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第一章
待合室には質素な椅子が二脚あって、エリザベートはその片方に座っていた。
姿勢を正す背中には、癖のない艶やかな白灰色の髪が流れるように落ちている。
ノックの後に扉が開けば、漆黒のキャソックを纏った若い司祭が現れた。
「お気持ちにお変わりはございませんか」
「はい。司祭様」
キャソックと同じ漆黒の髪。その下にある青い瞳を見つめてエリザベートは頷いた。
司祭はエリザベートの答えに視線を伏せた。だがそれもわずかな間で、彼は胸ポケットから小さな瓶を取り出した。
「戻られてからになさいますか?」
「いいえ、今ここで」
エリザベートはそこで、群青色の瞳を細めて笑みを浮かべ、
「貴方に見届けていただいてもよろしいでしょうか」そう尋ねた。
司祭が頷くと、エリザベートは笑みを深めた。
「綺麗な色ですのね」
手渡された小瓶を目の前に掲げれば、窓から差し込む午後の日射しに照らされて、琥珀色の液体が燦めいて見えた。
「貴女には何色に見えますか?」
「琥珀色ですわ」
「貴女のお心が澄んでいらっしゃるからでしょう」
「司祭様には何色に見えまして?」
祈りが捧げられた液体は、見る人によって色が変わるのだろうか。
司祭にはどんな色に見えているのだろう。
幼い頃から知っているのに、今も変わらず青年の姿に見える司祭からは、彼が何を考えているかはわからなかった。
それからエリザベートは、全ての事の始まりとなった人物を思い浮かべた。
滲み出すように胸の内から湧き上がるこの感情も、これが最後となる。
瞼を閉じて、エリザベートはシトリンの瞳を思い浮かべた。
――デマーリオ様。
最後の想いを捧げるように、心の中で名を呼んだ。思い出せる眩しい笑みは、今の彼より少しだけ幼いものだった。
瞼を開けばデマーリオの瞳と同じ色の液体は、変わらず琥珀色に耀いていた。
エリザベートは司祭を見ると、彼もまたエリザベートを見つめていた。
迷いならとうに振り切ったつもりでいたから、わずかに残る想いに心を動かされることはなかった。
エリザベートは小瓶の蓋を開けて、一気に呷った。
とろりと冷たい液体が喉を通る。ほんのり甘い味がして、遠い昔に吸った花の蜜に似ていると思った。
「具合は如何でしょうか」
「何も。何も変わりませんわ」
「お身体に変化はございませんか」
「いいえ。どこも」
エリザベートは司祭の青い瞳を見つめて微笑んだ。
馬車の前に立てば、すぐに御者が降りてきて扉を開けた。
中にはエリザベート付きの侍女が待っており、扉の前に立つ主人の姿に安堵した様子を見せた。
教会には待合室よりほかに部屋がなく、侍女はいつも馬車の中でエリザベートが戻るのを待っていた。
「ごめんなさい、ソフィー。すっかり待たせてしまったわね」
いつになく戻りの遅かったエリザベートを、彼女はきっと心配していただろう。
馬車のステップを上がるのに、御者より先に司祭が手を貸してくれた。
彼はエリザベートを案じてか、帰りの馬車まで見送りに来ていた。
「ありがとうございます」
司祭から手を貸してもらうのは久しぶりで、幼かった頃のことを思い出した。
扉が閉まるその前に、エリザベートは司祭に向かって声をかけた。
「また祈りを捧げに参ります」
「お待ちしております。貴女に神の御加護があらんことを」
司祭の言葉を最後に扉が閉まり、エリザベートを乗せて馬車が走り出す。
窓から見える風景は、一刻前と少しも変わっていなかった。
何も変化はなかった。
あのシトリンの瞳を思い浮かべても、懐かしいという気持ちのほかは何も湧いてこなかった。
――思い出になったのだわ。
神の加護が確かにあったのがわかって、エリザベートは嬉しくなった。
何も変わったわけではないのに、ただエリザベートが心を一つ手放して、その分、身体が軽くなった、そんなささやかな変化だった。
馬車の窓から門扉が見えて、ほどなくして屋敷の敷地へ入っていく。
正面に本邸が見えてくると、馬車はそちらへ向かって大きく回り込んだ。
本邸の玄関が見える少し手前で馬車は緩やかに速度を落として、そのまま馬が止められた。
本邸に隣接する小さな別邸、離れの邸がエリザベートの住まいである。
馬車を降りれば老齢の執事に出迎えられた。
「ロバート。ただいま帰りました」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
離れの邸にも本邸とは別に専任の使用人がいる。父は、執事や侍女頭をはじめとするひと通りの使用人をここにも置いてくれた。
それはエリザベートが離れの邸へと移るときに、幼い彼女に不自由がないようにと配慮してのことだった。
ロバートは、元は本邸で長く執事として勤めていたのを、こちらへ一緒に移ってきた。エリザベートの母が信頼を寄せていた人物である。
ロバートがここでの執事を、ほかには侍女頭が離れの邸での細かなことを取り纏めている。
彼らの大半が老齢に差しかかっているのは、元はエリザベートの母に仕えていた使用人たちだからだろう。
エリザベート付きの侍女であるソフィーが最も若く、改めて聞いたことはないけれど、エリザベートより十歳ほどは年上かと思われた。
母に仕えた使用人たちに囲まれて、時が止まったような離れの邸で、エリザベートは一人、家族と離れて暮らしている。
自室に戻ってソフィーが下がると辺りはしんと静まって、窓の外から小鳥の囀りが心地よく耳に届いた。
「胸が静かだわ」
独りきりになって気がついたのは、胸を騒がせていたざわめきが綺麗に消えていることだった。
第二章
デマーリオと初めて会った日のことを、エリザベートは今も鮮明に憶えている。
デマーリオ・フォックス・シェルバーン。
エリザベートと同い年の彼はシェルバーン侯爵家の嫡男で、エリザベートの婚約者である。
鮮やかな金の髪にシトリンの瞳を持つデマーリオは、エリザベートには眩しく輝いて見えた。
デマーリオは、初めて会った十年前のあの日から、エリザベートの心を照らす光だった。
同時に、憂いをもたらす影でもあった。
エリザベートはそんなデマーリオに惹かれながら、彼の言動のひとつひとつに心を揺らした。
デマーリオとの婚約が結ばれた日は、母が最後の願いを打ち明けた日であった。
思えばあの日が、デマーリオとエリザベートの未来を運命づけたのだろう。
季節は早春で、エリザベートの誕生日を翌月に控えた八歳の終わりの頃だった。
「夫人、流石にそれは可哀想ではないか。エリザベートは独りになってしまう」
デマーリオの父であるシェルバーン侯爵の言葉に、エリザベートの母、ミネルバは答えた。
「仰る通りでございます、閣下。ですが、エリザベートの将来を考えたときに、私にはこれが一番良いと思えたのです。夫も後になれば、きっと同じことを思うでしょう」
ストレンジ伯爵家の応接室には、この日、二組の貴族が集っていた。
エリザベートは、侯爵家の一人息子で嫡男のデマーリオとの婚約を結ぶ、その顔合わせの席にいた。
エリザベート・フィンチ・ストレンジは、ストレンジ伯爵家の子女である。
エリザベートの母は、決して癒えることのない病を得て、このころには床に臥せる日が多くなっていた。そんな母を気遣って、両家の会合はストレンジ伯爵邸で行われた。
応接室にはデマーリオの両親である侯爵夫妻と、エリザベートの両親、そして婚約を交わすデマーリオとエリザベートが対面していた。
「伯爵、君はそれで良いのだな」
「私は、その……」
侯爵に問われても、父は言い淀んではっきりと答えない。
「閣下もご存じのことと思いますが、夫にはこの後、迎え入れる女性がおります。エリザベートと同じ歳の娘もおります」
背筋を伸ばした母の姿は、癒えない病に侵されているようには見えなかった。
髪を結い上げた細く白い項も、削げてしまった頬さえも、先細る命が最後の輝きを放つように美しく見えた。
エリザベートはもう、母の命がそれほど長くはないとわかっていた。
母との別れが近いことを予感して、言いようのない恐れと不安と哀しみを抱いていた。
この婚約は、死を前にした母の願いを叶えて、エリザベートのために結ばれる。
「私は夫に二つのお願いをいたしました。とても我儘なお願いですわ。ですが夫はそのどちらも受け入れてくれました」
母はそう言って、父を見た。父は俯いたまま、握り締めた両手の拳を見つめていた。
母は侯爵へと向き直ると、続きを話しはじめた。
「私の願いとは、エリザベートを後継から降ろして他家へ嫁がせることです。そしてもう一つ、夫が迎える家族とは住まいを別にしてほしいと願いました。夫は、長く別宅に置いた家族を本邸に迎えることを望んでおります。そうであれば、エリザベートを離れの邸に移してほしいと。ご覧の通り、離れの邸はこの本邸のすぐ隣ですから、遠く離れるわけではございません」
母の言葉通り侯爵夫妻はこのときすでに、父には長い関係の妾がおり、彼女との間にも子がいることを知っていた。
伯爵家の長子であるエリザベートは、本来であれば家を継ぐ身であった。
だが父は母の願いに応えて、つい先ごろ、遠戚の子爵家からエミリオという名の少年を養子に迎えていた。
エリザベートは他家へ嫁ぐ身となって、デマーリオとの婚約が結ばれることとなったのである。
侯爵夫妻にしても、母が、一人残していかねばならないエリザベートを案ずる気持ちは、子を持つ親として理解できるようだった。
「当家にはすでにエミリオがおります。遠戚に当たる傘下貴族の末子ですが、賢く優しい子ですわ。エリザベートに代わって当家を支えてくれるでしょう」
「私は……私は、ミネルバ、君を、エリザベートを愛していた」
父は苦しげな様子で言った。
「私もですわ、旦那様。貴方のことを愛しておりました」
「では、なぜエリザベートを離れの邸になど。私はこの子の父親だ。エリザベートと彼女たちを分け隔てるようなことはしない」
妾ともう一人の娘を「彼女たち」と言ったあとに、父はそれが失言であったというように母から顔を逸らした。
「旦那様、だからこそですわ。貴方が私たちとは別に愛さずにはいられなかったお二人です。長い間大切になさっておられた方々をお迎えになりたいお気持ちはわかります」
母はそこで、ひとつ息を整えて、次の言葉を続けた。
「私はもう貴方のおそばにいられない。貴族の当主に夫人は必要ですもの、後添えをお迎えになることは理解しております。私が案じておりますのはそこではないのです。貴方はきっと、エリザベートとお二人の間になって、どちらにも良かれとするうちに、いつか愛情を偏らせてしまうでしょう。私はその姿をエリザベートの目に映したくはないのです」
「ミネルバ、貴女のその気持ちなら私にもよくわかるわ。ここまで心を決めるのに貴女がどれほど悩んだか。子を持つ母として妻として、耐えがたいことだったと思うわ」
ハンカチを片手に母に同情したのは、デマーリオの母である侯爵夫人だった。彼女は母とは親しい間柄であった。
父は額に汗を滲ませ黙り込んだ。
両親に挟まれるように座りながら、エリザベートはいたたまれない気持ちになっていた。
自分の存在が両親を悩ませている。そんな気持ちになってしまってエリザベートは俯いた。
「ごめんなさい、エリザベート。貴女にこんなことを聞かせてしまうなんて」
そう言って、母はエリザベートを抱き寄せた。
両親はきっと、この日まで何度も話し合っていたのだろう。それがこんな婚約の場になって、言い合うような姿を見せてしまったことを、母は悔やむようだった。
エリザベートの白灰色の髪と群青の瞳は父譲りのものである。だが面立ちは母によく似て、そんな母娘が抱き合う姿に侯爵夫人は再び涙を零した。
そこで侯爵が、エリザベートを気遣うように声音を柔らかくして尋ねた。
「エリザベート。君は私たちの娘も同じだ。何も心配いらないから、正直な気持ちを言ってごらん。君はどうしたい?」
大人たちの瞳がエリザベートに向けられて、その中にはデマーリオのシトリンのような瞳もあった。
エリザベートは母の病も、父に大切にしているもう一つの家族がいることも、母の死が近くなってからはじめて知った。
母は、エリザベートともうすぐお別れしなければならないことを、泣きじゃくるエリザベートを抱き締めながら打ち明けた。
幼い娘に聞かせることに、言葉を選び時間をかけて話してくれた。
もうすぐエミリオを迎えること、エリザベートには婚約者ができて彼の家に嫁ぐこと、今は別宅にいる父のもう一つの家族を迎え入れることを、エリザベートは母の胸に顔を埋めて、涙でドレスを濡らしながら聞いていた。
途中で堪らなくなってしまって、母の背中に腕を回してぎゅっとしがみついた。お願いだからどこにも行かないでほしいと泣いたのである。
思えば父は、週のうちの幾日かを不在にしていた。
それが仕事のためだと思っていたから、父に母とは別に愛する女性がいて、半年違いで生まれた異母妹がいたことを、すぐさま呑み込めるほど大人になってはいなかった。
愛人や妾という存在が貴族にままあることを薄ら知ってはいても、母との婚姻から一年も経たないうちに愛人を得た父のことを理解するにはまだ幼かった。
エリザベートの幸せが母の最後の願いなのだとしたら、
「私はお母様のお気持ちの通りにいたします」
格上の侯爵に向かい、精いっぱいの言葉で答えた。
侯爵は、エリザベートに穏やかな笑みを見せて頷いた。
「君の気持ちはわかった。辛いことを言わせたね。そうだデマーリオ」
そこで侯爵は、神妙な面持ちで隣に座る息子を呼んだ。
「はい、父上」
「今日からエリザベートはお前の婚約者だ。大切にするんだぞ」
それはまるで、こんな願いを残してまで娘の将来を憂いている母を、安堵させようとする言葉に思えた。
「デマーリオ様、娘を、エリザベートをよろしくお頼みいたします」
母はデマーリオにそう言って頭を下げた。
デマーリオは、そんな母に見惚れたように、ぼおっとなって言葉を返せずにいた。
もしも彼がこの時に「諾」と答えていたのなら、その言葉はデマーリオの心を繋ぎとめる楔となってくれたのだろうか。
それはずっと後になって、エリザベートが思い返したことだった。
「さて、私たちはもう少し話がある。エリザベート、良ければデマーリオに庭園を案内してくれないか」
侯爵の言葉に、侍女のソフィーがエリザベートのそばについて、彼女に促されるようにしてエリザベートとデマーリオは応接室を出た。ソフィーはこのころからエリザベート付きの侍女だった。
「君のお母上はなんだか不思議な人だね」
エリザベートは、出会ったばかりの婚約者を前にして緊張していた。
気の利いた会話らしい会話もできぬまま、二人で庭園の小径を歩いていると、デマーリオは母について口にした。
「不思議?」
「うん。なんでも見えているみたいだ。なんというか、嘘もわかってしまうみたいな」
デマーリオの言ったことは、その通りに思えた。
母はエリザベートが知らない父のことを知っていたし、父の「大切にしている二人」のこともわかっていた。
なんでも見えて嘘もわかってしまう母に、デマーリオは嘘でもエリザベートを大切にすると答えることができなかったのだろうか。
エリザベートはまだ幼くて、何より緊張していた。
大人たちの話し合いの邪魔にならぬよう庭園を歩かされているが、季節はようやく春の兆しが見えはじめたころで、頬に触れる風は冷たかった。
だがエリザベートは、それすら気にする余裕はなかった。
デマーリオが話すことにひたすら耳を傾けていた。
早春の日射しにデマーリオの金色の髪がキラキラと透けて見えた。
シトリンの瞳を初めて見たから、こちらに向けられる眼差しにエリザベートは思わず見入ってしまった。まるで宝石のようなお方だわ。そんなふうに思った。
婚約とは結婚の約束なのだと母から教えてもらった。
エリザベートは今日、目の前の少年と結婚の約束をしたことになる。
それはエリザベートの心を不思議な温かさで満たしてくれた。
「姉上」
「エミリオ」
侯爵一家を見送ると、父と母はまだ話があるのか執務室へ入っていった。
エリザベートは自室に戻ろうと、玄関ホールから続く大階段を二階に上がったところで、手摺りの陰に立っているエミリオから声をかけられた。
不安げな顔を浮かべる小さなエミリオに、エリザベートは歩み寄った。
エミリオは、つい先ごろ養子に迎えた少年である。
母が侯爵夫妻に話したのは彼のことで、生家は傘下貴族のマグレイブ子爵家である。
明るい亜麻色の髪に榛色の瞳。
大地の色を纏う二つ年下の少年は、朗らかで素直な気質をしており、エリザベートはこの少年とすぐに馴染んだ。
エミリオが不安げな顔をしてエリザベートを見上げた。
「どうしたの? 淋しかったの?」
兄姉が多い家に育ったエミリオは、慣れない格上貴族の暮らしに生家を思い出すのだろう。
エリザベートにも、その淋しさがわかった。
エミリオの小さな手を握れば、彼は恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「エミリオ、本を読んであげる。昔話がよい? 冒険のほうが好き? 小人の島の旅行記もあるし、豆の木に登って雲の上に行くお話もあるのよ」
エミリオは、昔話も童話もあまり知らないようだった。子沢山の子爵家には経済的な余裕がなかったらしく、子女らには貴族としての最低限の教育以上は与えられずにいたようだ。
初めて入ったエリザベートの部屋で、本をこんなにたくさん見たことがないと言って、エミリオは本棚を見上げて目を輝かせた。
絵本や玩具がなくても兄姉たちが一緒だったから、遊ぶことには不自由しなかったのだと聞いて、エリザベートは微かな憧れを感じたのである。
母を気遣いながら、もう一つの家族の元へ通う父に、淋しさと諦めを募らせていたエリザベートにとって、母とエミリオと過ごした短い日々は、穏やかな家族の思い出となって残った。
その年の冬に、母はエリザベートを残して儚くなった。
それから半年後に父がもう一つの家族を連れてくるまで、エリザベートはエミリオと互いの淋しさを慰めるように、幼い心を寄せ合って暮らしていた。
母の喪が明けると、エリザベートが十歳の誕生日を迎えたばかりの春の盛りに、父は新たな夫人と娘を迎え入れた。
それはデマーリオとの婚約の席で母が言った通り、父が大切にしてきた家族だった。
エリザベートと同い年の異母妹に会ったのも、その日が初めてのことだった。
「エリザベート。この子がお前の妹だよ。ローズという名だ。仲良くするんだよ」
エリザベートに紹介しながら、父は目を細めてローズを見下ろし、義母譲りの柔らかなそうな金髪の頭を撫でた。
「こんにちは。お姉さま」
父に紹介されて、ローズは愛らしく笑った。
突然現れた異母妹に困惑したが、青い目を細めて無邪気な笑みを向けるローズを、エリザベートは可愛いと思った。
義母とローズが本邸に住むのに合わせて、エリザベートはすでに離れの邸に移っていた。
二人を迎え入れてからの父は、とても幸せそうだった。
それから間もなくすると、エリザベートは母が危惧したことを感じはじめるようになる。
母が臥せっていたころは沈んだように見えた父は、もう母のことを忘れてしまったのかもしれない。
父は母のこともエリザベートのことも愛していると言ったけれど、その姿は少しずつ、エリザベートに見えない隔たりを感じさせていく。
離れの邸の二階にある自室の窓からは、本邸が見えていた。
エミリオの部屋は二階の角部屋で、自室の窓から顔を出せばすぐにわかった。
夜にエミリオの部屋に灯りがつけば、あそこにエミリオがいるのだと思った。
あの子はどうしているのだろう、淋しがってはいないだろうかと考えたときに、自分こそ一人なのだと思い出した。
「エミリオは、いつか私のことを忘れてしまうのかしら」
「そんなことはございません。エミリオ坊ちゃんはお優しいですから、今ごろきっとお嬢様のことを思い出されておいででしょう」
エリザベートの呟きには、ソフィーが答えてくれるのだった。
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