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その日エリザベートは、アイリスに付いて王城の図書室へ向かっていた。
「ここで待っていて頂戴」
図書室の扉の前でアイリスは後ろを振り返り、護衛の近衛騎士にそう声を掛けた。
扉から中へは、照明を持つエリザベートが先になって入った。
王国には王立の図書館があり国民に広く開放されているが、ここは王族の蔵書を収めた王家の図書室である。書物の他には、建国以来から王家に伝わる古書や古い文献が数多く保管されている。
書物の日焼けを防ぐ為に、明かり取りの窓は小さく差し込む光は少ない。それも並び立つ書架に採光は遮られて、室内は昼中でも薄闇が広がっていた。
書架は天井まで高く伸びて、一番高いところにある書物を読むには驚くほど脚の長い脚立が必要となるだろう。通路ばかりはゆったりと広く、火気から書物を守る設計となっている。
アイリスは古い文献を読むのを趣味としており、古語が読めるアイリスはその解読にも長けていた。王太子は自身が持つ図書室の管理権をアイリスに委ねて、書物の保管と古書の解読をアイリスの正式な公務として、王族の図書室の管理を彼女の管轄としていた。
読書好きの異母妹の為に、態々公務と名を付けるアンソニーは余程アイリスが可愛いのだろう。
整然と並び立つ書架の間を通り抜けて更に奥に進むと、図書室の最奥に突き当たる。窓から入る日射しも僅かしか届かない暗がりに照明をかざせば、照らされた明かりに壁一面に並ぶ書物が姿を現した。
それは禁書棚であった。
重厚な硝子扉で守られた棚には、建国以来から伝わる古書や王家に纏わる書物の数々が保管されている。王国には「記す者」と呼ばれる記録者がおり、彼等が記した王国の歴史もまた、全てこの棚の中に所蔵されている。
編纂された時代の異なる書物はどれも、寸法も表紙の材質も装丁もまちまちで、一見して雑多に並ぶ様に見えて配架には意味があるのだと云うのは、アイリスから教えてもらった事である。
奥の角になる所にはローテーブルと革張りのチェスターフィールドソファが置かれており、それはアンソニーがアイリスの為に設えたものであるのは一目で解った。
立太子してから直ぐに、アンソニーはアイリスの為に、この「末姫が読書に没頭出来る憩いの場」を用意している。
初めてアイリスに付いてこの禁書棚を目にした時に、エリザベートは息を呑んだ。
アイリスには到底及ばないが、エリザベートも古語が読める。侯爵家へ嫁ぐのに、母の遺言通りに父はエリザベートに高等教育を施したが、それには古語の教育者も含まれていた。
「貴女となら、この楽しさを分かち合えると思っていたのよ」
初めてここへエリザベートを連れてきた時に、アイリスはそう言って首に掛けた鎖を手繰り寄せた。
鎖には古い鍵が通されて、彼女はその鍵をまるでネックレスの様に首に掛けて大切にドレスの内側に忍ばせている。
「この鍵は禁書棚の鍵よ。お兄様から頂戴したの」
王族だけが閲覧を許される禁書は、厚い硝子扉で覆われており、扉は全て施錠されている。
「本当なら、妃に譲る鍵なのよ。それをお兄様ったら、婚約者すら選ばないものだから。私にこんな大切な物を預けてしまって、」
アイリスはその先は言わなかった。首元から手繰り寄せたチェーンにかかる鍵を持ち、背伸びをして硝子扉の鍵を開けた。
「エリザベート。驚くのはこれからよ」
圧巻の風景に言葉の出ないエリザベートに、アイリスは笑って見せた。
ランプの灯りに照らされた背表紙から、大凡の時代が推測された。古語で記された書物は革張りで、時代が下ると布張りや厚い紙製の物もある。
「アイリス様、これは……」
「解る?エリザベート」
革張りの書物は書物と言うより分厚い手帳の様にも見えた。角に破損があるも閲覧には耐えられそうであった。だが、エリザベートの目を引いたのは装丁ではなくて、背表紙に記された言語であった。
「魔術?魔法?」
「古語を現代語に当て嵌めるのに、しっくり来る言葉って難しいわよね」
エリザベートが迷うのを、アイリスも同感するらしい。
白い指先が棚から書物を抜き取る。
どれ程古い物なのか解らないが、アイリスの手の平よりも少し大きな古書は、やはり手帳か日記の様に見えた。
「それは?」
「ああ、これ?」
古書には薄紙が挟まれていた。栞にしては大きい。
「ここのページが欠落しているのよ。欠落と言うより破り取った様な感じかしら」
ほら、と言ってアイリスが薄紙の挟まれたページを開いて見せた。
「本当ですわ、アイリス様。これは確かに破り取ったものですね」
「でしょう?何が書かれていたのかとっても気になるわよね」
アイリスがソファへ向かうのを、エリザベートはその先に明かりが届く様に暗がりにランプを向けた。
「貴女も隣りに」
アイリスがソファに座りその横へエリザベートを誘う。
ローテーブルには袖机が添えられており、そこへランプを置いてエリザベートはアイリスの隣りに座った。
「こうしていると学生時代を思い出すわね」
学院の図書室で、アイリスと並び座って読書をしたのを思い出す。読むのは大抵、市井で人気の婦人向け週刊誌で、市井に疎い王女と令嬢で、ああでもないこうでもないとひそひそと話しながら眺めていた。
「どんな秘術が書かれていたと思う?」
アイリスは古書に記された単語を「秘術」と訳したらしい。
「前後のページから推察するに、薬学ではないかと思うのよ。薬の製法だとか」
その言葉に、日射しを受けて琥珀色に燦いて見えた聖水が思い浮かんだ。
「ここで待っていて頂戴」
図書室の扉の前でアイリスは後ろを振り返り、護衛の近衛騎士にそう声を掛けた。
扉から中へは、照明を持つエリザベートが先になって入った。
王国には王立の図書館があり国民に広く開放されているが、ここは王族の蔵書を収めた王家の図書室である。書物の他には、建国以来から王家に伝わる古書や古い文献が数多く保管されている。
書物の日焼けを防ぐ為に、明かり取りの窓は小さく差し込む光は少ない。それも並び立つ書架に採光は遮られて、室内は昼中でも薄闇が広がっていた。
書架は天井まで高く伸びて、一番高いところにある書物を読むには驚くほど脚の長い脚立が必要となるだろう。通路ばかりはゆったりと広く、火気から書物を守る設計となっている。
アイリスは古い文献を読むのを趣味としており、古語が読めるアイリスはその解読にも長けていた。王太子は自身が持つ図書室の管理権をアイリスに委ねて、書物の保管と古書の解読をアイリスの正式な公務として、王族の図書室の管理を彼女の管轄としていた。
読書好きの異母妹の為に、態々公務と名を付けるアンソニーは余程アイリスが可愛いのだろう。
整然と並び立つ書架の間を通り抜けて更に奥に進むと、図書室の最奥に突き当たる。窓から入る日射しも僅かしか届かない暗がりに照明をかざせば、照らされた明かりに壁一面に並ぶ書物が姿を現した。
それは禁書棚であった。
重厚な硝子扉で守られた棚には、建国以来から伝わる古書や王家に纏わる書物の数々が保管されている。王国には「記す者」と呼ばれる記録者がおり、彼等が記した王国の歴史もまた、全てこの棚の中に所蔵されている。
編纂された時代の異なる書物はどれも、寸法も表紙の材質も装丁もまちまちで、一見して雑多に並ぶ様に見えて配架には意味があるのだと云うのは、アイリスから教えてもらった事である。
奥の角になる所にはローテーブルと革張りのチェスターフィールドソファが置かれており、それはアンソニーがアイリスの為に設えたものであるのは一目で解った。
立太子してから直ぐに、アンソニーはアイリスの為に、この「末姫が読書に没頭出来る憩いの場」を用意している。
初めてアイリスに付いてこの禁書棚を目にした時に、エリザベートは息を呑んだ。
アイリスには到底及ばないが、エリザベートも古語が読める。侯爵家へ嫁ぐのに、母の遺言通りに父はエリザベートに高等教育を施したが、それには古語の教育者も含まれていた。
「貴女となら、この楽しさを分かち合えると思っていたのよ」
初めてここへエリザベートを連れてきた時に、アイリスはそう言って首に掛けた鎖を手繰り寄せた。
鎖には古い鍵が通されて、彼女はその鍵をまるでネックレスの様に首に掛けて大切にドレスの内側に忍ばせている。
「この鍵は禁書棚の鍵よ。お兄様から頂戴したの」
王族だけが閲覧を許される禁書は、厚い硝子扉で覆われており、扉は全て施錠されている。
「本当なら、妃に譲る鍵なのよ。それをお兄様ったら、婚約者すら選ばないものだから。私にこんな大切な物を預けてしまって、」
アイリスはその先は言わなかった。首元から手繰り寄せたチェーンにかかる鍵を持ち、背伸びをして硝子扉の鍵を開けた。
「エリザベート。驚くのはこれからよ」
圧巻の風景に言葉の出ないエリザベートに、アイリスは笑って見せた。
ランプの灯りに照らされた背表紙から、大凡の時代が推測された。古語で記された書物は革張りで、時代が下ると布張りや厚い紙製の物もある。
「アイリス様、これは……」
「解る?エリザベート」
革張りの書物は書物と言うより分厚い手帳の様にも見えた。角に破損があるも閲覧には耐えられそうであった。だが、エリザベートの目を引いたのは装丁ではなくて、背表紙に記された言語であった。
「魔術?魔法?」
「古語を現代語に当て嵌めるのに、しっくり来る言葉って難しいわよね」
エリザベートが迷うのを、アイリスも同感するらしい。
白い指先が棚から書物を抜き取る。
どれ程古い物なのか解らないが、アイリスの手の平よりも少し大きな古書は、やはり手帳か日記の様に見えた。
「それは?」
「ああ、これ?」
古書には薄紙が挟まれていた。栞にしては大きい。
「ここのページが欠落しているのよ。欠落と言うより破り取った様な感じかしら」
ほら、と言ってアイリスが薄紙の挟まれたページを開いて見せた。
「本当ですわ、アイリス様。これは確かに破り取ったものですね」
「でしょう?何が書かれていたのかとっても気になるわよね」
アイリスがソファへ向かうのを、エリザベートはその先に明かりが届く様に暗がりにランプを向けた。
「貴女も隣りに」
アイリスがソファに座りその横へエリザベートを誘う。
ローテーブルには袖机が添えられており、そこへランプを置いてエリザベートはアイリスの隣りに座った。
「こうしていると学生時代を思い出すわね」
学院の図書室で、アイリスと並び座って読書をしたのを思い出す。読むのは大抵、市井で人気の婦人向け週刊誌で、市井に疎い王女と令嬢で、ああでもないこうでもないとひそひそと話しながら眺めていた。
「どんな秘術が書かれていたと思う?」
アイリスは古書に記された単語を「秘術」と訳したらしい。
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