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第五章
ルイーズは、先にダフネの身支度を終えることにしたらしい。続きを言う前にダフネの髪を結っている。
彼女は手際もよければ、手先も器用だった。
銀色の髪は、あっという間に美しく編み込みをされて、後頭部に髪飾りが挿し込まれた。
背中に垂れる髪はここに来てから艶を増した。
その髪を、ルイーズは美しいと言ってくれる。それは以前、ユージェニーも言ったことだった。
「ルイーズ。伝えたいこととは何かしら?」
こちらから切り出せば、ルイーズは仕上げというように、頬に頬紅をブラシで乗せながら、鏡の中からこちらを見た。その視線に頷けば、彼女はダフネを見つめたまま口を開いた。
「マクベス殿下のお顔を拝見できるのは、ダフネ様とサミュエル様、そして側付きの侍女が一人だけです」
「それは、どういうこと?」
彼は今も公務で出かけているのだから、当然ながら人々の前に姿を現している。その彼をどうして目にすることが限られるというのか。
「素顔を、と申しましょうか」
「素顔?」
ルイーズはそこで、こくんと頷いた。鏡に映る彼女と視線を合わせたまま、ダフネは次の言葉を待った。
「マクベス様は、額を目元からお隠しでいらっしゃいます」
「……」
ダフネは十一歳まで王都にいたから、当然ながらマクベスとユージンという二人の王子は知っている。公爵家の令嬢として、高位貴族の子女を招いた王家の茶会にも参加したこともある。
ただ、王子たちの為人は知らずにいたのである。
一度だけ、幼い頃にマクベスと対面したことがあった。だがそれは、一定の距離を保たれて、到底、お近づきというようなものではなかった。
遠目にわかったのは、肩より長い銀色の髪と前髪からちらりと覗いた青い瞳、それから美しい立ち姿だった。
容姿というより、高貴な雰囲気だけを認識できる、そんな有り様だったから、マクベスに関する記憶はとても曖昧なものだった。
先日、謁見したユージンにマクベスの面影を探したが、元より彼の面立ちを憶えてはいなかったのである。
「お小さい頃に、殿下とお会いしたことがあったのだけれど、お顔を覆うものなんてなかったわ」
前髪は長かったが、額や目元を覆うものなど見えなかった。そう言うと、ルイーズは「いつ頃のご記憶でしょうか」と尋ねてきた。
「あれは……」
遠い記憶を辿ってみれば、母がまだ元気だった頃だと思い出す。
「あれは九歳、多分、十歳になるかどうかという頃だったわ」
そう答えると、ルイーズは視線を逸らして目を伏せた。それから慎重に言葉を選ぶようにして言った。
「マクベス殿下は十歳の頃、暴漢に襲われておいでです」
「え!暴漢!?」
「はい。その折に、額に傷を負われております」
「まさか、お怪我をなさったというの!?」
そんなことは聞いたことがなかった。寄宿学校でも、噂にも聞いたことがない。父はそのことを知っていたのだろうか。
「公には、痘瘡による痘痕が残ったことにされております」
「痘瘡ですって?」
それもまた、ダフネの知らないことだった。暴漢に襲われた事実を隠すために、病により痕が残ったことにしたという。
どちらにしても、マクベスの額には痛々しい傷痕があるのだろう。
「はい。恐ろしい流行り病にお命を奪われることのなかった殿下を、『幸福の王子』とお呼びになる方もおられます」
痘瘡は致死率の高い感染症である。幼い子の命を容易く奪う病の筆頭だろう。そんな病に罹患して生き残ったなら、確かに幸運が味方したと言える。
「暴漢とは、どんな?」
第一王子が襲撃の後に負傷するなど、確かに公にはできないことだと理解できた。そうであれば、誰がマクベスを襲ったのか。
ルイーズは、そこで口ごもった。それだけで察しがついたダフネは確かめた。
「後継争いということかしら」
前妃の産んだマクベスと、現王妃が産んだユージン。当時のマクベスが十歳なら、八歳違いのユージンはまだ二歳だった。
二歳になったばかりの異母弟との後継争い。それは、額ばかりか彼の心にいかほどの疵を残したことだろう。
「襲撃とは、一体どんな?殿下をお護りする警備が手薄だったということ?そんな体たらくがあったと言うの?」
つい、責めるような口調になってしまった。とうに過去となったことであるのに、幼い王子へ向けられた暴挙に、ダフネは怒りを覚えてしまった。
ルイーズはそんなダフネの感情を、何も言わず受け止めてくれた。
「側付きの侍女が、暖炉の火掻き棒で殿下を殴打しようと」「なんですって!」
ダフネは思わず立ち上がりそうになった。なんてこと。火掻き棒!?そんなもので身内に襲われるだなんて堪らない。
ダフネにしても、ルイーズを信じるからこそ、背後に彼女を立たせることができている。
「なんてことなの……お可哀想に」
どれほどの恐怖と痛みであったか。信頼する側付きに襲われた心の疵とは。そう思ったところで、ルイーズが続けた。
「火掻き棒は、もう一人の侍女が殿下に覆い被さり阻止いたしました」
「阻止?覆い被さり?それって、まさか」
「はい。右肩で受け止めたのですが、振り下ろす勢いがあまりに強く、受け止めきれなかったのです」
振り下ろされた火掻き棒は、侍女の肩を焼きながら打ち据えて、それでもなお勢いを失わずにマクベスの額に疵を残したのだという。
「火掻き棒を受け止めたのが、私の母でした」
唖然となってしまって、ダフネはもう声が出なかった。
「殿下は今も、侍女は母一人とお決めです。そしてその娘である私をお信じくださって、ダフネ様のお側付きになさいました」
なんてことを聞いてしまったのか。
あのはんなりとした王妃はその騒動に加担していたのだろうか。ユージン殿下はそのことを、果たして知っているのか。
何より、暴徒から身を挺して王子を守った侍女とは。
「お母様の疵は?さぞお辛かったことでしょう」
「はい。随分と苦しみましたが、母の苦悩は殿下を危機に近づけた自分への悔恨でしたでしょう」
その言葉があまりに重くて、ダフネは俯いてしまった。
「ですから母は、決して殿下を裏切ることはございません。何があっても、命に代えても、殿下をお守りするでしょう」
まだ会えずにいる婚約者は、幼い頃からとんでもない暗闇に囲まれているようだった。
彼女は手際もよければ、手先も器用だった。
銀色の髪は、あっという間に美しく編み込みをされて、後頭部に髪飾りが挿し込まれた。
背中に垂れる髪はここに来てから艶を増した。
その髪を、ルイーズは美しいと言ってくれる。それは以前、ユージェニーも言ったことだった。
「ルイーズ。伝えたいこととは何かしら?」
こちらから切り出せば、ルイーズは仕上げというように、頬に頬紅をブラシで乗せながら、鏡の中からこちらを見た。その視線に頷けば、彼女はダフネを見つめたまま口を開いた。
「マクベス殿下のお顔を拝見できるのは、ダフネ様とサミュエル様、そして側付きの侍女が一人だけです」
「それは、どういうこと?」
彼は今も公務で出かけているのだから、当然ながら人々の前に姿を現している。その彼をどうして目にすることが限られるというのか。
「素顔を、と申しましょうか」
「素顔?」
ルイーズはそこで、こくんと頷いた。鏡に映る彼女と視線を合わせたまま、ダフネは次の言葉を待った。
「マクベス様は、額を目元からお隠しでいらっしゃいます」
「……」
ダフネは十一歳まで王都にいたから、当然ながらマクベスとユージンという二人の王子は知っている。公爵家の令嬢として、高位貴族の子女を招いた王家の茶会にも参加したこともある。
ただ、王子たちの為人は知らずにいたのである。
一度だけ、幼い頃にマクベスと対面したことがあった。だがそれは、一定の距離を保たれて、到底、お近づきというようなものではなかった。
遠目にわかったのは、肩より長い銀色の髪と前髪からちらりと覗いた青い瞳、それから美しい立ち姿だった。
容姿というより、高貴な雰囲気だけを認識できる、そんな有り様だったから、マクベスに関する記憶はとても曖昧なものだった。
先日、謁見したユージンにマクベスの面影を探したが、元より彼の面立ちを憶えてはいなかったのである。
「お小さい頃に、殿下とお会いしたことがあったのだけれど、お顔を覆うものなんてなかったわ」
前髪は長かったが、額や目元を覆うものなど見えなかった。そう言うと、ルイーズは「いつ頃のご記憶でしょうか」と尋ねてきた。
「あれは……」
遠い記憶を辿ってみれば、母がまだ元気だった頃だと思い出す。
「あれは九歳、多分、十歳になるかどうかという頃だったわ」
そう答えると、ルイーズは視線を逸らして目を伏せた。それから慎重に言葉を選ぶようにして言った。
「マクベス殿下は十歳の頃、暴漢に襲われておいでです」
「え!暴漢!?」
「はい。その折に、額に傷を負われております」
「まさか、お怪我をなさったというの!?」
そんなことは聞いたことがなかった。寄宿学校でも、噂にも聞いたことがない。父はそのことを知っていたのだろうか。
「公には、痘瘡による痘痕が残ったことにされております」
「痘瘡ですって?」
それもまた、ダフネの知らないことだった。暴漢に襲われた事実を隠すために、病により痕が残ったことにしたという。
どちらにしても、マクベスの額には痛々しい傷痕があるのだろう。
「はい。恐ろしい流行り病にお命を奪われることのなかった殿下を、『幸福の王子』とお呼びになる方もおられます」
痘瘡は致死率の高い感染症である。幼い子の命を容易く奪う病の筆頭だろう。そんな病に罹患して生き残ったなら、確かに幸運が味方したと言える。
「暴漢とは、どんな?」
第一王子が襲撃の後に負傷するなど、確かに公にはできないことだと理解できた。そうであれば、誰がマクベスを襲ったのか。
ルイーズは、そこで口ごもった。それだけで察しがついたダフネは確かめた。
「後継争いということかしら」
前妃の産んだマクベスと、現王妃が産んだユージン。当時のマクベスが十歳なら、八歳違いのユージンはまだ二歳だった。
二歳になったばかりの異母弟との後継争い。それは、額ばかりか彼の心にいかほどの疵を残したことだろう。
「襲撃とは、一体どんな?殿下をお護りする警備が手薄だったということ?そんな体たらくがあったと言うの?」
つい、責めるような口調になってしまった。とうに過去となったことであるのに、幼い王子へ向けられた暴挙に、ダフネは怒りを覚えてしまった。
ルイーズはそんなダフネの感情を、何も言わず受け止めてくれた。
「側付きの侍女が、暖炉の火掻き棒で殿下を殴打しようと」「なんですって!」
ダフネは思わず立ち上がりそうになった。なんてこと。火掻き棒!?そんなもので身内に襲われるだなんて堪らない。
ダフネにしても、ルイーズを信じるからこそ、背後に彼女を立たせることができている。
「なんてことなの……お可哀想に」
どれほどの恐怖と痛みであったか。信頼する側付きに襲われた心の疵とは。そう思ったところで、ルイーズが続けた。
「火掻き棒は、もう一人の侍女が殿下に覆い被さり阻止いたしました」
「阻止?覆い被さり?それって、まさか」
「はい。右肩で受け止めたのですが、振り下ろす勢いがあまりに強く、受け止めきれなかったのです」
振り下ろされた火掻き棒は、侍女の肩を焼きながら打ち据えて、それでもなお勢いを失わずにマクベスの額に疵を残したのだという。
「火掻き棒を受け止めたのが、私の母でした」
唖然となってしまって、ダフネはもう声が出なかった。
「殿下は今も、侍女は母一人とお決めです。そしてその娘である私をお信じくださって、ダフネ様のお側付きになさいました」
なんてことを聞いてしまったのか。
あのはんなりとした王妃はその騒動に加担していたのだろうか。ユージン殿下はそのことを、果たして知っているのか。
何より、暴徒から身を挺して王子を守った侍女とは。
「お母様の疵は?さぞお辛かったことでしょう」
「はい。随分と苦しみましたが、母の苦悩は殿下を危機に近づけた自分への悔恨でしたでしょう」
その言葉があまりに重くて、ダフネは俯いてしまった。
「ですから母は、決して殿下を裏切ることはございません。何があっても、命に代えても、殿下をお守りするでしょう」
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