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第7話
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男性が去った広場の中、私は今まで不審に思っていたはずの人影のなさに感謝しながら嗚咽をもらしていた。
何者かが、走りながら私の元にやってきたのはその時だった。
「お、お嬢様、先ほどの男に一体何を!」
次の瞬間、私の元にやってきた何者かが私の側で跪き、焦ったような声をあげた。
その声の主は、私の護衛を務めるルーノ。
どうやら、私の一人で散歩をしたいという我儘に応え、影から護衛を務めてくれていた彼女は、私と男性の会話が聞こえていなかったらしい。
そう理解した私は、何とかルーノに勘違いであることを伝えようとする。
「うーっ、うー!」
だが、嗚咽を噛みしめる私は声を出すことは出来なかった。
精々、泣き顔を見られないよう俯きながら、幼子のように頭を横に振る程度。
そんならしくない私に、ルーノが戸惑うのが伝わってくる。
そのルーノの態度に、私は酷い羞恥に襲わられ、男性から貰った白いハンカチを強く握りしめた。
こうしてルーノの前では、何時も凛とした主人を振る舞うようにしてきた。
だからこそ、こうして恥も外聞も関係なく、泣き叫ぶ姿を晒すのは、顔から火が出そうになる程恥ずかしい。
自分がどうしてここまで泣いてしまうのか、その理由が出来るからこそ尚更。
私は、マーリスのことを婚約者というよりも、年下の家族として見ていたのだろう。
それは、幼少の頃から共にいたからか、それとも何処か夢見がちなマーリスという少年に、危うさを感じながらも、同時に親しみを感じていたからか。
その判断は、今の私にもつかない。
それでも私は、マーリスに家族としての親しみを覚え、だからこそ今まで彼のために何の見返りも求めずに動いてきた。
……マーリスも、私と同じような愛情を自分に抱いてくれていると無条件に信じて。
そんな思いがあったからこそ、私にとってマーリスの一方的な裏切りは想定外だった。
何故、マーリスが自分を裏切ったのか、その理由がまるで理解できないからこそ、私はさらに混乱した。
だって、自分はマーリスに尽くしてきたはずだから。
どれだけ考えても、どれだけ思い返しても、マーリスの裏切りの理由は分からなくて、その内その混乱は恐怖へと変わった。
……もしかしたら自分が何か、マーリスに対して取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない、という。
それは、根拠も何もない妄想だった。
けれど、混乱する私はそれにさえ気づかなくて。
───だからこそ、貴方は悪くない、と男性に断言されたあの時、私は信じられないほど安堵した。
「うう……」
その時覚えた安堵は、未だ胸に残っていて、その思い出に私は羞恥からの呻き声を上げる。
あの時私はただ一つ、自分は悪くないと、他人から肯定されることを望んでいたのだ。
泣きわめく幼女が、人に寄り添われることを望むように。
それは、少なくとも成人した女性のすべきことでないのは明らかで、それが理解できるからこそ私の顔からは中々熱が引かない。
しかし、堪え難い羞恥を覚えることになったものの、私の胸が軽くなったのも確かだった。
「……っ!」
いつの間にか止まっていた涙と嗚咽。
それと共に消え去った胸の重さに気づいた私は思わず息を呑み、それから小さな笑みを漏らした。
男性の言葉に、自分が想像以上に救われていたことに気づいて。
ここまでお膳立てしてもらっていて、うじうじ立ち止まることなどもう出来ない。
そう決意し顔を上げた私の中に、最早マーリスに対する未練はなかった。
あるのは全て任せろ、そう告げてこの場から去っていた男性の姿。
あの男性にはもう十分、助けてもらった。
だとしたら、今度は私が彼を手助けする版だ。
「ルーノ、お父様に伝えて、下さい」
「お、お嬢様?」
私は途切れ途切れに、それでもしっかりとした口調でルーノへと言葉を紡ぐ。
「──仮面の淑女の、顔を晒すと」
「なっ!?」
その私の言葉に、ルーノの顔が驚愕に染まる。
それを視界に入れながら、改めて私は決意を固める。
もうこの切り札を切ることを躊躇う理由はない。
だとしたら、あの男性が、マーリスに無謀な干渉を行う前に、私が全てを終わらせてみせる。
……だが、そう誓うその時の私は知らない。
私が今から起こす行動、それが無駄になる未来を。
今回の婚約破棄、それで大きく人生が変わったことを私が知るのは、もう暫く後のことだった……
何者かが、走りながら私の元にやってきたのはその時だった。
「お、お嬢様、先ほどの男に一体何を!」
次の瞬間、私の元にやってきた何者かが私の側で跪き、焦ったような声をあげた。
その声の主は、私の護衛を務めるルーノ。
どうやら、私の一人で散歩をしたいという我儘に応え、影から護衛を務めてくれていた彼女は、私と男性の会話が聞こえていなかったらしい。
そう理解した私は、何とかルーノに勘違いであることを伝えようとする。
「うーっ、うー!」
だが、嗚咽を噛みしめる私は声を出すことは出来なかった。
精々、泣き顔を見られないよう俯きながら、幼子のように頭を横に振る程度。
そんならしくない私に、ルーノが戸惑うのが伝わってくる。
そのルーノの態度に、私は酷い羞恥に襲わられ、男性から貰った白いハンカチを強く握りしめた。
こうしてルーノの前では、何時も凛とした主人を振る舞うようにしてきた。
だからこそ、こうして恥も外聞も関係なく、泣き叫ぶ姿を晒すのは、顔から火が出そうになる程恥ずかしい。
自分がどうしてここまで泣いてしまうのか、その理由が出来るからこそ尚更。
私は、マーリスのことを婚約者というよりも、年下の家族として見ていたのだろう。
それは、幼少の頃から共にいたからか、それとも何処か夢見がちなマーリスという少年に、危うさを感じながらも、同時に親しみを感じていたからか。
その判断は、今の私にもつかない。
それでも私は、マーリスに家族としての親しみを覚え、だからこそ今まで彼のために何の見返りも求めずに動いてきた。
……マーリスも、私と同じような愛情を自分に抱いてくれていると無条件に信じて。
そんな思いがあったからこそ、私にとってマーリスの一方的な裏切りは想定外だった。
何故、マーリスが自分を裏切ったのか、その理由がまるで理解できないからこそ、私はさらに混乱した。
だって、自分はマーリスに尽くしてきたはずだから。
どれだけ考えても、どれだけ思い返しても、マーリスの裏切りの理由は分からなくて、その内その混乱は恐怖へと変わった。
……もしかしたら自分が何か、マーリスに対して取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない、という。
それは、根拠も何もない妄想だった。
けれど、混乱する私はそれにさえ気づかなくて。
───だからこそ、貴方は悪くない、と男性に断言されたあの時、私は信じられないほど安堵した。
「うう……」
その時覚えた安堵は、未だ胸に残っていて、その思い出に私は羞恥からの呻き声を上げる。
あの時私はただ一つ、自分は悪くないと、他人から肯定されることを望んでいたのだ。
泣きわめく幼女が、人に寄り添われることを望むように。
それは、少なくとも成人した女性のすべきことでないのは明らかで、それが理解できるからこそ私の顔からは中々熱が引かない。
しかし、堪え難い羞恥を覚えることになったものの、私の胸が軽くなったのも確かだった。
「……っ!」
いつの間にか止まっていた涙と嗚咽。
それと共に消え去った胸の重さに気づいた私は思わず息を呑み、それから小さな笑みを漏らした。
男性の言葉に、自分が想像以上に救われていたことに気づいて。
ここまでお膳立てしてもらっていて、うじうじ立ち止まることなどもう出来ない。
そう決意し顔を上げた私の中に、最早マーリスに対する未練はなかった。
あるのは全て任せろ、そう告げてこの場から去っていた男性の姿。
あの男性にはもう十分、助けてもらった。
だとしたら、今度は私が彼を手助けする版だ。
「ルーノ、お父様に伝えて、下さい」
「お、お嬢様?」
私は途切れ途切れに、それでもしっかりとした口調でルーノへと言葉を紡ぐ。
「──仮面の淑女の、顔を晒すと」
「なっ!?」
その私の言葉に、ルーノの顔が驚愕に染まる。
それを視界に入れながら、改めて私は決意を固める。
もうこの切り札を切ることを躊躇う理由はない。
だとしたら、あの男性が、マーリスに無謀な干渉を行う前に、私が全てを終わらせてみせる。
……だが、そう誓うその時の私は知らない。
私が今から起こす行動、それが無駄になる未来を。
今回の婚約破棄、それで大きく人生が変わったことを私が知るのは、もう暫く後のことだった……
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