44 / 48
第四十四章
「アンネマリー」
晩餐を終えて自室に戻るところで、アンネマリーは後ろから呼び止められた。
振り返れば、左右の腰に二人の弟を引っ付けて片腕に妹を抱くクローディアがいた。
「一人足りないわ」
「背中にくっついているわ」
成る程、よく見ればクローディアの両肩に小さな手が見えている。もう一人の弟はおんぶされていた。
貴族の暮らしがどんなであるのか、社交に疎いアンネマリーはそれほど詳しい訳ではない。だが一つだけわかるのは、クローディアみたいな貴族夫人は他にはいないということか。
「悩みごと?」
「⋯⋯」
とても人の悩みに付き合っていられる状況には見えない。誰よりも助けを必要として見えるのはクローディアのほうだろう。
クローディアはいつもこうだ。初めて会った日からこうだった。
アンネマリーの心の変化を見逃したりなんかしない。べたべた甘やかしてはくれないし、口ぶりなんてぶっきらぼうだ。
なのに誰より信じられる。
「乙女の悩みの九割がなんであるか知ってる?」
「星の運行かしら」
「貴女は残りの一割なのね。よくわかったわ」
よくわかったと、クローディアはちょっとよくわからないことを言った。
「学園で、いいえ、王城でなにかあったの?ああ、こんなところでこんな繊細なお話をしては駄目ね。場所を変えましょう」
場所より、その引っつき虫くっつき虫たちをどうにかしたほうが良いのではないか。
アンネマリーが心配するより先に、クローディアの背後から大きな影が現れたと思った途端、
「やだ、母上!」
背中の弟が引き剥がされた。
次に、
「母上!」「母上~!」
左右の引っつき虫たちが持ち上げられた。
いつも不思議に思うのだが、腕は二本しかないのに、この父はどうしてこんなに一度に子供たちを抱えられるのか。
今も右腕には、二人纏めて抱えている。
「おかあさま」
「ん?大丈夫よ、貴女は一緒にいましょうね」
クローディアが腕に抱いていた妹だけは残された。
「お前たち、クローディアの邪魔をするな。ほら、食後の馬の世話に行くぞ」
弟たちは父に連れられ、厩舎へ向かう。これからブラッキー(正バリオス)の子供たちの世話をするのだ。
「おねえさま。だっこ」
三つになったヒルデガルドはもうかなり大きくなって重いのだが、夜には幼さが戻って甘えてくる。
クローディアそっくりの妹がこちらに手を伸ばして抱っこをせがんだ。
「よいしょ。また重くなったわ」
クローディアからヒルデガルドを受け取って抱き締めれば、先週よりも確実に重くなっているのがわかる。
弟たちも妹も、日々成長して大きくなる。そのうちアンネマリーだけを置いてけぼりに、彼らは大人になってしまうのだろう。
そう考えて淋しく思ったのは、自分の未来が見えないからか。
クローディアの私室で、アンネマリーは手ずからお茶を淹れた。クローディアからの細々とした教授は今も続いており、幼い頃には令嬢として教養が足りなかったアンネマリーも、今では学園の教師に高評価を受けるようになっていた。
「美味しいわ。王族にお茶をお出しできるレベルになったのではなくて」
偶然なのに、クローディアは核心に触れるようなことを言った。
「お城で何があったの?いいえ、遠回しに聞くのは面倒ね。アンドリュー殿下になにをされたの?」
ひとときお茶を楽しんでから、クローディアは単刀直入に尋ねてきた。質問がピンポイントでほんと恐ろしい。
「キスされたの。ほっぺに」
目の前の義母に偽りは通用しない。アンネマリーもまた回りくどいことが苦手だった。単刀直入なクローディアには単刀直入に答えるべし。それがアンネマリーの信条だ。
「直情は青年期の情熱そのもので微笑ましくはあるけれど、同意のない行為はアウトだわ。ともすれば乙女の心を傷つける。殿方には、十分、気をつけて頂きたいものね」
クローディアは、まるであの場を見たのかというように、数学教師(王弟)とそっくり同じことを言った。
「謝罪は受け取ったわ。殿下が土下座したから」
「は?」
「土下座してから、女神って言ってたわ」
「どうしましょう。旦那様に通報せねば」
「え?どうして?私なにも悪いことしてないわよ」
嘘をつけ。王子に胸ドンして転がしただろう。未遂ではあるが蹴りを入れようとしたじゃないか。
だが、アンネマリーにはそれは全て当然のこと、正当防衛であるから罪の意識はこれっぽっちもない。
「違うわよ、アンネマリー。貴女、すっかりロックオンされてるじゃない。明日にでも金色の封蝋が押された書簡が届きそうだわ」
「書簡?なんの?」
「きちんと考えてごらんなさい。アンドリュー殿下のお望みに、お答えする気持ちはあるのかしら」
気がつかなかった訳ではない。あれほど熱を孕んだ眼差しを向けられて、なにも感じられないほどアンネマリーは鈍くない。
「可哀想なロナルド」
ぽそりとクローディアが呟いたが、アンネマリーには聞き取れなかった。
「アンネマリー。罪な女ね」
「罪?なんの?」
「……敢えて言うなら、存在、かしら」
「?」
「よいのよ、深く考えずとも。貴女は変わらず貴女でいてね」
遠い記憶の向こうでも、いつか聞いたような気がする。だが今はそれどころではない。
アンネマリーは自分の本心に薄々気がついている。そうして確かに迷っている。
アンドリューから向けられる眼差しと、もう一つ。熱烈な視線を向けられている。彼のことを無碍にはできない。
「でも私、フランシスから求婚されてるのよ」
アンネマリーはそのことを、クローディアに打ち明けた。
さっきまでクローディアに引っ付いていた弟のフランシスは、御年六歳である。
晩餐を終えて自室に戻るところで、アンネマリーは後ろから呼び止められた。
振り返れば、左右の腰に二人の弟を引っ付けて片腕に妹を抱くクローディアがいた。
「一人足りないわ」
「背中にくっついているわ」
成る程、よく見ればクローディアの両肩に小さな手が見えている。もう一人の弟はおんぶされていた。
貴族の暮らしがどんなであるのか、社交に疎いアンネマリーはそれほど詳しい訳ではない。だが一つだけわかるのは、クローディアみたいな貴族夫人は他にはいないということか。
「悩みごと?」
「⋯⋯」
とても人の悩みに付き合っていられる状況には見えない。誰よりも助けを必要として見えるのはクローディアのほうだろう。
クローディアはいつもこうだ。初めて会った日からこうだった。
アンネマリーの心の変化を見逃したりなんかしない。べたべた甘やかしてはくれないし、口ぶりなんてぶっきらぼうだ。
なのに誰より信じられる。
「乙女の悩みの九割がなんであるか知ってる?」
「星の運行かしら」
「貴女は残りの一割なのね。よくわかったわ」
よくわかったと、クローディアはちょっとよくわからないことを言った。
「学園で、いいえ、王城でなにかあったの?ああ、こんなところでこんな繊細なお話をしては駄目ね。場所を変えましょう」
場所より、その引っつき虫くっつき虫たちをどうにかしたほうが良いのではないか。
アンネマリーが心配するより先に、クローディアの背後から大きな影が現れたと思った途端、
「やだ、母上!」
背中の弟が引き剥がされた。
次に、
「母上!」「母上~!」
左右の引っつき虫たちが持ち上げられた。
いつも不思議に思うのだが、腕は二本しかないのに、この父はどうしてこんなに一度に子供たちを抱えられるのか。
今も右腕には、二人纏めて抱えている。
「おかあさま」
「ん?大丈夫よ、貴女は一緒にいましょうね」
クローディアが腕に抱いていた妹だけは残された。
「お前たち、クローディアの邪魔をするな。ほら、食後の馬の世話に行くぞ」
弟たちは父に連れられ、厩舎へ向かう。これからブラッキー(正バリオス)の子供たちの世話をするのだ。
「おねえさま。だっこ」
三つになったヒルデガルドはもうかなり大きくなって重いのだが、夜には幼さが戻って甘えてくる。
クローディアそっくりの妹がこちらに手を伸ばして抱っこをせがんだ。
「よいしょ。また重くなったわ」
クローディアからヒルデガルドを受け取って抱き締めれば、先週よりも確実に重くなっているのがわかる。
弟たちも妹も、日々成長して大きくなる。そのうちアンネマリーだけを置いてけぼりに、彼らは大人になってしまうのだろう。
そう考えて淋しく思ったのは、自分の未来が見えないからか。
クローディアの私室で、アンネマリーは手ずからお茶を淹れた。クローディアからの細々とした教授は今も続いており、幼い頃には令嬢として教養が足りなかったアンネマリーも、今では学園の教師に高評価を受けるようになっていた。
「美味しいわ。王族にお茶をお出しできるレベルになったのではなくて」
偶然なのに、クローディアは核心に触れるようなことを言った。
「お城で何があったの?いいえ、遠回しに聞くのは面倒ね。アンドリュー殿下になにをされたの?」
ひとときお茶を楽しんでから、クローディアは単刀直入に尋ねてきた。質問がピンポイントでほんと恐ろしい。
「キスされたの。ほっぺに」
目の前の義母に偽りは通用しない。アンネマリーもまた回りくどいことが苦手だった。単刀直入なクローディアには単刀直入に答えるべし。それがアンネマリーの信条だ。
「直情は青年期の情熱そのもので微笑ましくはあるけれど、同意のない行為はアウトだわ。ともすれば乙女の心を傷つける。殿方には、十分、気をつけて頂きたいものね」
クローディアは、まるであの場を見たのかというように、数学教師(王弟)とそっくり同じことを言った。
「謝罪は受け取ったわ。殿下が土下座したから」
「は?」
「土下座してから、女神って言ってたわ」
「どうしましょう。旦那様に通報せねば」
「え?どうして?私なにも悪いことしてないわよ」
嘘をつけ。王子に胸ドンして転がしただろう。未遂ではあるが蹴りを入れようとしたじゃないか。
だが、アンネマリーにはそれは全て当然のこと、正当防衛であるから罪の意識はこれっぽっちもない。
「違うわよ、アンネマリー。貴女、すっかりロックオンされてるじゃない。明日にでも金色の封蝋が押された書簡が届きそうだわ」
「書簡?なんの?」
「きちんと考えてごらんなさい。アンドリュー殿下のお望みに、お答えする気持ちはあるのかしら」
気がつかなかった訳ではない。あれほど熱を孕んだ眼差しを向けられて、なにも感じられないほどアンネマリーは鈍くない。
「可哀想なロナルド」
ぽそりとクローディアが呟いたが、アンネマリーには聞き取れなかった。
「アンネマリー。罪な女ね」
「罪?なんの?」
「……敢えて言うなら、存在、かしら」
「?」
「よいのよ、深く考えずとも。貴女は変わらず貴女でいてね」
遠い記憶の向こうでも、いつか聞いたような気がする。だが今はそれどころではない。
アンネマリーは自分の本心に薄々気がついている。そうして確かに迷っている。
アンドリューから向けられる眼差しと、もう一つ。熱烈な視線を向けられている。彼のことを無碍にはできない。
「でも私、フランシスから求婚されてるのよ」
アンネマリーはそのことを、クローディアに打ち明けた。
さっきまでクローディアに引っ付いていた弟のフランシスは、御年六歳である。
あなたにおすすめの小説
選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ
暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】
5歳の時、母が亡くなった。
原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。
そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。
これからは姉と呼ぶようにと言われた。
そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。
母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。
私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。
たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。
でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。
でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ……
今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。
でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。
私は耐えられなかった。
もうすべてに………
病が治る見込みだってないのに。
なんて滑稽なのだろう。
もういや……
誰からも愛されないのも
誰からも必要とされないのも
治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。
気付けば私は家の外に出ていた。
元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。
特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。
私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。
これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
この罰は永遠に
豆狸
恋愛
「オードリー、そなたはいつも私達を見ているが、一体なにが楽しいんだ?」
「クロード様の黄金色の髪が光を浴びて、キラキラ輝いているのを見るのが好きなのです」
「……ふうん」
その灰色の瞳には、いつもクロードが映っていた。
なろう様でも公開中です。
貴方でなくても良いのです。
豆狸
恋愛
彼が初めて淹れてくれたお茶を口に含むと、舌を刺すような刺激がありました。古い茶葉でもお使いになったのでしょうか。青い瞳に私を映すアントニオ様を傷つけないように、このことは秘密にしておきましょう。
私の手からこぼれ落ちるもの
アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。
優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。
でもそれは偽りだった。
お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。
お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。
心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。
私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。
こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら…
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。
❈ ざまぁはありません。
侍女から第2夫人、そして……
しゃーりん
恋愛
公爵家の2歳のお嬢様の侍女をしているルイーズは、酔って夢だと思い込んでお嬢様の父親であるガレントと関係を持ってしまう。
翌朝、現実だったと知った2人は親たちの話し合いの結果、ガレントの第2夫人になることに決まった。
ガレントの正妻セルフィが病弱でもう子供を望めないからだった。
一日で侍女から第2夫人になってしまったルイーズ。
正妻セルフィからは、娘を義母として可愛がり、夫を好きになってほしいと頼まれる。
セルフィの残り時間は少なく、ルイーズがやがて正妻になるというお話です。
【完結】病弱な妹に魔力を分け続け死ぬ寸前の私を、宮廷魔術師になった旧友が攫ってくれました。家族を捨てて幸せになっていいんですか?
未知香
恋愛
「あなたはもう十分楽しんだでしょう? 今度はミアーラの番よ」
膨大な魔力と知識を持ち、聖女候補とまで言われた、天才魔術師エリアーナ。
彼女は、病弱な妹ミアーラの為、家族に言われるまま自らの膨大な魔力を差し出すことにした。
「そうだ。私は健康で、今まで十分に楽しんできた。だから、あげるのは当然だ」
魔力を与え続けた結果、彼女は魔力を失い、容姿も衰え、社交界から姿を消してしまう事となった。
一方、妹ミアーラは姉から与えられた魔力を使い、聖女候補として称賛されるように。
家族の呪縛に縛られ、「今まで多くを貰いすぎていたのだ」と信じ、利用され続けるエリアーナ。
そんな彼女の前に現れたのは、かつての旧友であり宮廷魔術師となった青年だった。
ハッピーエンドです!
戻る場所がなくなったようなので別人として生きます
しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。
子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。
しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。
そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。
見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。
でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。
リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。