RUBER

桃井すもも

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【35】

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どんな気持ちでこの場に現れた。
それが、馬車から姿を現した隣国の妖精姫に初めに抱いた感情だった。


フレデリックがロレインに抱く感情とは、例えば言葉にするなら嫌悪とか厭悪とか、およそ婚約者に抱くものとはかけ離れていた。

だが一国の王太子であるフレデリックは、国と自身の在り方を骨の髄まで理解していたから、その感情を独り言にも口にすることはなかった。

ロレインを迎え入れた日に、フレデリックは正しく婚約者を出迎える作法に則り、礼節を欠くことはなかった。
ただ、腹の奥底に暗く重いものを抱いて、これを生涯抱えて生きていくのだと思っていた。

フレデリックが唯一つ願った幸福を粉々に打ち砕き、イーディスとの未来に抱いた夢を捨てさせた隣国末姫に、フレデリックは甘やかな感情など砂粒ほども持てはしなかった。

ロレインが性悪な姫君ではなく、寧ろ純粋で素直な気質であったのは直ぐに解った。
そのロレインの側には、嘗ての恋人がまるで姉か友のように寄り添い仕えている。それが余計にフレデリックをロレインから遠ざけた。


イーディスを手放すなど微塵も考えてはいなかった。なのに彼女は腹心の部下に娶られて、ロレインの側付きとして仕えている。

会わずにいたら、初恋を失った胸の痛みもいずれは癒えたのだろう。けれど皮肉な事に、ロレインと関わった為に、イーディスはフレデリックの側にいる。フレデリックもイーディスを忘れ切れずに、ロレインを介在してイーディスとの関わりを無くせずにいた。


イーディスをロレインの侍女に推挙したのは宰相だった。彼はイーディスの母とは学園で同窓だったのだという。
当時伯爵令嬢であったイーディスの母は、勤勉で控えめで聡明な令嬢だったと説明を受けて、まるで母娘でそっくりなのだと過ぎた日を思い出した。父子爵は王城勤めの文官であるし、彼等の娘のイーディスであれば適任だと言った宰相の言葉に、胸が鳴ったのは確かであった。

イーディスとの未来は潰えてしまった。どんなに先に進んでも、もう交わることはない。これきり別れてしまうより、せめて彼女の姿を見ていたいと思ったのは本心だった。

ジェフリーの父であるウォルデン伯爵が、王太子妃の側付きになる為に子爵令嬢の身分が不足であるなら、ジェフリーの妻に迎えてもよいと言い出した時の感情をどう鎮めたのかは憶えていない。そこだけ記憶が抜けている。

フレデリックを置き去りにして、物事はどんどん進んで行く。フレデリックの恋情を知っている筈の父王でさえ、既にロレインを迎え入れる道筋に切り替えていた。子爵がジェフリーとの縁談を断ってくれたらいいのにと、あり得ない事を思ったが、二人の婚約はあっという間に整った。

ジェフリーは、全てを知っていながらイーディスとの婚姻を受け入れた。それがフレデリックの為であると言われたときの失望を、どう言い表したらよいのだろう。

「イーディス嬢は、私が生涯妻として大切にすると誓います。殿下が令嬢を大切になさっておられたのは承知しております。ロレイン王女を迎えるのに令嬢の存在が殿下の御心を乱すのであれば、彼女のことは私にお委ね下さい」

ただ側に置くことすら許されず、彼女が臣下に嫁ぐのを報告で聞いた。せめてロレインが子を産むまでは、身を二つにせず仕えることを強いたのは、フレデリックの最後に残った願いだった。身重のイーディスを目にする覚悟は、直ぐには出来そうになかった。



ロレインのこちらに愛を乞う視線を躱すことも、イーディスからロレインの心情を省みて欲しいと暗に頼まれることも、どれもフレデリックの心を揺らすものではなかった。

ロレインとの褥を後に夫妻の部屋を出るのに、扉の前で出迎えるのがイーディスであることばかりは、どうにも遣る瀬ない気持ちにさせられ心が冷えた。

ロレインが懐妊した時に感じたのは、後継を授かった歓びよりも、あの寝室でロレインとの同衾せずとも済むことへの安堵だった。ロレインが出産するまで、もうあの部屋に行かずともよい。閨を終えた姿をイーディスに迎えられずともよい。

そんな事に解放されたと思う自分は、きっと冷たい夫なのだろう。
フレデリックの尻拭いをするようにイーディスを妻に娶ったジェフリーが、誠実にイーディスと関わっているのと引き換えに、自分はなんと矮小な夫なのか。


そう思う自分自身にも、確かな変化があったことに、フレデリックは気付いていない。

ロレインの血の道の不調を理由にして、婚姻後暫くは同衾を避けていた。それをどう思い違いしたのか、クリスフォードの婚約者である侯爵令嬢がロレインに牽制を仕掛けて来た。第二王子妃から王太子妃へ成り代わってもよいと言った発言を、フレデリックは決して許しはしなかった。

何があれほどフレデリックを怒らせたのか、自分でも解らない。フレデリックがロレインを擁護したことから、結果的にロレインはあれ以降、侮られることが無くなったし、重鎮達も安堵の様子を見せた。

そうしてロレインが恋情に滲ませながら見せる贖罪の色に、そんな顔を望んでいる訳ではないのだと、いつしか思うようになっていた。

ロレインもまた王族に生まれて自由な生き方を選択出来ない身の上で、たった一つ願ったのがフレデリックとの婚姻であったのが、いつしか自分と重なって、もう彼女を責めることは出来なくなった。

愛ではないと解っている。情とも違うように思う。言葉に表すことが出来なくても、この国の未来を共に歩く伴侶として、少しずつ少しずつロレインを受け入れていたことに、フレデリックは気が付かないようにしているのだった。



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