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第十六章
前の生では、手酷い裏切りの憂き目に遭った。
だが前世とは、飽くまで過ぎ去ったものである。そっくり同じ人生の繰り返しなんてあり得ない。
その証拠に、ジャクリーンは前の自分と同じではない。出会ったばかりのクエンティンを盲目に信頼してはいなかった。
たとえ生まれ変わったとして、果たしてやり直しなんてできるのだろうか。その時々の人生を、苦い後悔を背負いながら、がむしゃらに生きるよりほかはないように思えた。
本当にやり直しの人生があるというなら、ジャクリーンは亡くなった父にこそ、もう一度生まれ直してほしいと思う。
あまりに若い死だった。母は父を愛していた。
幸運にも、今は義父に愛されて幸せそうに見えてはいるが、寡婦の経験なんてしないで済むならそれが一番だろう。
結局、何度生まれ変わっても、一度に一つの生しか体感することはないのである。
クエンティンの訪問から十日ほど過ぎた頃だった。
学園から帰った義兄から、衝撃的な事実を打ち明けられた。
人払いのされた部屋で、義兄は声を潜めて言った。
「殿下の婚約者は、君で決まりだ」
確かにクエンティンからは婚約を求められていた。だが、ジャクリーンは候補の一人にすぎない。恐らく、ほかにも高位貴族の令嬢たちが候補に挙げられているだろう。
ジャクリーンは、そのままを義兄に尋ねた。
「お義兄様。私は候補にすぎません。ほかにもご令嬢がたがおいでですわ」
「どうやら辞退が相次いでいるらしい」
「ええっ、どうして!?」
クエンティンは名前の通り五番目の王子である。だが歴とした青年王族に変わりはない。見目だって整っており、今のところ前世が鬼畜であった以外は問題らしい問題は見当たらなかった。
「殿下が鞭を特注なさったのだが」
「え?お義兄様、そこをもっと詳しく……」
義兄は当たり前のように、さらりと言ったが、そこは流してはいけない。ジャクリーンは義兄に詳細を確かめた。
「ああ、殿下は君と会ったその日のうちに鞭を発注しておられる」
「……」
そこで義兄は説明してくれた。
「ボディは靭やかに反り、扱い易い」
「え、それはどういう?」
「ん?鞭の仕様だよ」
「……」
無言となったジャクリーンを気にすることなく、義兄は続けた。
「靭やかに反り、扱い易い。軽量ながら打撃力は申し分ない。打ち据えたあとも打ち手の負担にならず、グリップは令嬢の手に馴染み、」
「ちょっとちょっとお待ちになって」
堪らず引き止めたジャクリーンに、義兄は「どうした?」と言った。義兄は何も感じないのか。その鞭って……
「ジャクリーンの手に馴染むように、殿下が苦慮して考案した特注品の鞭だぞ?」
もう鞭、じゃない、無理。
クエンティンも義兄も同類項だ。二人揃って変態だ。
「可怪しいでしょう、私専用だなんて」
「それは違うよ、ジャクリーン」
義兄はそこで、改まったようにジャクリーンを見た。
「殿下は約束したではないか。君と交わした三つの誓い。誓いに鞭は必須アイテムではないか」
「お義兄様……」
それから義兄は、鞭の細部についての説明をした。
小柄なジャクリーンにも負担にならない設計で、シンプルかつ流美な形状。そこにはずいぶん拘ったと義兄は言った。
もしかして、義兄は鞭の開発に携わっていたのか。
「鞭のことはこれくらいかな」
もう十分だ。ジャクリーンはそれ以上聞きたいとは思わなかった。
「問題は」
鞭以外の問題があるのかと、難しい顔をした義兄を見つめた。
「情報が漏洩した」
「……それって、鞭情報?」
「ほかに何がある。あってはならんことだぞ?殿下の特注なさった鞭情報だぞ?」
これ以上、義兄に突っ込んでも埒が明かない。ジャクリーンは話の先を確かめたかった。
「情報が漏れたとして、それと候補者の辞退とどんな関係が?」
「大ありだろう。殿下は特殊性癖の持ち主ではと誤情報が流れたのだぞ?」
情報漏洩に誤情報。王族の情報管理はどうなっているのか。
だが後者については正しいのでは?とジャクリーンは思った。
「夜な夜な鞭で打たれるのか、それとも打ちっこをさせられるのか」
「打ちっこ?」
「互いに代わるがわる打ち合うのだ」
そんなの、どこからどう考えても特殊性癖そのものだろう。ご令嬢がたが震え上がる姿が目に浮かぶようだった。
「とんでもない話だ。殿下は君専用の」
「もういいです。わかりました」
もう鞭ばなしはたくさん。
ジャクリーンは結論を急いだ。このままでは信頼している義兄まで変態に見えてしまう。
「結論から言おう」
初めにそれを言って欲しかった。
「殿下はどうやら、特殊性癖を持つ『変態』などと思われたらしい」
ご令嬢がた、正しい判断です。
「それで結局、候補を辞退したいという令嬢が一人二人と現れて」
一体、候補者は何人いたのだろう。
「三人、四人と辞退が続く事態となった」
「辞退の事態……」
リピートしたジャクリーンに、義兄は深く頷いた。
「残ったのは、君一人だよ」
クエンティンとは向き合う覚悟を決めていた。そのための三つの条件だった。
そうであるのに、改めて義兄の口から「君一人だよ」と告げられて、ジャクリーンは複雑な気持ちになった。
できることならその特注鞭、一度も使わずに済んでほしい。そこまでくると、浮気一度に鞭打ち百回は、ジャクリーンへの罰に思えた。
「おめでとう、ジャクリーン。殿下と幸せになるんだぞ」
晴れやかな表情で義兄が言った。それは前世の兄が、婚礼の場で言った言葉と同じだった。
だが前世とは、飽くまで過ぎ去ったものである。そっくり同じ人生の繰り返しなんてあり得ない。
その証拠に、ジャクリーンは前の自分と同じではない。出会ったばかりのクエンティンを盲目に信頼してはいなかった。
たとえ生まれ変わったとして、果たしてやり直しなんてできるのだろうか。その時々の人生を、苦い後悔を背負いながら、がむしゃらに生きるよりほかはないように思えた。
本当にやり直しの人生があるというなら、ジャクリーンは亡くなった父にこそ、もう一度生まれ直してほしいと思う。
あまりに若い死だった。母は父を愛していた。
幸運にも、今は義父に愛されて幸せそうに見えてはいるが、寡婦の経験なんてしないで済むならそれが一番だろう。
結局、何度生まれ変わっても、一度に一つの生しか体感することはないのである。
クエンティンの訪問から十日ほど過ぎた頃だった。
学園から帰った義兄から、衝撃的な事実を打ち明けられた。
人払いのされた部屋で、義兄は声を潜めて言った。
「殿下の婚約者は、君で決まりだ」
確かにクエンティンからは婚約を求められていた。だが、ジャクリーンは候補の一人にすぎない。恐らく、ほかにも高位貴族の令嬢たちが候補に挙げられているだろう。
ジャクリーンは、そのままを義兄に尋ねた。
「お義兄様。私は候補にすぎません。ほかにもご令嬢がたがおいでですわ」
「どうやら辞退が相次いでいるらしい」
「ええっ、どうして!?」
クエンティンは名前の通り五番目の王子である。だが歴とした青年王族に変わりはない。見目だって整っており、今のところ前世が鬼畜であった以外は問題らしい問題は見当たらなかった。
「殿下が鞭を特注なさったのだが」
「え?お義兄様、そこをもっと詳しく……」
義兄は当たり前のように、さらりと言ったが、そこは流してはいけない。ジャクリーンは義兄に詳細を確かめた。
「ああ、殿下は君と会ったその日のうちに鞭を発注しておられる」
「……」
そこで義兄は説明してくれた。
「ボディは靭やかに反り、扱い易い」
「え、それはどういう?」
「ん?鞭の仕様だよ」
「……」
無言となったジャクリーンを気にすることなく、義兄は続けた。
「靭やかに反り、扱い易い。軽量ながら打撃力は申し分ない。打ち据えたあとも打ち手の負担にならず、グリップは令嬢の手に馴染み、」
「ちょっとちょっとお待ちになって」
堪らず引き止めたジャクリーンに、義兄は「どうした?」と言った。義兄は何も感じないのか。その鞭って……
「ジャクリーンの手に馴染むように、殿下が苦慮して考案した特注品の鞭だぞ?」
もう鞭、じゃない、無理。
クエンティンも義兄も同類項だ。二人揃って変態だ。
「可怪しいでしょう、私専用だなんて」
「それは違うよ、ジャクリーン」
義兄はそこで、改まったようにジャクリーンを見た。
「殿下は約束したではないか。君と交わした三つの誓い。誓いに鞭は必須アイテムではないか」
「お義兄様……」
それから義兄は、鞭の細部についての説明をした。
小柄なジャクリーンにも負担にならない設計で、シンプルかつ流美な形状。そこにはずいぶん拘ったと義兄は言った。
もしかして、義兄は鞭の開発に携わっていたのか。
「鞭のことはこれくらいかな」
もう十分だ。ジャクリーンはそれ以上聞きたいとは思わなかった。
「問題は」
鞭以外の問題があるのかと、難しい顔をした義兄を見つめた。
「情報が漏洩した」
「……それって、鞭情報?」
「ほかに何がある。あってはならんことだぞ?殿下の特注なさった鞭情報だぞ?」
これ以上、義兄に突っ込んでも埒が明かない。ジャクリーンは話の先を確かめたかった。
「情報が漏れたとして、それと候補者の辞退とどんな関係が?」
「大ありだろう。殿下は特殊性癖の持ち主ではと誤情報が流れたのだぞ?」
情報漏洩に誤情報。王族の情報管理はどうなっているのか。
だが後者については正しいのでは?とジャクリーンは思った。
「夜な夜な鞭で打たれるのか、それとも打ちっこをさせられるのか」
「打ちっこ?」
「互いに代わるがわる打ち合うのだ」
そんなの、どこからどう考えても特殊性癖そのものだろう。ご令嬢がたが震え上がる姿が目に浮かぶようだった。
「とんでもない話だ。殿下は君専用の」
「もういいです。わかりました」
もう鞭ばなしはたくさん。
ジャクリーンは結論を急いだ。このままでは信頼している義兄まで変態に見えてしまう。
「結論から言おう」
初めにそれを言って欲しかった。
「殿下はどうやら、特殊性癖を持つ『変態』などと思われたらしい」
ご令嬢がた、正しい判断です。
「それで結局、候補を辞退したいという令嬢が一人二人と現れて」
一体、候補者は何人いたのだろう。
「三人、四人と辞退が続く事態となった」
「辞退の事態……」
リピートしたジャクリーンに、義兄は深く頷いた。
「残ったのは、君一人だよ」
クエンティンとは向き合う覚悟を決めていた。そのための三つの条件だった。
そうであるのに、改めて義兄の口から「君一人だよ」と告げられて、ジャクリーンは複雑な気持ちになった。
できることならその特注鞭、一度も使わずに済んでほしい。そこまでくると、浮気一度に鞭打ち百回は、ジャクリーンへの罰に思えた。
「おめでとう、ジャクリーン。殿下と幸せになるんだぞ」
晴れやかな表情で義兄が言った。それは前世の兄が、婚礼の場で言った言葉と同じだった。
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