【書籍化】エリザベートが消した愛

桃井すもも

文字の大きさ
36 / 54

【36】

しおりを挟む
思いもしないマーキスの言葉に、エリザベートは一瞬、言われた意味が解らなかった。

「だが、それを知ったとして、貴女の心に平穏が訪れるかは解らない。もし神殿が知ったなら少々面倒な事になるかも知れない」

「神殿?何故神殿が?」

「神殿が欲っする対象だからです。元々は、貴女の御母様だったのでしょうが、残念ながら彼女は神の御下に帰られた」

マーキスの言葉はどれも意味の解らないことばかりである。エリザベートは、幼い頃から知るマーキスが知らない人の様に思えた。


「エリザベート様。貴女は選ぶことが出来る。生家と婚家に囲われるか、神殿に囲われるか、私に囲われるか」

「司祭様に囲われる?」

「エリザベート様。私の妻になりませんか。神の名の下に、私が貴女をお守り致します」

ひゅっと音がしたのは、自分が息を呑んだ音だった。

「私は未だ妻を得ていない。貴女を妻を迎えてかくまう事が出来る。私の下に来ては下さらないか」

エリザベートの混乱を他所に、マーキスは更に話しを進める。

「貴女の周囲の人々は、揃いも揃って皆様ご自分の欲を通しておられる。貴女だって一つくらい我が儘を言ったとして、誰が貴女に苦言を呈する資格がありましょう。貴女の婚約者には『好きな男がいる』とでも仰ってみては如何でしょうか。私も、一世一代の我が儘を言ってみようかと思います」

「司祭様が我が儘を?」

「私は貴女を庇護したい。貴女は私を利用なされば宜しい」

「司祭様の仰る意味が解りません。一体何を仰っているの?」

「貴女が何を神に祈ったのか私は貴女から聞いている。もう一度確かめても宜しいでしょうか」

マーキスはエリザベートの問いには答えず、同じ質問を繰り返した。

「貴女は逃れたいのでしょう?御父上からも婚約者からも。だから私に聖水をお求めになった」

マーキスはエリザベートの答えを待たずに続けた。

「貴女お一人で立ち向かえないのなら、私を隠れ蓑になさいませ。私なら貴女をお守り出来る。ご家族からも婚約者からも神殿からも。神の名の下に貴女をお守り出来る私を利用なさい」
「一体、どうやって、」
「私を信じて下さいますか?」

マーキスの青い瞳と見つめ合う。
何一つ理解出来ないのに、マーキスが偽りを言っていないのだけは解った。

「私と婚姻を結ぶことで、司祭様に利があるのでしょうか」
「有ります」

何がとは聞けないもどかしさを感じながら、エリザベートはマーキスの申し出を不快に思っていない事に気が付いた。

「神殿と仰いましたね。何故、司祭様が神殿から私を守ることが出来ると?」

「教会とは死の穢れに接します。神殿は穢れには近寄れないのです。生と死を同時に司るのが教会です。そこに属する私の妻に神殿は手出しは出来ない」


何故、エリザベートが神殿と関係するのか、マーキスは教えてはくれなかった。
ただ、行き成りの婚姻の申し込みに嫌と言えない自分に困惑した。

「貴女が長い間、婚約者を深く愛していらしたのを存じております。そして、何故その愛を消してしまいたいとお望みになられたのかも。貴女の胸に、まだ婚約者への愛が残っていますか?」
「いいえ」
「伯爵家に貴女の居場所はおありですか?」
「いいえ」
「嫁いだ先に、貴女の幸福な未来が見えますか?」
「いいえ」
「貴女は私がおいやですか?」
「……いいえ」

「貴女を、全霊を以てお守りします。今、此処で神の名に於て誓います。貴女を妻と得たなら、私の生涯を掛けて守り慈しむと誓います。貴女が望む愛ではなくても、貴女への情なら既にある。それでは足りないでしょうか」

「いいえ」


安堵が先に立つのは何故なのか、盲目にマーキスを信頼出来るのは何故なのか。それはエリザベートにも解からなかった。
ただ、マーキスの妻になるのを嫌とは思わなかった。寧ろ、と思ってその先を考えることはしなかった。
マーキスのこちらを見通す眼差しの強さに、胸の奥から静かに何かが湧き上がる。その感情に名前を付ける事はしなかった。


翌日、ストレンジ伯爵家へ一通の文が届く。
グランヴィル侯爵家からの縁談の申し込みであった。グランヴィル侯爵当主の末弟とエリザベートとの婚姻を申し込む文であった。



その日、エリザベートは緊張の面持ちでシェルバーン侯爵家を訪れた。直ぐに侯爵の執務室へ案内されて、緊張が増すのを感じた。通い慣れた侯爵家であったが、当主の執務室に入るのは数える程しかなかったから、今日の会合が内密なものなのだと思った。

「エリザベート」

部屋には既に侯爵夫妻とデマーリオが待っていた。父はまだ来てはいなかった。

「エリザベート、あんな噂を本気になどしてはいないだろう?」
「デマーリオ、落ち着きなさい。話しは伯爵が来てからだ」

侯爵に窘められて、デマーリオが浮かせていた腰をソファーに下ろす。

侯爵夫妻の横にデマーリオが座っており、エリザベートはその向かい側に案内された。

「ご無沙汰しておりました」

「エリザベート。少し痩せたのではなくて?伯爵家にも戻っていないと聞きました。無理に王城勤めなどしなくても良かったのに。デマーリオが貴女を不安にさせたのならお詫びするわ」

「いいえ、そうではございませんの。アイリス殿下よりお誘いを受けて、有難い事に登用されたものですから」

「ですが、婚姻を控えてお勤めなど必要無かったでしょう。王家にお仕えするのは名誉ではありますが、貴女は我が侯爵家に嫁ぐのですよ?」

「待ちなさい。伯爵が遅れている。何かあったのかも知れない。エリザベート、君は何か聞いているかな?」

「いいえ。私は直接王城から参りましたから」

確かに父は約束の時刻を遅れていた。父にしては珍しい事であったから、エリザベートの不安は益々つのる。

「エリザベート、」

名を呼ばれて俯いていた顔を上げれば、デマーリオと視線が合った。

「可怪しな噂が流れているが、私にはそんなつもりは無い」
「デマーリオ、止すんだ」
「エリザベート、君は誤解している。ローズと私は君が思う様な関係ではないと、前にも話しただろう」
「デマーリオ、止めないか」

「ローズが私を慕っているのは気付いていた。学園に通うのにも確かに迎えに行っていた。だが、それはローズの為ではない。ローズが君の異母妹だからだ。離れにいる君に、ほんの僅かでも関わりを持ちたいと、ローズとはそれだけの関係だ。伯爵からも大人しいローズの事を頼まれていた」

「デマーリオ、だからあれ程言ったでしょう。私は誤解を招くと反対したのに。それを今更、」

侯爵夫妻とデマーリオが話すのを、エリザベートは聞くばかりで言葉を返せずにいた。

その時、遅れていた父が漸く現れた。酷く顔色が悪いその原因に思い当たって、エリザベートは父を窺い見た。

「遅くなってしまい申し訳ございません」
「伯爵、何かあったのか?」
「ええ、その、」

歯切れの悪い父は、そこで隣りに座るエリザベートを見た。

「エリザベートに縁談の申し込みがありまして」

苦い物を噛むような苦しげな表情で言う。

「縁談だって?一体何処の家です、伯爵!」
「グランヴィル侯爵家です」

デマーリオが問うのに父はそう答えた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

理想の『女の子』を演じ尽くしましたが、不倫した子は育てられないのでさようなら

赤羽夕夜
恋愛
親友と不倫した挙句に、黙って不倫相手の子供を生ませて育てさせようとした夫、サイレーンにほとほとあきれ果てたリリエル。 問い詰めるも、開き直り復縁を迫り、同情を誘おうとした夫には千年の恋も冷めてしまった。ショックを通りこして吹っ切れたリリエルはサイレーンと親友のユエルを追い出した。 もう男には懲り懲りだと夫に黙っていたホテル事業に没頭し、好きな物を我慢しない生活を送ろうと決めた。しかし、その矢先に距離を取っていた学生時代の友人たちが急にアピールし始めて……?

病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。 怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。 ……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。 *** 『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』  

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完結】旦那様、どうぞ王女様とお幸せに!~転生妻は離婚してもふもふライフをエンジョイしようと思います~

魯恒凛
恋愛
地味で気弱なクラリスは夫とは結婚して二年経つのにいまだに触れられることもなく、会話もない。伯爵夫人とは思えないほど使用人たちにいびられ冷遇される日々。魔獣騎士として人気の高い夫と国民の妹として愛される王女の仲を引き裂いたとして、巷では悪女クラリスへの風当たりがきついのだ。 ある日前世の記憶が甦ったクラリスは悟る。若いクラリスにこんな状況はもったいない。白い結婚を理由に円満離婚をして、夫には王女と幸せになってもらおうと決意する。そして、離婚後は田舎でもふもふカフェを開こうと……!  そのためにこっそり仕事を始めたものの、ひょんなことから夫と友達に!? 「好きな相手とどうやったらうまくいくか教えてほしい」 初恋だった夫。胸が痛むけど、お互いの幸せのために王女との仲を応援することに。 でもなんだか様子がおかしくて……? 不器用で一途な夫と前世の記憶が甦ったサバサバ妻の、すれ違い両片思いのラブコメディ。 ※5/19〜5/21 HOTランキング1位!たくさんの方にお読みいただきありがとうございます ※他サイトでも公開しています。

【本編完結】独りよがりの初恋でした

須木 水夏
恋愛
好きだった人。ずっと好きだった人。その人のそばに居たくて、そばに居るために頑張ってた。  それが全く意味の無いことだなんて、知らなかったから。 アンティーヌは図書館の本棚の影で聞いてしまう。大好きな人が他の人に囁く愛の言葉を。 #ほろ苦い初恋 #それぞれにハッピーエンド 特にざまぁなどはありません。 小さく淡い恋の、始まりと終わりを描きました。完結いたします。

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

お久しぶりです、元旦那様

mios
恋愛
「お久しぶりです。元旦那様。」

処理中です...