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第五章
「身体はもう大丈夫なのか」
翌日の朝餉の席で、義父から尋ねられた。
「はい、お義父様。ご心配をお掛けして申し訳ございません」
ジャクリーンが遠慮がちに微笑むと、眉が下がって弱々しい笑みになった。その笑みに、義父は非常にわかりにくいが、案ずるような顔をした。
昨日ジャクリーンは、結局あのまま寝入ってしまい、朝まで目が覚めることはなかった。
熟睡という名の爆睡ののち、清々しい朝を迎えた。体調はすこぶる良い。
それなら溌剌とした笑顔を見せてやれば義父も安心するだろうに、少しばかり照れが芽生えてそうできなかった。
父が亡くなってから、家族と思って馴染んでいた生家から縁を切られた。それにはとても驚いたし、なにより哀しかった。
ジャクリーンが継ぐ家だと思っていた。当主教育も受けていた。なにより祖父母からも叔父からも愛されていると思っていた。従兄とも仲が良かった。
そういうことが全て思い違いだったと知って、ジャクリーンは「身の程」というものを突きつけられたような気持ちになった。
それから身を寄せた母の生家でも大人しくしていた。
冷遇などされてはいなかった。それでも、子爵家から移り住んだことで、少々萎縮していたのは確かである。ちなみに母は実家であるから、思いのほかのんびり過ごしていた。
その後、母が再婚したクラーレン伯爵家は騎士の家だった。無骨で無愛想な父子は、不器用ではあるが心優しいことがすぐにわかった。
昨日、ジャクリーンが昏倒してからも、義父がずっと部屋の扉の前でうろうろしていたのだと聞いた。
年頃の義娘の部屋に足を踏み入れることが躊躇われて、大きな身体で行ったり来たりしていたのだとジェーンが教えてくれた。
「ジャクリーン様がお可愛らしくて、どう接してよいのか旦那様は迷ってしまわれたのですわ」
ジャクリーンの髪を櫛で梳かしながら、彼女はそう言った。
それから、
「旦那様のご配慮を、スティーブンソン様も少し見習っていただきたいものですね」
とも言った。
何でも、最初の医師の手配も王城へ宮廷医を頼むことも、義兄より先に義父が全て手配してくれたらしい。
宮廷医を王城の外に呼びだすなんて、そうそうできないことである。それを可能としたのは、義父の王家への献身が認められてのことだろうとジェーンは続けた。
義兄がクエンティンの友人と言ったのは本当で、同い年の二人は学園でもよき友として交流しているらしい。
そんな義兄はというと。
「父上。今日は学園を休むことにします。父上にはお務めがありますし、邸内に家族が残っていたほうがジャクリーンも安心でしょう」
母性全開にして、義兄は朝から濃いことを言った。
「お前は黙って学園へ行け」
「ですが父上!」
義兄はそこで、拳をテーブルに打ちつけて立ち上がった。カトラリーがカチャンと音を立てた。
朝からなかなか濃い風景である。騎士の家とは皆こうなのか。
激情派であるらしい義兄に少しばかり引いたジャクリーンであるが、母は食事を楽しんでいた。
「昨日は殿下にもお越しいただいている。お前は学園で、ジャクリーンが回復したとお伝えせねばならない」
ジャクリーンはクエンティンのことを忘れていたわけではない。だが忘れたいとは思っている。
クエンティンの話題となったところで緊張を抱いた。
「む、確かに」
義兄は激情派ではあるが、素直な質でもあるようだった。義父の言葉に納得すると、静かに椅子に座った。
乱れたカトラリーを、そっと直す手つきには、朝から粗相したことを恥ずかしく思っている様子が見て取れた。
「ジャクリーン」
「はい」
名を呼ばれて、ジャクリーンは真向いに座る義兄を見た。
「もしも」
「はい」
「もしも淋しくなったなら、文をくれないか」
え?それはどういうことだろう。
戸惑うジャクリーンを置いてけぼりにして義兄は続けた。
「文はロバートに言えば学園まで届けてくれる」
そう言って義兄は、部屋の隅に控えている執事を見た。執事はそれに頷いて応えた。
「ええっと。大丈夫ですわ、お義兄様」
そんなことでいちいち手紙を書く人なんているのだろうか。ジャクリーンは常識で考えてみたが、義兄の常識と世間のそれとは違っていた。
「……淋しくないのか?」
「え?」
「父上と私が出掛けたあとは、義母上と二人きりになってしまう」
義兄はそう言うと、眉を下げてジャクリーンを見つめた。
ああ、そうだと思い出した。
遠い過去の記憶の断片は、少しずつパズルのピースのように集まってくる。
義兄は前世でも優しい人だった。過去世の兄は夫とは幼い頃からの友人だった。それでも王族へ嫁ぐ妹の幸せを願いながら心配していた。
ジャクリーンはそんな兄に、夫から裏切られた挙句、病を移されたなんて言えなかった。
それを言ってしまったら、子を宿したままこの世を去ることも伝えなければならない。あの時のジャクリーンはそう考えた。
兄が真実を知ったとすれば、それはジャクリーンが死した後だろう。兄の哀しみは、残念ながら死んでしまったジャクリーンには慰めることはできない。
ジャクリーンはそこで、目の前にいる義兄と前世の兄が重なって見えた。胸に込み上げるものがあり、うっかり涙が出そうになった。
「ご心配をおかけします。ですがお義兄様。お勉強は大切ですわ」
そう言うと、義兄は一瞬、苦しげに眉を寄せた。どうにもジャクリーンのことが心配でならないという顔をした。
「お義兄様がお帰りになるのをお待ちしておりますわ」
ぱあ!と音が鳴った気がして、ジャクリーンはどこだろうときょろきょろ辺りを見回した。だが音源は義兄だった。
紅顔の美青年が目の前にいる。ぱあっと明るい顔をして、義兄がジャクリーンに言った。
「わかった。すぐに帰ってくるからな?今日は生徒会活動の日だが、腹が痛いと言えば休んでも許されるだろう」
ズル休みはいけませんわと言おうと思ったが、あまりに義兄がぱあっとするので言えなかった。
義兄は有言実行の男であった。朝の言葉通りに、授業が終わるとすぐさま帰宅した。
だが当時に、厄介事まで連れ帰ってきた。
「お帰りなさいませ、お義兄様と、……」
なんと挨拶するべきか。
帰宅した義兄の後ろには、クエンティンが着いてきた。
翌日の朝餉の席で、義父から尋ねられた。
「はい、お義父様。ご心配をお掛けして申し訳ございません」
ジャクリーンが遠慮がちに微笑むと、眉が下がって弱々しい笑みになった。その笑みに、義父は非常にわかりにくいが、案ずるような顔をした。
昨日ジャクリーンは、結局あのまま寝入ってしまい、朝まで目が覚めることはなかった。
熟睡という名の爆睡ののち、清々しい朝を迎えた。体調はすこぶる良い。
それなら溌剌とした笑顔を見せてやれば義父も安心するだろうに、少しばかり照れが芽生えてそうできなかった。
父が亡くなってから、家族と思って馴染んでいた生家から縁を切られた。それにはとても驚いたし、なにより哀しかった。
ジャクリーンが継ぐ家だと思っていた。当主教育も受けていた。なにより祖父母からも叔父からも愛されていると思っていた。従兄とも仲が良かった。
そういうことが全て思い違いだったと知って、ジャクリーンは「身の程」というものを突きつけられたような気持ちになった。
それから身を寄せた母の生家でも大人しくしていた。
冷遇などされてはいなかった。それでも、子爵家から移り住んだことで、少々萎縮していたのは確かである。ちなみに母は実家であるから、思いのほかのんびり過ごしていた。
その後、母が再婚したクラーレン伯爵家は騎士の家だった。無骨で無愛想な父子は、不器用ではあるが心優しいことがすぐにわかった。
昨日、ジャクリーンが昏倒してからも、義父がずっと部屋の扉の前でうろうろしていたのだと聞いた。
年頃の義娘の部屋に足を踏み入れることが躊躇われて、大きな身体で行ったり来たりしていたのだとジェーンが教えてくれた。
「ジャクリーン様がお可愛らしくて、どう接してよいのか旦那様は迷ってしまわれたのですわ」
ジャクリーンの髪を櫛で梳かしながら、彼女はそう言った。
それから、
「旦那様のご配慮を、スティーブンソン様も少し見習っていただきたいものですね」
とも言った。
何でも、最初の医師の手配も王城へ宮廷医を頼むことも、義兄より先に義父が全て手配してくれたらしい。
宮廷医を王城の外に呼びだすなんて、そうそうできないことである。それを可能としたのは、義父の王家への献身が認められてのことだろうとジェーンは続けた。
義兄がクエンティンの友人と言ったのは本当で、同い年の二人は学園でもよき友として交流しているらしい。
そんな義兄はというと。
「父上。今日は学園を休むことにします。父上にはお務めがありますし、邸内に家族が残っていたほうがジャクリーンも安心でしょう」
母性全開にして、義兄は朝から濃いことを言った。
「お前は黙って学園へ行け」
「ですが父上!」
義兄はそこで、拳をテーブルに打ちつけて立ち上がった。カトラリーがカチャンと音を立てた。
朝からなかなか濃い風景である。騎士の家とは皆こうなのか。
激情派であるらしい義兄に少しばかり引いたジャクリーンであるが、母は食事を楽しんでいた。
「昨日は殿下にもお越しいただいている。お前は学園で、ジャクリーンが回復したとお伝えせねばならない」
ジャクリーンはクエンティンのことを忘れていたわけではない。だが忘れたいとは思っている。
クエンティンの話題となったところで緊張を抱いた。
「む、確かに」
義兄は激情派ではあるが、素直な質でもあるようだった。義父の言葉に納得すると、静かに椅子に座った。
乱れたカトラリーを、そっと直す手つきには、朝から粗相したことを恥ずかしく思っている様子が見て取れた。
「ジャクリーン」
「はい」
名を呼ばれて、ジャクリーンは真向いに座る義兄を見た。
「もしも」
「はい」
「もしも淋しくなったなら、文をくれないか」
え?それはどういうことだろう。
戸惑うジャクリーンを置いてけぼりにして義兄は続けた。
「文はロバートに言えば学園まで届けてくれる」
そう言って義兄は、部屋の隅に控えている執事を見た。執事はそれに頷いて応えた。
「ええっと。大丈夫ですわ、お義兄様」
そんなことでいちいち手紙を書く人なんているのだろうか。ジャクリーンは常識で考えてみたが、義兄の常識と世間のそれとは違っていた。
「……淋しくないのか?」
「え?」
「父上と私が出掛けたあとは、義母上と二人きりになってしまう」
義兄はそう言うと、眉を下げてジャクリーンを見つめた。
ああ、そうだと思い出した。
遠い過去の記憶の断片は、少しずつパズルのピースのように集まってくる。
義兄は前世でも優しい人だった。過去世の兄は夫とは幼い頃からの友人だった。それでも王族へ嫁ぐ妹の幸せを願いながら心配していた。
ジャクリーンはそんな兄に、夫から裏切られた挙句、病を移されたなんて言えなかった。
それを言ってしまったら、子を宿したままこの世を去ることも伝えなければならない。あの時のジャクリーンはそう考えた。
兄が真実を知ったとすれば、それはジャクリーンが死した後だろう。兄の哀しみは、残念ながら死んでしまったジャクリーンには慰めることはできない。
ジャクリーンはそこで、目の前にいる義兄と前世の兄が重なって見えた。胸に込み上げるものがあり、うっかり涙が出そうになった。
「ご心配をおかけします。ですがお義兄様。お勉強は大切ですわ」
そう言うと、義兄は一瞬、苦しげに眉を寄せた。どうにもジャクリーンのことが心配でならないという顔をした。
「お義兄様がお帰りになるのをお待ちしておりますわ」
ぱあ!と音が鳴った気がして、ジャクリーンはどこだろうときょろきょろ辺りを見回した。だが音源は義兄だった。
紅顔の美青年が目の前にいる。ぱあっと明るい顔をして、義兄がジャクリーンに言った。
「わかった。すぐに帰ってくるからな?今日は生徒会活動の日だが、腹が痛いと言えば休んでも許されるだろう」
ズル休みはいけませんわと言おうと思ったが、あまりに義兄がぱあっとするので言えなかった。
義兄は有言実行の男であった。朝の言葉通りに、授業が終わるとすぐさま帰宅した。
だが当時に、厄介事まで連れ帰ってきた。
「お帰りなさいませ、お義兄様と、……」
なんと挨拶するべきか。
帰宅した義兄の後ろには、クエンティンが着いてきた。
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