ビアトリスの象牙の小箱

桃井すもも

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第四十二章

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 冬の社交は狐狩りがメインで、茶会も夜会も限られる。だから王家主宰の舞踏会は、冬の季節の最も華やかな催しとなる。

 ウォレスとの婚約時代にも、一応、一緒に参加した。ウォレスは伯爵家の嫡男であり婚約者がおり、公の場でアメリアにひっ付いているわけにはいかなかった。

 だがそれも、ファーストダンスを踊った後は役目は果たしたとばかりに、すたこらとアメリアを追いかけていった。エリックの側近候補という肩書を120%、いや180%有効活用して、エリックの後ろからアメリアに侍っていたのである。

 その姿を懐かしいと思い出すのは、今、まさに王家主催の舞踏会のただ中にいるからだろう。

 ビアトリスは、横をちらっと見上げてみた。
 隣にはハロルドがいる。彼は隣国の貴族だが、今宵はビアトリスのパートナーとして舞踏会に参加していた。

 二人の婚約は、十年前の騒動にアメリアを絡めて、社交界でも興味を引たようだったが、今はすっかり噂も落ち着いた。

 年が明ければ学園の卒業は目前で、学園を卒業したならビアトリスは隣国へ渡る。
 あちらの暮らしや貴族社会に慣れた頃には、ビアトリスはハロルドの妻となる。

 妻。
 心の中でそう呟いて、ビアトリスは思わず武者震いをした。それは歓喜の震えだ。
 
 心の奥底から幸せがとめどなく湧いてくる。
 愛は尽きることのないものだと、胸の奥には愛の泉が湧くのだと、そう聞いたのは先日、舞台で観た俳優のセリフである。

「寒いの?ビアトリス」

 武者震いをしたビアトリスに、ハロルドが尋ねてきた。

「いいえ、ちょっと今、その」

 貴女の妻になるのだと「妻」を噛み締めていました、とは言えずに誤魔化した。

 淡いシャンパンゴールドのドレスは、ハロルドが贈ってくれたものである。ビアトリスはエメラルドかマラカイトか散々悩んで、グリーンオニキスのカフスをハロルドに贈った。
 宝飾店で二択で悩んで、結局最後に目にしたグリーンオニキスに決めたのである。
 ガラスケースの上にエメラルドとマラカイトをずらり並べて付き合ってくれた店員は、すっかり疲弊していた。

 ビアトリスの耳にも同じ石の耳飾りが揺れている。揃いの宝飾品を身に着ける喜びと言ったら。
 ウォレスとも、一応揃えていたにはいたが、それはきっとウォレスの母が見繕ったものだと思った。
 ウォレスからは、「君と揃いだよ」なんてキザな台詞は聞かなかったし、綺麗だなんてことは社交辞令でも言われたことはなかった。

 それなのに!
 もう今日だけで何度その言葉を聞いただろう。

 ビアトリスは指折り数えてみる。
 一回目。邸に迎えにきた時に、ハロルドは開口一番「ビアトリス、とても綺麗だよ」と言った。
 合格!

 二回目。馬車までエスコートしてくれて、ステップを上がるのに手を貸してくれた時に、ハロルドはビアトリスの耳元で、「綺麗だよ」そう囁いた。
 合格!!

 三度目は⋯⋯。

 ビアトリスは、左手の指を降りながら一回、二回、三回と数えて、直ぐに指が足りなくなった。もっと指折り数えたいけれど、ああ残念。右手はハロルドの肘に掛けてエスコートされているから、数えることができないの。

 それからビアトリスは幸福に呆けたまま、ハロルドに誘われてダンスを踊った。途中、二度ほど躓いたのは幸福に酔いしれていたからで、ダンスが下手くそなわけではない。

 ハロルドの深翠の瞳を見つめて、まるでフロアには二人しかいないような気持ちになって、うっとりと、だがしっかり二曲続けて踊った。

 見目よいハロルドであるからして、令嬢たちにきっちり示さねばならない。
 この素敵なお方はわたくしの婚約者で、もうすぐ夫になるんです。

 ちょっと長いが、そう顔に書いているつもりで踊ったのである。


 今は二人で乾杯をして、喉の渇きをシャンパンの泡で癒していた。

「ビアトリス」

 踊り疲れていたからだろう。名を呼ばれたような気がしたが、きっと空耳だろう。

「ビアトリス、嬢」

 後付けの「嬢」。そのうっかり具合。そんなうっかりを仕出かす粗忽者は、ビアトリスは一人しか知らない。

「ビ、ビアト「五月蝿いですわよ、ウォレス様」

 しまった。つい反射的に答えてしまった。

 呼ばれたほうを見れば、ウォレスが立っていた。
 シカトしたつもりだったが、案外生真面目なウォレスは、ビアトリスが振り向くまで名を呼んでいた。

「ご機嫌よう、ブラウン伯爵ご令息」
「やめてくれよ、さっき名前で呼んだくせに」

 確かに。あれは失言だった。

「それで、如何なさいましたの?」
「一曲、踊らないか」
「は?」

 ウォレスは寝ているのだろうか。寝ているから寝言を言っているのだろうか。

「君、隣国へ行くんだろう?」

 そう言って、ウォレスはハロルドをチラ見した。
 失礼ですわよ、ウォレス様!貴方、今チラ見したわね。

 心の中で抗議したが、ここは王城で周囲には多くの貴族がいるから、ビアトリスは大人しくしていた。

「おめでとう」

 ウォレスは、さしておめでたくもないような、感情の乗らない声で言った。

「ありがとうございます」

 そう答えたのはハロルドで、思わずビアトリスはウォレスと同時にハロルドを見た。

「踊っておいでよ、ビアトリス。でも一曲だけだよ、それ以上は許容できない」

 ハロルドのそこはかとなく漂う独占欲。
 ビアトリスは背中に羽が生えたのかと思った。それくらい心が軽くなる。

「では、参りましょう!」

 さっさと踊って帰ってこよう。
 ハロルド様のもとへ、貴方のもとへ帰ってくるわ。

 どちらがエスコートしているのかわからない勢いで、ビアトリスはウォレスと並んでダンスフロアへ突き進んだ。

 途中、後ろを振り返ったときに、ハロルドが小さく手を振った。

 ビアトリスはそれだけで嬉しくなった。胸がぽかぽか温まって、堪らなく愛おしさが込み上げて、ああ、こんなにもハロルドのことが大好きなんだと思った。


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