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ルイーザは、なんにもしないという事が、自分にも出来るのだと驚いている。
今まで只管忙しなく家の為に頑張った。
朝だって、大凡貴族夫人らしからぬ早起きをして家政を熟したし、夫に不足がない様に細かなところにも気を配っていた。
ついつい自分の事は後回しになって、碌に鏡を見る暇も無かった。
ルイーザは庭のブランコを揺らしながら、これといって考えることが無いことに気が付いて驚いた。
いつも頭の中は考え事でパンパンで、屋敷の差配や領地の事や、呼ばれている茶会のドレスや夫への届け物、同時進行で一度に幾つも考えていたから、何もしなくて良い状況に居心地の悪さを感じた。
「酔ったわ」
やる事が無いからと、目についたブランコを漕いでみたが、目眩症のルイーザはものの数分で酔ってしまってブランコからヨロリと降りた。
「ルイーザ様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よジェイムズ、心配要らないわ。ブランコって初めてなのよ。それでちょっと酔ってしまったの。」
ふらりとするルイーザをジェイムズが背中を支える。
「大丈夫ですか?」
ジェイムズが心配そうにルイーザを覗き込んで、もう一度尋ねた。
「大丈夫。情けないわ、幼児の遊具で酔うなんて。」
ブランコは幼児用の小振りなものだった。座板は地面からそれほど離れていない。
先々代侯爵、夫の祖父の手造りであるらしい。多分、幼かった夫の為に手ずから造ったのだろう。
「旦那様も酔ったのかしら。」
「え?」
「いいえ、なんでもないの。」
今日はこれくらいにしておこう。よろよろと玄関へと歩きながら、ルイーザの小さな挑戦は呆気なく終わった。
ルイーザ・アディソン・ロンデールは、ロンデール侯爵の妻である。夫のオーガストと婚姻したのは二年前、十九歳の時だった。
オーガストはルイーザより五歳年上で、今年で二十六になる。
子爵令嬢のルイーザが、何故、格上の侯爵家へ嫁ぐ事が出来たのかと言えば、きっかけは父が夫の上司であった事で、それが縁となった。
父は王城勤めの文官で、当時、学園を卒業したばかりの夫が採用された部署の上長であった。当時の夫は侯爵令息ではあったが無位の貴族青年で、王城勤めの新米文官であった。当然、父の方が経歴も身分も上だった。
二人の間でどんな遣り取りがあったのか詳しい事は分からない。学園を卒業してからも家にいたルイーザに、父の結んだ縁談を断る理由は無かった。
ルイーザは栗毛色の髪に榛の瞳と云う、至って平凡な容姿である。貴族であるからそれなりの見目ではあるが、学園で見た綺羅びやかな令息令嬢達と比較したら「比べないで下さい」と言いたくなるだろう。
対して夫のオーガストは、高位貴族に有りがちな金髪碧眼の見目よい紳士であった。
態々下位貴族のルイーザを娶らずとも、彼こそ引く手数多であったろう。
彼からすれば、ルイーザよりも父との関わりが婚姻の決め手の一つであっただろうし、ルイーザの兄はオーガストの学友でもあった。
妻のルイーザ本人よりも、その周辺の家族との付き合いが、彼に婚姻を決意させたのだろう。
ルイーザには婚約者がいなかった。
それは決して見目が平々凡々だったからではなくて、父も母も兄さえも、誰も「早く嫁に行け」だなんて事を言わなかったからで、ルイーザは自分はこのままで良いのだろうかと、密かに我が身の行く末を危ぶんでいた。
驚く事に、オーガストにも婚約者がいなかった。ルイーザはそれが何故なのか気にはなったが、そんな事を本人に聞ける筈もなく、兄に聞いてもはっきりした事を言わなかった。
知らない訳では無いその雰囲気が気にはなったが、折角得られた今生最高の幸運に、態々波風を立てようとは思わなかった。
奇跡的にオーガストとの婚約が結ばれた時、ルイーザは誓ったのである。
生涯これほどの棚ぼた的な幸運に恵まれる事は無いだろう。彼の為に、彼の家の為に、小さな領地の為に、我が身を粉にして尽くそう。
見目形で夫の目を楽しませてあげるのは無理である。何故なら夫の方が美しいから。
そうであればせめて家政やら社交やらで一助になりたい。
嫁ぐのか勤めるのか微妙な感覚で、ルイーザは覚悟と誓いを胸にオーガストへ嫁いだ。
一年の婚約期間を経て婚姻を結んだのが二年前。
晴れてルイーザは侯爵夫人となった。
今なら思う。「晴れて」だなんてそんなのではなかったのだ。どちらかといえば曇りだわ。だって、妻が私なのだもの。
オーガストの両親は、彼が王城勤めの文官になった数年後には二人とも鬼籍に入っていた。一人きりの弟は既に伯爵家へ婿入りしていたし、嫡男の彼は文官業と当主業、一度に二足の草鞋を履くことになった。
彼がルイーザとの婚姻を決めたのも、そんな多忙で混乱した生活に疲弊していたからだろう。
オーガストの父である前侯爵も宮廷貴族であった。極小さい領地と王都から離れた場所に別荘があるくらいで、有り体に言えば土地無し爵位持ちに近いものであった。
オーガストにとっては寧ろそれが幸いしただろう。広大な領地や産業を持っていたなら、オーガストは文官業との両立は無理だったろう。
こうして迎え入れられた侯爵家で、ルイーザは侯爵夫人として下にも置かぬ待遇を受ける事となった。
今まで只管忙しなく家の為に頑張った。
朝だって、大凡貴族夫人らしからぬ早起きをして家政を熟したし、夫に不足がない様に細かなところにも気を配っていた。
ついつい自分の事は後回しになって、碌に鏡を見る暇も無かった。
ルイーザは庭のブランコを揺らしながら、これといって考えることが無いことに気が付いて驚いた。
いつも頭の中は考え事でパンパンで、屋敷の差配や領地の事や、呼ばれている茶会のドレスや夫への届け物、同時進行で一度に幾つも考えていたから、何もしなくて良い状況に居心地の悪さを感じた。
「酔ったわ」
やる事が無いからと、目についたブランコを漕いでみたが、目眩症のルイーザはものの数分で酔ってしまってブランコからヨロリと降りた。
「ルイーザ様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よジェイムズ、心配要らないわ。ブランコって初めてなのよ。それでちょっと酔ってしまったの。」
ふらりとするルイーザをジェイムズが背中を支える。
「大丈夫ですか?」
ジェイムズが心配そうにルイーザを覗き込んで、もう一度尋ねた。
「大丈夫。情けないわ、幼児の遊具で酔うなんて。」
ブランコは幼児用の小振りなものだった。座板は地面からそれほど離れていない。
先々代侯爵、夫の祖父の手造りであるらしい。多分、幼かった夫の為に手ずから造ったのだろう。
「旦那様も酔ったのかしら。」
「え?」
「いいえ、なんでもないの。」
今日はこれくらいにしておこう。よろよろと玄関へと歩きながら、ルイーザの小さな挑戦は呆気なく終わった。
ルイーザ・アディソン・ロンデールは、ロンデール侯爵の妻である。夫のオーガストと婚姻したのは二年前、十九歳の時だった。
オーガストはルイーザより五歳年上で、今年で二十六になる。
子爵令嬢のルイーザが、何故、格上の侯爵家へ嫁ぐ事が出来たのかと言えば、きっかけは父が夫の上司であった事で、それが縁となった。
父は王城勤めの文官で、当時、学園を卒業したばかりの夫が採用された部署の上長であった。当時の夫は侯爵令息ではあったが無位の貴族青年で、王城勤めの新米文官であった。当然、父の方が経歴も身分も上だった。
二人の間でどんな遣り取りがあったのか詳しい事は分からない。学園を卒業してからも家にいたルイーザに、父の結んだ縁談を断る理由は無かった。
ルイーザは栗毛色の髪に榛の瞳と云う、至って平凡な容姿である。貴族であるからそれなりの見目ではあるが、学園で見た綺羅びやかな令息令嬢達と比較したら「比べないで下さい」と言いたくなるだろう。
対して夫のオーガストは、高位貴族に有りがちな金髪碧眼の見目よい紳士であった。
態々下位貴族のルイーザを娶らずとも、彼こそ引く手数多であったろう。
彼からすれば、ルイーザよりも父との関わりが婚姻の決め手の一つであっただろうし、ルイーザの兄はオーガストの学友でもあった。
妻のルイーザ本人よりも、その周辺の家族との付き合いが、彼に婚姻を決意させたのだろう。
ルイーザには婚約者がいなかった。
それは決して見目が平々凡々だったからではなくて、父も母も兄さえも、誰も「早く嫁に行け」だなんて事を言わなかったからで、ルイーザは自分はこのままで良いのだろうかと、密かに我が身の行く末を危ぶんでいた。
驚く事に、オーガストにも婚約者がいなかった。ルイーザはそれが何故なのか気にはなったが、そんな事を本人に聞ける筈もなく、兄に聞いてもはっきりした事を言わなかった。
知らない訳では無いその雰囲気が気にはなったが、折角得られた今生最高の幸運に、態々波風を立てようとは思わなかった。
奇跡的にオーガストとの婚約が結ばれた時、ルイーザは誓ったのである。
生涯これほどの棚ぼた的な幸運に恵まれる事は無いだろう。彼の為に、彼の家の為に、小さな領地の為に、我が身を粉にして尽くそう。
見目形で夫の目を楽しませてあげるのは無理である。何故なら夫の方が美しいから。
そうであればせめて家政やら社交やらで一助になりたい。
嫁ぐのか勤めるのか微妙な感覚で、ルイーザは覚悟と誓いを胸にオーガストへ嫁いだ。
一年の婚約期間を経て婚姻を結んだのが二年前。
晴れてルイーザは侯爵夫人となった。
今なら思う。「晴れて」だなんてそんなのではなかったのだ。どちらかといえば曇りだわ。だって、妻が私なのだもの。
オーガストの両親は、彼が王城勤めの文官になった数年後には二人とも鬼籍に入っていた。一人きりの弟は既に伯爵家へ婿入りしていたし、嫡男の彼は文官業と当主業、一度に二足の草鞋を履くことになった。
彼がルイーザとの婚姻を決めたのも、そんな多忙で混乱した生活に疲弊していたからだろう。
オーガストの父である前侯爵も宮廷貴族であった。極小さい領地と王都から離れた場所に別荘があるくらいで、有り体に言えば土地無し爵位持ちに近いものであった。
オーガストにとっては寧ろそれが幸いしただろう。広大な領地や産業を持っていたなら、オーガストは文官業との両立は無理だったろう。
こうして迎え入れられた侯爵家で、ルイーザは侯爵夫人として下にも置かぬ待遇を受ける事となった。
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