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第三十三章
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それからマルガレーテはヘンリーと一緒に城へ戻った。
両親に帰城の挨拶をしに行ったのだが、父王は母のパーソナルスペースを侵害したとかで部屋から出されたところだった。
「やあ、お帰り。学園は楽しかったかい?」
マルガレーテたちを見つけるやいなや、そう言って父王はマルガレーテの両手を取って、彼女の足元に片膝をつくとマルガレーテを愛おしそうに見上げた。
父王は、クラウディアによく似た面立ちのこの姫をこよなく愛する。
ヘンリーも両親の良いとこ取りのような容姿をしているが、マルガレーテには放っておけない危うさがあるのだという。
「ただいま帰りました。お父様」
「うん、お帰り」
「ただいま帰りましたよ、父上。その手を離して下さい」
いつまでもマルガレーテの手を離さない父王に、ヘンリーが焦れて抗議した。
「お前だって、たった今まで手を繋いてたじゃないか。どうせ馬車の中でも並んで座ってたんだろう」
「馬車は揺れますからね。姉上は揺れに弱いんですよ」
王妃の間の扉の前で、近衛騎士や侍女らを待たせて、国王と王太子が王女を挟んでやいのやいのする。それがこの城の日常なので、誰も何も言わない。
「陛下」
この男以外には。
「ん?なんだ?ルクス」
「執務室にお戻り下さい。仕事、残ってますよ」
「ええ?もう直ぐ定時だろう?」
「フェイントしてもらっては困りますな。まだ三分あります。三分あればハンコの一つや二つ押せますよね。貴方が早くしてくれないと、我々が困るんですよ。こっちだって定時で上がりたいんですよ」
側近のルクスに嫌味を言われて、父王は渋々立ち上がる。それから哀しそうな笑みを浮かべてマルガレーテを見下ろした。
「さようなら、マルガレーテ」
そう言い残して、父王は残り三分働くために執務室へ戻って行った。
それからマルガレーテは母へ挨拶をして、ヘンリーに扉の前まで送られて自室に戻ったのである。
マルガレーテは、図書室から借りてきたばかりの本を鞄から取り出した。
東国の古い物語である。千年も前の宮廷女官が記したそれは、恋の物語だった。
主人公のライト王子を巡る恋物語。
光る珠のように美しい王子の生立ちに始まり、初恋が彼の生涯に光と影を齎す。
背景に蠢く貴族社会の権力争いや、恋人たちの密かな攻防や、何よりライト王子が恋人を得るために結構な努力を重ねるところが雅な文化の描写と共に描かれている。
ページを捲るのがもどかしい。じっくり読みたいのに先が気になる。一層のこと、先に結末を読んでしまいたいと思うほどだ。
ちょと触りを読むつもりだったのに、思いの外没入してしまい、とある章の終わりで本から目を離した。
「素晴らしい物語だわ」
マルガレーテは思わず感想を漏らす。
「けれど……王子、恋をし過ぎではないかしら」
十人読めば十人が思う感想だろう。
ライト王子は全力で恋をする。恋人を得るためなら多少姑息なことはやって退けるし、恋人を得たならそれはそれは大切に愛する。だが、如何せん恋人の数が多い。なんならダブる時もある。
「あと、幼子を連れ帰るって、それは誘拐よね」
初恋の女性の面影を見出した幼い姫君を、ライト王子はあの手この手で連れ出して、なんやかんやの後には妻に娶ってしまう。
「その上、謹慎中に浮気って……」
そうそう、勢力争いに負けたライト王子は、海辺のド田舎に蟄居して謹慎するのだが、そこでまたまた恋をして、あろうことか子まで儲ける。
「しかも、連れ帰る?妻と同じ邸に住まわせる?」
心清い妻は、夫が連れ帰った愛人を認め、子を成せない我が身を憂いながら愛人の子を我が子として育てるのだ。
「それに、うっ……この場面……」
抱き寄せた愛人の子に、妻は出ない乳を含ませるシーンがあるのだが、これが涙無しでは読めなかった。
大層長い物語であったが、速読を得意とするマルガレーテは、たっぷり感情移入しながら物語の大半をその夜のうちに読み終えた。
「もう返却するのですか?」
図書室のカウンターに向かっていたところで、背中から声を掛けられた。
「オーディン……ご、ご機嫌よう」
オーディンの消炭色の瞳を見て、それから翠の瞳を見つめてマルガレーテは挨拶をした。
ここは図書室で、マルガレーテは一晩掛けて読破した本を返却にきたところだった。
「え、ええ。もう読み終えたので」
「相変わらず速読ですね」
「まあ、そうね、そうかしら」
幼い頃からの付き合いなのに、いまだに気の利いたことを一つも言えない。
昨晩読んだライト王子なんて、言葉の応酬が半端なかった。文字だから素敵だと思えるけれど、あれを面と向かって言われたら……。
そこまで考えてマルガレーテは思った。
オーディンが言ってくれるなら、どんな言葉だって嬉しい。何も言ってくれなくても、こうして見つめられるだけで嬉しい。
そこで、ふと気がついた。
「オーディンも本を借りに?」
背の高いオーディンを見上げながら聞いてみた。昨日も図書室にいたオーディン。彼の邸には無い本を探していたのかしら。もしかして、見つからなくて今日も探しに来たのかしら?それなら王城の図書室にあるかもしれない。
そこでマルガレーテは尋ねた。
「何を探しているの?」
オーディンはオッドアイの瞳をほんの少し細めて、
「貴女です」そう答えた。
両親に帰城の挨拶をしに行ったのだが、父王は母のパーソナルスペースを侵害したとかで部屋から出されたところだった。
「やあ、お帰り。学園は楽しかったかい?」
マルガレーテたちを見つけるやいなや、そう言って父王はマルガレーテの両手を取って、彼女の足元に片膝をつくとマルガレーテを愛おしそうに見上げた。
父王は、クラウディアによく似た面立ちのこの姫をこよなく愛する。
ヘンリーも両親の良いとこ取りのような容姿をしているが、マルガレーテには放っておけない危うさがあるのだという。
「ただいま帰りました。お父様」
「うん、お帰り」
「ただいま帰りましたよ、父上。その手を離して下さい」
いつまでもマルガレーテの手を離さない父王に、ヘンリーが焦れて抗議した。
「お前だって、たった今まで手を繋いてたじゃないか。どうせ馬車の中でも並んで座ってたんだろう」
「馬車は揺れますからね。姉上は揺れに弱いんですよ」
王妃の間の扉の前で、近衛騎士や侍女らを待たせて、国王と王太子が王女を挟んでやいのやいのする。それがこの城の日常なので、誰も何も言わない。
「陛下」
この男以外には。
「ん?なんだ?ルクス」
「執務室にお戻り下さい。仕事、残ってますよ」
「ええ?もう直ぐ定時だろう?」
「フェイントしてもらっては困りますな。まだ三分あります。三分あればハンコの一つや二つ押せますよね。貴方が早くしてくれないと、我々が困るんですよ。こっちだって定時で上がりたいんですよ」
側近のルクスに嫌味を言われて、父王は渋々立ち上がる。それから哀しそうな笑みを浮かべてマルガレーテを見下ろした。
「さようなら、マルガレーテ」
そう言い残して、父王は残り三分働くために執務室へ戻って行った。
それからマルガレーテは母へ挨拶をして、ヘンリーに扉の前まで送られて自室に戻ったのである。
マルガレーテは、図書室から借りてきたばかりの本を鞄から取り出した。
東国の古い物語である。千年も前の宮廷女官が記したそれは、恋の物語だった。
主人公のライト王子を巡る恋物語。
光る珠のように美しい王子の生立ちに始まり、初恋が彼の生涯に光と影を齎す。
背景に蠢く貴族社会の権力争いや、恋人たちの密かな攻防や、何よりライト王子が恋人を得るために結構な努力を重ねるところが雅な文化の描写と共に描かれている。
ページを捲るのがもどかしい。じっくり読みたいのに先が気になる。一層のこと、先に結末を読んでしまいたいと思うほどだ。
ちょと触りを読むつもりだったのに、思いの外没入してしまい、とある章の終わりで本から目を離した。
「素晴らしい物語だわ」
マルガレーテは思わず感想を漏らす。
「けれど……王子、恋をし過ぎではないかしら」
十人読めば十人が思う感想だろう。
ライト王子は全力で恋をする。恋人を得るためなら多少姑息なことはやって退けるし、恋人を得たならそれはそれは大切に愛する。だが、如何せん恋人の数が多い。なんならダブる時もある。
「あと、幼子を連れ帰るって、それは誘拐よね」
初恋の女性の面影を見出した幼い姫君を、ライト王子はあの手この手で連れ出して、なんやかんやの後には妻に娶ってしまう。
「その上、謹慎中に浮気って……」
そうそう、勢力争いに負けたライト王子は、海辺のド田舎に蟄居して謹慎するのだが、そこでまたまた恋をして、あろうことか子まで儲ける。
「しかも、連れ帰る?妻と同じ邸に住まわせる?」
心清い妻は、夫が連れ帰った愛人を認め、子を成せない我が身を憂いながら愛人の子を我が子として育てるのだ。
「それに、うっ……この場面……」
抱き寄せた愛人の子に、妻は出ない乳を含ませるシーンがあるのだが、これが涙無しでは読めなかった。
大層長い物語であったが、速読を得意とするマルガレーテは、たっぷり感情移入しながら物語の大半をその夜のうちに読み終えた。
「もう返却するのですか?」
図書室のカウンターに向かっていたところで、背中から声を掛けられた。
「オーディン……ご、ご機嫌よう」
オーディンの消炭色の瞳を見て、それから翠の瞳を見つめてマルガレーテは挨拶をした。
ここは図書室で、マルガレーテは一晩掛けて読破した本を返却にきたところだった。
「え、ええ。もう読み終えたので」
「相変わらず速読ですね」
「まあ、そうね、そうかしら」
幼い頃からの付き合いなのに、いまだに気の利いたことを一つも言えない。
昨晩読んだライト王子なんて、言葉の応酬が半端なかった。文字だから素敵だと思えるけれど、あれを面と向かって言われたら……。
そこまで考えてマルガレーテは思った。
オーディンが言ってくれるなら、どんな言葉だって嬉しい。何も言ってくれなくても、こうして見つめられるだけで嬉しい。
そこで、ふと気がついた。
「オーディンも本を借りに?」
背の高いオーディンを見上げながら聞いてみた。昨日も図書室にいたオーディン。彼の邸には無い本を探していたのかしら。もしかして、見つからなくて今日も探しに来たのかしら?それなら王城の図書室にあるかもしれない。
そこでマルガレーテは尋ねた。
「何を探しているの?」
オーディンはオッドアイの瞳をほんの少し細めて、
「貴女です」そう答えた。
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