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第三十六章
その日は明け方から激しい風が吹いて、朝のうちから大粒の雨が降り出した。風は音を立てて唸り庭木がたわむように揺さぶられている。
冬に残った枯れ葉が空高く舞い上がり、窓には雨と風が同時に当たって小石が当たるような音を立てた。
「怖い」
アンネマリーがクローディアのスカートを掴み身体を寄せてきた。
「大丈夫よ、アンネマリー。少し暗いけど、部屋で本を眺めましょうか」
怯えるアンネマリーを余所に、フランシスはすやすやと眠っている。この太い神経はきっと旦那様に似たのだわ。クローディアは、ちらりとローレンスを見た。
「馬を見てくる。外には決して出るな」
「お気をつけて」
ローレンスがいつになく厳しい顔をした。家令と執事に「後は頼む」と言って玄関ホールから扉に向かう。
軍馬を育てている厩舎は王都の外れにある。馬で駆けるなら馬車ほど時間は掛からないが、この風雨である。上着など、忽ち強風に煽られて脱げてしまうのではないかと思った。
何より馬は怯えるのではないか。行ったはよいが帰ってこられるのだろうか。
クローディアは、本心ならローレンスに出掛けてほしくはなかった。だが、こんな日に大切な馬を誰かに任せるような夫ではない。
玄関ホールの扉を開けた途端、びゅうと呻るような強風が吹き込んで、扉が風に押されて激しく壁に当たった。
「クローディア!」
アンネマリーは大きな音と風に驚いて、今にも泣きそうになっている。クローディアにぎゅっとしがみついて、透かさずアンネマリーを抱き寄せた。
「お父様は大丈夫?」
全然大丈夫ではないだろう。
クローディアとて、胸がバクバク鼓動を打って、耳まで響くように感じている。
窓から外を見れば、ローレンスは横風をいなしながら馬を巧みに操り進んでいく。
その後ろ姿を見つめるうちに、クローディアは不安が増して恐怖を覚えた。
それは雨や風の強さではなくて、ローレンスが帰ってきてくれるだろうかと、そういう類いの恐怖だった。
「奥様、お身体が冷えてしまいます」
ルーシーに肩を支えられて、二階へ上がろうと大階段を一歩登った。
途端にひと際激しい風が吹いて、窓から木々が撓って真横に寝るほど風に打ちのめされているのが見えた。
クローディアの人生で、こんな嵐は初めてのことで、いつもは顔色を変えることのない執事まで眉間に皺を寄せて厳しい表情をしている。
侍女や使用人たちが手分けして、窓や扉の戸締まりを確認している。万が一、どこかが開いてしまったら、そのまま扉は途端に壊れてしまうのではないかと思った。
昼間だというのに辺りは薄暗く、明かり取りの照明が風に靡いて細くなる。
「一箇所に集まって、無闇に歩いては駄目よ」
一階には男性たちが集まって、非常事態に備えて工具や照明や救急用具を揃えている。厨房は火を落とし、火器を使わずに食せる食材でサンドウィッチやつまめるものを手早く用意しているようだ。
クローディアとアンネマリーとフランシス、侍女たちやメイドたちも、二階に上がって夫人の部屋に一塊になって、嵐が通り過ぎるのをひたすら待った。
風雨はそれからも、緩まったり激しさを増したり、まるでクローディアたちをもて遊ぶように強弱をつけながら降り続けた。
「今のうちにフランシスにお乳をあげましょう」
むつきを替えて乳を含ませれば、フランシスはんくんくと声を立てながら乳を飲む。
こんなに小さな身体なのに、赤児は命の塊だと、荒れ狂う嵐の中で思った。
「あら?少し風が弱まったのではなくて?」
気がつくと、先ほどまでより風が弱くなったように思えた。
「気の所為かしら」
クローディアは、フランシスをルーシーに預けて、窓辺に寄った。打ちつける雨は依然として激しく窓硝子を叩いて、まるでバケツの水をそのまま掛けて窓を洗うようだ。
だがその先に、遠くの空がほんの少し明るく見えた。その更に奥には、ほんのりと桃色に染まる雲が見えたような気がした。夕暮れが迫っている。
明るい天望を嘲笑うように、風雨は止むことはなかった。
「旦那様……」
どうか無事に帰ってきて。日のあるうちに戻ってきて。クローディアは思わず手を組んで、胸の前で合わせて祈った。
クローディアは特別信仰心の厚いほうではないけれど、こんなときに手を差し伸べてくれる神なら救いを求めたい。
その時、目の前が数多の光を集めたように眩しいほどに光った。
「な、何?」
「雷です、奥様」
ルーシーは、いち、に、さん、と秒を数える。十まで数えたときに
「きゃあ!」
誰かの悲鳴と一緒に、耳にも腹にも轟くような爆発音が鳴り響いた。
「落ちましたね。まだ遠いようですが」
アンネマリーはどれほど怖いのか、歯がカチカチと鳴っている。フランシスだけがなんで?と思うくらい爆睡していて、それはそれで大丈夫なのかと心配になった。
アンネマリーを抱き締めて、フランシスを抱くルーシーと侍女たちと円陣を組むように部屋の中央に集まった。
ピカっと再び稲妻が光る。まるで生き物のように天から雷が伸びて、辺りが一瞬真っ昼間のように明るくなった。
「いち、に、さん、し、」
ルーシーが、五まで数えたときに、再びバリバリともドーンともわからない轟音が鳴る。
「こちらに近づいているのではなくて?」
怯えるアンネマリーは既に涙を流している。
「大丈夫、アンネマリー。ルーシー、フランシスをこちらへ」
ルーシーからそっとフランシスを受け取って、そのふくふくと温かな身体を抱きしめながら、片手でアンネマリーを抱き寄せる。
もしも今日、このまま人生が終わりになっても、この子たちは必ず守り通す。
バクバク耳まで打つ鼓動に痛みを感じながら、クローディアは窓の外に目をやった。
「あ、」
稲妻は、直ぐ眼の前に落ちたと思った。その瞬間、これまで一度も聞いたことのない鼓膜が裂けてしまうような轟音と、足元に響く地鳴りのような揺れを感じた。
庭園には、いつからあったのか大木がある。雷は大木を天中から直撃して、目の前で火花と炎と煙とが一度に見えたかと思うと、大木は幹からメリメリ裂けてしまって、倒れた幹がみるみるこちらに迫って直ぐ隣の部屋を窓を突き破った。
冬に残った枯れ葉が空高く舞い上がり、窓には雨と風が同時に当たって小石が当たるような音を立てた。
「怖い」
アンネマリーがクローディアのスカートを掴み身体を寄せてきた。
「大丈夫よ、アンネマリー。少し暗いけど、部屋で本を眺めましょうか」
怯えるアンネマリーを余所に、フランシスはすやすやと眠っている。この太い神経はきっと旦那様に似たのだわ。クローディアは、ちらりとローレンスを見た。
「馬を見てくる。外には決して出るな」
「お気をつけて」
ローレンスがいつになく厳しい顔をした。家令と執事に「後は頼む」と言って玄関ホールから扉に向かう。
軍馬を育てている厩舎は王都の外れにある。馬で駆けるなら馬車ほど時間は掛からないが、この風雨である。上着など、忽ち強風に煽られて脱げてしまうのではないかと思った。
何より馬は怯えるのではないか。行ったはよいが帰ってこられるのだろうか。
クローディアは、本心ならローレンスに出掛けてほしくはなかった。だが、こんな日に大切な馬を誰かに任せるような夫ではない。
玄関ホールの扉を開けた途端、びゅうと呻るような強風が吹き込んで、扉が風に押されて激しく壁に当たった。
「クローディア!」
アンネマリーは大きな音と風に驚いて、今にも泣きそうになっている。クローディアにぎゅっとしがみついて、透かさずアンネマリーを抱き寄せた。
「お父様は大丈夫?」
全然大丈夫ではないだろう。
クローディアとて、胸がバクバク鼓動を打って、耳まで響くように感じている。
窓から外を見れば、ローレンスは横風をいなしながら馬を巧みに操り進んでいく。
その後ろ姿を見つめるうちに、クローディアは不安が増して恐怖を覚えた。
それは雨や風の強さではなくて、ローレンスが帰ってきてくれるだろうかと、そういう類いの恐怖だった。
「奥様、お身体が冷えてしまいます」
ルーシーに肩を支えられて、二階へ上がろうと大階段を一歩登った。
途端にひと際激しい風が吹いて、窓から木々が撓って真横に寝るほど風に打ちのめされているのが見えた。
クローディアの人生で、こんな嵐は初めてのことで、いつもは顔色を変えることのない執事まで眉間に皺を寄せて厳しい表情をしている。
侍女や使用人たちが手分けして、窓や扉の戸締まりを確認している。万が一、どこかが開いてしまったら、そのまま扉は途端に壊れてしまうのではないかと思った。
昼間だというのに辺りは薄暗く、明かり取りの照明が風に靡いて細くなる。
「一箇所に集まって、無闇に歩いては駄目よ」
一階には男性たちが集まって、非常事態に備えて工具や照明や救急用具を揃えている。厨房は火を落とし、火器を使わずに食せる食材でサンドウィッチやつまめるものを手早く用意しているようだ。
クローディアとアンネマリーとフランシス、侍女たちやメイドたちも、二階に上がって夫人の部屋に一塊になって、嵐が通り過ぎるのをひたすら待った。
風雨はそれからも、緩まったり激しさを増したり、まるでクローディアたちをもて遊ぶように強弱をつけながら降り続けた。
「今のうちにフランシスにお乳をあげましょう」
むつきを替えて乳を含ませれば、フランシスはんくんくと声を立てながら乳を飲む。
こんなに小さな身体なのに、赤児は命の塊だと、荒れ狂う嵐の中で思った。
「あら?少し風が弱まったのではなくて?」
気がつくと、先ほどまでより風が弱くなったように思えた。
「気の所為かしら」
クローディアは、フランシスをルーシーに預けて、窓辺に寄った。打ちつける雨は依然として激しく窓硝子を叩いて、まるでバケツの水をそのまま掛けて窓を洗うようだ。
だがその先に、遠くの空がほんの少し明るく見えた。その更に奥には、ほんのりと桃色に染まる雲が見えたような気がした。夕暮れが迫っている。
明るい天望を嘲笑うように、風雨は止むことはなかった。
「旦那様……」
どうか無事に帰ってきて。日のあるうちに戻ってきて。クローディアは思わず手を組んで、胸の前で合わせて祈った。
クローディアは特別信仰心の厚いほうではないけれど、こんなときに手を差し伸べてくれる神なら救いを求めたい。
その時、目の前が数多の光を集めたように眩しいほどに光った。
「な、何?」
「雷です、奥様」
ルーシーは、いち、に、さん、と秒を数える。十まで数えたときに
「きゃあ!」
誰かの悲鳴と一緒に、耳にも腹にも轟くような爆発音が鳴り響いた。
「落ちましたね。まだ遠いようですが」
アンネマリーはどれほど怖いのか、歯がカチカチと鳴っている。フランシスだけがなんで?と思うくらい爆睡していて、それはそれで大丈夫なのかと心配になった。
アンネマリーを抱き締めて、フランシスを抱くルーシーと侍女たちと円陣を組むように部屋の中央に集まった。
ピカっと再び稲妻が光る。まるで生き物のように天から雷が伸びて、辺りが一瞬真っ昼間のように明るくなった。
「いち、に、さん、し、」
ルーシーが、五まで数えたときに、再びバリバリともドーンともわからない轟音が鳴る。
「こちらに近づいているのではなくて?」
怯えるアンネマリーは既に涙を流している。
「大丈夫、アンネマリー。ルーシー、フランシスをこちらへ」
ルーシーからそっとフランシスを受け取って、そのふくふくと温かな身体を抱きしめながら、片手でアンネマリーを抱き寄せる。
もしも今日、このまま人生が終わりになっても、この子たちは必ず守り通す。
バクバク耳まで打つ鼓動に痛みを感じながら、クローディアは窓の外に目をやった。
「あ、」
稲妻は、直ぐ眼の前に落ちたと思った。その瞬間、これまで一度も聞いたことのない鼓膜が裂けてしまうような轟音と、足元に響く地鳴りのような揺れを感じた。
庭園には、いつからあったのか大木がある。雷は大木を天中から直撃して、目の前で火花と炎と煙とが一度に見えたかと思うと、大木は幹からメリメリ裂けてしまって、倒れた幹がみるみるこちらに迫って直ぐ隣の部屋を窓を突き破った。
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