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【32】
「母がとても喜んでいたわ。我が家は母が帝王なの。母がご機嫌であれば父も喜ぶの。」
「それは良かった。ラングレイ伯爵家の女帝陛下にお喜び頂けて光栄だよ。」
朝、教室に入れば、やはりエルリックは先に登校していた。
まだ二人の間には、照れ臭い様な気恥ずかしい様な可怪しな空気が残っているのを、互いにそれには気付かぬ振りで言葉を交わす。
「それで、御礼をしたくて。貴方は何がお好きなのかしら。」
「御礼だなんて。そんな気を遣わせるつもりは無かった。」
「辺境伯領地の初摘みの茶葉なんて、そうそう手に入るものでは無いわ。あの爽やかな風味、今朝も家族で楽しませて頂いたの。とても美味しかった。貴方に是非、御礼がしたくて。」
「君が選ぶの?」
「え?」
「その..御礼とやらを...」
「ええ、ええ、そうさせて貰えると嬉しいのだけれど。」
「じゃあ、少し時間を貰っても良いだろうか。ゆっくり考えたい。」
「勿論よ。」
「それって、僕が頂戴して良いのだろうか。」
「辺境伯家には母が御礼を考えているわ。私は貴方に御礼がしたくて。」
「うん。」
二人共、そこで言葉に詰まったまま無言の間が空く。
「エルリック様、」
「うん?」
「その、昨日はごめんなさい。私、言い過ぎたわ。」
「...」
「ごめんなさ「いや、いいんだ。」
「でも、」
「君はいいんだ。今のままでいてくれないか。思った事を僕に言って欲しい。」
「言い過ぎたら叱って頂戴。」
「分かった。」
そこで漸く心のつかえが取れた様に、互いに見つめ合い笑みを浮かべた。
その頃には、シャーロットと王太子殿下の婚約の噂は、公然の秘密となりつつあった。学園ばかりでなく貴族の間でも噂は広まり、母も姉も茶会の席で同じ様なことを耳にしているらしかった。
それについては、父も義兄も無言を通していたから、晩餐の席でも話題に上る事は無かった。ただ、噂が各方面へ広がっているのだと、母は父に話していた。
「大丈夫なのかしらね。」
アメリアの言葉にステファニアも同じ事を思った。
「既に決定したような話になりつつあるわ。噂も彼処まで広がってはまるで真実の様だわ。」
アメリアが言うのには一理ある。
「チェスター公爵閣下は静観なさっておられるのよね。」
ステファニアが尋ねれば、アメリアはそれに頷いた。
「ええ、その様ね。ヘンリエッタ様がお気の毒だわ。婚礼間近であるのに、王太子殿下の御心が余所見をするだなんて。」
王太子殿下と公爵令嬢ヘンリエッタの婚礼は来夏と決まっていたから、既に婚礼の儀に向けて準備が為されている。
年始に販売された二人の姿絵は、麗しい未来の王太子夫妻として大人気であった。
王家の姿絵は、毎年年始めに販売されるのが恒例であるが、若き王国の太陽である王太子殿下の人気は高い。
王太子殿下とは、金髪碧眼であるのは当然のこと、品行方正、聡明にして賢明、涼し気で怜悧な表情も凛々しく令嬢達の憧れの的である。
その婚約者とは、筆頭公爵家で王家の傍流でもあるチェスター公爵家のご令嬢であったから、欠けるところの無い次代の為政者として、二人は国内外から認知されていた。
それを今の今になって、当の王太子殿下の心が乱れたと言う。
春の初めに突然現れた聖女に心を移して、長く婚約していた公爵令嬢を差し置いて、聖女を婚約者として挿げ替えるのではないかと噂になっている。
為政者の心の乱れは国政の乱れに繋がる。
王子と聖女の恋がロマンティックであるのは物語や舞台の中だけであり、現実にそんな事が起きたなら、公爵家は王家の後ろ盾を降りて、下手をしたなら公国として国を離れる危険すらあった。
チェスター公爵領は広大で、領地には主要な港も擁していたから、そこが王国からごっそり抜けてしまえば国の勢いは格段に落ちる事が容易く想像出来た。
「王家は一体、何をしているのかしら。国が乱れるのを解って、王太子の寝言に付き合うと言うの?」
アメリアは王太子の心移りを寝言と切り捨てた。その言葉は本来ならば不敬と受け取られるが、全て事実であるから誰も反論は出来ないだろう。
王太子殿下は、先日の夜会にシャーロットを伴った。名目は王家で保護をしている聖女を紹介するものであったが、態々王太子殿下がそれを担う必要は無いと思われた。
王国には第二王子と第三王子がおり、二人共婚約者を得ていなかったから、そのどちらかがシャーロットをエスコートして良かった筈である。
夜会には両親も姉夫婦も出席していた。邸に戻った姉が「あれはマズいのではないかしら」と珍しく冗談を交えず言ったのを義兄は黙したまま眉を顰めて聞いていた。
「エルリック様、このままで良いとお思い?」
「良くないだろう。」
アメリアの問い掛けに、エルリックは短く即答した。
「西の辺境では、この噂をどう見ているの?」
聞いて答えが返る事とは思われないが、ステファニアは思い切って尋ねてみた。
「今の王家の有り様では我が家に限らずどの貴族家も危ぶんでいる。」
「確かにそうよね。」
ステファニアはそこで、心の隅にあった疑問を口にした。当たり前過ぎて、どうして誰も疑問に思わないのかを疑問に思った事である。
「シャーロット様の現れ方が普通でなかったのは解るわ。それが神殿に近い場所であれば尚の事。」
ステファニアの言葉に、アメリアもエルリックも次の言葉を待っている。
「けれども、それで聖女の冠を被せて妃に迎えて、王家は彼女に何をさせたいのかしら。お伽噺の様に聖なる力が発現して魔法みたいな奇跡を起こすのなら兎も角、彼女が貴族令嬢として、美しく教養を持ち合わせた人物なのだとしたら公爵令嬢だって同じだと思うの。
本当に、王太子殿下は彼女との婚約を望んでいるのかしら。真逆、真のお気持ちで聖女に愛情を抱いてるだなんて、そんな事を本気で仰っているのかしら。」
ステファニアは「真実の愛」が本当に真実なのか疑わしく思えた。
「それは良かった。ラングレイ伯爵家の女帝陛下にお喜び頂けて光栄だよ。」
朝、教室に入れば、やはりエルリックは先に登校していた。
まだ二人の間には、照れ臭い様な気恥ずかしい様な可怪しな空気が残っているのを、互いにそれには気付かぬ振りで言葉を交わす。
「それで、御礼をしたくて。貴方は何がお好きなのかしら。」
「御礼だなんて。そんな気を遣わせるつもりは無かった。」
「辺境伯領地の初摘みの茶葉なんて、そうそう手に入るものでは無いわ。あの爽やかな風味、今朝も家族で楽しませて頂いたの。とても美味しかった。貴方に是非、御礼がしたくて。」
「君が選ぶの?」
「え?」
「その..御礼とやらを...」
「ええ、ええ、そうさせて貰えると嬉しいのだけれど。」
「じゃあ、少し時間を貰っても良いだろうか。ゆっくり考えたい。」
「勿論よ。」
「それって、僕が頂戴して良いのだろうか。」
「辺境伯家には母が御礼を考えているわ。私は貴方に御礼がしたくて。」
「うん。」
二人共、そこで言葉に詰まったまま無言の間が空く。
「エルリック様、」
「うん?」
「その、昨日はごめんなさい。私、言い過ぎたわ。」
「...」
「ごめんなさ「いや、いいんだ。」
「でも、」
「君はいいんだ。今のままでいてくれないか。思った事を僕に言って欲しい。」
「言い過ぎたら叱って頂戴。」
「分かった。」
そこで漸く心のつかえが取れた様に、互いに見つめ合い笑みを浮かべた。
その頃には、シャーロットと王太子殿下の婚約の噂は、公然の秘密となりつつあった。学園ばかりでなく貴族の間でも噂は広まり、母も姉も茶会の席で同じ様なことを耳にしているらしかった。
それについては、父も義兄も無言を通していたから、晩餐の席でも話題に上る事は無かった。ただ、噂が各方面へ広がっているのだと、母は父に話していた。
「大丈夫なのかしらね。」
アメリアの言葉にステファニアも同じ事を思った。
「既に決定したような話になりつつあるわ。噂も彼処まで広がってはまるで真実の様だわ。」
アメリアが言うのには一理ある。
「チェスター公爵閣下は静観なさっておられるのよね。」
ステファニアが尋ねれば、アメリアはそれに頷いた。
「ええ、その様ね。ヘンリエッタ様がお気の毒だわ。婚礼間近であるのに、王太子殿下の御心が余所見をするだなんて。」
王太子殿下と公爵令嬢ヘンリエッタの婚礼は来夏と決まっていたから、既に婚礼の儀に向けて準備が為されている。
年始に販売された二人の姿絵は、麗しい未来の王太子夫妻として大人気であった。
王家の姿絵は、毎年年始めに販売されるのが恒例であるが、若き王国の太陽である王太子殿下の人気は高い。
王太子殿下とは、金髪碧眼であるのは当然のこと、品行方正、聡明にして賢明、涼し気で怜悧な表情も凛々しく令嬢達の憧れの的である。
その婚約者とは、筆頭公爵家で王家の傍流でもあるチェスター公爵家のご令嬢であったから、欠けるところの無い次代の為政者として、二人は国内外から認知されていた。
それを今の今になって、当の王太子殿下の心が乱れたと言う。
春の初めに突然現れた聖女に心を移して、長く婚約していた公爵令嬢を差し置いて、聖女を婚約者として挿げ替えるのではないかと噂になっている。
為政者の心の乱れは国政の乱れに繋がる。
王子と聖女の恋がロマンティックであるのは物語や舞台の中だけであり、現実にそんな事が起きたなら、公爵家は王家の後ろ盾を降りて、下手をしたなら公国として国を離れる危険すらあった。
チェスター公爵領は広大で、領地には主要な港も擁していたから、そこが王国からごっそり抜けてしまえば国の勢いは格段に落ちる事が容易く想像出来た。
「王家は一体、何をしているのかしら。国が乱れるのを解って、王太子の寝言に付き合うと言うの?」
アメリアは王太子の心移りを寝言と切り捨てた。その言葉は本来ならば不敬と受け取られるが、全て事実であるから誰も反論は出来ないだろう。
王太子殿下は、先日の夜会にシャーロットを伴った。名目は王家で保護をしている聖女を紹介するものであったが、態々王太子殿下がそれを担う必要は無いと思われた。
王国には第二王子と第三王子がおり、二人共婚約者を得ていなかったから、そのどちらかがシャーロットをエスコートして良かった筈である。
夜会には両親も姉夫婦も出席していた。邸に戻った姉が「あれはマズいのではないかしら」と珍しく冗談を交えず言ったのを義兄は黙したまま眉を顰めて聞いていた。
「エルリック様、このままで良いとお思い?」
「良くないだろう。」
アメリアの問い掛けに、エルリックは短く即答した。
「西の辺境では、この噂をどう見ているの?」
聞いて答えが返る事とは思われないが、ステファニアは思い切って尋ねてみた。
「今の王家の有り様では我が家に限らずどの貴族家も危ぶんでいる。」
「確かにそうよね。」
ステファニアはそこで、心の隅にあった疑問を口にした。当たり前過ぎて、どうして誰も疑問に思わないのかを疑問に思った事である。
「シャーロット様の現れ方が普通でなかったのは解るわ。それが神殿に近い場所であれば尚の事。」
ステファニアの言葉に、アメリアもエルリックも次の言葉を待っている。
「けれども、それで聖女の冠を被せて妃に迎えて、王家は彼女に何をさせたいのかしら。お伽噺の様に聖なる力が発現して魔法みたいな奇跡を起こすのなら兎も角、彼女が貴族令嬢として、美しく教養を持ち合わせた人物なのだとしたら公爵令嬢だって同じだと思うの。
本当に、王太子殿下は彼女との婚約を望んでいるのかしら。真逆、真のお気持ちで聖女に愛情を抱いてるだなんて、そんな事を本気で仰っているのかしら。」
ステファニアは「真実の愛」が本当に真実なのか疑わしく思えた。
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