アナベルの二度目の婚約

桃井すもも

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「お姉様、何か楽しいことがあったの?」
あどけなさの残るくりくりとした瞳で、妹のマーガレットが尋ねてくる。

来年学園ヘの入学を控える妹は、生まれた時から両親と姉たちからの愛情をたっぷりと受けて、その名の通り降り注ぐ太陽の日を浴びて真っ白な花弁を広げるマーガレットそのものの可憐な娘である。

ブルネットの髪も青い瞳もアナベルと同じであるのに、ついでに言えば名前の由来も共に白い花であるのに、こうも姉妹で違うのかと思ってしまうアナベルであった。

「そう?気付かなかったわ。」
「それはそうよ、お姉様。自分の顔ですもの、鏡を見なければ分からないわ。」
そんな当たり前の事を言われて、確かにそうねと思いながら、はて、何か楽しい事ってあったかしらと思い返して思い当たるのは一つであった。

デイビッドに観劇に誘われた。
どう見てもアナベルに合わせたらしい演目は、最近人気の恋愛小説を元にしたものであった。
実のところ、アナベルが是非とも観たい演目であった。
姉か母に頼んで一緒に行きたかったが、母がマーガレットには刺激が強くて連れて行けない、あの子を残して観劇するのは気が進まないと言うのだから、残念ながら姉達共々諦めたのであった。

だから、思いも掛けないデイビッドからのお誘いは嬉しかった。どうやらそれが表情に出ていたらしい。
母からお許しが出ないが為に、マーガレットが観ることの出来ない観劇の話は伏せて、そうかしら何かあったかしらと有耶無耶に誤魔化しながら、果たしてこの弾む気持ちは観劇を観られるからなのか、デイビッドからの誘いだったからか、判断が付かずにいた。

久しぶりに華やかな場に出掛ける。
デズモンドとの婚約解消のあと暫くは、外出することも減っていた。


婚約に合わせて、母が何着か新調してくれたドレスの中から、昼間の観劇に合いそうなものを侍女と一緒に選ぶ。
貴族令嬢の外出は何時でも特別で、うきうきと心が浮き立つ。

落ち着いた見目から学生の中では浮きがちであったアナベルも、正真正銘大人の紳士であるデイビッドに伴われるのであれば、それ程浮いてしまう事も無いだろう。

少しばかり背伸びをして、濃いロイヤルブルーのドレスを選んだ。シンプルなシルエットがアナベルを淑女らしく見せてくれる。

耳元と首元には、長姉から借りた白蝶貝の耳飾りと首飾りを選んだ。
白蝶貝の淡く輝く虹彩が劇場の照明に反射したなら、きっと美しいことだろう。
姉の目利きは確かなので、このドレスに似合っている筈。

レースの手袋に揃いの扇子、小ぶりなショルダーは最近流行りの型である。
貴婦人って、いつもこんなに装うのかしら。そう言えばお母様は何時でもお美しいわね。でも毎回これでは大変だわと、貴婦人の装いが重装備なのには、些か閉口するのであった。

迎えに訪れたデイビッドが、視線はこちらに向けたまま今度は本当に触れるだけの口付けを指先に落として、「レディ、参りましょう。」と馬車までの短い距離をエスコートする。
当然ながらカチコチに固まってしまったアナベルであった。

それでも、向かい合わせに座って、劇場までの僅かな時間を取り留めのないお喋りを交わす内に、少しずつ心も身体も解れて来る。
美丈夫の上にユーモアまで持ち合わせたデイビッドは、会話選びが上手かった。

父も朗らかな気質で気軽に冗談を言ったりしているが、どちらかと言えば自分自身が楽しくて会話している様で、周りを慮って話題を振っている訳ではなかったから、こんな風に気遣われるのは、照れくさいながら特別に扱われている様で嬉しかった。

アナベルが楽しんでいるのを見抜いたらしいデイビッドが、更に笑わそうとあれこれ話題を披露するので、劇場に着く頃にはすっかりデイビッドと過ごすのに慣れてしまっていた。小娘ちょろい、である。

馬車を降りてからデイビッドにエスコートを受けて劇場の通路を歩いている道すがら、「美しいね」と、今更な褒め言葉を耳元で囁かれて、アナベルは撃沈してしまった。

大人の男性って恐ろしい。言葉巧みとはこの事を言うのだわ。
染め上がった頬がなかなか冷めず、結局そのまま席に案内される。

驚く事に、特別席であった。貴族とは云え、子爵が入手するのはなかなか大変であったろう。そおっと周りを見やれば、アナベルでも知っている高位貴族の顔が幾つもあった。

結局、あれほど楽しみにしていた観劇も、周囲を高名な貴族たちに囲まれて、すっかり集中を失ってしまったアナベルなのであった。





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