クローディアの物語

桃井すもも

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第四十章

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 前方に人が集まっているのが見えて、アンネマリーは立ち止まった。
 一緒に並び歩いていたリリベットも同時に立ち止まり、アンネマリーのほうを見た。

「引き返す?」

 リリベットにそう尋ねられて、それが一番面倒にならないだろうと思い、目的地は直ぐそこだったが通路を変えることにした。

 前方の集団にくるりと背を向け、もと来た廊下を引き返す。遠回りになるけれど、急がば回れ。引き返すほうが、あの集団を追い越すよりも早いだろう。

 アンネマリーはリリベットと手分けして、クラスの皆から集めたノートを数学教師に届けにいくところだった。

 今は昼休みに入ったところで、前方の小集団もこれから食堂に向かうのだろう。男子生徒数名が令嬢たちに囲まれてた。


 アンネマリーは現在、王都にある貴族学園の学生で、この春二年生に上がったところである。

 義母クローディアの異母妹であるリリベットとは、同じ学年でクラスも一緒だ。
 二人は十歳からの付き合いで元々親しい間柄であったが、学園に入学してからは特に仲が深まって、大抵いつも二人で行動している。

 ぐるりと遠回りをして、数学教師がいる準備室に辿り着いた。

「失礼します」

 ノックの後にひと声掛けて、返事がないことには構わずガラリと扉を開けた。教師は多分、今頃は食堂に行って不在だろうと思っていた。

「ああ、いらっしゃい」

 てっきり不在と思った教師は、ソファに座ってサンドウィッチを頬張っていた。

「あ。失礼しました」

 真逆いるとは思わずに、無作法にも返事を待たず入室してしまった。

「ん?課題のノートかな。適当なとこに置いといてくれるかい」

 教師は、アンネマリーたちが断りもないまま部屋に入ったことは気にならないようだった。よほど空腹だったのか、ひと口にしては大き過ぎるサンドウィッチをぱくりと口に放り込んだ。

「ごふっ」
「先生、ひと口が大き過ぎですよ」

 途端にせた数学教師に、リリベットが呆れたように言う。

 ごふごふとせながら、胸をトントン叩いた教師は、携帯用のポットに口をつけて慌てて飲み込んだ。

「熱っ」

 ポットは最近流行りの魔法瓶だったらしく、いつ淹れたものなのか中身の飲み物はまだ熱かったようだ。

「騒々しいですね。ノート、ここに置いていきます」

 リリベットは落ち着きのない数学教師に呆れたようで、抱えていたノートを扉の脇にある棚に置いた。アンネマリーもそれに倣ってノートを置いて、そのまま部屋の外に出ようとした。

「ごふっ、ちょっと待ってくれ」

 教師はまだごふごふ言いながら、ソファから立ち上がって窓際の机へ向かう。それから何か、書物のようなものを手にしてこちらへやって来た。

「前に言ってたろう?」

 教師はそう言って、こちらに書物を差し出した。アンネマリーは反射的にそれを受け取って、手の中の本の表紙を見下ろした。

「これって……」
「読みたいって、これじゃなかった?」
「いいえ、これです。でも本当にお借りしても良いのですか?これって貴重な書籍ですよね」
「君は乱暴な扱いはしないだろう。良いよ、持っていって。返すのはいつでも良いからゆっくり読んで」

 教師から渡された本を見つめて、それからそっと胸に抱く。
 それは天体についての書籍で、星の運行などが書かれた専門書であった。

 アンネマリーは、幼い頃から夜空に瞬く星を眺めるのが好きだった。
 クローディアが嫁いでくる前、夜は長く一人きりで過ごす時間だった。

 朝には見えなくなってしまう星々が、夜だけ姿を見せてくれる。月は満ちたり欠けけたりを繰り返し、明けの明星はいつの間にか宵の明星になる。
 どうしてそんなことになるのかは、幼い少女にはちっとも理解できず、教えてくれる人はいなかった。

 クローディアが一緒に住むようになってからも、変わらず夜空を眺めることは好きだった。
 弟妹ができてからは、夜は誰かしらアンネマリーの部屋を訪れて、絵本を読んでとせがまれる。
 そんな夜は、空を一緒に眺めながら知っている限りの星の名を教えている。

 ある日のこと、数学教師が授業を始めるのに、

「あれ?間違えて持ってきたな」

 教科書と何かの書籍を間違えて持ってきた。
 一番前の席にいたアンネマリーは、チラリと見えたタイトルを見逃さななかった。

『天体運行の周期について』

 背表紙には金文字でそう箔押しがされており、装丁から一目で高価な書籍なのだとわかった。

 《読みたい!》

 書籍をガン見する異様な視線に気がついて、教師はアンネマリーに尋ねたのである。

「読みたいのか?」

 アンネマリーは渇望を抑えることができなかった。

「読んでみたいです」

 素直にそう答えれば、

「もう少しで読み終わるから。後で貸すよ」

 教師はそんな気さくな物言いをしたのだった。


 アンネマリーは、ルンルンである。
 やったぁ。先生、本当に貸して下さったわ。楽しみ楽しみ!このまま早退したいくらい。

 準備室を出てからも、浮かれる心を抑えられない。

「ねえ、リリベット。私、このまま教室に戻るわ。食堂まで持っていって本を汚したくないし、教室に戻って本を置いてから行くのも面倒だし」

 空腹は感じていたが、それより一刻も早く本を読みたい。

 アンネマリーの気まぐれに、リリベットを付き合わせるのは申し訳ない。このままここで分かれて、アンネマリーだけ教室に戻ろうと思った。

 そう言いながら廊下を歩いていると、

「アンネマリー、リリベット」

 背後から名前を呼ばれて、振り返らずとも声の主が誰なのか直ぐにわかった。

「ご機嫌よう、アンドリュー殿下」

 アンネマリーは声のほうに向き直り、さっきまで令嬢たちに囲まれていた小集団の主に挨拶をした。


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