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第十二章
「ねえ、お前」
行き成り背中に声をかけられた。
少年とも少女とも聞こえる高音は、どこか懐かしい声をしていた。
立ち上がって振り返ると同時に、腰を折って頭を垂れた。意外な来訪者に、どう挨拶しようかと思ったときに、再び声をかけられた。
「ここに令嬢がいるでしょう?」
面を上げることを許されてはいないから、顔を伏せたまま答えることにした。
「はい、おいでです」
腰を折った姿勢から、彼の靴のつま先が見えていた。光るほど磨かれた靴先に、わずかに土が付いてしまっている。
内緒でここに来たのだとしたら、あの土を払ってやらねばならないだろう。
「ふうん。どんなひと?僕は一度、会ったんだけれど」
尋ねられはしたものの、相変わらず面を上げることを許されていなかった。それは彼が、使用人に気を回わさずにいることに慣れているからだろう。
平素ならこんな場面では側付きが進言するのだろうが、どうやらこっそりここへ来て側付きを置いてきたらしい。
だが、こちらにしてもそのほうが都合がよく、低頭のまま答えることにした。
「どこにでもいらっしゃる、普通のご令嬢でいらっしゃいます」
「普通なの?兄上の婚約者が?」
第二王子ユージンは、そう言ってまた半歩ほどこちらへ近寄った。
彼は王族の住まう東棟から王妃が管轄するプライベートガーデンを通り抜けて、ここまでやってきたのだろう。
一度だけ会ったことのある兄の婚約者のことを知りたくて、側付きの目を掻い潜ってきた。
思うに、ダフネのことを誰に尋ねても、詳細を教えてもらえなかったのではないか。
まるで匿うように、曰くのある後宮にダフネを住まわせているマクベスが、婚約者についての情報を外に漏らすことはないと思えた。
「どこにいるの?ここなら会えると思ったんだけれど」
彼が通り抜けてきた小径は、かつて愛妃の元へ王が通った道だった。奇しくも同じ道を辿って王子がここへ来てしまった。
「ダフネ様は……」
どう答えようかと思ったときに、
「ユージン殿下!」
その声にユージンが振り返った隙にちらりと視線を上げれば、あたふたと侍女が駆けてくる姿が見えた。走り慣れないのだろう、すっかり息が上がってゼイゼイ言っている。
「お戻りください、こんなところへいらしてはなりませんっ」
「母上は父上のところにいるんでしょう?」
ユージンは、どうやら王妃の不在をついて、抜け出してきたようだ。
「お戻りください、護衛騎士が罰せられてもよろしいのですか?」
王子から目を離しては、護衛ばかりかこの侍女も咎められてしまうだろう。
だんだん話が大きくなって、ここで騒ぎになるのは勘弁してほしいと思った。
「ごめんなさい」
意外にも、ユージンはするりと謝った。侍女に謝罪できる彼は、素直な気質をしているのだろう。
「残念だな。ちょっとだけ会ってみたかったのに。少しだけなんだ、呼んでもらっては駄目かな?」
「なりません」
「義姉上になるんだよ?」
その問いかけに、侍女は何も答えなかった。慌ただしくユージンの手を取ると、こちらに声をかけることなく足早に小径を戻っていく。そのままプライベートガーデンを散歩していたことにするのだろう。
ユージンもまた、そんな侍女に連れられてもと来た道を帰っていった。
始終、腰を折った姿勢でいたが、二人の足音が遠退いたところで、ようやく顔を上げた。
「ユージン殿下は、お気づきにはなられませんでしたね」
そう言ったのは、一緒に頭を下げていたアーヴィンだった。
二人はこの日、毒草園(ダフネ命名)の手入れをしていた。
寄宿学校では畑仕事もしていたし、その中には薬草園も含まれた。だからダフネは、ここに植えられている植物の扱いにも慣れている。
鈍りきった身体を動かしたくて、花の手入れをしたいとマクベスに聞いてみれば、護衛と一緒であれば好きにしてよいと言ってくれた。
それで早速、アーヴィンを連れて庭仕事を始めたところでユージンと出くわしたのだった。
汚れてもよいように木綿の服を着て、頭から頭巾を被っていたために、顔も銀色の髪も隠れていた。
まさか王太子の婚約者がこんな姿で庭いじりをしているとは、王子も侍女も思わなかったのだろう。
二人は最後まで、庭仕事をする使用人たちと思い込んでいたようだ。
「マクベス殿下には、私からお伝えいたします」
彼はサミュエルとも連携を取っているので、ダフネについてのことは、細かなことも報告しているようだった。
マクベスには、幼い弟を叱らないでほしい。
ユージンは、顎のラインで切り揃えた銀色の髪を風に靡かせていた。そんな彼のあどけない表情は、ダフネが寄宿学校に入った頃を思い出させた。そこで出会った親友も、あんな姿をしていた。
ユージンは好奇心が旺盛なのだろう。何より兄のマクベスを慕って、その婚約者に興味を抱いたのだろう。
彼はきっと、兄が幼い頃に刺客に襲われたことを知らずにいる。その原因が自分との後継争いにあることも、母である王妃が関係しているだろうことも知らないままだと思われた。
無垢に見えた王子の未来は、果たしてどうなってゆくのだろう。マクベスが弟王子のことをどう考えているのかは、ダフネは聞いてはいなかった。
自分の未来についてもわかりかねているダフネである。この王城のことも、王族のことも、そればかりか生家の家族のことも理解が及ばない。
このままにしていてよいとは思えなかった。王太子妃となるのであれば、無知なままでは済まないだろう。
幸い、マクベスはダフネの言葉を無下にはしない。
小径の向こうに小さくなっていくユージンの後ろ姿を見つめながら、ダフネはまったく予想のつかないこれからについて、どうしたものかと考えあぐねていた。
行き成り背中に声をかけられた。
少年とも少女とも聞こえる高音は、どこか懐かしい声をしていた。
立ち上がって振り返ると同時に、腰を折って頭を垂れた。意外な来訪者に、どう挨拶しようかと思ったときに、再び声をかけられた。
「ここに令嬢がいるでしょう?」
面を上げることを許されてはいないから、顔を伏せたまま答えることにした。
「はい、おいでです」
腰を折った姿勢から、彼の靴のつま先が見えていた。光るほど磨かれた靴先に、わずかに土が付いてしまっている。
内緒でここに来たのだとしたら、あの土を払ってやらねばならないだろう。
「ふうん。どんなひと?僕は一度、会ったんだけれど」
尋ねられはしたものの、相変わらず面を上げることを許されていなかった。それは彼が、使用人に気を回わさずにいることに慣れているからだろう。
平素ならこんな場面では側付きが進言するのだろうが、どうやらこっそりここへ来て側付きを置いてきたらしい。
だが、こちらにしてもそのほうが都合がよく、低頭のまま答えることにした。
「どこにでもいらっしゃる、普通のご令嬢でいらっしゃいます」
「普通なの?兄上の婚約者が?」
第二王子ユージンは、そう言ってまた半歩ほどこちらへ近寄った。
彼は王族の住まう東棟から王妃が管轄するプライベートガーデンを通り抜けて、ここまでやってきたのだろう。
一度だけ会ったことのある兄の婚約者のことを知りたくて、側付きの目を掻い潜ってきた。
思うに、ダフネのことを誰に尋ねても、詳細を教えてもらえなかったのではないか。
まるで匿うように、曰くのある後宮にダフネを住まわせているマクベスが、婚約者についての情報を外に漏らすことはないと思えた。
「どこにいるの?ここなら会えると思ったんだけれど」
彼が通り抜けてきた小径は、かつて愛妃の元へ王が通った道だった。奇しくも同じ道を辿って王子がここへ来てしまった。
「ダフネ様は……」
どう答えようかと思ったときに、
「ユージン殿下!」
その声にユージンが振り返った隙にちらりと視線を上げれば、あたふたと侍女が駆けてくる姿が見えた。走り慣れないのだろう、すっかり息が上がってゼイゼイ言っている。
「お戻りください、こんなところへいらしてはなりませんっ」
「母上は父上のところにいるんでしょう?」
ユージンは、どうやら王妃の不在をついて、抜け出してきたようだ。
「お戻りください、護衛騎士が罰せられてもよろしいのですか?」
王子から目を離しては、護衛ばかりかこの侍女も咎められてしまうだろう。
だんだん話が大きくなって、ここで騒ぎになるのは勘弁してほしいと思った。
「ごめんなさい」
意外にも、ユージンはするりと謝った。侍女に謝罪できる彼は、素直な気質をしているのだろう。
「残念だな。ちょっとだけ会ってみたかったのに。少しだけなんだ、呼んでもらっては駄目かな?」
「なりません」
「義姉上になるんだよ?」
その問いかけに、侍女は何も答えなかった。慌ただしくユージンの手を取ると、こちらに声をかけることなく足早に小径を戻っていく。そのままプライベートガーデンを散歩していたことにするのだろう。
ユージンもまた、そんな侍女に連れられてもと来た道を帰っていった。
始終、腰を折った姿勢でいたが、二人の足音が遠退いたところで、ようやく顔を上げた。
「ユージン殿下は、お気づきにはなられませんでしたね」
そう言ったのは、一緒に頭を下げていたアーヴィンだった。
二人はこの日、毒草園(ダフネ命名)の手入れをしていた。
寄宿学校では畑仕事もしていたし、その中には薬草園も含まれた。だからダフネは、ここに植えられている植物の扱いにも慣れている。
鈍りきった身体を動かしたくて、花の手入れをしたいとマクベスに聞いてみれば、護衛と一緒であれば好きにしてよいと言ってくれた。
それで早速、アーヴィンを連れて庭仕事を始めたところでユージンと出くわしたのだった。
汚れてもよいように木綿の服を着て、頭から頭巾を被っていたために、顔も銀色の髪も隠れていた。
まさか王太子の婚約者がこんな姿で庭いじりをしているとは、王子も侍女も思わなかったのだろう。
二人は最後まで、庭仕事をする使用人たちと思い込んでいたようだ。
「マクベス殿下には、私からお伝えいたします」
彼はサミュエルとも連携を取っているので、ダフネについてのことは、細かなことも報告しているようだった。
マクベスには、幼い弟を叱らないでほしい。
ユージンは、顎のラインで切り揃えた銀色の髪を風に靡かせていた。そんな彼のあどけない表情は、ダフネが寄宿学校に入った頃を思い出させた。そこで出会った親友も、あんな姿をしていた。
ユージンは好奇心が旺盛なのだろう。何より兄のマクベスを慕って、その婚約者に興味を抱いたのだろう。
彼はきっと、兄が幼い頃に刺客に襲われたことを知らずにいる。その原因が自分との後継争いにあることも、母である王妃が関係しているだろうことも知らないままだと思われた。
無垢に見えた王子の未来は、果たしてどうなってゆくのだろう。マクベスが弟王子のことをどう考えているのかは、ダフネは聞いてはいなかった。
自分の未来についてもわかりかねているダフネである。この王城のことも、王族のことも、そればかりか生家の家族のことも理解が及ばない。
このままにしていてよいとは思えなかった。王太子妃となるのであれば、無知なままでは済まないだろう。
幸い、マクベスはダフネの言葉を無下にはしない。
小径の向こうに小さくなっていくユージンの後ろ姿を見つめながら、ダフネはまったく予想のつかないこれからについて、どうしたものかと考えあぐねていた。
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