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思いもしないマーキスの言葉に、エリザベートは一瞬、言われた意味が解らなかった。
「だが、それを知ったとして、貴女の心に平穏が訪れるかは解らない。もし神殿が知ったなら少々面倒な事になるかも知れない」
「神殿?何故神殿が?」
「神殿が欲っする対象だからです。元々は、貴女の御母様だったのでしょうが、残念ながら彼女は神の御下に帰られた」
マーキスの言葉はどれも意味の解らないことばかりである。エリザベートは、幼い頃から知るマーキスが知らない人の様に思えた。
「エリザベート様。貴女は選ぶことが出来る。生家と婚家に囲われるか、神殿に囲われるか、私に囲われるか」
「司祭様に囲われる?」
「エリザベート様。私の妻になりませんか。神の名の下に、私が貴女をお守り致します」
ひゅっと音がしたのは、自分が息を呑んだ音だった。
「私は未だ妻を得ていない。貴女を妻を迎えて匿う事が出来る。私の下に来ては下さらないか」
エリザベートの混乱を他所に、マーキスは更に話しを進める。
「貴女の周囲の人々は、揃いも揃って皆様ご自分の欲を通しておられる。貴女だって一つくらい我が儘を言ったとして、誰が貴女に苦言を呈する資格がありましょう。貴女の婚約者には『好きな男がいる』とでも仰ってみては如何でしょうか。私も、一世一代の我が儘を言ってみようかと思います」
「司祭様が我が儘を?」
「私は貴女を庇護したい。貴女は私を利用なされば宜しい」
「司祭様の仰る意味が解りません。一体何を仰っているの?」
「貴女が何を神に祈ったのか私は貴女から聞いている。もう一度確かめても宜しいでしょうか」
マーキスはエリザベートの問いには答えず、同じ質問を繰り返した。
「貴女は逃れたいのでしょう?御父上からも婚約者からも。だから私に聖水をお求めになった」
マーキスはエリザベートの答えを待たずに続けた。
「貴女お一人で立ち向かえないのなら、私を隠れ蓑になさいませ。私なら貴女をお守り出来る。ご家族からも婚約者からも神殿からも。神の名の下に貴女をお守り出来る私を利用なさい」
「一体、どうやって、」
「私を信じて下さいますか?」
マーキスの青い瞳と見つめ合う。
何一つ理解出来ないのに、マーキスが偽りを言っていないのだけは解った。
「私と婚姻を結ぶことで、司祭様に利があるのでしょうか」
「有ります」
何がとは聞けないもどかしさを感じながら、エリザベートはマーキスの申し出を不快に思っていない事に気が付いた。
「神殿と仰いましたね。何故、司祭様が神殿から私を守ることが出来ると?」
「教会とは死の穢れに接します。神殿は穢れには近寄れないのです。生と死を同時に司るのが教会です。そこに属する私の妻に神殿は手出しは出来ない」
何故、エリザベートが神殿と関係するのか、マーキスは教えてはくれなかった。
ただ、行き成りの婚姻の申し込みに嫌と言えない自分に困惑した。
「貴女が長い間、婚約者を深く愛していらしたのを存じております。そして、何故その愛を消してしまいたいとお望みになられたのかも。貴女の胸に、まだ婚約者への愛が残っていますか?」
「いいえ」
「伯爵家に貴女の居場所はおありですか?」
「いいえ」
「嫁いだ先に、貴女の幸福な未来が見えますか?」
「いいえ」
「貴女は私がお嫌ですか?」
「……いいえ」
「貴女を、全霊を以てお守りします。今、此処で神の名に於て誓います。貴女を妻と得たなら、私の生涯を掛けて守り慈しむと誓います。貴女が望む愛ではなくても、貴女への情なら既にある。それでは足りないでしょうか」
「いいえ」
安堵が先に立つのは何故なのか、盲目にマーキスを信頼出来るのは何故なのか。それはエリザベートにも解からなかった。
ただ、マーキスの妻になるのを嫌とは思わなかった。寧ろ、と思ってその先を考えることはしなかった。
マーキスのこちらを見通す眼差しの強さに、胸の奥から静かに何かが湧き上がる。その感情に名前を付ける事はしなかった。
翌日、ストレンジ伯爵家へ一通の文が届く。
グランヴィル侯爵家からの縁談の申し込みであった。グランヴィル侯爵当主の末弟とエリザベートとの婚姻を申し込む文であった。
その日、エリザベートは緊張の面持ちでシェルバーン侯爵家を訪れた。直ぐに侯爵の執務室へ案内されて、緊張が増すのを感じた。通い慣れた侯爵家であったが、当主の執務室に入るのは数える程しかなかったから、今日の会合が内密なものなのだと思った。
「エリザベート」
部屋には既に侯爵夫妻とデマーリオが待っていた。父はまだ来てはいなかった。
「エリザベート、あんな噂を本気になどしてはいないだろう?」
「デマーリオ、落ち着きなさい。話しは伯爵が来てからだ」
侯爵に窘められて、デマーリオが浮かせていた腰をソファーに下ろす。
侯爵夫妻の横にデマーリオが座っており、エリザベートはその向かい側に案内された。
「ご無沙汰しておりました」
「エリザベート。少し痩せたのではなくて?伯爵家にも戻っていないと聞きました。無理に王城勤めなどしなくても良かったのに。デマーリオが貴女を不安にさせたのならお詫びするわ」
「いいえ、そうではございませんの。アイリス殿下よりお誘いを受けて、有難い事に登用されたものですから」
「ですが、婚姻を控えてお勤めなど必要無かったでしょう。王家にお仕えするのは名誉ではありますが、貴女は我が侯爵家に嫁ぐのですよ?」
「待ちなさい。伯爵が遅れている。何かあったのかも知れない。エリザベート、君は何か聞いているかな?」
「いいえ。私は直接王城から参りましたから」
確かに父は約束の時刻を遅れていた。父にしては珍しい事であったから、エリザベートの不安は益々つのる。
「エリザベート、」
名を呼ばれて俯いていた顔を上げれば、デマーリオと視線が合った。
「可怪しな噂が流れているが、私にはそんなつもりは無い」
「デマーリオ、止すんだ」
「エリザベート、君は誤解している。ローズと私は君が思う様な関係ではないと、前にも話しただろう」
「デマーリオ、止めないか」
「ローズが私を慕っているのは気付いていた。学園に通うのにも確かに迎えに行っていた。だが、それはローズの為ではない。ローズが君の異母妹だからだ。離れにいる君に、ほんの僅かでも関わりを持ちたいと、ローズとはそれだけの関係だ。伯爵からも大人しいローズの事を頼まれていた」
「デマーリオ、だからあれ程言ったでしょう。私は誤解を招くと反対したのに。それを今更、」
侯爵夫妻とデマーリオが話すのを、エリザベートは聞くばかりで言葉を返せずにいた。
その時、遅れていた父が漸く現れた。酷く顔色が悪いその原因に思い当たって、エリザベートは父を窺い見た。
「遅くなってしまい申し訳ございません」
「伯爵、何かあったのか?」
「ええ、その、」
歯切れの悪い父は、そこで隣りに座るエリザベートを見た。
「エリザベートに縁談の申し込みがありまして」
苦い物を噛むような苦しげな表情で言う。
「縁談だって?一体何処の家です、伯爵!」
「グランヴィル侯爵家です」
デマーリオが問うのに父はそう答えた。
「だが、それを知ったとして、貴女の心に平穏が訪れるかは解らない。もし神殿が知ったなら少々面倒な事になるかも知れない」
「神殿?何故神殿が?」
「神殿が欲っする対象だからです。元々は、貴女の御母様だったのでしょうが、残念ながら彼女は神の御下に帰られた」
マーキスの言葉はどれも意味の解らないことばかりである。エリザベートは、幼い頃から知るマーキスが知らない人の様に思えた。
「エリザベート様。貴女は選ぶことが出来る。生家と婚家に囲われるか、神殿に囲われるか、私に囲われるか」
「司祭様に囲われる?」
「エリザベート様。私の妻になりませんか。神の名の下に、私が貴女をお守り致します」
ひゅっと音がしたのは、自分が息を呑んだ音だった。
「私は未だ妻を得ていない。貴女を妻を迎えて匿う事が出来る。私の下に来ては下さらないか」
エリザベートの混乱を他所に、マーキスは更に話しを進める。
「貴女の周囲の人々は、揃いも揃って皆様ご自分の欲を通しておられる。貴女だって一つくらい我が儘を言ったとして、誰が貴女に苦言を呈する資格がありましょう。貴女の婚約者には『好きな男がいる』とでも仰ってみては如何でしょうか。私も、一世一代の我が儘を言ってみようかと思います」
「司祭様が我が儘を?」
「私は貴女を庇護したい。貴女は私を利用なされば宜しい」
「司祭様の仰る意味が解りません。一体何を仰っているの?」
「貴女が何を神に祈ったのか私は貴女から聞いている。もう一度確かめても宜しいでしょうか」
マーキスはエリザベートの問いには答えず、同じ質問を繰り返した。
「貴女は逃れたいのでしょう?御父上からも婚約者からも。だから私に聖水をお求めになった」
マーキスはエリザベートの答えを待たずに続けた。
「貴女お一人で立ち向かえないのなら、私を隠れ蓑になさいませ。私なら貴女をお守り出来る。ご家族からも婚約者からも神殿からも。神の名の下に貴女をお守り出来る私を利用なさい」
「一体、どうやって、」
「私を信じて下さいますか?」
マーキスの青い瞳と見つめ合う。
何一つ理解出来ないのに、マーキスが偽りを言っていないのだけは解った。
「私と婚姻を結ぶことで、司祭様に利があるのでしょうか」
「有ります」
何がとは聞けないもどかしさを感じながら、エリザベートはマーキスの申し出を不快に思っていない事に気が付いた。
「神殿と仰いましたね。何故、司祭様が神殿から私を守ることが出来ると?」
「教会とは死の穢れに接します。神殿は穢れには近寄れないのです。生と死を同時に司るのが教会です。そこに属する私の妻に神殿は手出しは出来ない」
何故、エリザベートが神殿と関係するのか、マーキスは教えてはくれなかった。
ただ、行き成りの婚姻の申し込みに嫌と言えない自分に困惑した。
「貴女が長い間、婚約者を深く愛していらしたのを存じております。そして、何故その愛を消してしまいたいとお望みになられたのかも。貴女の胸に、まだ婚約者への愛が残っていますか?」
「いいえ」
「伯爵家に貴女の居場所はおありですか?」
「いいえ」
「嫁いだ先に、貴女の幸福な未来が見えますか?」
「いいえ」
「貴女は私がお嫌ですか?」
「……いいえ」
「貴女を、全霊を以てお守りします。今、此処で神の名に於て誓います。貴女を妻と得たなら、私の生涯を掛けて守り慈しむと誓います。貴女が望む愛ではなくても、貴女への情なら既にある。それでは足りないでしょうか」
「いいえ」
安堵が先に立つのは何故なのか、盲目にマーキスを信頼出来るのは何故なのか。それはエリザベートにも解からなかった。
ただ、マーキスの妻になるのを嫌とは思わなかった。寧ろ、と思ってその先を考えることはしなかった。
マーキスのこちらを見通す眼差しの強さに、胸の奥から静かに何かが湧き上がる。その感情に名前を付ける事はしなかった。
翌日、ストレンジ伯爵家へ一通の文が届く。
グランヴィル侯爵家からの縁談の申し込みであった。グランヴィル侯爵当主の末弟とエリザベートとの婚姻を申し込む文であった。
その日、エリザベートは緊張の面持ちでシェルバーン侯爵家を訪れた。直ぐに侯爵の執務室へ案内されて、緊張が増すのを感じた。通い慣れた侯爵家であったが、当主の執務室に入るのは数える程しかなかったから、今日の会合が内密なものなのだと思った。
「エリザベート」
部屋には既に侯爵夫妻とデマーリオが待っていた。父はまだ来てはいなかった。
「エリザベート、あんな噂を本気になどしてはいないだろう?」
「デマーリオ、落ち着きなさい。話しは伯爵が来てからだ」
侯爵に窘められて、デマーリオが浮かせていた腰をソファーに下ろす。
侯爵夫妻の横にデマーリオが座っており、エリザベートはその向かい側に案内された。
「ご無沙汰しておりました」
「エリザベート。少し痩せたのではなくて?伯爵家にも戻っていないと聞きました。無理に王城勤めなどしなくても良かったのに。デマーリオが貴女を不安にさせたのならお詫びするわ」
「いいえ、そうではございませんの。アイリス殿下よりお誘いを受けて、有難い事に登用されたものですから」
「ですが、婚姻を控えてお勤めなど必要無かったでしょう。王家にお仕えするのは名誉ではありますが、貴女は我が侯爵家に嫁ぐのですよ?」
「待ちなさい。伯爵が遅れている。何かあったのかも知れない。エリザベート、君は何か聞いているかな?」
「いいえ。私は直接王城から参りましたから」
確かに父は約束の時刻を遅れていた。父にしては珍しい事であったから、エリザベートの不安は益々つのる。
「エリザベート、」
名を呼ばれて俯いていた顔を上げれば、デマーリオと視線が合った。
「可怪しな噂が流れているが、私にはそんなつもりは無い」
「デマーリオ、止すんだ」
「エリザベート、君は誤解している。ローズと私は君が思う様な関係ではないと、前にも話しただろう」
「デマーリオ、止めないか」
「ローズが私を慕っているのは気付いていた。学園に通うのにも確かに迎えに行っていた。だが、それはローズの為ではない。ローズが君の異母妹だからだ。離れにいる君に、ほんの僅かでも関わりを持ちたいと、ローズとはそれだけの関係だ。伯爵からも大人しいローズの事を頼まれていた」
「デマーリオ、だからあれ程言ったでしょう。私は誤解を招くと反対したのに。それを今更、」
侯爵夫妻とデマーリオが話すのを、エリザベートは聞くばかりで言葉を返せずにいた。
その時、遅れていた父が漸く現れた。酷く顔色が悪いその原因に思い当たって、エリザベートは父を窺い見た。
「遅くなってしまい申し訳ございません」
「伯爵、何かあったのか?」
「ええ、その、」
歯切れの悪い父は、そこで隣りに座るエリザベートを見た。
「エリザベートに縁談の申し込みがありまして」
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