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5章 学校に降り立つ神
神か悪魔か
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ある日の放課後。その日も隣の一年B組から蛇神様を呼ぶ声の大合唱が聞こえてきた。いつもどおり教室のドアの陰から中の様子を見ようとして、僕は叫びそうになった。見慣れない女子(新しくこの“会”に参加した子だろう)がスポーツバッグから取り出したのは――透明なゴミ袋に入った猫の死骸だった。目を開けたままだらりと手足を投げ出している。
「痛いのはかわいそうだったからエサに毒を混ぜたんだけど……」
野良猫にエサをやる振りをして殺したらしい。今までお供えは柏餅や果物といった、簡単に手に入るありふれたものだった。なんだってこんな物騒なものになったんだ?
「ねぇ、本当にこんなもの必要なの?」
猫を殺してしまった罪悪感からかそう尋ねる女の子の肩が震えていた。その子に対して林田さんはむしろ堂々としているというか、毅然とした態度でこう返した。蛇神様の力――存在を完全に信じ切っていることからくる自信に満ちた声がする。
「大丈夫。用意してくれたあなたの勇気と信心に、必ず蛇神様は答えてくださるわ」
彼女の声には有無を言わさない雰囲気があった。女の子はおずおずと、机の上に猫の死体を置く。
お供えの要求がおかしくなったのはこの日だけじゃなかった。蛇神様は文字が書かれた紙の上に置かれた硬貨を通して、林田さんたちに自分の意志を伝えている――らしいが、動物の死体や血を頻繁にせがむようになった。
そのうち人間のものが欲しいなんて言い出すんじゃないか。そう考えた子は僕以外にもいるようで「怖いからやめる」と言い出して蛇神様の儀式を辞める子が出始めた。林田さんも最初は説得しようとしたけれど、やがてそういう子たちのことを「不信心者」として放っておくようになった。それでも誰かが抜けるたびに「せっかく蛇神様のお力を借りられるのに」と愚痴をこぼしていたけれど。
蛇神様から離反する生徒が出始めて三日くらい経っただろうか。朝のHRで先生が重苦しい顔をしながらこう言った。
「一年B組の高橋さんが昨日の夜からおうちに帰っていないそうです。誰か高橋さんのことで何か知っていることや気になることがあれば、先生の所へ来てください」
最初は「一年B組か」「早く帰ってこれるといいな」としか思っていなかった。けれどその後も不吉なニュースは続いた。
「C組の大谷さん、昨日の夕方車に轢かれたんだって。重体でやばいらしいよ」
「二年の運動部の先輩、家で倒れてるところ見つかったってさ。なんか自殺しようとしたって話だけど……本当かな」
それは先生の口から語られたり、誰かの噂話だったりした。話の出どころは様々だったけど共通点が一つ。
「全員、蛇神様の儀式に参加しているんです」
放課後の怪異体験クラブの部室に集まったのは僕、真咲先輩、神木先輩、野々宮先輩、そして珍しく鈴原先輩もいた。僕の話に一番乗りしてきたのは、やっぱり野々宮先輩だ。
「えー? それって蛇神様の祟り?」
「分かりませんけど……蛇神様の儀式に参加したけどお供えものを用意できなかった人が、事故や事件に遭ってるみたいです」
こんなに儀式の観察をしている僕も大概ヒマ人だけど、被害者の共通点を探ってみると「蛇神様の儀式に参加している」だけじゃないことが分かった。「お供えものを持たずに儀式へ参加している」人だけがひどい目に遭っているらしい。「お供えものを持ってこなかったのに力を借りようとした、あつかましい人間に対する制裁だ」と林田さんは信者に向かって説き伏せていたけれど。真咲先輩はパンと手を叩いた。
「お供えものの要求が過激になって、要望に応えられない子たちが痛い目に遭っているわけか。最初の方は手ごろなものばかりだったから、何も被害がなかったんだね。被害者の共通点の着眼点が素晴らしいぞ、保科くん」
「保科ちゃん、すっかり蛇神様ハカセだね」
野々宮先輩がはやし立てる。
「このままだと、もっと悪いことが起きるような気がします」
「ふうん? どうしてそう思う?」
真咲先輩は興味をひかれたように僕の顔を見つめた。
「林田さんがクラスで孤立してるんです。最初は蛇神様のご利益でもてはやされてたんですけど、参加者の事故や事件が立て続けに起こったじゃないですか。林田さんがやった怪しい儀式のせいじゃないかって陰口を叩かれてるんです」
陰口どころか面と向かって彼女を非難する人もいる。元々クラスでは目立たない――どちらかというと陰気な雰囲気の彼女がちやほやされるのを快く思っていなかった人たちが、これぞチャンスとばかりに林田さんを叩いているのだ。
「信者だったのに林田さんから離れていく人もいます。最初の方に願いをかなえてもらった数人はまだ林田さんの取り巻きみたいになってますけど、だいぶ減りましたね」
「なるほどね。蛇神の言葉を告げる巫女として担ぎ上げられたのが一転、中世の魔女のような扱いを受けていると」
「それに昨日、林田さんがこう言ったんです。『もしみんなが酷い目に遭っているのが蛇神様のせいなら、私が蛇神様を説得してみせる』って」
それまで余裕を見せていた真咲先輩の表情から、軽快さがなりを潜めた。切り込むような口調で僕に尋ねる。どうしたんだろう急に? 僕は思わず口ごもった。
「説得って、具体的には何を?」
「さあ……」
「それはいつ?」
矢継ぎ早に質問を投げかけてくる真咲先輩に戸惑いつつ、僕は曖昧な返事をした。
「毎日例の儀式をやってるみたいなので……今日も教室に集まってるんじゃないですか?」
おずおずと答える僕の言葉を聞いて真咲先輩は席を立った。僕が慌てて腰を浮かせると、彼は僕を手招きする。
「それは見過ごせないね。人間が神に物申そうなんて大胆すぎる。怖いもの知らずとも言うけど」
「どういうことですか?」
「蛇神様が話し合いの卓についてくれると思うかい? 相手は神なんだよ? 人間と同じ目線で話をしてくれると思っちゃいけない」
そう、相手は人を事故に遭わせたり行方不明にしたりする力を持った“何か”なのだ。林田さんが説き伏せたところで「はい分かりました」とはならないだろう。それどころか自分のやることにケチをつける“反逆者”とみなして罰を与えるかもしれない。初めて林田さんに会った時のことを思い出す。「いつかバチが当たる」という彼女の言葉を。
このまま林田さんを放っておくのはまずいかもしれない。僕は真咲先輩の言葉に頷いて彼の後に続いた。野々宮先輩と鈴原先輩は席についたままだ。二人はそれぞれ順番にこう申し立てる。
「桃はパスしまーす。保科ちゃんの話を聞いてると、蛇神様って結構いっちゃってるみたいだし」
「私も遠慮するわ。こういうことはプロに任せるのが一番だから」
プロ? 何のことか分からず振り返ると、鈴原先輩は意味ありげに微笑んでいるだけだった。神木先輩は相変わらず不機嫌そうに口元を斜めにして、窓の外を見つめている。
「善は急げだ」
僕は真咲先輩と一緒に大階段を下りつつ一階へ向かった。時々部活に行く生徒とすれ違ったり、校庭から運動部の掛け声が聞こえて来たり、いつも通りの放課後だ。蛇神様の儀式なんていうおどろおどろしいことがすぐそばで始まっているとは思えないくらいに。
一階へ降りてすぐ左手に曲がると一年B組の教室だった。真咲先輩は猫のようにひたりと足音をひそめて、僕にも静かに歩くよう目で訴えてくる。自然と息を止めて、僕と先輩は教室のドアからB組の様子をうかがった。教室の中にいるのは林田さんと二人の女の子。いつもと違って、林田さんが硬貨と紙を乗せた机の前に立って、他の子たちは教室の隅で林田さんを見守っている。
思わず声をあげそうになった。林田さんが自分の手首にナイフをあてがったのだ。真咲先輩に制されて喉に出かかった悲鳴を飲み込む。
「蛇神様、蛇神様。仰る通り私の血をこの場へ捧げます。蛇神様、蛇神様、おいでください」
スッと、ためらいなくナイフを手前に引く。少し遅れて、糸を引いた赤いしずくが紙の上に垂らされた。血が滴るほどならかなり傷口は深いのでは? そんな心配をしているヒマもなく――今度は視線を感じるというレベルじゃなくて、はっきり見えた。
机に置かれた紙の上に煙のような白いもやが立ち上った。最初は形らしい形は無かった。けれど、よく見ると蛇のような鱗と舌を持っているようだった。最初は一筋の細い煙だったのに、むくむくと広がって林田さんを丸のみできそうなくらいの大きさになる。
「よくやってくれた。これで“終い”じゃ」
崩れた音声データのような、人間のものとは全く違う声音とイントネーション。蛇神様の声は、狂った金切り音のような気持ち悪さだった。
「え?」
驚いた林田さんが顔を上げた瞬間――蛇神様の巨大な顎が開いて、林田さんの頭を飲み込もうとした。
「痛いのはかわいそうだったからエサに毒を混ぜたんだけど……」
野良猫にエサをやる振りをして殺したらしい。今までお供えは柏餅や果物といった、簡単に手に入るありふれたものだった。なんだってこんな物騒なものになったんだ?
「ねぇ、本当にこんなもの必要なの?」
猫を殺してしまった罪悪感からかそう尋ねる女の子の肩が震えていた。その子に対して林田さんはむしろ堂々としているというか、毅然とした態度でこう返した。蛇神様の力――存在を完全に信じ切っていることからくる自信に満ちた声がする。
「大丈夫。用意してくれたあなたの勇気と信心に、必ず蛇神様は答えてくださるわ」
彼女の声には有無を言わさない雰囲気があった。女の子はおずおずと、机の上に猫の死体を置く。
お供えの要求がおかしくなったのはこの日だけじゃなかった。蛇神様は文字が書かれた紙の上に置かれた硬貨を通して、林田さんたちに自分の意志を伝えている――らしいが、動物の死体や血を頻繁にせがむようになった。
そのうち人間のものが欲しいなんて言い出すんじゃないか。そう考えた子は僕以外にもいるようで「怖いからやめる」と言い出して蛇神様の儀式を辞める子が出始めた。林田さんも最初は説得しようとしたけれど、やがてそういう子たちのことを「不信心者」として放っておくようになった。それでも誰かが抜けるたびに「せっかく蛇神様のお力を借りられるのに」と愚痴をこぼしていたけれど。
蛇神様から離反する生徒が出始めて三日くらい経っただろうか。朝のHRで先生が重苦しい顔をしながらこう言った。
「一年B組の高橋さんが昨日の夜からおうちに帰っていないそうです。誰か高橋さんのことで何か知っていることや気になることがあれば、先生の所へ来てください」
最初は「一年B組か」「早く帰ってこれるといいな」としか思っていなかった。けれどその後も不吉なニュースは続いた。
「C組の大谷さん、昨日の夕方車に轢かれたんだって。重体でやばいらしいよ」
「二年の運動部の先輩、家で倒れてるところ見つかったってさ。なんか自殺しようとしたって話だけど……本当かな」
それは先生の口から語られたり、誰かの噂話だったりした。話の出どころは様々だったけど共通点が一つ。
「全員、蛇神様の儀式に参加しているんです」
放課後の怪異体験クラブの部室に集まったのは僕、真咲先輩、神木先輩、野々宮先輩、そして珍しく鈴原先輩もいた。僕の話に一番乗りしてきたのは、やっぱり野々宮先輩だ。
「えー? それって蛇神様の祟り?」
「分かりませんけど……蛇神様の儀式に参加したけどお供えものを用意できなかった人が、事故や事件に遭ってるみたいです」
こんなに儀式の観察をしている僕も大概ヒマ人だけど、被害者の共通点を探ってみると「蛇神様の儀式に参加している」だけじゃないことが分かった。「お供えものを持たずに儀式へ参加している」人だけがひどい目に遭っているらしい。「お供えものを持ってこなかったのに力を借りようとした、あつかましい人間に対する制裁だ」と林田さんは信者に向かって説き伏せていたけれど。真咲先輩はパンと手を叩いた。
「お供えものの要求が過激になって、要望に応えられない子たちが痛い目に遭っているわけか。最初の方は手ごろなものばかりだったから、何も被害がなかったんだね。被害者の共通点の着眼点が素晴らしいぞ、保科くん」
「保科ちゃん、すっかり蛇神様ハカセだね」
野々宮先輩がはやし立てる。
「このままだと、もっと悪いことが起きるような気がします」
「ふうん? どうしてそう思う?」
真咲先輩は興味をひかれたように僕の顔を見つめた。
「林田さんがクラスで孤立してるんです。最初は蛇神様のご利益でもてはやされてたんですけど、参加者の事故や事件が立て続けに起こったじゃないですか。林田さんがやった怪しい儀式のせいじゃないかって陰口を叩かれてるんです」
陰口どころか面と向かって彼女を非難する人もいる。元々クラスでは目立たない――どちらかというと陰気な雰囲気の彼女がちやほやされるのを快く思っていなかった人たちが、これぞチャンスとばかりに林田さんを叩いているのだ。
「信者だったのに林田さんから離れていく人もいます。最初の方に願いをかなえてもらった数人はまだ林田さんの取り巻きみたいになってますけど、だいぶ減りましたね」
「なるほどね。蛇神の言葉を告げる巫女として担ぎ上げられたのが一転、中世の魔女のような扱いを受けていると」
「それに昨日、林田さんがこう言ったんです。『もしみんなが酷い目に遭っているのが蛇神様のせいなら、私が蛇神様を説得してみせる』って」
それまで余裕を見せていた真咲先輩の表情から、軽快さがなりを潜めた。切り込むような口調で僕に尋ねる。どうしたんだろう急に? 僕は思わず口ごもった。
「説得って、具体的には何を?」
「さあ……」
「それはいつ?」
矢継ぎ早に質問を投げかけてくる真咲先輩に戸惑いつつ、僕は曖昧な返事をした。
「毎日例の儀式をやってるみたいなので……今日も教室に集まってるんじゃないですか?」
おずおずと答える僕の言葉を聞いて真咲先輩は席を立った。僕が慌てて腰を浮かせると、彼は僕を手招きする。
「それは見過ごせないね。人間が神に物申そうなんて大胆すぎる。怖いもの知らずとも言うけど」
「どういうことですか?」
「蛇神様が話し合いの卓についてくれると思うかい? 相手は神なんだよ? 人間と同じ目線で話をしてくれると思っちゃいけない」
そう、相手は人を事故に遭わせたり行方不明にしたりする力を持った“何か”なのだ。林田さんが説き伏せたところで「はい分かりました」とはならないだろう。それどころか自分のやることにケチをつける“反逆者”とみなして罰を与えるかもしれない。初めて林田さんに会った時のことを思い出す。「いつかバチが当たる」という彼女の言葉を。
このまま林田さんを放っておくのはまずいかもしれない。僕は真咲先輩の言葉に頷いて彼の後に続いた。野々宮先輩と鈴原先輩は席についたままだ。二人はそれぞれ順番にこう申し立てる。
「桃はパスしまーす。保科ちゃんの話を聞いてると、蛇神様って結構いっちゃってるみたいだし」
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プロ? 何のことか分からず振り返ると、鈴原先輩は意味ありげに微笑んでいるだけだった。神木先輩は相変わらず不機嫌そうに口元を斜めにして、窓の外を見つめている。
「善は急げだ」
僕は真咲先輩と一緒に大階段を下りつつ一階へ向かった。時々部活に行く生徒とすれ違ったり、校庭から運動部の掛け声が聞こえて来たり、いつも通りの放課後だ。蛇神様の儀式なんていうおどろおどろしいことがすぐそばで始まっているとは思えないくらいに。
一階へ降りてすぐ左手に曲がると一年B組の教室だった。真咲先輩は猫のようにひたりと足音をひそめて、僕にも静かに歩くよう目で訴えてくる。自然と息を止めて、僕と先輩は教室のドアからB組の様子をうかがった。教室の中にいるのは林田さんと二人の女の子。いつもと違って、林田さんが硬貨と紙を乗せた机の前に立って、他の子たちは教室の隅で林田さんを見守っている。
思わず声をあげそうになった。林田さんが自分の手首にナイフをあてがったのだ。真咲先輩に制されて喉に出かかった悲鳴を飲み込む。
「蛇神様、蛇神様。仰る通り私の血をこの場へ捧げます。蛇神様、蛇神様、おいでください」
スッと、ためらいなくナイフを手前に引く。少し遅れて、糸を引いた赤いしずくが紙の上に垂らされた。血が滴るほどならかなり傷口は深いのでは? そんな心配をしているヒマもなく――今度は視線を感じるというレベルじゃなくて、はっきり見えた。
机に置かれた紙の上に煙のような白いもやが立ち上った。最初は形らしい形は無かった。けれど、よく見ると蛇のような鱗と舌を持っているようだった。最初は一筋の細い煙だったのに、むくむくと広がって林田さんを丸のみできそうなくらいの大きさになる。
「よくやってくれた。これで“終い”じゃ」
崩れた音声データのような、人間のものとは全く違う声音とイントネーション。蛇神様の声は、狂った金切り音のような気持ち悪さだった。
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