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「セバス、マーサ。また来年の夏に参ります。それまで達者でいて頂戴。」
ひと夏を過ごした別荘を、ルイーザはこの日の朝に出立した。
あれから体調は安定しており、速度を落とした馬車の揺れは少ない。
馬車が走る街道も、ローレンスが領主になってから整えられた。近隣の領主達と共同で、王都に続く街道整備事業を立ち上げたのはローレンスだ。
彼は妻子を失った後、領地領民と産業を守る事に注力していたとはセバスから聞いていた。
「王都に戻るのか?」
ローレンスの言葉が蘇る。
昨日は、王都出立を控えてオーガストは街へ用事を足しに出掛けていた。道案内の為にジェイムズが同行して、別荘にはルイーザとヘレンの他にはセバスとマーサがいるだけで、門扉の所にオーガストが護衛を一人付けてくれた。
突然であってもそれが領主であるなら、護衛が彼を拒む事など出来なかったろう。
お得意の先触れ無しの訪問も、ローレンスは護衛を揶揄ったくらいで、飄々とした風情で現れた。そんなローレンスにルイーザは慣れてしまっていたから、もう呆れることは無かった。
彼は自由人なのだ。白馬に跨って金の髪を風に靡かせて、時折領民の夫人らの黄色い声を浴びながら、彼の領地の端から端まで見回って、そうして領地を守っている。
本来なら、そこに夫人を伴っていた筈だろう。幼子を連れて歩くこともあったかも知れない。
夫に良く似た、けれども夫とは違う悪戯めいた光を宿す碧の瞳に見つめられると、ルイーザは何処か居心地の悪い感覚を覚えたものだ。
「ロンデール夫人。体調は大丈夫か。」
「まあ。貴方様が常識を以て私を家名でお呼びになるだなんて。」
「私は終始一貫常識人だ。」
「本当の常識人は、自分で自分を常識あると赤羅様に言ったりしませんわ。」
「王都の貴族は暇なんだな。」
「え?」
「ここでは勿体ぶった遣り取りに無駄な時間など掛けないよ。ルイーザ。人生は自分で思うより短いんだ。時間には限りがある。回り道ばかりを頭に描いて何になる。これから、生き馬の目を抜く貴族の世界に飛び込むんだろう?腹の子と、ちょっと頭の固い夫を支えて行くんだろう?」
行き成りなローレンスの言葉に、ルイーザは話しの切っ掛けが何であったか記憶を辿った。
「王都に戻るのか?」
「はい、戻ります。」
「大丈夫なのか。」
「医師からは大丈夫だと言われておりますので。」
「王都は遠い。無理に移動せずとも、ここで産んだら良いだろう。」
「ゆっくり進む予定です。それに、貴方が整えた街道は道も良ければ治安も頗る安全です。ですから私は安心しておりますの。」
そう言ったルイーザを、ローレンスが見つめる。珍しく生真面目なその表情は、夫によく似て見えた。
「身体を大切にするんだ。もっと自分を大事にするんだ。」
「はい。」
「来年の夏も、ここに来るのだろう?」
「はい。参ります。」
「子供を見せてくれないか。私の血筋でもあるんだ。きっと必ず絶対私に似ている。」
いや、ローレンスは夫と瓜二つであるのだから、似ない方が難しいだろう。
ルイーザはそう思って可笑しくなった。思わず笑みが溢れてしまう。このお方は、卒無く見えて不器用なところまで夫とよく似ている。大地の様に穏やかで温かい。
「貴方様もお元気でいらして下さい。お得意の先触れ無視を貫いて、時折セバスに声を掛けて下さいませんか?矍鑠としておりますが、高齢ですから。」
「承知した。彼も私の守るべき大切な領民だ。約束しよう。先触れは要らないな。」
ローレンスは、最後の最後、見送りの玄関ポーチでも振り返り、「ここにいてもいいんだぞ」と真面目な顔をして言った。
馬車に揺られながら思い出す。
なんにも考える事が無い退屈な暮らしになる筈だった。確かにその筈だった。回転する車輪をひた走るハツカネズミの様に忙しない日常から、自然があるばかりの別荘に来て途方に暮れたのはほんの少し前の事である。
何もする事が無さ過ぎて、漕いだことの無いブランコを漕いで酔った。
田舎街はマッチ箱の様に、何処もかしこも賑やかだった。家族の様な使用人に人懐こい領民達、勤勉な郵便局員に文具店の店員。黒い苺に黒いケーキ。
桃色の朝焼けに抜けるような青い夏空。夕暮れの燃える太陽に漆黒の宵闇。瞬く星が大きくて、自然の織りなす風景に目を奪われたのは初めての事だった。
湖を渡る風、煌めく波に揺れるボート。夫と過ごした甘い時間。
ルイーザは思い出す。
最後の最後のその前に、ローレンスはルイーザに語った。
「君はどことなく妻に似ていたんだ。見た目ではないんだ。なんだろうな、一緒にいると素になれる。肩の力が抜けて楽になる。安心するんだ。ここが居場所なんだと思えるんだ。」
だから、君といると少しばかり切なくなった。それでも会いたいと思うんだ。
良い夏だった、有難う。そうローレンスは言った。
馬の進む軽快な蹄の音。眠りを誘う穏やかな揺れ。窓から入り込む風には秋の気配が感じられた。
ルイーザの夏が終わったのだと、風はそう教えてくれた。
ひと夏を過ごした別荘を、ルイーザはこの日の朝に出立した。
あれから体調は安定しており、速度を落とした馬車の揺れは少ない。
馬車が走る街道も、ローレンスが領主になってから整えられた。近隣の領主達と共同で、王都に続く街道整備事業を立ち上げたのはローレンスだ。
彼は妻子を失った後、領地領民と産業を守る事に注力していたとはセバスから聞いていた。
「王都に戻るのか?」
ローレンスの言葉が蘇る。
昨日は、王都出立を控えてオーガストは街へ用事を足しに出掛けていた。道案内の為にジェイムズが同行して、別荘にはルイーザとヘレンの他にはセバスとマーサがいるだけで、門扉の所にオーガストが護衛を一人付けてくれた。
突然であってもそれが領主であるなら、護衛が彼を拒む事など出来なかったろう。
お得意の先触れ無しの訪問も、ローレンスは護衛を揶揄ったくらいで、飄々とした風情で現れた。そんなローレンスにルイーザは慣れてしまっていたから、もう呆れることは無かった。
彼は自由人なのだ。白馬に跨って金の髪を風に靡かせて、時折領民の夫人らの黄色い声を浴びながら、彼の領地の端から端まで見回って、そうして領地を守っている。
本来なら、そこに夫人を伴っていた筈だろう。幼子を連れて歩くこともあったかも知れない。
夫に良く似た、けれども夫とは違う悪戯めいた光を宿す碧の瞳に見つめられると、ルイーザは何処か居心地の悪い感覚を覚えたものだ。
「ロンデール夫人。体調は大丈夫か。」
「まあ。貴方様が常識を以て私を家名でお呼びになるだなんて。」
「私は終始一貫常識人だ。」
「本当の常識人は、自分で自分を常識あると赤羅様に言ったりしませんわ。」
「王都の貴族は暇なんだな。」
「え?」
「ここでは勿体ぶった遣り取りに無駄な時間など掛けないよ。ルイーザ。人生は自分で思うより短いんだ。時間には限りがある。回り道ばかりを頭に描いて何になる。これから、生き馬の目を抜く貴族の世界に飛び込むんだろう?腹の子と、ちょっと頭の固い夫を支えて行くんだろう?」
行き成りなローレンスの言葉に、ルイーザは話しの切っ掛けが何であったか記憶を辿った。
「王都に戻るのか?」
「はい、戻ります。」
「大丈夫なのか。」
「医師からは大丈夫だと言われておりますので。」
「王都は遠い。無理に移動せずとも、ここで産んだら良いだろう。」
「ゆっくり進む予定です。それに、貴方が整えた街道は道も良ければ治安も頗る安全です。ですから私は安心しておりますの。」
そう言ったルイーザを、ローレンスが見つめる。珍しく生真面目なその表情は、夫によく似て見えた。
「身体を大切にするんだ。もっと自分を大事にするんだ。」
「はい。」
「来年の夏も、ここに来るのだろう?」
「はい。参ります。」
「子供を見せてくれないか。私の血筋でもあるんだ。きっと必ず絶対私に似ている。」
いや、ローレンスは夫と瓜二つであるのだから、似ない方が難しいだろう。
ルイーザはそう思って可笑しくなった。思わず笑みが溢れてしまう。このお方は、卒無く見えて不器用なところまで夫とよく似ている。大地の様に穏やかで温かい。
「貴方様もお元気でいらして下さい。お得意の先触れ無視を貫いて、時折セバスに声を掛けて下さいませんか?矍鑠としておりますが、高齢ですから。」
「承知した。彼も私の守るべき大切な領民だ。約束しよう。先触れは要らないな。」
ローレンスは、最後の最後、見送りの玄関ポーチでも振り返り、「ここにいてもいいんだぞ」と真面目な顔をして言った。
馬車に揺られながら思い出す。
なんにも考える事が無い退屈な暮らしになる筈だった。確かにその筈だった。回転する車輪をひた走るハツカネズミの様に忙しない日常から、自然があるばかりの別荘に来て途方に暮れたのはほんの少し前の事である。
何もする事が無さ過ぎて、漕いだことの無いブランコを漕いで酔った。
田舎街はマッチ箱の様に、何処もかしこも賑やかだった。家族の様な使用人に人懐こい領民達、勤勉な郵便局員に文具店の店員。黒い苺に黒いケーキ。
桃色の朝焼けに抜けるような青い夏空。夕暮れの燃える太陽に漆黒の宵闇。瞬く星が大きくて、自然の織りなす風景に目を奪われたのは初めての事だった。
湖を渡る風、煌めく波に揺れるボート。夫と過ごした甘い時間。
ルイーザは思い出す。
最後の最後のその前に、ローレンスはルイーザに語った。
「君はどことなく妻に似ていたんだ。見た目ではないんだ。なんだろうな、一緒にいると素になれる。肩の力が抜けて楽になる。安心するんだ。ここが居場所なんだと思えるんだ。」
だから、君といると少しばかり切なくなった。それでも会いたいと思うんだ。
良い夏だった、有難う。そうローレンスは言った。
馬の進む軽快な蹄の音。眠りを誘う穏やかな揺れ。窓から入り込む風には秋の気配が感じられた。
ルイーザの夏が終わったのだと、風はそう教えてくれた。
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