王妃の秘薬

桃井すもも

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最初は確かにそう思った。

サフィニアは、今もマラカイトを愛している。
それはディアマンテを縛り付ける楔の様な事実だった。

彼女を愛してはいけない。愛してしまったなら、触れてはいけない。

国に身を捧げたサフィニアの、純潔まで奪う事は罪だと思った。せめて清い身のまま、いつか自由にしてやるべきだ。国はそんな事を許しはしないだろう。世継ぎを得ることもまた避けられない責務であった。何もかもが未熟な身で、身勝手な事を考えている自覚はあった。

彼女がどんな覚悟をしてディアマンテの妃となる事を受け入れたのか。それを理解出来ない訳ではなかった。



「さて、王子様。君は何故ここへ?」

エメローダは再び同じことを問うて来た。

「君に会いに来た。」
「私に?何故?」
「君の事を知りたい。」
「随分と熱烈な言葉だね。」
「いや、そうではなくて、私は『叡智』とは何であるかを確かめねばならない。」
「それは何故?」
「私がこの国の王になるからだよ。」

エメローダは「ふうん」と言ってお茶をひと口含んでから「不味まず」と呟いた。やっぱり粗茶は不味かったらしい。

エメローダがディアマンテを見つめた。翠色の瞳が放つ視線に頬がピリピリする様だった。

「ひと目会ったその日から」
「え?」
「私を信じる事もある。」
「は?」
「そう云うことかな?」
「……ちょっと違うが、概ねそう思ってもらって構わない。」
「いいよ。君が私を信じるなら、私も君を信じるよ。」

相変わらず尊大な物言いのエメローダは、ソファーに背を預けて鷹揚に言った。傍から見たらディアマンテの方が臣下に見えるだろう。

「教えてあげる。私の知識のほんのひとつまみを。」
「ほんのひとつまみ?随分ケチな『叡智』だな。」
「君より相応しい器が他にあるからね。」
「どう言う意味だ。」

「君は王の器だよ。立派な王様になり給え、きっと良い王様になるだろう。私が知識を授けるのに君よりも相応しい器がある。王の器と知識を授かる器が毎回同じ訳じゃない。けれども、私は君が言うほどケチではない。折角君とは友人になったのだから、そのよしみで知識をほんのひとつまみ教えよう。そう言ってるのさ、解るかい?」

エメローダはそこで、片方の口角だけを上げて笑って見せた。


「何を知りたい?何を得たい?」

エメローダの問い掛けに、ディアマンテは真剣に考えた。
ディアマンテは本来、用心深い質である。王家に一人だけ残された直系男子。自身の身分も価値も幼い頃から解りすぎるほど教え込まれて理解している。
なのに、会ったばかりの怪しさしか感じられないエメローダを、信じない理由が見つからなかった。

「君は何が出来るんだ?」
「質問したのは私の方だよ、王子様。」
「私は君の事を何も知らない。君が私に何を提示出来るのかを知りたい。」

エメローダはそこで笑みを深めた。翠の瞳がきょろりと動く。

「願いを叶えてあげる。王子様が一番願う事。」

ディアマンテの願い。
母が快癒してほしい。
国が安寧であってほしい。
民が飢える事なくいてほしい。
先祖が築き上げた王国を、豊かに富ませて次代に繋げたい。

そうあってほしい事柄は幾つもあった。だが、ディアマンテにこの時思い浮かんだのは、たったひとつの事だった。
サフィニアが幸せである様に。
彼女が望む人生を得られる様に。

まつりごとを正しく治めるのに、魔法も魔術も必要ないと思った。母はディアマンテに一言も『叡智』についてを語らなかった。それは母が『叡智』を知らないからではなくて、自身の力で真摯に政と向き合うことを良しとしたからだろう。

母の命が与えられた天命の通りなら、そこにディアマンテは介入出来ない。国を富ませようとするなら、それを成すのはディアマンテの務めだ。

だが、サフィニアは犠牲でしかない。自らにえとなって王となるディアマンテと向き合ってくれている。彼女こそ、幸せになるべきだ。
そうでなければ、亡くなった皇子の魂は報われない。

「私は間もなく妃を得る。彼女が望む人生を生きることを願う。」

サフィニアを手放したとして、次に新たな妃が据えられるだけであり、次の妃にしてもサフィニアといくらも変わらない立場に置かれるのは直ぐに解ることであったのに、ディアマンテにはサフィニアの事しか頭に無かった。
その意味が何であるかを、それまで恋を知らずにいた王子は解らずにいた。

何故、年上の「悲劇の令嬢」が頭から離れないのか。それをサフィニアへ抱く哀れみと、責務ばかりを負わせる事への後ろめたさなのだと思い込もうとしていた。

英明な王子が聡明快活な妃に心を揺さぶられ、手放し難く思い悩むのはもう少し後の事である。



「王子様の願い、請け負うよ。そうだな、じゃあ王子様には材料集めを頼もうかな。」

「材料集め?」

「秘薬造りには材料が必要だろう。」

「秘薬だと?」

「君の願いを叶える秘薬をこしらえる、その為の材料集めは君の仕事だ。それを仕込むのは君じゃない。」

「仕込む者が別にいるのか?それは誰なんだ?」

「それぞれ器があるからね。誰であるのかそのうち教えてあげる。」

胡散臭い『叡智』の言葉を、ディアマンテは受け入れた。





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