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貴族達は耳が早い。そうでなければ生きられない。権力の在処を素早く察知して、誰に阿いて誰を牽制すれば良いのかを即座に見極めその様に動く。
だから今のヘンリエッタは、学園でも酷く生き難い。二年前の今頃に婚約を解消した相手と再び婚約しておいて、それがまたまた相手に良いようにあしらわれている愚かで学びの無い世間知らずの令嬢と思われているらしい。
廊下で擦れ違っただけでクスクスと知らない生徒に笑われる。遠巻きにコソコソと顔を寄せ合い噂される。ヘンリエッタのクラスは成績優秀者ばかりであるから物も解っているらしく、流石にあからさまに失礼な行為は無いけれど、それでも今のヘンリエッタに関わっても旨味は無いと判断されて遠巻きにされていた。
元々誰かと連む事も徒党を組む事も無かったヘンリエッタである。一人ぽっちも慣れている。ハロルドとの最初の婚約を解消した後は、心の内はいつだって独りであったから、親しい友人も元々それ程多くは無かった。
学園の創立記念式典を来週に控えて、校内には浮ついた空気は更に増していた。
式典後の夜会には誰にエスコートしてもらうのかだとか、どんなドレスを着ていくのだとか、女子生徒達の話題はそればかりになって、そんな中にまたもや隣国王女に婚約者の心を奪われたヘンリエッタは、学べない空け者と嘲られる対象として令嬢達の口に上っているらしい。
流石にヘンリエッタも不信感を隠せない。
もう、どれくらい彼と会っていないだろう。夜会のドレスは仕上がって、部屋の中でトルソーに掛けられている。ロイヤルブルーが鮮やかなドレスは、小柄なヘンリエッタが着てもすっきりとした佇まいに見せてくれる。
学生中心の夜会である。
デヴュタントを迎えたばかりの令嬢も多い。彼女らは甘やかな色合いにフリルやリボンを多用したドレスを好むのだろう。もしくは大人の女性を意識して深紅や漆黒の胸元を強調したドレスを選ぶ令嬢も多いだろう。
そんな中にあってもヘンリエッタの魅力を引き立てる、そんなドレスに仕上がった。
マルクスの審美眼は確かであったから、彼はヘンリエッタが一番気品高く見えるデザインにドレスを仕立ててくれたのである。
「はああああああああぁ~」
「長い溜め息ですね。」
「そうかしら。」
ブリジットに指摘されても、ついつい出てしまう長い溜め息。
「そんなに気になるのでしたら、ご自分でお確かめになられては如何でしょう。」
「え~、何を言ってるのかしら。」
「とぼけないで下さいませ。お辛いのでしょう?」
「...」
辛くないと言えば嘘になる。
学園では面白可笑しく噂されて奇異の視線に晒されている。お昼時など身の置き場所に困る程であった。
「休んじゃいたい。」
「宜しいではないですか。お休みになられては如何でしょう。」
「それではまるで逃げてる様で嫌なのよ。」
「では、ご自分で動かれてみてはどうです?」
ブリジットは、ハロルドに一体何が起こっているのか確かめろと言っている。人の噂に泳がされているのではなく、自分自身で切り込んで、確かめろと言っている。
「自分で確かめてしまっては、後戻り出来なくなるわ。」
「お嬢様...」
「もうそう云うのは御免なの。自分で確かめたなら、そこで噂がその通りだと突き止めてしまったら、私は多分、彼を信じられなくなるでしょう?」
ハロルドを信じて再婚約を結んだ時に、もう心は僅かも揺るがないのだとヘンリエッタは思ったのに、舌の根も乾かぬ内に心の内には不信の火種が生まれている。
「はあ~、私って余程人をみる目が無いのね。」
「それはハロルド様をそう云う輩とお認めになったので?」
「ああ、ううん、どうなのかしら。正直、解らなくなってしまったの。私とお会いするハロルド様は、いつでも誠実な方だったから。」
ブリジットは、ヘンリエッタの言葉に返す言葉を探すのか、沈黙してしまった。
「ブリジット。私、お母様とお話しして心の靄が晴れたのよ。だからあの方の申し込みを受け入れたの。あの時のあの方を信じた事を後悔はしていないわ。
だって、ハロルド様が駄目駄目なお人だったら、その時には思いっ切り遠くへ放ってやろうと決めていたの。」
ヘンリエッタの覚悟を解っているだろうブリジットは、黙して耳を傾けている。
「ねえ、ブリジット。今かしら。今が放り時なのかしら。」
婚約を結んでひと月にもならないのに、ヘンリエッタは婚約解消の可能性を考えている。
「大丈夫。今度は三日位泣いたら気が済むわ。そうしたら、そうねぇ、学園は辞めてしまおうかしら。だって私は国内貴族令嬢では有数の不良債権になるでしょう?王族の妃となる隣国王女と禍根のある私には、天国が目の前のご老人か愛欲に塗れた色欲貴族とのご縁しか無いのだろうし、そこに学園の学びなんて必要無いじゃない。それに、下調べの済んでいる終の棲家もあるのだし、ほら、そこにある青いドレスも売り払えば路銀くらいにはなるでしょう。それで私は終の棲家に移り住んで、そうね、小説でも書こうかしら。名前も身分も明かさぬまま、この身に起きた出来事を物語にして、『週刊貴婦人』に投稿するのよ。なかなか無い経験をしているとは思うけれど、小説にするにはパンチが足りないでしょうから、そこに悪役を増やしてみようと思うの。悪役はあの野郎、ゲフン失礼、第二王子殿下がぴったりね。アイツを悪役王子にして物語に深みを加えるわ。それから、ハロルド様はどうしょうかしら。どうしようか迷うから、どうしょうも無い男にしましょう。馬鹿で愚かでどうしようも無い駄目男。ウソつきで見目ばかりが良い口だけ男にしましょう。それから「ストップ、ストップ、お嬢様、」
長い長いヘンリエッタの恨み節を、ブリジットは漸く遮った。そうでもなければ、あと10分は恨み節を並べそうな勢いであった。
だから今のヘンリエッタは、学園でも酷く生き難い。二年前の今頃に婚約を解消した相手と再び婚約しておいて、それがまたまた相手に良いようにあしらわれている愚かで学びの無い世間知らずの令嬢と思われているらしい。
廊下で擦れ違っただけでクスクスと知らない生徒に笑われる。遠巻きにコソコソと顔を寄せ合い噂される。ヘンリエッタのクラスは成績優秀者ばかりであるから物も解っているらしく、流石にあからさまに失礼な行為は無いけれど、それでも今のヘンリエッタに関わっても旨味は無いと判断されて遠巻きにされていた。
元々誰かと連む事も徒党を組む事も無かったヘンリエッタである。一人ぽっちも慣れている。ハロルドとの最初の婚約を解消した後は、心の内はいつだって独りであったから、親しい友人も元々それ程多くは無かった。
学園の創立記念式典を来週に控えて、校内には浮ついた空気は更に増していた。
式典後の夜会には誰にエスコートしてもらうのかだとか、どんなドレスを着ていくのだとか、女子生徒達の話題はそればかりになって、そんな中にまたもや隣国王女に婚約者の心を奪われたヘンリエッタは、学べない空け者と嘲られる対象として令嬢達の口に上っているらしい。
流石にヘンリエッタも不信感を隠せない。
もう、どれくらい彼と会っていないだろう。夜会のドレスは仕上がって、部屋の中でトルソーに掛けられている。ロイヤルブルーが鮮やかなドレスは、小柄なヘンリエッタが着てもすっきりとした佇まいに見せてくれる。
学生中心の夜会である。
デヴュタントを迎えたばかりの令嬢も多い。彼女らは甘やかな色合いにフリルやリボンを多用したドレスを好むのだろう。もしくは大人の女性を意識して深紅や漆黒の胸元を強調したドレスを選ぶ令嬢も多いだろう。
そんな中にあってもヘンリエッタの魅力を引き立てる、そんなドレスに仕上がった。
マルクスの審美眼は確かであったから、彼はヘンリエッタが一番気品高く見えるデザインにドレスを仕立ててくれたのである。
「はああああああああぁ~」
「長い溜め息ですね。」
「そうかしら。」
ブリジットに指摘されても、ついつい出てしまう長い溜め息。
「そんなに気になるのでしたら、ご自分でお確かめになられては如何でしょう。」
「え~、何を言ってるのかしら。」
「とぼけないで下さいませ。お辛いのでしょう?」
「...」
辛くないと言えば嘘になる。
学園では面白可笑しく噂されて奇異の視線に晒されている。お昼時など身の置き場所に困る程であった。
「休んじゃいたい。」
「宜しいではないですか。お休みになられては如何でしょう。」
「それではまるで逃げてる様で嫌なのよ。」
「では、ご自分で動かれてみてはどうです?」
ブリジットは、ハロルドに一体何が起こっているのか確かめろと言っている。人の噂に泳がされているのではなく、自分自身で切り込んで、確かめろと言っている。
「自分で確かめてしまっては、後戻り出来なくなるわ。」
「お嬢様...」
「もうそう云うのは御免なの。自分で確かめたなら、そこで噂がその通りだと突き止めてしまったら、私は多分、彼を信じられなくなるでしょう?」
ハロルドを信じて再婚約を結んだ時に、もう心は僅かも揺るがないのだとヘンリエッタは思ったのに、舌の根も乾かぬ内に心の内には不信の火種が生まれている。
「はあ~、私って余程人をみる目が無いのね。」
「それはハロルド様をそう云う輩とお認めになったので?」
「ああ、ううん、どうなのかしら。正直、解らなくなってしまったの。私とお会いするハロルド様は、いつでも誠実な方だったから。」
ブリジットは、ヘンリエッタの言葉に返す言葉を探すのか、沈黙してしまった。
「ブリジット。私、お母様とお話しして心の靄が晴れたのよ。だからあの方の申し込みを受け入れたの。あの時のあの方を信じた事を後悔はしていないわ。
だって、ハロルド様が駄目駄目なお人だったら、その時には思いっ切り遠くへ放ってやろうと決めていたの。」
ヘンリエッタの覚悟を解っているだろうブリジットは、黙して耳を傾けている。
「ねえ、ブリジット。今かしら。今が放り時なのかしら。」
婚約を結んでひと月にもならないのに、ヘンリエッタは婚約解消の可能性を考えている。
「大丈夫。今度は三日位泣いたら気が済むわ。そうしたら、そうねぇ、学園は辞めてしまおうかしら。だって私は国内貴族令嬢では有数の不良債権になるでしょう?王族の妃となる隣国王女と禍根のある私には、天国が目の前のご老人か愛欲に塗れた色欲貴族とのご縁しか無いのだろうし、そこに学園の学びなんて必要無いじゃない。それに、下調べの済んでいる終の棲家もあるのだし、ほら、そこにある青いドレスも売り払えば路銀くらいにはなるでしょう。それで私は終の棲家に移り住んで、そうね、小説でも書こうかしら。名前も身分も明かさぬまま、この身に起きた出来事を物語にして、『週刊貴婦人』に投稿するのよ。なかなか無い経験をしているとは思うけれど、小説にするにはパンチが足りないでしょうから、そこに悪役を増やしてみようと思うの。悪役はあの野郎、ゲフン失礼、第二王子殿下がぴったりね。アイツを悪役王子にして物語に深みを加えるわ。それから、ハロルド様はどうしょうかしら。どうしようか迷うから、どうしょうも無い男にしましょう。馬鹿で愚かでどうしようも無い駄目男。ウソつきで見目ばかりが良い口だけ男にしましょう。それから「ストップ、ストップ、お嬢様、」
長い長いヘンリエッタの恨み節を、ブリジットは漸く遮った。そうでもなければ、あと10分は恨み節を並べそうな勢いであった。
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