幸福の忘却

柘榴

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第2話 忘却の開始Ⅱ

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 ひんやりとした冷気を肌に感じ、目を覚ます。
 辺りを見渡した時、視界に入ったのは一面の白色だった。
 目を凝らしてみると、壁と天井がある事が確認できた。一応は部屋になっているようだ。
 しかし、どこにも入り口や出口……窓もない。外界と接する者がこの部屋には無かった。 
 それは、この部屋が監禁するためだけに作られたものであることを意味していた。
「どこだよ、ここ!」
 こんな場所に閉じ込められて、落ち着いていられるわけがない。
 僕は手あたり次第、壁に蹴りを入れて暴れる。
「おい!」
「修ちゃん! なんでここに……」
 僕が壁に蹴りを入れている時、隣で聞き覚えのある声がした。
 振り向くと、そこには幼馴染の真名が不安そうな表情で立っていた。
「真名……お前、何だよこれ!?」
「や、やめて修ちゃん……あたしもいきなり連れてこられて……分からない」
 真名がいるという安心感と共に、早く何とかしろという思いで真名の肩を乱暴に揺らしてしまう。 
 今までも、何が起こっても真名が何とかしてくれた、助けてくれた。真名をうざったいと感じながらも、無意識に頼ってしまう。
「おい!」
 その時、部屋の奥の方からドスの効いた男の声がした。
「ピーピーうるせぇ……」
「あ、ごめんなさい……」
 不機嫌そうにこちらへ歩いてきたのは……真栄田だった。
「お前……真栄田」
「よぉ、こんな場所までお前と一緒なんて反吐が出るぜ金子クン」
 相変わらず口の減らない奴だ。こんな状況でも焦る様子もない。
「あーちなみに俺もこの部屋の事は知らないぜ。目が覚めたらここに閉じ込められてた」
 最初からお前みたいな馬鹿に期待していないと心の中で毒突く。
「そっちの女子2人も、何も知らないってよ」
 真栄田が後ろの方に視線をやる。
 見ると部屋の隅の方で女子が2人縮こまっていた。
 片方は黒髪ロングの気の強そうな女、もう片方は眼鏡をかけた地味そうな女。
「牧島よ。部活中にいきなり視界が真っ暗になって、目が覚めたら……」
「赤城です。私もです……委員会の会議の途中に……」
 どちらも怯えるほどではなくても、動揺はしているようだ。
「で、そういうお前はどーなんだよ、お前が一番怪しいんじゃねーの」
 真栄田が僕の顔を覗き込みながら言う。
 最悪だ、こんな連中と監禁だなんて。何の目的で僕たちはこんな事をされている?
 知るもんか。僕が聞きたい。
「知るわけ……」
『知らないのも無理はないよ。だって、このゲームは君たち人類にとっても、ボクたち天使にとっても初の試みなんだから』
 その時、僕の声と重なって少女の声が部屋中に聞こえた。
 放送かと思ったが、それにしては声がクリア過ぎる。まるで、テレパシーのような。
「この声……」
『おはよう、全員目が覚めたようだね。催眠の魔術といえ、そのまま死なれたらどうしようかと思ったよ』
 声と共に部屋の真ん中付近で、カメラのフラシュのような閃光が走った。
 一瞬、目を閉じた後、そこには小柄な、中性的な少女が立っていた。
「ああ、自己紹介が遅れたね。ボクの名はエル、このゲーム……【幸福の忘却】の進行役でもあり、神に仕える天使だ」
 異様に白い肌、白銀の髪、全身の白装束……そして背中に生えた純白の羽根。笑みを常に絶やさない柔らかな表情。
 僕らが一般的にイメージする天使の姿そのものが、今目の前に立つ少女だった。
「天使……だぁ?」
 少女を見て最初に口を開いたのは真栄田だった。
「ははははは! なんだこれ、新手のキャバ勧誘か何かか? 最近のはすげーなこんなガキにコスプレまでさせて客引きかよ! 犯罪じゃねーの」
 真栄田は小馬鹿にしたように笑う。それどころか、ジロジロと少女の身体を観察し始めた。
「うーん、やっぱり信じてもらえないか」
「ああ、天使なんだろ? キャバ代タダににてくれんなら信じてやるよ」
 真栄田は少女の頭に手を乗せ、子供をあやすような素振りをした。
 しかし、その振る舞いが少女の癇に障ったのか、少女の目つきは一瞬で変わった。
「……気安く触れるな、蛆が」
 少女が真栄田の手を軽く振り払った……ように見えた。あくまで僕にはそう見えた。
 しかし、実際には違った。真栄田の両腕は、鋭利な刃物で切り落とされたかのように、血しぶきを上げながら地面へ落下していた。
「あ、ああ……あ?」
 真栄田は泣き叫んだりする様子は無かった。ただ、床に転がる自身の両腕を見ても現実を受け入れられないように茫然としていた。
「ああ、ごめんね。腕を振り払ったつもりが……君たち人間が馬鹿みたいに脆いことを忘れてたよ」
 少女は欠伸交じりで真栄田に謝罪した。
 その瞬間、茫然としていた真栄田の表情は怒りに染まり、目の前の少女を睨み付ける。
「クソガキ殺してやる……」
「おや、まだ分からないのかな。本当に人間とは馬鹿な生き物だ」
 少女はまるで動揺せず、真栄田の顔の前でピースサインを作り、挑発している。
 そして、そのピースサインを保ちながら真栄田の瞼に触れると、パンッという爆発音と共に真栄田床に転げ落ちた。
「ああああああああああああああああ……」
 真栄田の周りには、踏み潰されたゆで卵みたいな白いものが散らばっていた。
 一瞬で理解した。少女は真栄田の眼球を、破裂させたんだ。
「まだやる? 次は殺さない自信ないなぁ」
「……っ!」
   真栄田は何も言わなかった。言えなかったというべきか。
「さて、他に意見がある人はいるかな?」
 ……こんな状況で質問できるものか。
 誰一人として口を開くことは無かった。
 聞きたいことなら山ほどある。そもそも僕たちはなんで……。
「……あ、今なんで僕たちはこんな部屋にって思ったでしょ」
 少女に指を指され、僕は心臓が破裂しかけた。
 こいつ、人の心まで読めるのか。
「それはね、幸福に肥えた愚かな人間……いや、下等生物共に今ある幸福の重みを体感してもらうためさ」
 少女の明るい表情は崩れなかった。それが余計に不気味に思えた。
「君たちの幸福は、誰のおかげだと思う? 親、友人、環境……違う。全てボクたち、天使によって生み出された幸せなんだ」
 僕らの顔を伺うこともせず、少女……いや、天使は話を進める。
「キューピットの矢なんて、よく言うだろう? あれは間違えじゃなくてさ、ボクたち天使は生まれながら3本の矢を持っている。それは、幸福を司る矢でね。ボクたち天使がそれを君たち人間に打ち込むことによって、君たち人間の幸福が初めて生まれる」
「……」
「けれど、その矢を全て失った時、天使は死ぬ。天使としての役目を全うしたと初めて認められ、死ぬ。だからこそ、ボクたちは命を懸けて矢を撃ち込むときには努力している人間や、善良な人間を選ぶ。努力や善行が報われるというのは、そういうことさ」
 数分前の僕ならきっと信じなかった。
 けれど、この天使の超人的な能力を見ればこんな話もすぐに信じてしまいそうだ。
「けれど、今の君たちには……その価値が無いんだ。ボクたちが命を懸けて放った幸福を、お前たちはなんと言った? 当たり前だと言った! ボクたちが命を落としてまで与えた幸福を!」
 天使は怒りを露にし、床に転がる真栄田の腹部に蹴りを入れる。
 真栄田はただ、啜り泣いているだけだ。
「それでも、人間界がより良くなるならばとボクの仲間たちは笑顔で命を落としていった。だが、実際のお前たちはどうだ? 戦争は続き、犯罪は絶えない世界。こんな世界のために、ボクたちは生まれたんじゃない」
 天使は僕たちを卑下するような目で見る。
「だから、ボクは行動を起こした。君たち人類全員に幸福の重さを、身をもって知ってもらうために……この幸福の忘却を計画し、実行に移した。これから何年、何十年かかろうとも、教え込んでやる……そう、【幸福の忘却】の中でね」
「幸福の……忘却?」
「ボクが奪う側で、君たちが奪われる側。ただそれだけのゲームさ」
 天使はゲームが始まるのが楽しみで仕方ないという様子だった。
 それに対し、人間側の表情は恐怖と不安で引きつっていた……僕以外は。
「君たち下等生物(にんげん)は愚かだ。愚かだから忘れ続ける生き物だ。都合の悪いことを忘却し続け、目を背け続け……そして何も進化しない。愚かな下等生物に許された選択肢は……ここで首を落とされ、腹を裂かれて絶命する生命の放棄か、自らの有り余る幸福を捨て、自らを不幸に貶め……幸福を忘却すること」
 天使の言葉など耳に入らなかった。
 確かに恐怖はある。不安もある。できればさっさとこんな部屋から抜け出したい。
 けれど、僕はこの天使に憧れている。容赦なく全てを奪う天使の姿に。
「そして、最期に全ての幸福から見放され……深い絶望の中で泣き叫ぶことをこのボクが許そう」
 エルの言葉を聞き、僕はただ一言吐き捨てた。
「……ここでも、奪われる側か」
 
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