劇薬

柘榴

文字の大きさ
1 / 13

第1話 聖母Ⅰ

しおりを挟む
 昭和二十五年の秋。私は夫の故郷である『輪廻村』へと足を運んでいた。
 それは旅行や観光ではなく、夫婦揃って東京からこの輪廻村へと移住をするためだ。
「確かに周りには何もないけど、すごい自然ね。東京じゃ味わえない景色!」
 私、火村 秋乃は東京では決して味わうことのできない大自然を前にして子供のようにはしゃいでいた。
 噂には聞いていたが、秋にはこの村一帯を覆う紅葉が村を深紅に染め上げる。
 絵画のように美しいと同時に、その深紅は周辺に血を塗りたくったようにも見えて……私は少し妙な予感を覚えていた。
「だろう? 娯楽は少ないけど、君もきっと気に入るはずだ」
 その様子に、夫である火村 文也も微笑んでいた。
 東京で働き詰めだった頃ではこのような夫婦水入らずの時間も持てなかっただろう。
 だからこそ、私たち夫婦は輪廻村への移住を決意したのだ。
「じゃあ、まずは僕の実家へ行こう。両親には連絡してあるから」
 急な引っ越しだったのでしばらくは夫の実家にお世話になる事となっていた。まずはそのための挨拶に向かうため、私と夫は紅葉の景色を楽しみながら車で先を急いだ。

 私たちは夫婦揃って東京の大病院に勤務している医者夫婦だ。夫婦揃って外科だが、産婦人科の知識もあったため、東京の病院では重宝された。
 この時代、女性の外科医だなんて随分と珍しいけれど、私は実力と実績で医者としての階段を駆け上がり、周囲も徐々に私を認めざるを得なかった。近頃では、そんな私を『天才女医』と呼ぶ声も増えてきている。
 対して夫は医者としては優秀とは言える方ではないが、それでも地道に仕事をこなし続け、今や私と同じ東京の病院に務めるほどまでになった。
 戦争が終わり、日本が平和へと進んでく最中、私たち夫婦を着実に幸福へと進み始めていた。
 東京から離れ、仕事に悩殺される日々からの解放。そして……私に宿った『新たな命』の存在。お腹を摩りながら、期待に胸を膨らませる。
 この日から、私と夫・文也との新たな幸福が始まると、そう思っていたのに……。

 私は、知る余地も無かった。輪廻村で起こる惨劇の未来を。

 それから二十分ほど車を走らせると夫の実家に到着した。夫の実家と言えば随分と堅苦しい家系『火村家』で、私はあまりいい思い出は無かったが、これから新居が定まるまでの辛抱だと思えば、大した問題にはならなかった。
「では、これからしばらくの間はお世話になります。お母様」
 目の前に正座する文也の母・裕子に頭を深々と下げる。私の苦手とする、堅物の怖い姑だ。
「この村にはこの村のしきたりというものがあります。慣れるまでは大変だとは思いますが、これから夫婦でこの村の一員となる事を肝に銘じて頑張りなさい、秋乃さん」
 その一言だけ言い放ち、裕子は部屋からスタスタと立ち去ってしまった。
 最初はこの言葉の意味が分からなかった。しきたりと言っても、軽いものとしか考えなかったからだ。
「はぁ~……緊張した。これから毎日お母様と一緒だと思うと、お腹の子にも悪影響なんじゃないかなぁ」
「まぁそう言うなよ。お袋も内心じゃ秋乃が村に住むって決意してくれて喜んでいるはずなんだから。ただ、素直になれないだけだって」
 夫が私のお腹に手を当て、そこに宿る新たな生命の鼓動を感じようとしている。
 私たち二人の間に生まれた尊い命。この子のためにも、こんなことで泣き言は言っていられない。
 私は、強く逞しい母親になるんだと、改めて心に誓った。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

処理中です...