30 / 43
【30】
しおりを挟む
最初は確かにそう思った。
サフィニアは、今もマラカイトを愛している。
それはディアマンテを縛り付ける楔の様な事実だった。
彼女を愛してはいけない。愛してしまったなら、触れてはいけない。
国に身を捧げたサフィニアの、純潔まで奪う事は罪だと思った。せめて清い身のまま、いつか自由にしてやるべきだ。国はそんな事を許しはしないだろう。世継ぎを得ることもまた避けられない責務であった。何もかもが未熟な身で、身勝手な事を考えている自覚はあった。
彼女がどんな覚悟をしてディアマンテの妃となる事を受け入れたのか。それを理解出来ない訳ではなかった。
「さて、王子様。君は何故ここへ?」
エメローダは再び同じことを問うて来た。
「君に会いに来た。」
「私に?何故?」
「君の事を知りたい。」
「随分と熱烈な言葉だね。」
「いや、そうではなくて、私は『叡智』とは何であるかを確かめねばならない。」
「それは何故?」
「私がこの国の王になるからだよ。」
エメローダは「ふうん」と言ってお茶をひと口含んでから「不味」と呟いた。やっぱり粗茶は不味かったらしい。
エメローダがディアマンテを見つめた。翠色の瞳が放つ視線に頬がピリピリする様だった。
「ひと目会ったその日から」
「え?」
「私を信じる事もある。」
「は?」
「そう云うことかな?」
「……ちょっと違うが、概ねそう思ってもらって構わない。」
「いいよ。君が私を信じるなら、私も君を信じるよ。」
相変わらず尊大な物言いのエメローダは、ソファーに背を預けて鷹揚に言った。傍から見たらディアマンテの方が臣下に見えるだろう。
「教えてあげる。私の知識のほんのひとつまみを。」
「ほんのひとつまみ?随分ケチな『叡智』だな。」
「君より相応しい器が他にあるからね。」
「どう言う意味だ。」
「君は王の器だよ。立派な王様になり給え、きっと良い王様になるだろう。私が知識を授けるのに君よりも相応しい器がある。王の器と知識を授かる器が毎回同じ訳じゃない。けれども、私は君が言うほどケチではない。折角君とは友人になったのだから、その誼で知識をほんのひとつまみ教えよう。そう言ってるのさ、解るかい?」
エメローダはそこで、片方の口角だけを上げて笑って見せた。
「何を知りたい?何を得たい?」
エメローダの問い掛けに、ディアマンテは真剣に考えた。
ディアマンテは本来、用心深い質である。王家に一人だけ残された直系男子。自身の身分も価値も幼い頃から解りすぎるほど教え込まれて理解している。
なのに、会ったばかりの怪しさしか感じられないエメローダを、信じない理由が見つからなかった。
「君は何が出来るんだ?」
「質問したのは私の方だよ、王子様。」
「私は君の事を何も知らない。君が私に何を提示出来るのかを知りたい。」
エメローダはそこで笑みを深めた。翠の瞳がきょろりと動く。
「願いを叶えてあげる。王子様が一番願う事。」
ディアマンテの願い。
母が快癒してほしい。
国が安寧であってほしい。
民が飢える事なくいてほしい。
先祖が築き上げた王国を、豊かに富ませて次代に繋げたい。
そうあってほしい事柄は幾つもあった。だが、ディアマンテにこの時思い浮かんだのは、たったひとつの事だった。
サフィニアが幸せである様に。
彼女が望む人生を得られる様に。
政を正しく治めるのに、魔法も魔術も必要ないと思った。母はディアマンテに一言も『叡智』についてを語らなかった。それは母が『叡智』を知らないからではなくて、自身の力で真摯に政と向き合うことを良しとしたからだろう。
母の命が与えられた天命の通りなら、そこにディアマンテは介入出来ない。国を富ませようとするなら、それを成すのはディアマンテの務めだ。
だが、サフィニアは犠牲でしかない。自ら贄となって王となるディアマンテと向き合ってくれている。彼女こそ、幸せになるべきだ。
そうでなければ、亡くなった皇子の魂は報われない。
「私は間もなく妃を得る。彼女が望む人生を生きることを願う。」
サフィニアを手放したとして、次に新たな妃が据えられるだけであり、次の妃にしてもサフィニアといくらも変わらない立場に置かれるのは直ぐに解ることであったのに、ディアマンテにはサフィニアの事しか頭に無かった。
その意味が何であるかを、それまで恋を知らずにいた王子は解らずにいた。
何故、年上の「悲劇の令嬢」が頭から離れないのか。それをサフィニアへ抱く哀れみと、責務ばかりを負わせる事への後ろめたさなのだと思い込もうとしていた。
英明な王子が聡明快活な妃に心を揺さぶられ、手放し難く思い悩むのはもう少し後の事である。
「王子様の願い、請け負うよ。そうだな、じゃあ王子様には材料集めを頼もうかな。」
「材料集め?」
「秘薬造りには材料が必要だろう。」
「秘薬だと?」
「君の願いを叶える秘薬を拵える、その為の材料集めは君の仕事だ。それを仕込むのは君じゃない。」
「仕込む者が別にいるのか?それは誰なんだ?」
「それぞれ器があるからね。誰であるのかそのうち教えてあげる。」
胡散臭い『叡智』の言葉を、ディアマンテは受け入れた。
サフィニアは、今もマラカイトを愛している。
それはディアマンテを縛り付ける楔の様な事実だった。
彼女を愛してはいけない。愛してしまったなら、触れてはいけない。
国に身を捧げたサフィニアの、純潔まで奪う事は罪だと思った。せめて清い身のまま、いつか自由にしてやるべきだ。国はそんな事を許しはしないだろう。世継ぎを得ることもまた避けられない責務であった。何もかもが未熟な身で、身勝手な事を考えている自覚はあった。
彼女がどんな覚悟をしてディアマンテの妃となる事を受け入れたのか。それを理解出来ない訳ではなかった。
「さて、王子様。君は何故ここへ?」
エメローダは再び同じことを問うて来た。
「君に会いに来た。」
「私に?何故?」
「君の事を知りたい。」
「随分と熱烈な言葉だね。」
「いや、そうではなくて、私は『叡智』とは何であるかを確かめねばならない。」
「それは何故?」
「私がこの国の王になるからだよ。」
エメローダは「ふうん」と言ってお茶をひと口含んでから「不味」と呟いた。やっぱり粗茶は不味かったらしい。
エメローダがディアマンテを見つめた。翠色の瞳が放つ視線に頬がピリピリする様だった。
「ひと目会ったその日から」
「え?」
「私を信じる事もある。」
「は?」
「そう云うことかな?」
「……ちょっと違うが、概ねそう思ってもらって構わない。」
「いいよ。君が私を信じるなら、私も君を信じるよ。」
相変わらず尊大な物言いのエメローダは、ソファーに背を預けて鷹揚に言った。傍から見たらディアマンテの方が臣下に見えるだろう。
「教えてあげる。私の知識のほんのひとつまみを。」
「ほんのひとつまみ?随分ケチな『叡智』だな。」
「君より相応しい器が他にあるからね。」
「どう言う意味だ。」
「君は王の器だよ。立派な王様になり給え、きっと良い王様になるだろう。私が知識を授けるのに君よりも相応しい器がある。王の器と知識を授かる器が毎回同じ訳じゃない。けれども、私は君が言うほどケチではない。折角君とは友人になったのだから、その誼で知識をほんのひとつまみ教えよう。そう言ってるのさ、解るかい?」
エメローダはそこで、片方の口角だけを上げて笑って見せた。
「何を知りたい?何を得たい?」
エメローダの問い掛けに、ディアマンテは真剣に考えた。
ディアマンテは本来、用心深い質である。王家に一人だけ残された直系男子。自身の身分も価値も幼い頃から解りすぎるほど教え込まれて理解している。
なのに、会ったばかりの怪しさしか感じられないエメローダを、信じない理由が見つからなかった。
「君は何が出来るんだ?」
「質問したのは私の方だよ、王子様。」
「私は君の事を何も知らない。君が私に何を提示出来るのかを知りたい。」
エメローダはそこで笑みを深めた。翠の瞳がきょろりと動く。
「願いを叶えてあげる。王子様が一番願う事。」
ディアマンテの願い。
母が快癒してほしい。
国が安寧であってほしい。
民が飢える事なくいてほしい。
先祖が築き上げた王国を、豊かに富ませて次代に繋げたい。
そうあってほしい事柄は幾つもあった。だが、ディアマンテにこの時思い浮かんだのは、たったひとつの事だった。
サフィニアが幸せである様に。
彼女が望む人生を得られる様に。
政を正しく治めるのに、魔法も魔術も必要ないと思った。母はディアマンテに一言も『叡智』についてを語らなかった。それは母が『叡智』を知らないからではなくて、自身の力で真摯に政と向き合うことを良しとしたからだろう。
母の命が与えられた天命の通りなら、そこにディアマンテは介入出来ない。国を富ませようとするなら、それを成すのはディアマンテの務めだ。
だが、サフィニアは犠牲でしかない。自ら贄となって王となるディアマンテと向き合ってくれている。彼女こそ、幸せになるべきだ。
そうでなければ、亡くなった皇子の魂は報われない。
「私は間もなく妃を得る。彼女が望む人生を生きることを願う。」
サフィニアを手放したとして、次に新たな妃が据えられるだけであり、次の妃にしてもサフィニアといくらも変わらない立場に置かれるのは直ぐに解ることであったのに、ディアマンテにはサフィニアの事しか頭に無かった。
その意味が何であるかを、それまで恋を知らずにいた王子は解らずにいた。
何故、年上の「悲劇の令嬢」が頭から離れないのか。それをサフィニアへ抱く哀れみと、責務ばかりを負わせる事への後ろめたさなのだと思い込もうとしていた。
英明な王子が聡明快活な妃に心を揺さぶられ、手放し難く思い悩むのはもう少し後の事である。
「王子様の願い、請け負うよ。そうだな、じゃあ王子様には材料集めを頼もうかな。」
「材料集め?」
「秘薬造りには材料が必要だろう。」
「秘薬だと?」
「君の願いを叶える秘薬を拵える、その為の材料集めは君の仕事だ。それを仕込むのは君じゃない。」
「仕込む者が別にいるのか?それは誰なんだ?」
「それぞれ器があるからね。誰であるのかそのうち教えてあげる。」
胡散臭い『叡智』の言葉を、ディアマンテは受け入れた。
2,484
あなたにおすすめの小説
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい
高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。
だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。
クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。
ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。
【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】
恋した殿下、愛のない婚約は今日で終わりです
百門一新
恋愛
旧題:恋した殿下、あなたに捨てられることにします〜魔力を失ったのに、なかなか婚約解消にいきません〜
魔力量、国内第二位で王子様の婚約者になった私。けれど、恋をしたその人は、魔法を使う才能もなく幼い頃に大怪我をした私を認めておらず、――そして結婚できる年齢になった私を、運命はあざ笑うかのように、彼に相応しい可愛い伯爵令嬢を寄こした。想うことにも疲れ果てた私は、彼への想いを捨て、彼のいない国に嫁ぐべく。だから、この魔力を捨てます――。
※「小説家になろう」、「カクヨム」でも掲載
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる