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第四十三章
「やれやれ、見てられないな。しっかりしないかアンドリュー。アンネマリー君、すまなかったね。その辺で許してやってはくれないか」
その声に、アンネマリーの足がぴたりと止まった。そこで止まって良かった。さもなくば、「令嬢乱心、第三王子傷害事件」として、明日の新聞一面にデカデカと顔と家名が載ってしまったことだろう。
書架の向こう側から、声の主が姿を現す。
一部始終を見聞きしていたのか。だとしたら趣味が悪い。アンネマリーは、王子へ向けていた氷の視線を彼にも向けた。
「いや、ほんとにすまなかった。折角甥が頑張ってここまで誘導したのに、水を差してはいけないかなと思ったんだが、盛大に冷水をぶっかけて頭を冷やしてやるべきだった」
声の主は王弟殿下だった。
アンドリューと同じ金の髪がアンネマリーの掲げ持つ照明に浮かび上がって見えていた。青い瞳は「王家の色」ロイヤルブルーである。
現国王には四人の王弟がいるのだが、彼はその末っ子で、年の離れた弟なのである。
「叔父上、なぜここに」
アンドリューは呻くように声を絞り出した。
「いや、ちょっと調べものをしたくてさ。そんなことより、アンドリュー。もっと上手くやりなよ。直情は青年期の情熱そのもので微笑ましくはあるけれど、あれは駄目だ、アウトだよ。同意のない行為はともすればご令嬢の心を傷つける。十分、気をつけなさい」
いや、転がされて尻もちついて傷つけられていたのはアンドリューのほうだ。
上げた拳ではなく、上げた片足を漸く下げたアンネマリーに、王弟は眉を下げて謝罪した。
「私に免じて、思慮の足りなかった甥の愚行を許してくれないか、アンネマリー君」
「謝罪を受け入れますわ、先生」
「くそぅ」
最後に汚い言葉を吐いたのは、アンドリューである。
王弟は、あのサンドウィッチを喉に詰まらせていた、ではなく、アンネマリーに本を貸してくれた数学教師だ。
アンドリューが学園の廊下で散々あいつ呼ばわりしていたのも、この王弟のことである。
王位継承権を保有してはいるが、国を揺るがす厄災かクーデターでもない限り、彼に王の座が回ってくることはない。
国王を補佐する兄たちは三人いるし、第一王子も既に立太子しているからと、彼は国政から退いて教育にその身を捧げることを選んだ。
そう言えば高尚に聞こえるが、要は好き勝手生きている、サラリーマン殿下である。
「アンネマリー君、あの本、気に入ったのかい?」
「ええ、とても。付属の天体運行表は書き写しましたの。あ、本は明日お返し致しますわ。遅くなってしまって申し訳ございません。何度も読み返して、つい長々とお借りしてしまいました」
「アンネマリー、その本、僕が買ってやる」
最後にモノで乙女心を釣ろうとする言葉を吐いたのは、アンドリューである。
数学教師(王弟)は、アンネマリーの側までやってきて、腕に抱え持つ書籍のタイトルを見た。
「それは私が取り寄せた書籍なんだ。王立図書館にも蔵書がある。あちらは貸出可だから、ここで読むのが不安ならあちらで読めば良い」
「アンネマリー、不安にならないでくれないか。すまなかった、うっかりしたんだ。以後うっかりミスには気をつけるから。お願いだ、ここに来てくれ読んでくれ」
尻もちから体勢を整えたアンドリューは、そこで綺麗な土下座をした。
「すまなかった、許してくれ」
一秒が一時間にも永遠にも感じられた沈黙の後に、
「許します」
アンネマリーはアンドリューの謝罪を受け入れた。あれが頬ではなくて唇へのキスだったなら、彼は未来永劫許されなかったかもしれない。
「アンネマリー⋯⋯」
アンドリューは土下座の姿勢のままアンネマリーを見上げてから、
「女神⋯⋯」
そう呟いた。
因みに、リリベットと愉快な男子たちと侍従は、騒ぎを聞いて慌ててこちら側に駆けつけた。王弟殿下の登場を、棚の陰から並んで盗み見ていた。
「ちょっと、ロナルド押さないでよ」
リリベットを背中からぐいぐい押すのはロナルドで、彼は歯がすり減るのではないかと思うほど、歯ぎしりをして五月蝿かった。
アンネマリーは先にリリベットたちと別れて、馬車寄せまでの長い回廊を歩いていた。
「アンネマリー」
「⋯⋯」
その後を、アンネマリーとつかず離れずついて歩くのはアンドリューだ。
「そのぅ、また来てくれないか。これに懲りずに」
「⋯⋯」
「ごめんよ、もう怒らないでくれないか。無体なことをしてすまなかった。君を見ていてついムラム⋯⋯、そうではなくて惹かれてしまった。君があんまり綺麗だったから。綺麗でもあり可愛くもある。知ってる?君って笑うとほんのり笑窪が浮かぶんだ。気づいてた?ほんのりだから、多分王国でこれを知っているのは僕だけだろうな。君、星空が好きなんだろう?僕は君の瞳が好きかな。星の瞬く夜空より綺麗だと思っているよ。そうだ、今度、星座の図鑑を贈ろう。受け取ってくれるかな?」
侍従はアンドリューの後ろにいて、目の前の微笑ましい光景に涙を堪えながらも危うく吹き出しそうになっていた。
この心根の真っ直ぐな王子は子供の頃からこうだった。出自に曰くのある、どこか影を纏った黒髪の少女を、初めて出会ったあの日から大切に想い続けている。
王弟殿下にヤキモチまで焼いて、必死にご令嬢の心を繋ぎ止めようと土下座までして。
アンネマリー嬢、貴女くらいですよ。王子を土下座させられるなんて。
侍従はそこで気がついた。
アンネマリーの後ろ姿。そこから見える両耳が真っ赤に染まっている。
アンドリューを無視しているとばかり思っていたが、王子の必死な恋心はちゃんと届いたようだった。
侍従は隣を歩く近衛騎士に目配せした。
近衛騎士もまた、眦を下げて王子と令嬢を見つめていた。
その声に、アンネマリーの足がぴたりと止まった。そこで止まって良かった。さもなくば、「令嬢乱心、第三王子傷害事件」として、明日の新聞一面にデカデカと顔と家名が載ってしまったことだろう。
書架の向こう側から、声の主が姿を現す。
一部始終を見聞きしていたのか。だとしたら趣味が悪い。アンネマリーは、王子へ向けていた氷の視線を彼にも向けた。
「いや、ほんとにすまなかった。折角甥が頑張ってここまで誘導したのに、水を差してはいけないかなと思ったんだが、盛大に冷水をぶっかけて頭を冷やしてやるべきだった」
声の主は王弟殿下だった。
アンドリューと同じ金の髪がアンネマリーの掲げ持つ照明に浮かび上がって見えていた。青い瞳は「王家の色」ロイヤルブルーである。
現国王には四人の王弟がいるのだが、彼はその末っ子で、年の離れた弟なのである。
「叔父上、なぜここに」
アンドリューは呻くように声を絞り出した。
「いや、ちょっと調べものをしたくてさ。そんなことより、アンドリュー。もっと上手くやりなよ。直情は青年期の情熱そのもので微笑ましくはあるけれど、あれは駄目だ、アウトだよ。同意のない行為はともすればご令嬢の心を傷つける。十分、気をつけなさい」
いや、転がされて尻もちついて傷つけられていたのはアンドリューのほうだ。
上げた拳ではなく、上げた片足を漸く下げたアンネマリーに、王弟は眉を下げて謝罪した。
「私に免じて、思慮の足りなかった甥の愚行を許してくれないか、アンネマリー君」
「謝罪を受け入れますわ、先生」
「くそぅ」
最後に汚い言葉を吐いたのは、アンドリューである。
王弟は、あのサンドウィッチを喉に詰まらせていた、ではなく、アンネマリーに本を貸してくれた数学教師だ。
アンドリューが学園の廊下で散々あいつ呼ばわりしていたのも、この王弟のことである。
王位継承権を保有してはいるが、国を揺るがす厄災かクーデターでもない限り、彼に王の座が回ってくることはない。
国王を補佐する兄たちは三人いるし、第一王子も既に立太子しているからと、彼は国政から退いて教育にその身を捧げることを選んだ。
そう言えば高尚に聞こえるが、要は好き勝手生きている、サラリーマン殿下である。
「アンネマリー君、あの本、気に入ったのかい?」
「ええ、とても。付属の天体運行表は書き写しましたの。あ、本は明日お返し致しますわ。遅くなってしまって申し訳ございません。何度も読み返して、つい長々とお借りしてしまいました」
「アンネマリー、その本、僕が買ってやる」
最後にモノで乙女心を釣ろうとする言葉を吐いたのは、アンドリューである。
数学教師(王弟)は、アンネマリーの側までやってきて、腕に抱え持つ書籍のタイトルを見た。
「それは私が取り寄せた書籍なんだ。王立図書館にも蔵書がある。あちらは貸出可だから、ここで読むのが不安ならあちらで読めば良い」
「アンネマリー、不安にならないでくれないか。すまなかった、うっかりしたんだ。以後うっかりミスには気をつけるから。お願いだ、ここに来てくれ読んでくれ」
尻もちから体勢を整えたアンドリューは、そこで綺麗な土下座をした。
「すまなかった、許してくれ」
一秒が一時間にも永遠にも感じられた沈黙の後に、
「許します」
アンネマリーはアンドリューの謝罪を受け入れた。あれが頬ではなくて唇へのキスだったなら、彼は未来永劫許されなかったかもしれない。
「アンネマリー⋯⋯」
アンドリューは土下座の姿勢のままアンネマリーを見上げてから、
「女神⋯⋯」
そう呟いた。
因みに、リリベットと愉快な男子たちと侍従は、騒ぎを聞いて慌ててこちら側に駆けつけた。王弟殿下の登場を、棚の陰から並んで盗み見ていた。
「ちょっと、ロナルド押さないでよ」
リリベットを背中からぐいぐい押すのはロナルドで、彼は歯がすり減るのではないかと思うほど、歯ぎしりをして五月蝿かった。
アンネマリーは先にリリベットたちと別れて、馬車寄せまでの長い回廊を歩いていた。
「アンネマリー」
「⋯⋯」
その後を、アンネマリーとつかず離れずついて歩くのはアンドリューだ。
「そのぅ、また来てくれないか。これに懲りずに」
「⋯⋯」
「ごめんよ、もう怒らないでくれないか。無体なことをしてすまなかった。君を見ていてついムラム⋯⋯、そうではなくて惹かれてしまった。君があんまり綺麗だったから。綺麗でもあり可愛くもある。知ってる?君って笑うとほんのり笑窪が浮かぶんだ。気づいてた?ほんのりだから、多分王国でこれを知っているのは僕だけだろうな。君、星空が好きなんだろう?僕は君の瞳が好きかな。星の瞬く夜空より綺麗だと思っているよ。そうだ、今度、星座の図鑑を贈ろう。受け取ってくれるかな?」
侍従はアンドリューの後ろにいて、目の前の微笑ましい光景に涙を堪えながらも危うく吹き出しそうになっていた。
この心根の真っ直ぐな王子は子供の頃からこうだった。出自に曰くのある、どこか影を纏った黒髪の少女を、初めて出会ったあの日から大切に想い続けている。
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アンネマリー嬢、貴女くらいですよ。王子を土下座させられるなんて。
侍従はそこで気がついた。
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アンドリューを無視しているとばかり思っていたが、王子の必死な恋心はちゃんと届いたようだった。
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