劇薬

柘榴

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第9話 復讐Ⅰ

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 それからまず真理亜への忠誠の証として行われたのは『手術』だった。
 患者は私で、執刀医は夫である文也。難しい手術では無かったが、私にとっては耐えがたい苦痛を心に伴う手術だった。
 
「真理亜様……手術は無事に完了しました」
 診療所の手術室の前で待っていた真理亜に、文也が頭を深々と下げる。
「お疲れ様です。心が痛みますわ、こんな惨い手術を夫であるあなたにお願いするなんて」
「いえ……この村の医師は私と妻だけですから」
 そのもう一人の医師である私は、手術台の上に横たわっていた。
 開いた手術室の扉から、真理亜と目が合う。真理亜は笑っていた。
「外圧の衝撃で子宮が大きく損傷していまして、秋乃の今後を考えて……最終的には『子宮全摘出』という決断に至りました」
 夫の手によって子宮を切除する、それが今回行われた手術。
 これにより、再びこの村で子を成す事が出来る女性は御池 真理亜たった一人となった。
 彼女を脅かす存在は、もういない。
「そう……残念ですわ秋乃様。あなたと文也様のお子様だもの、さぞかし可愛らしいお子様だっただろうに……もう、それが見られないなんて」
 手術室から運ばれる私を覗き込みながら、真理亜が言う。
 その表情には全く残念そうな感情は宿っていなかった。
「ええ……これで私は女としての機能を失いました。これで再び、村の『真理亜様』はあなただけのもの」
「ええ、そうですね。私がこの村唯一の生命の源、聖母・真理亜としてあなたの分まで幸せになってみせます」
 こうして、この村の『聖母』の座は真理亜一人のものとなった。

 それから、私は御池家の管理する御池神社……つまり御池 真理亜の側近として雇われる事となった。女としての全てを捨て、真理亜に仕える。それがこの村で私が生き残る唯一の手段だった。
 私が真理亜の側近になったことは狭い村ではすぐに噂になり、多くの野次馬が溢れかえった。

「あれ、火村さんのところの……」
「お腹の子、亡くなったんでしょ? 子宮ごと潰れるくらいの衝撃だったから、亡骸をお腹から掻き出すのもすごく大変だったらしいわ」
「それも文也君がやらなきゃいけないんだから、可哀想よねぇ」
「けれど、真理亜様の御厚意で落ち着くまでは神社の方で面倒を見てもらっているのが不幸中の幸いですね。本当、真理亜様の優しさには改めて感服致します」

 神社で雑用をこなす私を見て、野次馬たちは勝手な解釈を進める。表向きでは、子を失った私を案じて真理亜が私を気にかけているように見えているだろう。
 子を失った絶望から診療もままならない私は診療所を夫に任せ、真理亜の側近として働きながら神社で療養する。そう見せかけることまでが真理亜の筋書きだったのだ。

 実情は、そんな筋書きとは遠くかけ離れた、生き地獄のような日々だった。
 
「秋乃、今夜の『子宝の儀』の準備は整っているの?」
「はい、これから……」
 私は真理亜の前で土下座を保ちながら床を舐めさせられてから、既に二時間は経過していた。
 理由は何でもいい。ただ、私の気に食わない部分を粗探しし、文句をつける。
 そして、真理亜の気が済むまで私は人形にように無碍にされる。
「全く、手際が悪いのね。子供も産めない分際で、雑用くらい手際よくこなせないのかしら」
 車椅子に座る真理亜より図が高くならないよう、私は床に頭を押し付ける。
 その上から、私の頭に真理亜が足を乗せ、踏みつける。
「申し訳ありません……」
 真理亜は私が憎いのではない。ただ、格下の私を虐げることで自らの偉大さを再確認している。
 全てを失った私、全てを得た真理亜。私と真理亜の奇妙な関係性は、あの『悲劇』から狂い始めたのだ。

 何度かの『子宝の儀』を終える真理亜が懐妊した頃、私は真理亜の料理の調理を任される事となった。
 表向きは医師の私に医療の観点から妊婦に合った食事を作らせるという建前だったが、実際は懐妊した真理亜が、子を産めない私に『妊婦の食事』を作らせる事を楽しんでいるのだ。

「秋乃、あなた料理もまともに作れないのかしら? こんなまずい料理を妊婦に食べさせるなんて」 
 しかし、真理亜が私の食事に満足することは無かった。
 まず、私の料理が真理亜の口に入ることも無い。だが、真理亜は私の料理を認めない。
 料理の味だとか盛り付け、栄養などはどうでもいい話なのだ。ただ、私が作った料理という事が真理亜にとって許し難い事実なのだ。
真理亜に出した私の料理は、ゴミのように床に捨てられるのが宿命だったのだ。
「申し訳ございません……料理はその、あまりしたことがなくて」
「あなたは少しばかり頭が良くて、医者にはなれたかもしれないけれど、それ以外はまるで女として無能ね。診療所だって文也様一人で十分なようだし、子も産めないあなたの存在価値って何なのかしら?」
 床に散乱した料理を掻き集める私に、真理亜は容赦なく罵詈雑言を浴びせる。
「私、本来なら不要なものは切り捨てる主義なの。医者が手術で腫瘍を取り除くみたいにね。この村にとって腫瘍未満のあなたを切り捨てずに置いてあげている理由が分かる?」
 真理亜に頭を踏みつけられながらも、私は舌で床の清掃を続ける。
 今の私は腫瘍未満、真理亜の気まぐれで生かされているだけの腫瘍なのだ。
「あんたみたいにお高く留まっていた女が、惨めに堕ちていく様を見るのが楽しいから! どう? あんたが私に勝っている部分があるなら言ってみなさいよ!」
 天才女医と謳われ、東京から鳴り物入りで村に移住してきた私を、真理亜はずっと敵視していた。
 そして、その私から全てを奪った今、堕ちた私を嬲る事が愉快で仕方ない。
 だからこそ私のような腫瘍を切除しない。私が完全に壊れるまで、この真理亜の『遊び』は続いていく。
「……ありません」
「そうよね? 子も産めず、雑用もできず、村に何の利益も与えない腫瘍のあんたを食わせてやっているのは私! ねぇ!」
 床に散らばった残骸の上に、私の頭をさらに強く踏みつけながら真理亜は笑う。
「自分で出したゴミは自分で処理なさい?」
「はい……」
 私は嗚咽を漏らしながら、床に散らばった料理の残骸を咀嚼する。
 私はただ……その『遊び』の中で使われる玩具に過ぎない。
「心配しないで。あなたが産めなかった文也様の子供、代わりに私が産んであげるから。もしかして、今孕んでいる子がそうかもしれないかもね?……はは!」
「感謝、しております……真理亜様」
 私は真理亜の『玩具』だ。壊れるまで酷使され、壊れれば捨てられる運命にある。
だが、私はその『遊び』の中で常に伺っていた。こうして真理亜の玩具として過ごす生活の中で、伺い続けていたのだ。

 真理亜にから受けた痛みを、真理亜に返す……『復讐』の機会を。

 日々、大きくなっていく真理亜の腹を目の当たりにしながら、私は着々と『準備』を進めていた。
 私はただ、真理亜の玩具として惨めな日々を送っていたわけではない。その凄惨な日々の中でも準備を続け、そしてようやく実行の水準を満たす日がやってきた。
 それが……今夜だ。
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