たちが通い詰めているって。そして「女神通い」を始めたのは橋本さんが最初らしいことも。相坂君も女神のことは知っていたわ。彼が声を掛けても、唯一取り合おうとしなかった女の子だったから印象に残っていたの。
なんでも女神は「おまじない」だか「黒魔術」だかを使って願いをかなえたり、人を呪ったりできるっていう噂だった。彼にして見れば自分を袖にした忌々しい女。でも彼女に聞けば体調が悪い理由が何か分かるかもしれない。今は彼女にすがるしかないのではないか――そう考えたけれど彼女の連絡先は教えてもらえなかったから、彼は直接学校へ行くことにしたの。
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