劇薬

柘榴

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第10話 復讐Ⅱ

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「真理亜様、お食事の用意ができました」
「相変わらず汚い盛りつけね。口に運ぶ気にすらならないわ」
 料理を見ると同時に、真理亜の罵詈雑言を浴びせられ、私の料理は床に吐き捨てられる。
 いつも通りの光景。何も驚くことは無い。けれど、今日はそのいつも通りの光景を、私が一変させてやるのだ。
「……申し訳ありません」
「毎日毎日、あんたにやらせても食材の無駄ね。もういいわ……今夜は源氏に作らせるから、あなたはその残飯でも処理していなさい。いい? その畳から完全に汚れが取れるまで舐め回しなさい」
 そして、散乱した料理の処理を自らの舌でさせられる。私の与えられる食事はこの床に散乱した残飯のみ、生きるためには食べるしかない。これも日常のうちの一つ。
「源氏、至急食事を用意してください。いつも通りの、美味しい和食ですよ?」
「はい……」
 床を惨めに嘗め回す私を横目に、控えていた源氏が厨房に向かった。
 私は床を嘗め回しながら、横目でその光景に笑みを浮かべた。

 何故なら、既に私の『復讐』は開始されている事実に、真理亜は気付いていないのがたまらなく可笑しかったから。

「真理亜様、お待たせいたしました」
 すぐに源氏が料理を運んできた。私の料理が床に捨てられることは既に想定済み。源氏は予備の料理をあらかじめ用意していたのだ。
 華やかな盛り合わせの和食。それを目前して、真理亜は輝かしい笑顔で両手を合わせる。
 そして箸で料理に手を付け、口入れると幸せそうな表情で源氏に微笑む。それに対し、源氏も少しだけ表情が和らぐ。
「やっと料理らしい料理が食べられますね。聞いてください源氏、秋乃様ったら私に嫉妬でもしているのか、不味くて栄養の無い料理ばかり出してくるのです。きっと、そうやって私のお腹の子を流産させる気なのですよ? 私、怖くて堪りません」
 源氏は秋乃の話に相槌をうつだけで、それ以上の反応は示さなかった。
 彼は真理亜の所業に対しても、私に対しても基本的には干渉しない。ただ、真理亜の忠実な配下として、命令を受けるのみ。
「そんな……私はそんなつもりでは……」
「あら? 掃除するお口が止まっていますよ、秋乃様」
 真理亜は豪勢な食事をしながら、私の頭に足を置いた。
 踏みつけられた私は床に散らばった料理を咀嚼しながら、笑みを隠す。
「……野良犬みたいで、何て卑しい女なのでしょう。あなたと同じ空間で食事なんてできませんわ。源氏、食事は別の部屋で取ります。全て運んでおいてください」
「……かしこまりました」
「いい? その汚れを舐め取るまでこの部屋から出ない事。お願いしますね?」
 私を踏みつけながら取る食事は気分が悪いのか、真理亜は車椅子で部屋を早々に後にした。
 その後を、源氏と他の側近たちが食事を持って追いかける。
 私は黙って床の汚れを舐め取り続けていた。笑みを必死に隠しながら。
じっと、待っていたのだ。仕掛けた爆弾が、真理亜の中で『爆発』する瞬間を。

 それから十分程だろうか。部屋の外が徐々に慌ただしくなってきたのを感じる。
「おい! 今すぐこっちの部屋に来い! 今すぐだ!」
 その時、怒鳴り声と共に部屋の襖をものすごい勢いで源氏が開けた。
 冷静沈着な彼が見たことが無いくらい焦りを前面に出し、息を切らしている。
「いえ……まだ畳のお掃除が……真理亜様が、全て舐め取るまで外に出るなと」
「そんなことはどうでもいい! 今すぐ来い!」
 首根っこを掴まれて、私は部屋を連れ出された。
 その時、私から笑みが零れる。
 そう、つまり……爆発したのだ。真理亜の中で『爆弾』が。
「真理亜様が……倒れられた!」
 私の『劇薬』が、真理亜を蝕み始めた瞬間だった。

「っぐ……ぇ……あ……」
 別室に入ると、その中央で真理亜が料理をひっくり返して倒れていた。
 全身が痙攣しており、口元からは嘔吐物がこぼれている。その大きな瞳からは苦しみのあまり涙も零れかけている。
「真理亜様! 一体、何があったのです?!」
 私は真理亜を心配するような素振りで彼女の背中を摩る。
 しかし、真理亜の意識は朦朧としたまま安定しない。ただ、嗚咽を繰り消すだけだった。
「食事をこちらに運んで、そこから真理亜様が食事を始められた途端だった。急に嘔吐したと思ったら、そのまま倒れ込まれて……」
 源氏がおろおろと説明を始めるが、そんなことはどうでもいい。
 今、こうして真理亜が惨めに床へ這いつくばり、苦しんでいるのは全て、私の筋書きの通りなのだから。
「……原因はわかりません。けれど、極めて危険な状態です……すぐに診療所へ運んでください!」
 私の指示で、神社中の御池家の人間が総出で真理亜を運び出し、車で診療所へと搬送させる。その騒ぎに乗じて、私は真理亜が口にした料理を全て便所に流し、廃棄した。

 その後、私と源氏は別の車でその後を追う。

「文也君にも連絡をしよう。この時間だと彼は火村家か?」
「いいえ、夫には連絡する必要はありません。今回の手術、夫では役不足です。足手まといを増やすくらいなら、私一人で……」
 私の言葉に、源氏は表情を濁す。
「しかし……」
「……源氏様から見れば、今の私は真理亜様の『玩具』に過ぎないでしょう。けれど、過去には私も天才女医と謳われた人間。私を……信じてください。必ずや、真理亜様を救ってみせます」
 源氏も私の知る限り馬鹿な男ではない。私の医者としての前評判は既に承知している。源氏もそれ以上は何も言わず、私を診療所へと送り届けた。

 既に真理亜が運び込まれた診療所の入口に立ち、私は静かに笑みを零す。
 『復讐』の舞台は今夜、整った。
そして、今夜、始まるのだ。私の全てを奪った真理亜の、全てを奪うために『復讐劇』が。
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