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第四十六章
暮れなずむ放課後の学園で、アンネマリーは一人廊下を歩いていた。
リリベットは心配したが、護衛が扉に立つというから、男性教諭の部屋を訪ねても、傍からあらぬ疑いを掛けられることはないだろう。
ましてや呼び出した相手は王弟で、滅多なことを噂してしっぺ返しを食らうのは誰だって嫌だろう。
そんなことより。
アンネマリーには予感と覚悟があった。
クローディアならきっと、「貴女のままでいればよい」そう言うだろう。
「私のままって、何かしら」
誰もいない廊下でぽつりと呟いた。
生まれの曰くも家柄も、纏わりつく付随事項の全てを取り払ってしまったなら、この胸の中には一体何が残るだろう。
廊下を一歩一歩進みながら、アンネマリーは自分の心を確かめた。
「失礼します」
扉の両脇には本当に近衛騎士が二人立っていた。彼らとは視線を合わせぬまま、見慣れた扉をノックすれば、「入って」と内側から声を掛けられた。
「やあ、アンネマリー君。呼び立ててしまってすまなかったね。さあ、こちらへ」
数学教師(王弟)に手招きされて示された席には、既に彼が座っていた。
いやそんなことより、なぜ横並び?
ここは向かい合わせに座るのでは?
予感も覚悟もすっ飛んで、アンネマリーの思考を埋めたのは「疑問」だった。
「⋯⋯」
「さあ、遠慮せず」
この教師、可怪しくないか?数学馬鹿って一般常識に疎いのだろうか。
疑問でいっぱいだった頭の中は「不敬」一色に染まった。
「さあ」
まだ言うか。
突っ立ったまま、冷ややかに数学教師(王弟)を見下ろすアンネマリーに、
「座ってくれないかな。マリー」
遠慮がちに、急遽、勝手に愛称で呼んだのは、アンドリューだった。マリーって誰だ。
渋々仕方なしに、アンドリューの横に座れば、視線が痛い。見るなと言ったら不敬だろうか。
「多忙なところを申し訳ないね。こんなむさ苦しいところに呼び出して。事を運ぶ前に、どうしてもアンドリューから話がしたいらしくてね。よかったら少しだけ、ちょっとだけ耳を貸してやってはくれないか」
司会進行役の数学教師(王弟)に誘導されて、会合は幕を開けた。
「マリー」
マリーって誰だ。
「結婚してほしいんだ」
「いや、そうじゃないだろ」
幕は一瞬で閉じた。
「お前、馬鹿なのか。あれだけ練習したじゃないか。普段無駄口多めなクセに、なんでこんな時にこうなるんだ?いや、アンネマリー君、申し訳ない。こんなはずではなかったんだ」
向かい側から王弟が釈明する。彼こそこんな多弁ではないのに、甥のために精一杯、言い訳を並べている。
「マリー」
だから、マリーって誰だ。
「君しか見えないんだ」
アンドリューは、真横に座って至近距離でこちらを見ている。それだけ近くで見ていたら視野も狭くはなるだろう。視線が痛い。胸が痛い。
どうして胸が痛むのかしら。
この御方の御心を受け取れないと諦めるの?
アンネマリーは自分に問うて、どうして諦めると思ったのかを考える。
諦めるとは、願った想いを手放すことだ。ならばその願いとは何?
「殿下、私」
「YESかNOで答えてくれないか。NOは受取拒否するが」
「ではYES」
「YES!!」
アンドリューは立ち上がり、両手に拳を握り締めて雄叫びを上げた。その声に、何事かと近衛騎士らがなだれ込んできた。
「YES!!YES!!YEーS!!」
こんなに喜ぶ人を生まれて初めて見た。
だが、アンネマリーはいつまでも興奮するアンドリューを放ってはおかなかった。
「ですが、私では無理です」
「は?」
「殿下が一番ご存じでしょう?」
他国の人間を父に持つ私生児を、王家が受け入れるはずはない。アンネマリーはそれを十分知りながら、だが、アンドリューの気持ちには嘘偽りなく誠実に答えたのだ。
結果を望んだ訳ではない。
アンドリューにYESと答えて、たとえそれを認められずとも仕方のないことだと思っている。
「殿下のことは私も好きよ」
だから、胸の中に一つだけ残った本心を、恋する人には正直に告げた。
「お二人さん」
アンドリューが何かを言う前に、割って入ったのは王弟だった。アンドリューが「お前!」って顔をした。
「なにも心配いらないだろう」
「先生?」
「君だって、知ってるんだろう?君のお父上、フォーウッド伯爵だって」
「⋯⋯」
「君の生みの母親が睦んだのは、当時の留学生。それって東国の王族だよね。君は確かに私生児として生まれたが、フォーウッド伯爵は最初から認知している。生みの母親は伯爵令嬢、逃げ出した父親は他国の王弟だ。まあ、今は侯爵家当主だけれどね」
数学教師(王弟)の言ったことは本当で、当時の社交界で実しやかに噂されたことだった。
漆黒の髪を持つ留学生。それがアンネマリーの実父である。彼は東国の王家の何番目かの王子だった。今は臣籍降下して侯爵家当主となっている。
そこまで知られて、ではなぜ今までアンネマリーは放置されていたのか。
実父である当時の王子には、本国に婚約者がおり、王子は彼女の生家に婿入りする身だった。
王子の行く末の為に王家から望んだ婚約で、それを他所に子種を振り撒いて帰ってくるなどあってはならないことだった。しかも王子は婚約者が本命で、欲に負けての過ちを令嬢一人に押し付けてトンズラしたのだ。
「卑怯者の血筋です」
「そんなわけあるか!」
びっくりした。真横から叫ばないでほしい。耳がキーンとなったアンネマリーは、思わずアンドリューを見上げた。
「マリーはマリーだ!僕だけのマリーだ!それ以上でもそれ以下でもない!マリーを愚弄するのはマリー本人でも許せない」
「えーと、なにを言ってるのかしら?」
「君が好きって言ってんだよ。僕なら君を守れる。たとえ東国が君を欲しいと言い出しても」
実父には、アンネマリー以降、子宝に恵まれていなかった。それはつまり、一度は捨てたアンネマリーの血を願われる可能性が全くないとは言えないことだった。
「一生涯をかけて君を護る。だからお願いだよぅ、僕の妻になっておくれ」
アンドリューは、最後に泣き落とし作戦に打って出た。
リリベットは心配したが、護衛が扉に立つというから、男性教諭の部屋を訪ねても、傍からあらぬ疑いを掛けられることはないだろう。
ましてや呼び出した相手は王弟で、滅多なことを噂してしっぺ返しを食らうのは誰だって嫌だろう。
そんなことより。
アンネマリーには予感と覚悟があった。
クローディアならきっと、「貴女のままでいればよい」そう言うだろう。
「私のままって、何かしら」
誰もいない廊下でぽつりと呟いた。
生まれの曰くも家柄も、纏わりつく付随事項の全てを取り払ってしまったなら、この胸の中には一体何が残るだろう。
廊下を一歩一歩進みながら、アンネマリーは自分の心を確かめた。
「失礼します」
扉の両脇には本当に近衛騎士が二人立っていた。彼らとは視線を合わせぬまま、見慣れた扉をノックすれば、「入って」と内側から声を掛けられた。
「やあ、アンネマリー君。呼び立ててしまってすまなかったね。さあ、こちらへ」
数学教師(王弟)に手招きされて示された席には、既に彼が座っていた。
いやそんなことより、なぜ横並び?
ここは向かい合わせに座るのでは?
予感も覚悟もすっ飛んで、アンネマリーの思考を埋めたのは「疑問」だった。
「⋯⋯」
「さあ、遠慮せず」
この教師、可怪しくないか?数学馬鹿って一般常識に疎いのだろうか。
疑問でいっぱいだった頭の中は「不敬」一色に染まった。
「さあ」
まだ言うか。
突っ立ったまま、冷ややかに数学教師(王弟)を見下ろすアンネマリーに、
「座ってくれないかな。マリー」
遠慮がちに、急遽、勝手に愛称で呼んだのは、アンドリューだった。マリーって誰だ。
渋々仕方なしに、アンドリューの横に座れば、視線が痛い。見るなと言ったら不敬だろうか。
「多忙なところを申し訳ないね。こんなむさ苦しいところに呼び出して。事を運ぶ前に、どうしてもアンドリューから話がしたいらしくてね。よかったら少しだけ、ちょっとだけ耳を貸してやってはくれないか」
司会進行役の数学教師(王弟)に誘導されて、会合は幕を開けた。
「マリー」
マリーって誰だ。
「結婚してほしいんだ」
「いや、そうじゃないだろ」
幕は一瞬で閉じた。
「お前、馬鹿なのか。あれだけ練習したじゃないか。普段無駄口多めなクセに、なんでこんな時にこうなるんだ?いや、アンネマリー君、申し訳ない。こんなはずではなかったんだ」
向かい側から王弟が釈明する。彼こそこんな多弁ではないのに、甥のために精一杯、言い訳を並べている。
「マリー」
だから、マリーって誰だ。
「君しか見えないんだ」
アンドリューは、真横に座って至近距離でこちらを見ている。それだけ近くで見ていたら視野も狭くはなるだろう。視線が痛い。胸が痛い。
どうして胸が痛むのかしら。
この御方の御心を受け取れないと諦めるの?
アンネマリーは自分に問うて、どうして諦めると思ったのかを考える。
諦めるとは、願った想いを手放すことだ。ならばその願いとは何?
「殿下、私」
「YESかNOで答えてくれないか。NOは受取拒否するが」
「ではYES」
「YES!!」
アンドリューは立ち上がり、両手に拳を握り締めて雄叫びを上げた。その声に、何事かと近衛騎士らがなだれ込んできた。
「YES!!YES!!YEーS!!」
こんなに喜ぶ人を生まれて初めて見た。
だが、アンネマリーはいつまでも興奮するアンドリューを放ってはおかなかった。
「ですが、私では無理です」
「は?」
「殿下が一番ご存じでしょう?」
他国の人間を父に持つ私生児を、王家が受け入れるはずはない。アンネマリーはそれを十分知りながら、だが、アンドリューの気持ちには嘘偽りなく誠実に答えたのだ。
結果を望んだ訳ではない。
アンドリューにYESと答えて、たとえそれを認められずとも仕方のないことだと思っている。
「殿下のことは私も好きよ」
だから、胸の中に一つだけ残った本心を、恋する人には正直に告げた。
「お二人さん」
アンドリューが何かを言う前に、割って入ったのは王弟だった。アンドリューが「お前!」って顔をした。
「なにも心配いらないだろう」
「先生?」
「君だって、知ってるんだろう?君のお父上、フォーウッド伯爵だって」
「⋯⋯」
「君の生みの母親が睦んだのは、当時の留学生。それって東国の王族だよね。君は確かに私生児として生まれたが、フォーウッド伯爵は最初から認知している。生みの母親は伯爵令嬢、逃げ出した父親は他国の王弟だ。まあ、今は侯爵家当主だけれどね」
数学教師(王弟)の言ったことは本当で、当時の社交界で実しやかに噂されたことだった。
漆黒の髪を持つ留学生。それがアンネマリーの実父である。彼は東国の王家の何番目かの王子だった。今は臣籍降下して侯爵家当主となっている。
そこまで知られて、ではなぜ今までアンネマリーは放置されていたのか。
実父である当時の王子には、本国に婚約者がおり、王子は彼女の生家に婿入りする身だった。
王子の行く末の為に王家から望んだ婚約で、それを他所に子種を振り撒いて帰ってくるなどあってはならないことだった。しかも王子は婚約者が本命で、欲に負けての過ちを令嬢一人に押し付けてトンズラしたのだ。
「卑怯者の血筋です」
「そんなわけあるか!」
びっくりした。真横から叫ばないでほしい。耳がキーンとなったアンネマリーは、思わずアンドリューを見上げた。
「マリーはマリーだ!僕だけのマリーだ!それ以上でもそれ以下でもない!マリーを愚弄するのはマリー本人でも許せない」
「えーと、なにを言ってるのかしら?」
「君が好きって言ってんだよ。僕なら君を守れる。たとえ東国が君を欲しいと言い出しても」
実父には、アンネマリー以降、子宝に恵まれていなかった。それはつまり、一度は捨てたアンネマリーの血を願われる可能性が全くないとは言えないことだった。
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