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第十九章
クエンティンの上には王太子を筆頭に四人の兄王子がいる。
末っ子クエンティンの、王子としての権威はそれほど重くない。
将来拝領する爵位も形骸的なものであり、言いようによっては父と長兄の子飼いになるようなものである。
本人もそこは熟知しており、幼い頃からそのように育てられてきたからだと教えてくれた。
そんなクエンティンにジャクリーンは思った。
「クエンティン様は、お心がお強くていらっしゃるのですね」
「そんなことはないよ。生まれに則した役割を果たすのは、王族ばかりではないだろう?」
今日も終業のベルとともに学園から帰ってきたクエンティン。多分、生徒会では幽霊役員となったのだろう。
制服から着替える時間すら惜しんで、マイ椅子を携えてジャクリーンの学ぶ部屋までやってきた。
そんなクエンティンのために、祖母は休憩時間を設けてくれる。妃教育も大切だが、二人が心を通わせることのほうが望ましいと思っているようだった。
今も二人で円卓に並んで座りお茶を楽しんでいた。そこは向かい合うお席です、なんて野暮なことは誰も言わない。
秘された性癖持ちの王子を受け入れてくれる稀有な令嬢。王城でもジャクリーンはそう見なされていた。
「いいえ。貴方様は勤勉で、とても誠実なお方ですわ(過去世比べ)」
「……ジャクリーン」
クエンティンはどうやらジャクリーンに褒められるとツボるようだった。
こう見えて、平素はポーカーフェイス、冷めた王子で通っているのだが、ジャクリーンの前だけではわかりやすくデレる。
出会ってそれほど長くはないのに、クエンティンはすっかりジャクリーンの虜になっているようだった。
そのために、王城でジャクリーンは密かに「猛獣使い」「鞭さばきの名手」と呼ばれている。
クエンティンを手懐けたという意味らしいが、どこまでも「鞭」がつきまとうのだった。
ジャクリーンは、実は疑問に思っていた。そのことを祖母にも母にも確かめたが、二人とも気にするなと言った。
素朴な疑問ではあったが、それはクエンティンに関わることだった。目の前でデレてる顔を見るうちに、本人に聞くのが一番確かなことだと思った。
「クエンティン様。お聞きしたいことがあるんです」
「なんだろう。君にはすべて開示すると誓っているんだ。遠慮はいらない、なんでも聞いてほしい。ちなみに今日の下着は情熱の赤だよ」
要らない情報が多かったし、ジャクリーンとの約束は「お出かけ先の報告」だった。パンツの色は聞いていない。
だが流石は「猛獣使い」。ジャクリーンはクエンティンの扱いが上手かった。そのことを本人は自覚していない。
前世でも今世でも、実はクエンティンは気難しい一面があった。ジャクリーンの前でだけは太陽のような笑みを見せるが、太陽とは本来、長兄である王太子のポジションなのである。
クエンティンの真実の姿は、兄の背面、裏側、陰といった、明るさとは無縁のものだった。
麗しい見目が怜悧な気質を隠しているのだが、それはジャクリーンにはわからないことだった。
「私、いつまで妃教育を受けるのでしょう。だって貴方は貴族になられるのでしょう?私は王家とは関わることもないでしょうし」
妃教育とは多分、形式的なものなのだろうと考えていた。祖母はカリキュラムを熟知している筈なのだが、はっきりとした期間については教えてくれなかった。
「私と結婚するまでだよ」
「え?」
「私と結婚するまで、毎日王城に通うんだ。毎日、毎日、毎日」
クエンティンは、毎日と繰り返した。
「そのお、私も学園に通うことになりますし、お休みの日も……」
「ここで休めばいいよ。部屋ならもう用意してあるんだ、私の部屋を二分割したから。なんなら今日から泊まっていけるよ」
分けてもそれはクエンティンの部屋だろう。お泊り以降の言葉は聞かなかったことにした。
ジャクリーンの認識は至って常識的なことなのに、クエンティンと話しているとそこがだんだんズレてくる。
彼には不思議な説得力がある。この瞳に見つめられると、間違えているのは自分のほうではないかと思えてくる。
「わかったかな?ジャクリーン」
「はい」
まるで洗脳されるように、ジャクリーンは頷いた。
妃教育を終えると、帰りの馬車寄せまでクエンティンが送ってくれる。
婚約者とはいえ王子の彼にそんな手間をかけさせたくはないのだが、要らないと言った瞬間、死にそうな顔をされた。以来、好きなようにさせている。
「ジャクリーン。手を繋いでもよい?」
「もう繋いでるじゃないですか。そういうことは事前に言うものです」
「ふふ、ジャクリーンに注意されてしまった」
怜悧な上に変態らしいクエンティンが、ジャクリーンにだけは蜂蜜男子になる。甘く蕩けて液体化しそうだ。
ジャクリーンはそれを彼の通常操業と思っているから気にすることはないのだが、周囲は違う。
二人の後ろについていた王城の侍女も近衛騎士も、クエンティンの姿に驚愕していた。
ジャクリーンがクエンティンから特製の鞭を贈られたという話は広く知れ渡っていたから、目の前の小柄な令嬢が「鞭の名手」で確かなことだと思うのだった。
その時だった。
手を繋いで並び歩く二人の背中に声がかけられた。
「クエンティン。と、ジャクリーン嬢かな?」
爽やかな風が吹き抜ける。彼の声音に抱いた印象だった。
ジャクリーンはクエンティンとともに振り返り、そこで深く頭を垂れてカーテシーで礼を取った。
「面を上げて」
その言葉を名乗りの許しと受け止め、ジャクリーンは挨拶をした。
「フランシス王太子殿下にご挨拶を申し上げます。クラーレン伯爵家が子女、ジャクリーン・ウェズリー・クラーレンと申します」
装いからして特別だった。それは彼が次期国王となる身であり、彼自身が漂わせる威厳と気品のためだった。
クエンティンの長兄にして王太子であるフランシスは、鷹揚に頷くとジャクリーンを見つめた。
「君がクエンティンを射止めたのか」
ええ。前世では息の根を止められましたけど、とは言わない。
どう応えようか思案して、結局、無言を通した。
「兄上、ジャクリーンです。私の、婚・約・者です」
クエンティンは「婚約者」というところでたっぷり間を取った。
「うん。君とは一度会ってみたいと思っていたんだ」
前世でクエンティンの妻となったが、王家の人々と関わることは少なかった。
式典がある際に挨拶をするくらいで、五番目の王子妃とはそんな扱いだった。
前世ぶりに再会する気持ちでジャクリーンはフランシスを見た。
襟足を短くして前髪が少し長く目にかかっている。クエンティンとは六歳、年が離れているのだが、二人はよく似ていた。
まるで影武者のようだわ。
日の下にいるのがフランシスなら、彼の影になるのがクエンティンだと、ジャクリーンは本能的に気がついた。
末っ子クエンティンの、王子としての権威はそれほど重くない。
将来拝領する爵位も形骸的なものであり、言いようによっては父と長兄の子飼いになるようなものである。
本人もそこは熟知しており、幼い頃からそのように育てられてきたからだと教えてくれた。
そんなクエンティンにジャクリーンは思った。
「クエンティン様は、お心がお強くていらっしゃるのですね」
「そんなことはないよ。生まれに則した役割を果たすのは、王族ばかりではないだろう?」
今日も終業のベルとともに学園から帰ってきたクエンティン。多分、生徒会では幽霊役員となったのだろう。
制服から着替える時間すら惜しんで、マイ椅子を携えてジャクリーンの学ぶ部屋までやってきた。
そんなクエンティンのために、祖母は休憩時間を設けてくれる。妃教育も大切だが、二人が心を通わせることのほうが望ましいと思っているようだった。
今も二人で円卓に並んで座りお茶を楽しんでいた。そこは向かい合うお席です、なんて野暮なことは誰も言わない。
秘された性癖持ちの王子を受け入れてくれる稀有な令嬢。王城でもジャクリーンはそう見なされていた。
「いいえ。貴方様は勤勉で、とても誠実なお方ですわ(過去世比べ)」
「……ジャクリーン」
クエンティンはどうやらジャクリーンに褒められるとツボるようだった。
こう見えて、平素はポーカーフェイス、冷めた王子で通っているのだが、ジャクリーンの前だけではわかりやすくデレる。
出会ってそれほど長くはないのに、クエンティンはすっかりジャクリーンの虜になっているようだった。
そのために、王城でジャクリーンは密かに「猛獣使い」「鞭さばきの名手」と呼ばれている。
クエンティンを手懐けたという意味らしいが、どこまでも「鞭」がつきまとうのだった。
ジャクリーンは、実は疑問に思っていた。そのことを祖母にも母にも確かめたが、二人とも気にするなと言った。
素朴な疑問ではあったが、それはクエンティンに関わることだった。目の前でデレてる顔を見るうちに、本人に聞くのが一番確かなことだと思った。
「クエンティン様。お聞きしたいことがあるんです」
「なんだろう。君にはすべて開示すると誓っているんだ。遠慮はいらない、なんでも聞いてほしい。ちなみに今日の下着は情熱の赤だよ」
要らない情報が多かったし、ジャクリーンとの約束は「お出かけ先の報告」だった。パンツの色は聞いていない。
だが流石は「猛獣使い」。ジャクリーンはクエンティンの扱いが上手かった。そのことを本人は自覚していない。
前世でも今世でも、実はクエンティンは気難しい一面があった。ジャクリーンの前でだけは太陽のような笑みを見せるが、太陽とは本来、長兄である王太子のポジションなのである。
クエンティンの真実の姿は、兄の背面、裏側、陰といった、明るさとは無縁のものだった。
麗しい見目が怜悧な気質を隠しているのだが、それはジャクリーンにはわからないことだった。
「私、いつまで妃教育を受けるのでしょう。だって貴方は貴族になられるのでしょう?私は王家とは関わることもないでしょうし」
妃教育とは多分、形式的なものなのだろうと考えていた。祖母はカリキュラムを熟知している筈なのだが、はっきりとした期間については教えてくれなかった。
「私と結婚するまでだよ」
「え?」
「私と結婚するまで、毎日王城に通うんだ。毎日、毎日、毎日」
クエンティンは、毎日と繰り返した。
「そのお、私も学園に通うことになりますし、お休みの日も……」
「ここで休めばいいよ。部屋ならもう用意してあるんだ、私の部屋を二分割したから。なんなら今日から泊まっていけるよ」
分けてもそれはクエンティンの部屋だろう。お泊り以降の言葉は聞かなかったことにした。
ジャクリーンの認識は至って常識的なことなのに、クエンティンと話しているとそこがだんだんズレてくる。
彼には不思議な説得力がある。この瞳に見つめられると、間違えているのは自分のほうではないかと思えてくる。
「わかったかな?ジャクリーン」
「はい」
まるで洗脳されるように、ジャクリーンは頷いた。
妃教育を終えると、帰りの馬車寄せまでクエンティンが送ってくれる。
婚約者とはいえ王子の彼にそんな手間をかけさせたくはないのだが、要らないと言った瞬間、死にそうな顔をされた。以来、好きなようにさせている。
「ジャクリーン。手を繋いでもよい?」
「もう繋いでるじゃないですか。そういうことは事前に言うものです」
「ふふ、ジャクリーンに注意されてしまった」
怜悧な上に変態らしいクエンティンが、ジャクリーンにだけは蜂蜜男子になる。甘く蕩けて液体化しそうだ。
ジャクリーンはそれを彼の通常操業と思っているから気にすることはないのだが、周囲は違う。
二人の後ろについていた王城の侍女も近衛騎士も、クエンティンの姿に驚愕していた。
ジャクリーンがクエンティンから特製の鞭を贈られたという話は広く知れ渡っていたから、目の前の小柄な令嬢が「鞭の名手」で確かなことだと思うのだった。
その時だった。
手を繋いで並び歩く二人の背中に声がかけられた。
「クエンティン。と、ジャクリーン嬢かな?」
爽やかな風が吹き抜ける。彼の声音に抱いた印象だった。
ジャクリーンはクエンティンとともに振り返り、そこで深く頭を垂れてカーテシーで礼を取った。
「面を上げて」
その言葉を名乗りの許しと受け止め、ジャクリーンは挨拶をした。
「フランシス王太子殿下にご挨拶を申し上げます。クラーレン伯爵家が子女、ジャクリーン・ウェズリー・クラーレンと申します」
装いからして特別だった。それは彼が次期国王となる身であり、彼自身が漂わせる威厳と気品のためだった。
クエンティンの長兄にして王太子であるフランシスは、鷹揚に頷くとジャクリーンを見つめた。
「君がクエンティンを射止めたのか」
ええ。前世では息の根を止められましたけど、とは言わない。
どう応えようか思案して、結局、無言を通した。
「兄上、ジャクリーンです。私の、婚・約・者です」
クエンティンは「婚約者」というところでたっぷり間を取った。
「うん。君とは一度会ってみたいと思っていたんだ」
前世でクエンティンの妻となったが、王家の人々と関わることは少なかった。
式典がある際に挨拶をするくらいで、五番目の王子妃とはそんな扱いだった。
前世ぶりに再会する気持ちでジャクリーンはフランシスを見た。
襟足を短くして前髪が少し長く目にかかっている。クエンティンとは六歳、年が離れているのだが、二人はよく似ていた。
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