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第二十章
ローレンスは、クローディアの肩先の薄暗がり見つめていた。それから再び視線を戻して語りはじめた。
「正直なところ、前妻の死を悼む気持ちはあったが、情は沸かなかった。」
先妻についてローレンスが話すのはこれまでなかったことで、もうこの先もないことだと思った。クローディアは、こちらを見つめるローレンスから目を逸らせずにいた。
「両親は、アンネマリーに罪はないと言った。なぜなのか、二人ともあの娘を可愛いがった。一目で他人の子であるとわかるのに、この家で生まれた子は我が家の子だと言った。私も確かにそうだと思えて、お陰で学園を卒業するまで、あまり人の耳目を気にせずに過ごせた」
前妻を娶ってからも亡くした後も、彼は学園に通わねばならなかった。醜聞と噂に塗れた学園生活はどれほど生きづらいものだったろう。
「父は私に逃げ道をくれた。気の済むまで好きなことをしろと言ってくれた。私は一人息子だ。血縁に男児はいるが、嫡男は私だ。夢は確かに騎士だったし、アンネマリーのことがなくても、せめて数年だけでも騎士になることを許してほしいと思っていた。だが、状況は変わっていたしアンネマリーも生まれていた。両親は、そんな私の希望を知っていて、敢えてアンネマリーと私を引き離した」
だが、それも三年ほどのことであるのは、クローディアも知ることである。ローレンスの両親は、不幸な馬車の事故で二人とも一度に亡くなっている。
聞かずともわかる辛すぎる出来事の連続だった。何故、ローレンスがこれほど静かに語ることができているのか、クローディアのほうが不思議に思うほどだった。
「両親が亡くなってからも騎士でいられたのは、叔父夫婦とその息子がいてくれたお陰だ。私はあの時、迷いがあった。戻るべきか留まるべきか。それで結局、騎士の道に留まった。私は一族に甘えるばかりだった。真綿に守られながら戦場に出向くなんて、全く可怪しなことだよな」
クローディアは言葉を返せずにいた。無口な夫が打ち明ける、胸の奥に仕舞い込んだ言葉の数々が解放されるのを、証人のようにひたすら耳を傾けている。
叔父とはローレンスの父の弟で、男爵家を継いでおり、ローレンスの父と共に領地の事業を担っていた。子息が一人おり、彼の存在があった為に嫡男のローレンスには自由が認められていたのだろう。
戦地で万が一のことがあった時には、この従兄弟が後継となる、一時はそういう話になっていたと、婚約したばかりの頃に聞いていた。
「騎士になれたことは確かに誇りとなった。だが、戦場は綺麗ごとばかりではない。夜に瞼を閉じると、目の前に今日斬った男が現れる。彼にも彼の家族がいる。人は一人で生まれるわけではないのだから。そういう男たちと幾度も命の奪い合いをした」
初めて知るローレンスの生き方。ローレンスの夢の先は明るいものばかりではなかった。
「偶々偶然、今日はこちらが生き延びた。自分の命も相手の命も、どちらが先に消えるのかは運任せだった。そんな時に思ったんだ。こんな世界に、あの血の海から生まれたアンネマリーは勇敢だと思った」
ローレンスの言葉に、思わず目を閉じた。思い浮かんだのはアンネマリーだ。
「アンネマリーは、光だ」
大きな手の平が頬を撫でて、それはまるでクローディアもそう思うだろう?と言われたようだった。
「私は人を斬っている。ちっとも親らしいことのできない、罪深く血なまぐさい男があの子にしてやれるのは何なのか、ずっと思いつかないままだった。邸に帰るたびに、あの子はどんどん大きくなる。あの子の為に、何をしてやれるか考えながら、何故だろうな、騎士を辞めることができなかった。ただ帰るたびに、私を父と呼ぶアンネマリーを見るのは、私を当たり前の人間に戻してくれた」
アンネマリーを彼なりに見守ってきた言葉に、クローディアは血の繋がりとはなんだろうと考える。
「私は往生際が悪い男だ。だから、神は剣を折って下さった。そうして、」
ローレンスがクローディアの瞳を覗き込んだ。
「そうして君を与えてくれた」
クローディアは喉の奥に何かが詰まったようになって、息を吐くことも吸うこともままならない。漸く吐いた息は震えていた。
「君は温かい。温かくて柔らかくて、生きていると思わせてくれる」
「我が家は命を育む家だ。生まれた仔馬を強く賢く育て上げて、戦地に送る。騎士たちを乗せて戦う軍馬だ。考えてみれば可怪しなことだ。死ぬために育てる命だなんて。だが、馬は強く優しく騎士を支えてくれる。戦場で、馬たちは人を救うんだ」
いつの間にかクローディアは、頬に添えられたローレンスの手の平に、自分の右手を重ねていた。
「神に、心から感謝している。この人生で、私はもう何も要らないと思っている。アンネマリーはこんな父親から離れて、血の匂いなど無縁な貴族家に嫁いで幸せになれば良い」
ローレンスは、ずっとクローディアに語りかけていた。なのにクローディアはそれに何も応えられなかった。
「泣かないでくれ、クローディア」
ローレンスが親指で涙を拭った。それでも頬を涙が伝う。
「参ったな、君に泣かれるのは敵わない」
よしよしとでもいうように頬を擦る手の平は、硬く固まった豆の跡が頬にこすれて痛かった。
口の重いローレンスの、彼にとっては珍しく長い語りは静かにクローディアの心に残った。この夜のことを、クローディアは生涯忘れることはなかった。
「正直なところ、前妻の死を悼む気持ちはあったが、情は沸かなかった。」
先妻についてローレンスが話すのはこれまでなかったことで、もうこの先もないことだと思った。クローディアは、こちらを見つめるローレンスから目を逸らせずにいた。
「両親は、アンネマリーに罪はないと言った。なぜなのか、二人ともあの娘を可愛いがった。一目で他人の子であるとわかるのに、この家で生まれた子は我が家の子だと言った。私も確かにそうだと思えて、お陰で学園を卒業するまで、あまり人の耳目を気にせずに過ごせた」
前妻を娶ってからも亡くした後も、彼は学園に通わねばならなかった。醜聞と噂に塗れた学園生活はどれほど生きづらいものだったろう。
「父は私に逃げ道をくれた。気の済むまで好きなことをしろと言ってくれた。私は一人息子だ。血縁に男児はいるが、嫡男は私だ。夢は確かに騎士だったし、アンネマリーのことがなくても、せめて数年だけでも騎士になることを許してほしいと思っていた。だが、状況は変わっていたしアンネマリーも生まれていた。両親は、そんな私の希望を知っていて、敢えてアンネマリーと私を引き離した」
だが、それも三年ほどのことであるのは、クローディアも知ることである。ローレンスの両親は、不幸な馬車の事故で二人とも一度に亡くなっている。
聞かずともわかる辛すぎる出来事の連続だった。何故、ローレンスがこれほど静かに語ることができているのか、クローディアのほうが不思議に思うほどだった。
「両親が亡くなってからも騎士でいられたのは、叔父夫婦とその息子がいてくれたお陰だ。私はあの時、迷いがあった。戻るべきか留まるべきか。それで結局、騎士の道に留まった。私は一族に甘えるばかりだった。真綿に守られながら戦場に出向くなんて、全く可怪しなことだよな」
クローディアは言葉を返せずにいた。無口な夫が打ち明ける、胸の奥に仕舞い込んだ言葉の数々が解放されるのを、証人のようにひたすら耳を傾けている。
叔父とはローレンスの父の弟で、男爵家を継いでおり、ローレンスの父と共に領地の事業を担っていた。子息が一人おり、彼の存在があった為に嫡男のローレンスには自由が認められていたのだろう。
戦地で万が一のことがあった時には、この従兄弟が後継となる、一時はそういう話になっていたと、婚約したばかりの頃に聞いていた。
「騎士になれたことは確かに誇りとなった。だが、戦場は綺麗ごとばかりではない。夜に瞼を閉じると、目の前に今日斬った男が現れる。彼にも彼の家族がいる。人は一人で生まれるわけではないのだから。そういう男たちと幾度も命の奪い合いをした」
初めて知るローレンスの生き方。ローレンスの夢の先は明るいものばかりではなかった。
「偶々偶然、今日はこちらが生き延びた。自分の命も相手の命も、どちらが先に消えるのかは運任せだった。そんな時に思ったんだ。こんな世界に、あの血の海から生まれたアンネマリーは勇敢だと思った」
ローレンスの言葉に、思わず目を閉じた。思い浮かんだのはアンネマリーだ。
「アンネマリーは、光だ」
大きな手の平が頬を撫でて、それはまるでクローディアもそう思うだろう?と言われたようだった。
「私は人を斬っている。ちっとも親らしいことのできない、罪深く血なまぐさい男があの子にしてやれるのは何なのか、ずっと思いつかないままだった。邸に帰るたびに、あの子はどんどん大きくなる。あの子の為に、何をしてやれるか考えながら、何故だろうな、騎士を辞めることができなかった。ただ帰るたびに、私を父と呼ぶアンネマリーを見るのは、私を当たり前の人間に戻してくれた」
アンネマリーを彼なりに見守ってきた言葉に、クローディアは血の繋がりとはなんだろうと考える。
「私は往生際が悪い男だ。だから、神は剣を折って下さった。そうして、」
ローレンスがクローディアの瞳を覗き込んだ。
「そうして君を与えてくれた」
クローディアは喉の奥に何かが詰まったようになって、息を吐くことも吸うこともままならない。漸く吐いた息は震えていた。
「君は温かい。温かくて柔らかくて、生きていると思わせてくれる」
「我が家は命を育む家だ。生まれた仔馬を強く賢く育て上げて、戦地に送る。騎士たちを乗せて戦う軍馬だ。考えてみれば可怪しなことだ。死ぬために育てる命だなんて。だが、馬は強く優しく騎士を支えてくれる。戦場で、馬たちは人を救うんだ」
いつの間にかクローディアは、頬に添えられたローレンスの手の平に、自分の右手を重ねていた。
「神に、心から感謝している。この人生で、私はもう何も要らないと思っている。アンネマリーはこんな父親から離れて、血の匂いなど無縁な貴族家に嫁いで幸せになれば良い」
ローレンスは、ずっとクローディアに語りかけていた。なのにクローディアはそれに何も応えられなかった。
「泣かないでくれ、クローディア」
ローレンスが親指で涙を拭った。それでも頬を涙が伝う。
「参ったな、君に泣かれるのは敵わない」
よしよしとでもいうように頬を擦る手の平は、硬く固まった豆の跡が頬にこすれて痛かった。
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