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第二章
母の再婚により、ジャクリーンは義父の籍に入り、正式にジャクリーン・ウェズリー・クラーレンを名乗ることとなった。
濡羽のような漆黒の髪は、亡き父から受け継いだ色である。
だが、鮮やかに煌めくロイヤルブルーの瞳は、彼女に王家の血が濃く流れていることを示していた。
ジャクリーンの曽祖父は、当時の国王の末弟だった。五番目だか六番目だか、兎に角、大勢いた弟の末っ子である。
公の務めは全て兄たちが果たし、彼らが迎える妃も高位貴族の令嬢ばかり。他国の王族に王配として婿入りしたり、臣籍降下も勿論している。
末っ子王子にもそれなりの爵位が用意されていたが、彼は学園で出会った子爵令嬢との自由恋愛を貫いた。
彼は、ジャクリーンの元々の生家であるブラウン子爵家の女当主の夫となったのである。
子爵家が先祖から引き継いだ身体的な特徴は、漆黒の髪と榛色の瞳である。
その血がどれほど強かったのか、曽祖父のロイヤルな血が混じっても、その後、王家の特徴を持つ子女が生まれることはなかった。
祖父も父も、叔父も従兄も、お揃いのように漆黒の髪に榛色の瞳をしている。
ジャクリーンだけが、高貴な青い瞳を持って生まれ出た。だがそれを喜んでくれたのは父だけだったように思う。
ジャクリーンは今ならわかる。
父はジャクリーンが金髪だろうが赤髪だろうが、瞳が黒かろうが青かろうが気にしてはいなかった。
父は、ジャクリーンが生まれてきたことを喜んでくれたのだ。
大波のような勢いで蘇った前世の記憶にジャクリーンが感じたのは、一緒に死んでしまった腹の子への愛だった。
もし叶うなら、この世に産んであげたかった。
もし平穏な暮らしがあったなら、あの子には幸せになって欲しかった。
「改名がしたいですって?」
「ええ。名が不吉なんですもの」
「貴女のためにお父様が付けてくださったお名前よ」
今更ではあるが、ジャクリーンは母に言ってみた。
不幸な前世を終えた「ジャクリーン」という名も、改姓ついでに変えてしまいたい。
だがそれは、敢えなく却下されてしまった。そしてそこで、ジャクリーンの名付けをしたのが亡き父であることを知ったのである。
死者の意思は、往々にして昇華されるものである。死んでしまった父親が遺してくれた名前であるなら、改名なんて無理だろう。
だがこの名が不吉で短命であることは、ジャクリーンが誰よりも知っている。
あの雪崩のように蘇り押し寄せてきた凄まじいほどの記憶は、夢や幻などではない。
真っ平らな腹に手を添えれば、あの時の膨らみはじめた感触まで思い出すのである。
「一応聞いておくけれど、変えるとしたら何にしようと思っていたの」
「ジャックでもリーンでもどちらでもよいわ。ジャクリーンでなければ」
「ジャックは男性の名じゃない。リーンだって微妙だわ」
養子縁組の書類はすでに王城へ届けられている。ジャクリーンは今日、戸籍も伯爵家に入った身となって、ここに来たのである。
今更、どんな名前を言ったとしても、変えようなんてないのだから、適当なことを言ってみた。それすら母に却下されたけれど。
そんな母は柔らかな金色の髪に翠色の瞳である。奇しくも、義父と義兄とはよく似た髪と瞳の色である。
父とは幼い頃からの婚約者で、ジャクリーンから見ても仲の良い夫婦だった。せめて兄か弟か、男児が一人でもいてくれたなら、母は再婚することなく、今も子爵家にいたのだろう。
子爵家を出たあとは、二人は一旦、母の生家である伯爵家に身を寄せていた。
母は元は伯爵令嬢なのだが、五番目だか六番目だかの末娘である。どこかで聞いたような話だが、兎に角、大勢いた子女の末っ子なのであった。
父の死を乗り越えた母は、その後、申し込まれた縁談を受け入れて再婚した。
再婚先のクラーレン伯爵家には、義兄のスティーブンソンが嫡男となっている。
今からスペアを望むわけでもなさそうだし、義父はきっと本心から母を妻にと望んで再婚を申し込んだのだろう。
ジャクリーンには「うむ」としか言わなかった義父であるが、威圧的な空気はなかった。
「奥様、よろしいでしょうか」
ノックの音に母が応えると、扉が開いて入室した侍女が控えめに言った。
ここは、ジャクリーンの私室である。
今日初めて入ったのだが、そこで先ほどまで医師の診察を受けていた。
涙を流して昏倒したのである。すぐさま医師が呼ばれて、異常がないか調べた後に、後頭部のタンコブを診てもらった。
診察が終わってからも、大事をとって寝台で横になっていた。そんなジャクリーンに母は付き添っていた。
「何かしら?」
「スティーブンソン様が、お嬢様に面会なさりたいと仰っておられます」
侍女の言葉に、母が「どうぞ」と声をかけた。すると義兄は扉を静かに開けて、そのまま入り口に立ちつくした。
「どうぞ、お入りになって?ジャクリーンを心配してくださったのでしょう?」
自分の生まれた邸であるのに、義兄は遠慮がちに部屋に足を踏み入れた。
それからジャクリーンの寝台のそばまで来ると、
「大丈夫か?ジャクリーン」と言った。
彼はきっと、自分との会話の途中で倒れたジャクリーンに、責任を感じてしまったのだろう。
「その、緊張させてしまったのなら謝罪する。父上にも叱られた」
義兄は、背丈だけなら義父と変わらない。身体は義父のほうが厚みがあり筋肉質で逞しい。
「数年ぶりに拳骨を頂戴した」
ええ?十六歳で拳骨?と思ったが、顔にも口にも出さなかった。
「私が無愛想なばかりに、怖がらせたのなら申し訳ない」
無愛想なら義父もどっこいどっこいであった。
「大丈夫です。ご心配をお掛けして申し訳ございません。お義兄様」
お義兄様、と言ったところで、義兄は目を細めてジャクリーンを見た。
ジャクリーンの混乱を招いたのは、確かに義兄に原因があった。
彼は彼の友人だ。
いや、わかりにくい言い方だった。
義兄とは、前の生でも会っている。顔形も名前までそっくり同じだった。
そのことが、過去世の記憶を呼び覚ましたのだろうか。
義兄は前世では、正真正銘ジャクリーンの実兄だった。彼の友人が、ジャクリーンを裏切り辱め、死に追いやった元凶の、件の夫であった。
東国には、
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という喩えがあるのだという。
亡き父に賢いとおだてられて、お勉強を頑張っていたジャクリーンは、東国の諺に詳しい。
思い出した前世の夫に悪感情を抱いたジャクリーンは、過去世で夫の友人だった義兄にも八つ当たりしたくなった。
後はなんだったかしらと考えて、『二度あることは三度ある』と思い出した。
こんな転生、二度も三度もいらないと思った。東国に向かって石を投げたくなってしまった。
濡羽のような漆黒の髪は、亡き父から受け継いだ色である。
だが、鮮やかに煌めくロイヤルブルーの瞳は、彼女に王家の血が濃く流れていることを示していた。
ジャクリーンの曽祖父は、当時の国王の末弟だった。五番目だか六番目だか、兎に角、大勢いた弟の末っ子である。
公の務めは全て兄たちが果たし、彼らが迎える妃も高位貴族の令嬢ばかり。他国の王族に王配として婿入りしたり、臣籍降下も勿論している。
末っ子王子にもそれなりの爵位が用意されていたが、彼は学園で出会った子爵令嬢との自由恋愛を貫いた。
彼は、ジャクリーンの元々の生家であるブラウン子爵家の女当主の夫となったのである。
子爵家が先祖から引き継いだ身体的な特徴は、漆黒の髪と榛色の瞳である。
その血がどれほど強かったのか、曽祖父のロイヤルな血が混じっても、その後、王家の特徴を持つ子女が生まれることはなかった。
祖父も父も、叔父も従兄も、お揃いのように漆黒の髪に榛色の瞳をしている。
ジャクリーンだけが、高貴な青い瞳を持って生まれ出た。だがそれを喜んでくれたのは父だけだったように思う。
ジャクリーンは今ならわかる。
父はジャクリーンが金髪だろうが赤髪だろうが、瞳が黒かろうが青かろうが気にしてはいなかった。
父は、ジャクリーンが生まれてきたことを喜んでくれたのだ。
大波のような勢いで蘇った前世の記憶にジャクリーンが感じたのは、一緒に死んでしまった腹の子への愛だった。
もし叶うなら、この世に産んであげたかった。
もし平穏な暮らしがあったなら、あの子には幸せになって欲しかった。
「改名がしたいですって?」
「ええ。名が不吉なんですもの」
「貴女のためにお父様が付けてくださったお名前よ」
今更ではあるが、ジャクリーンは母に言ってみた。
不幸な前世を終えた「ジャクリーン」という名も、改姓ついでに変えてしまいたい。
だがそれは、敢えなく却下されてしまった。そしてそこで、ジャクリーンの名付けをしたのが亡き父であることを知ったのである。
死者の意思は、往々にして昇華されるものである。死んでしまった父親が遺してくれた名前であるなら、改名なんて無理だろう。
だがこの名が不吉で短命であることは、ジャクリーンが誰よりも知っている。
あの雪崩のように蘇り押し寄せてきた凄まじいほどの記憶は、夢や幻などではない。
真っ平らな腹に手を添えれば、あの時の膨らみはじめた感触まで思い出すのである。
「一応聞いておくけれど、変えるとしたら何にしようと思っていたの」
「ジャックでもリーンでもどちらでもよいわ。ジャクリーンでなければ」
「ジャックは男性の名じゃない。リーンだって微妙だわ」
養子縁組の書類はすでに王城へ届けられている。ジャクリーンは今日、戸籍も伯爵家に入った身となって、ここに来たのである。
今更、どんな名前を言ったとしても、変えようなんてないのだから、適当なことを言ってみた。それすら母に却下されたけれど。
そんな母は柔らかな金色の髪に翠色の瞳である。奇しくも、義父と義兄とはよく似た髪と瞳の色である。
父とは幼い頃からの婚約者で、ジャクリーンから見ても仲の良い夫婦だった。せめて兄か弟か、男児が一人でもいてくれたなら、母は再婚することなく、今も子爵家にいたのだろう。
子爵家を出たあとは、二人は一旦、母の生家である伯爵家に身を寄せていた。
母は元は伯爵令嬢なのだが、五番目だか六番目だかの末娘である。どこかで聞いたような話だが、兎に角、大勢いた子女の末っ子なのであった。
父の死を乗り越えた母は、その後、申し込まれた縁談を受け入れて再婚した。
再婚先のクラーレン伯爵家には、義兄のスティーブンソンが嫡男となっている。
今からスペアを望むわけでもなさそうだし、義父はきっと本心から母を妻にと望んで再婚を申し込んだのだろう。
ジャクリーンには「うむ」としか言わなかった義父であるが、威圧的な空気はなかった。
「奥様、よろしいでしょうか」
ノックの音に母が応えると、扉が開いて入室した侍女が控えめに言った。
ここは、ジャクリーンの私室である。
今日初めて入ったのだが、そこで先ほどまで医師の診察を受けていた。
涙を流して昏倒したのである。すぐさま医師が呼ばれて、異常がないか調べた後に、後頭部のタンコブを診てもらった。
診察が終わってからも、大事をとって寝台で横になっていた。そんなジャクリーンに母は付き添っていた。
「何かしら?」
「スティーブンソン様が、お嬢様に面会なさりたいと仰っておられます」
侍女の言葉に、母が「どうぞ」と声をかけた。すると義兄は扉を静かに開けて、そのまま入り口に立ちつくした。
「どうぞ、お入りになって?ジャクリーンを心配してくださったのでしょう?」
自分の生まれた邸であるのに、義兄は遠慮がちに部屋に足を踏み入れた。
それからジャクリーンの寝台のそばまで来ると、
「大丈夫か?ジャクリーン」と言った。
彼はきっと、自分との会話の途中で倒れたジャクリーンに、責任を感じてしまったのだろう。
「その、緊張させてしまったのなら謝罪する。父上にも叱られた」
義兄は、背丈だけなら義父と変わらない。身体は義父のほうが厚みがあり筋肉質で逞しい。
「数年ぶりに拳骨を頂戴した」
ええ?十六歳で拳骨?と思ったが、顔にも口にも出さなかった。
「私が無愛想なばかりに、怖がらせたのなら申し訳ない」
無愛想なら義父もどっこいどっこいであった。
「大丈夫です。ご心配をお掛けして申し訳ございません。お義兄様」
お義兄様、と言ったところで、義兄は目を細めてジャクリーンを見た。
ジャクリーンの混乱を招いたのは、確かに義兄に原因があった。
彼は彼の友人だ。
いや、わかりにくい言い方だった。
義兄とは、前の生でも会っている。顔形も名前までそっくり同じだった。
そのことが、過去世の記憶を呼び覚ましたのだろうか。
義兄は前世では、正真正銘ジャクリーンの実兄だった。彼の友人が、ジャクリーンを裏切り辱め、死に追いやった元凶の、件の夫であった。
東国には、
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という喩えがあるのだという。
亡き父に賢いとおだてられて、お勉強を頑張っていたジャクリーンは、東国の諺に詳しい。
思い出した前世の夫に悪感情を抱いたジャクリーンは、過去世で夫の友人だった義兄にも八つ当たりしたくなった。
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