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「お前がこれほど愚かで恥知らずな人間だと思わなかったわ。一体何を考えいるの!」
母の叱責を受けながら、ディアマンテは昨夜のサフィニアを思い出していた。
サフィニアとの婚姻の儀が執り行われた夜だった。その初夜に、ディアマンテはサフィニアを夫妻の寝室に置き去りにして部屋を出た。初夜に妃に触れもぜず、自室の寝台で一人寝をした。
ディアマンテが一人寝をしたのだから、当然サフィニアだって一人寝だ。どれほど彼女を傷付けたことだろう。
大きく目を見開いて驚いた顔。ぽかんとした表情が思い出されて胸が痛んだ。痛んだのだが、ぽかんとしたその顔にあどけなさが残って見えて、胸の奥に何とも形容し難い痺れを覚えた。
コッコッコッと聞き慣れない音がして、その音が動いていると気付いた時には音は足元から聞こえていた。
「「コッコッ」」
足元に鶏が二羽いた。二羽の鶏がディアマンテを見上げてコッと鳴いた。
その日、ディアマンテは執務の合間を抜け出してエメローダの小屋に来ていた。
小用と思っているだろう侍従のクォーツが探す前に戻らなければならない。
「紹介しよう。私の友人夫妻だよ。」
「友人夫妻?」
「ああ。こっちがソール、そちらがルーナ。よろしくね。」
エメローダが指差した鶏は、金眼がソール、銀眼がルーナであるらしい。不思議な眼の色の鶏達はどうやら番のようで、不思議な色合いの瞳でディアマンテを見上げていた。
「……宜しく願う、ソール、ルーナ。」
挨拶をしたところで所詮鶏、解る筈が無いと思った。だがしかし、鶏達は案外賢いらしく、ディアマンテの言葉にうんと頷いた。
「は?」今、頷いた?
ディアマンテを鶏達は尚も見つめている。これ以上見つめ合っていたなら話し掛けられてしまいそうで、ディアマンテはそっと目を逸らした。
「王子様、こっちこっち。」
呼ばれるままエメローダの後を追う。二羽の鶏達がそのまた後を追って来る。
小さな庭の隅に古びた井戸が見えて、エメローダは「水を汲んでくれるかな」とディアマンテを振り返った。
言われるままにディアマンテは釣瓶を落として水を汲んだ。水を湛えた桶を地べたに下ろすと、トコトコ鶏が前に出た。それは銀眼のルーナであるらしく、鶏冠から彼女が鶏夫妻の妻だと思った。
「あっ」
行き成りの事にディアマンテは小さく叫んだ。
「今、卵を産んだぞ、」
「当たり前だろう?鶏だもの。」
確かに。だがその卵、金色に見えないか。
訝しむディアマンテを気にすること無く、エメローダはハンカチを取り出して産みたての金色卵を恭しく包みこんだ。それから、産みたてほやほやのまだ温かそうな卵をぽちゃんと桶の中に沈めた。
「何をしているんだ?」
「古の井戸に湧く井戸水に黄金卵を漬けている。後はお日様の光をたっぷり浴びせる。」
「何の話しだ?」
「ん?アイテム造りだよ。」
「アイテム?」
「そう。金眼のソールと銀眼のルーナの愛の結晶。黄金卵のお日様漬けだよ。」
なんだそれは。
問い質そうとして、ディアマンテは口を噤んだ。向こうに近衛騎士の姿が見えた。午後の巡回をしているのだろう。
「大丈夫だよ。」
「何が?」
「見えていない。」
「幻覚キノコだよ。特別なキノコでね、そいつで作った薬の効果だ。王子様、常識に囚われてはいけないよ。今日の常識は明日の非常識。無知とは時に罪となる。特に君の様な立場なら。」
「それは何かのまやかしか?真逆、妖術だなんて言わないだろう?」
「妖術だって?そうだな、確かにそう思う者がいても可怪しくない。だが残念ながら妖術じゃない。歴とした薬学だよ。端的に言うなら、心が信じるものしか見えなくさせる幻覚剤だ。目には確かに映るのに、見たいものしか感知しない。それって究極の無関心だよね。頑なな心に作用する幻覚剤、幻覚キノコの効力とはそういうものだよ。」
戸惑うディアマンテを置いてけぼりにして、エメローダは尚も語る。
「ここには幻覚キノコから搾り取ったエキスを振り撒いているんだ。だから、見たいものしか見えない。ここには、「来たい」と願う者しか訪れる事が出来ないんだよ。僅かでも疑うなら、ここには足を踏み入れられない。則ち、私に会うことも当然出来ない。」
エメローダは翠色の瞳を細めてディアマンテを見る。
「おめでとう、王の器。君のことを私は認めているんだ。君を王の器と認めて迎え入れた。この国を治めるんだろう?お妃様と一緒に。」
サフィニアと一緒にこの国を治めて行く。
それはとても明るい未来に思えた。婚礼式を翌月に控えながら、いつかはサフィニアを解放しなければと思う矛盾。
サフィニアは王太子妃の教育を受けるために登城しており、その合間にディアマンテはサフィニアとの短い会合を重ねていた。
サフィニアは、乾いた土に沁み込む雨露の様に、静かに温かくディアマンテに恵みの雨を齎す慈雨の様な女性だった。
「さて王子様。」
エメローダに声を掛けられ、ディアマンテはサフィニアの回想から現実に引き戻された。
「王子様には約束通り材料集めをしてもらうよ。」
その言葉通りに、この後、ディアマンテは度々執務室を抜け出して、エメローダの材料集めに付き合わされる事となる。そんな事が重なる内に、いつの間にやらディアマンテには隠した恋人がいると城内で実しやかに囁かれれる様になる。それを危惧した侍従や宰相に、真相についてを確かめられた。
だが、ディアマンテには真実を明かす事は出来ない。
エメローダが本当に『叡智』なのだとしたなら、彼女は王家が秘する存在である。叡智との会合を漏らす事は王家の秘密を白日の元に晒す事となる。
覚悟はしていても、噂がサフィニアにも届いているだろうというのは、思った以上に心を重くさせた。彼女に不義や不貞を疑われるのは、どうにも遣る瀬ない気持ちにさせられた。
ディアマンテはとって、全ては『叡智』の存在を秘する為で、全てはサフィニアの自由を叶える為の行動であった。
それが上手く回っていないのは、何より自分自身がその事に抵抗していたからだろう。
そんな気持ちに蓋をして、ディアマンテはサフィニアを妃に迎え入れた。そうしてあの初夜に、サフィニアを独り寝室に残して、焦れる胸の痛みと身体の熱を持て余しながら眠れぬ夜を過ごしたのだった。
母の叱責を受けながら、ディアマンテは昨夜のサフィニアを思い出していた。
サフィニアとの婚姻の儀が執り行われた夜だった。その初夜に、ディアマンテはサフィニアを夫妻の寝室に置き去りにして部屋を出た。初夜に妃に触れもぜず、自室の寝台で一人寝をした。
ディアマンテが一人寝をしたのだから、当然サフィニアだって一人寝だ。どれほど彼女を傷付けたことだろう。
大きく目を見開いて驚いた顔。ぽかんとした表情が思い出されて胸が痛んだ。痛んだのだが、ぽかんとしたその顔にあどけなさが残って見えて、胸の奥に何とも形容し難い痺れを覚えた。
コッコッコッと聞き慣れない音がして、その音が動いていると気付いた時には音は足元から聞こえていた。
「「コッコッ」」
足元に鶏が二羽いた。二羽の鶏がディアマンテを見上げてコッと鳴いた。
その日、ディアマンテは執務の合間を抜け出してエメローダの小屋に来ていた。
小用と思っているだろう侍従のクォーツが探す前に戻らなければならない。
「紹介しよう。私の友人夫妻だよ。」
「友人夫妻?」
「ああ。こっちがソール、そちらがルーナ。よろしくね。」
エメローダが指差した鶏は、金眼がソール、銀眼がルーナであるらしい。不思議な眼の色の鶏達はどうやら番のようで、不思議な色合いの瞳でディアマンテを見上げていた。
「……宜しく願う、ソール、ルーナ。」
挨拶をしたところで所詮鶏、解る筈が無いと思った。だがしかし、鶏達は案外賢いらしく、ディアマンテの言葉にうんと頷いた。
「は?」今、頷いた?
ディアマンテを鶏達は尚も見つめている。これ以上見つめ合っていたなら話し掛けられてしまいそうで、ディアマンテはそっと目を逸らした。
「王子様、こっちこっち。」
呼ばれるままエメローダの後を追う。二羽の鶏達がそのまた後を追って来る。
小さな庭の隅に古びた井戸が見えて、エメローダは「水を汲んでくれるかな」とディアマンテを振り返った。
言われるままにディアマンテは釣瓶を落として水を汲んだ。水を湛えた桶を地べたに下ろすと、トコトコ鶏が前に出た。それは銀眼のルーナであるらしく、鶏冠から彼女が鶏夫妻の妻だと思った。
「あっ」
行き成りの事にディアマンテは小さく叫んだ。
「今、卵を産んだぞ、」
「当たり前だろう?鶏だもの。」
確かに。だがその卵、金色に見えないか。
訝しむディアマンテを気にすること無く、エメローダはハンカチを取り出して産みたての金色卵を恭しく包みこんだ。それから、産みたてほやほやのまだ温かそうな卵をぽちゃんと桶の中に沈めた。
「何をしているんだ?」
「古の井戸に湧く井戸水に黄金卵を漬けている。後はお日様の光をたっぷり浴びせる。」
「何の話しだ?」
「ん?アイテム造りだよ。」
「アイテム?」
「そう。金眼のソールと銀眼のルーナの愛の結晶。黄金卵のお日様漬けだよ。」
なんだそれは。
問い質そうとして、ディアマンテは口を噤んだ。向こうに近衛騎士の姿が見えた。午後の巡回をしているのだろう。
「大丈夫だよ。」
「何が?」
「見えていない。」
「幻覚キノコだよ。特別なキノコでね、そいつで作った薬の効果だ。王子様、常識に囚われてはいけないよ。今日の常識は明日の非常識。無知とは時に罪となる。特に君の様な立場なら。」
「それは何かのまやかしか?真逆、妖術だなんて言わないだろう?」
「妖術だって?そうだな、確かにそう思う者がいても可怪しくない。だが残念ながら妖術じゃない。歴とした薬学だよ。端的に言うなら、心が信じるものしか見えなくさせる幻覚剤だ。目には確かに映るのに、見たいものしか感知しない。それって究極の無関心だよね。頑なな心に作用する幻覚剤、幻覚キノコの効力とはそういうものだよ。」
戸惑うディアマンテを置いてけぼりにして、エメローダは尚も語る。
「ここには幻覚キノコから搾り取ったエキスを振り撒いているんだ。だから、見たいものしか見えない。ここには、「来たい」と願う者しか訪れる事が出来ないんだよ。僅かでも疑うなら、ここには足を踏み入れられない。則ち、私に会うことも当然出来ない。」
エメローダは翠色の瞳を細めてディアマンテを見る。
「おめでとう、王の器。君のことを私は認めているんだ。君を王の器と認めて迎え入れた。この国を治めるんだろう?お妃様と一緒に。」
サフィニアと一緒にこの国を治めて行く。
それはとても明るい未来に思えた。婚礼式を翌月に控えながら、いつかはサフィニアを解放しなければと思う矛盾。
サフィニアは王太子妃の教育を受けるために登城しており、その合間にディアマンテはサフィニアとの短い会合を重ねていた。
サフィニアは、乾いた土に沁み込む雨露の様に、静かに温かくディアマンテに恵みの雨を齎す慈雨の様な女性だった。
「さて王子様。」
エメローダに声を掛けられ、ディアマンテはサフィニアの回想から現実に引き戻された。
「王子様には約束通り材料集めをしてもらうよ。」
その言葉通りに、この後、ディアマンテは度々執務室を抜け出して、エメローダの材料集めに付き合わされる事となる。そんな事が重なる内に、いつの間にやらディアマンテには隠した恋人がいると城内で実しやかに囁かれれる様になる。それを危惧した侍従や宰相に、真相についてを確かめられた。
だが、ディアマンテには真実を明かす事は出来ない。
エメローダが本当に『叡智』なのだとしたなら、彼女は王家が秘する存在である。叡智との会合を漏らす事は王家の秘密を白日の元に晒す事となる。
覚悟はしていても、噂がサフィニアにも届いているだろうというのは、思った以上に心を重くさせた。彼女に不義や不貞を疑われるのは、どうにも遣る瀬ない気持ちにさせられた。
ディアマンテはとって、全ては『叡智』の存在を秘する為で、全てはサフィニアの自由を叶える為の行動であった。
それが上手く回っていないのは、何より自分自身がその事に抵抗していたからだろう。
そんな気持ちに蓋をして、ディアマンテはサフィニアを妃に迎え入れた。そうしてあの初夜に、サフィニアを独り寝室に残して、焦れる胸の痛みと身体の熱を持て余しながら眠れぬ夜を過ごしたのだった。
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