或る伯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末

桃井すもも

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第二十三章

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「コットナー伯爵夫人」

 その声に、サフィリアが振り返った。

「まあ!司祭様!」

 ああ、これかぁと司祭は思った。

 これは典型的な愛玩動物系の眼差しだ。大丈夫か?貴族夫人がこんな無防備に人懐っこい顔をして。
 そう思って、そうだこの夫人は生家で姉に猫っ可愛がりに愛でられて育ったのだと思い出す。

 サフィリアは、今日も礼拝堂で祈りを捧げていた。この長い長い祈りを終えたら、いつものように告解室に来るのだろう。
 司祭はそれを見越して、先に声を掛けたのだが、サフィリアは何をそれほど祈っているのか、ブツブツと呟く祈りには狂気が宿っていた。

 近づくと聞こえてくる「ごめんなさい、ごめんなさい」の繰り返しに、司祭は背中に冷たい汗が流れ落ちた。

 毎日告解しておきながら、司祭と直接会うのは婚姻式以来であった。キャソックを着ているだけで全幅の信頼を寄せているサフィリアは、ぱあと顔を輝かせた。

 あの朴念仁は、このいつまでも純真を失わない幼子のような笑みに心をやられたのか。
 それで何を拗らせて、毎日毎日、夫人は自分が夫を苦しめているのだと己を責めて懺悔するのか。

 問題の根本を探るべく、司祭はあのぅ夫人、サフィリアに声を掛けた。

「敬虔な夫人にお尋ねします。何をお悩みか?」

 こういう手合には、単刀直入が最も効く。遠回しな誘導なんて遠回しにしかならない。

「悩み……」

 途端にサフィリアはしゅんと萎んだ。笑みもしゅんと消えてしまった。

 やめてくれ、なんだか悪い事をした気持ちになってしまう。こちらのほうが懺悔したくなってきた。

「ここは神の家です。貴女の心の内は全て神にはまる見えです」
「なんですって」

「隠し事などできないのです。貴女の願いは何ですか?貴女の悩みは何ですか?」

 些か単刀直入すぎるとは思ったが、サフィリアには効果覿面だった。顔に書いてある。「何でも話します!」。

「ですが司祭様。私、既に告解部屋にて罪を打ち明けておりますの。ここで貴方様にお聞かせするのは神を信じていないようで、なんだかはばかられてしまいますわ」

 いや、その告解、毎日聞かされてるの自分だし。あれほど毎日繰り返し聞かされて、それで今更、自分には打ち明けられないと言うのか。

「あまり悩まれては、ご家族も心配なさいます」
「ああ、それはあり得ませんわ」
「は?」
「旦那様はとっても出来た御方ですの。お優しいから私のことを決して無碍にはなさいません。妻の体面も面目も損なうことはございません。ですがそれで愛されているなどと思うのは、浅はかな思い上がりですわ。全く以て思い違いも甚だしい」

 サフィリアは、真っ当なことを説くように真顔で司祭に語った。

 ルクス、お前一体何をしているんだ。
 もつれすぎて拗れすぎて、司祭は絶望したくなった。だが、長年この道で鍛え抜いた神聖なる精神を総動員して、司祭はサフィリアに問うた。

「それこそ貴女の思い違いでは?」
「そんなことございません」

 サフィリアは、清々しいほど自信満々に言い切った。

「伯爵とはお話しなさったので?」

「え?するわけございませんわ。旦那様はお忙しいのです。私との会話で貴重なお時間を搾取してはなりませんわ。ワタクシ、旦那様の時間泥棒にはなりたくないのです」

 サフィリアは、今度はエヘンと胸を張って言いのけた。

「司祭様」

 何。面倒ごとしか思い浮かばない。

「ワタクシ。今度こそ心が決まりました。離縁をしようと思いますの。今回は、するする詐欺ではございませんわ。実は、もう随分前から告解で神様に予約済みですのよ。今ごろ天国で私がサインするのをお待ちでしょう。私、宣言しましたの、離縁しますと」

「えーと、それは誰に」

「神にです。毎日毎日、神に直接お願いしたのですもの、それって直訴じきそですわね」

 それは毎日毎日サフィリアが、ルクスとの離縁を神に願っているということだった。

 いや夫人、それは離縁というよりも「三行半みくだりはん」と言うのだよ。
 東国では、妻から申し出る離縁には名が付けられているという。司祭はふとそれを思い出して、急に友のことが憐れに思えた。

 今頃は、王城で何も知らずに職務に勤しんでいるのだろう。妻が何度目かの決意を固めて、愈々いよいよ離縁に向かって動き出すのを、これっぽっちも知らずにいる。

「はあ」

 うっかり溜め息が出てしまった。
 気がつけば、夫人は「御免遊ばせ」と言って帰って行った。どうやら今日は告解しないで帰るらしい。それは即ちその必要が無くなったからだろう。

 彼女は動くつもりだ。彼女が愈々以いよいよもって動くなら、自分も愈々動かねばならない。

 伯爵邸を訪ねるべきか。いや、あのぅ夫人が加わると面倒くさい。だが友人は、ああ見えて多忙極める高官だ。

 司祭は手順を踏むべく面会を申し込む文をしたためた。その日のうちに郵便配達人に頼んだ。送り先は王城だ。

 司祭はそれから、明日の予定を確かめようとカレンダーを見た。

「十三日の金曜日か……」

 明日は、決戦の金曜日だ。



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